◆ことばの話1960「紳助所属タレント」
11月4日、タレントの「島田紳助」が所属事務所の女性社員に暴行を働いたとして、書類送検されました。それを受けて、マスコミ各社が報道しているのですが、その際の呼称が異なるようです。うち(読売テレビ・日本テレビ)は、 「島田紳助さん」 と「さん」付けで報道しました。(読みは「さん」付け。但し、4日の「ニュースプラス1」と翌日の「ズームイン!!SUPER」での字幕スーパーは「島田紳助」で「さん」は付けていない。読みは「さん」付けだが。) これは断っておきますが、紳助さんの番組をたくさん抱えているからではなく、こういったケースの呼称について『読売テレビ報道・番組制作ガイドライン 第二版』にしっかりと記してあるからです。「身柄送検」の場合、実名に「容疑者」という呼称を付けることになっているのですが、「書類送検」の場合は、「公人」と「一般人」に扱いを分けていて、「一般人」ならば原則として「匿名」。「公益に関わる人物」の場合は、「実名に肩書きや敬称を付ける」というのが規定なのです。島田さんが会社を経営していれば「島田社長」であったはずですが、適当な肩書きが見つからないため、「さん」という呼称になったのです。 他のテレビ局や新聞をウオッチしたところによると、NHK(大阪発)は、 「吉本興業の島田紳助・所属タレント」 という珍妙なものでした。これはなかなか珍しい。しかし、以前、SMAPの稲垣吾郎さんが駐車違反で捕まったときに、うちも含めてマスコミは、 「稲垣メンバー」 という呼称を使い、世間の顰蹙を買いました。ほんとは誤解もあったのですが、たしかになじまない呼び名であったのは否めません。このあたりの事に関しては「平成ことば事情426稲垣メンバー」をお読みください。 Sキャスターによると、日本テレビ系列では過去に、 「そのまんま東・芸人」 という「肩書き」を使ったこともあるそうです。 新聞のネット記事(11月4日、正午現在)を見てみると、 (読売)「容疑者」 (朝日)「容疑者」 (毎日)「呼び捨て」(その後「容疑者」に変更) (産経)「さん」 (共同通信)「さん」 でした。 また、11月4日の夕刊と11月5日の朝刊(大阪版)では、 (読売)「容疑者」 (朝日)「容疑者」 (毎日)「容疑者」 (産経)「司会者」 でした。また11月5日のスポーツ紙各紙(スポーツニッポン、日刊スポーツ、スポーツ報知、デイリースポーツ、サンケイスポーツ:大阪版)は、すべて、 「呼び捨て」 でした。芸能人は良いニュースでも悪いニュースでも「呼び捨て」のようです。これだとこう言うときに気を使わなくていいので、便利ですね。いや、便利と言ってしまっては、ちょっと問題がありますが、呼称表記について悩まなくていいのは確かです。 ここで、新聞用語懇談会所属の各社に、どのような呼称で放送されたのかをメールで尋ねたところ次々と返事が来ました。 (TBS・毎日放送)=JNN系列 「島田紳助司会者 又は 島田司会者」 このニュースの発局・MBSの報道局から「本件容疑で逮捕はされておらず、事案の内容等を考慮して容疑者の呼称をしない事を決めた。しかし、耳慣れず違和感の残る表現である為、原稿内での使用頻度を極力少なくする。尚、この呼称はあくまでも現時点の(11月4日)もので、状況が変れば再検討する。」という内容の通達(?)が来た。 TBSの規定でも「書類送検については、匿名か肩書き付きという原則が存在する」ので、違和感があることは否めないが、この表現に従った。 中には「書類送検されたんだから『容疑者』でいいと思う」という意見もあったようだ。 (テレビ朝日・ABC)=ANN系列 被害届けが出された段階では「さん」付け。書類送検されたので、書類送検時の際の原則である「肩書をつける」にのっとって検討の結果、 「島田紳助司会者」 とした。 (フジテレビ・関西テレビ)=FNN系列 島田紳助の呼称の件、関西テレビとフジの社会デスクで話し合った結果、 「容疑者」 とした。根拠としては、 1、刑事手続き上書類送検されている 2、本人が容疑の罪状を認めている によるもの。刑事訴訟法は任意捜査を前提としており、現行犯、逃亡の恐れ、証拠隠滅の恐れがある場合だけ、逮捕することになっている。島田紳助が逮捕されなかったのは、逃亡、証拠隠滅の恐れがなかったからで、「傷害」という犯罪を犯しているし、本人もそのことを認めている。 (参考)「容疑者」としているのは新聞・通信社の東京版では朝日、読売、毎日、時事。「さん」は産経。共同は「タレント」としている。 (NHK) 「吉本興業の島田紳助・所属タレント」 詳細はわからないが、大阪局の出稿。吉本興業の発表した文章に「当社の所属タレント~」とあったのを、「社員」などに準じてそのまま使ったのではないか。 (テレビ東京・テレビ大阪)TX系列 「島田紳助司会者」「島田司会者」 テレビ東京に準拠との事。もちろん、テレビ東京も同じ表記。「容疑者」を使うのは逮捕された場合。(これはTXのマニュアルに記されている)また、「書類送検」の場合は、肩書きで呼ぶのが慣例。今回の場合適当な肩書きが見当たらず苦労した。当初「島田タレント」にしようかなどと検討していたが、TXが「司会者」にしたため、それに準拠した。 TXが「司会者」とした理由は、TXに出演している番組(鑑定団)での役割が「司会者」だからだということ。 (共同通信) 新聞原稿は、 「島田タレント」 で出ている。放送用原稿では最初、 「島田さん」 としたが、新聞用の原稿が「島田タレント」で出ているので、夕方からは、 「島田タレント」 に差し替えた。共同通信の基準では、 「書類送検の場合は肩書をつけ、肩書がない場合は敬称とする」 となっている。 というような現状と意見でした。メールの中でNHKの原田邦博さんは「私見」として、 「問題は多くの社(放送局)が、なぜ『容疑者』としなかったのかということ。本来『呼び捨て』を避け、『容疑者』を付けたのは、有罪か無罪か確定していない人の人権を守るためであったはずなのが、現在では『有罪の推定』のイメージが強くなってしまったことが、多分背景にある。『司会者』『タレント』『所属タレント』など、それぞれの社の苦労が感じられるが、そのことを問題にするよりも、もう一度原点に戻って『容疑者』という呼称について考える必要がありそうだ。」 という意見を寄せられました。これには私も同感です。たしかに、「容疑者」という呼称は「人権の擁護」を目的に、それまでの「呼び捨て」に変わって登場したのに、既に、 「濃い有罪色」 に染まってしまっています。つまり「呼び捨て」ていた時代となんら変わらない、あるいはそれ以上に重いレッテルとなっている。だからこそ、軽微な犯罪(今回の犯罪を軽微と言えるかどうかはまた別にして)の場合には、各社「容疑者」呼称を避けて、何らかの敬称・呼称を考えなくてはならなくなっているのです。 新聞はほとんどが「容疑者」、テレビでもフジテレビ系列は「容疑者」ということから考えると、今後は「書類送検」でも「容疑者」呼称に変わっていくかもしれません。 また、スポーツ新聞が芸能人に関して、ふだんから呼び捨て表記にしていることも、参考にしてもいいのかもしれません。 それとは別に、以前、古い新聞を読んでいた時に、たしか昭和30年代だったと思うのですが、読売新聞でこんな見出しを見つけました。 「殺人鬼○○に今日判決」 いまどき、週刊誌や大衆紙でも見かけない「殺人鬼」という言葉が、堂々と一般紙の見出しを飾っていたのです。それから言うと隔世の感がありますね。 私が入社した1984年も、読売テレビをはじめとした多くの放送局は、まだ「容疑者」「被告」といった加害者の人権擁護のための呼称を用いていませんでした。たしかNHKとフジテレビ系列が先に「容疑者」呼称を始めて、他者は少し遅れてこれに追随した形になったと思います。昭和の末期から平成にかけての時期だったのではないでしょうか。 「容疑者」「被告」をつける前は、 「ストレートニュースの1分原稿に『容疑者』なんてもっちゃりしたものが4回も5回も出てきてみろ、それだけで4~5秒取られてしまって、原稿の中身が薄くなるではないか」 と言っていたデスクもいましたし、アナウンサーとしても「そうだよな」と思っていました。「加害者の人権」よりも「実務面の煩雑さ」を理由に、「容疑者」呼称に消極的に反対している人たちも多くいました。それが今や「容疑者」「被告」をつけるのは当たり前、何の抵抗もなく定着してしまいました。 それから約20年。「加害者の人権擁護」から、今度は「被害者の人権擁護」へ。時代は少しずつ軸足を移しつつあるようです。 2004/11/8 (追記1)
11月17日の日経新聞夕刊に、 「26年前の殺人事件の犯人の当時同校警備員の男(68)=千葉県=が出頭した事件で、男を書類送検した。公訴時効15年が成立しており、不起訴になる見通し。」 という記事が載っていました。同じ記事は読売夕刊にも載っていました。ここで注目は、「書類送検」されたこの68歳の男は、一般人ではありますが「匿名」になっていることです。各社このあたりの基準は同じようですね。
2004/11/28 (追記2)
12月10日の各紙朝刊に、 「紳助容疑者、罰金30万円 大阪簡裁略式命令」 「芸能活動引き続き自粛」(ともに読売) という見出しが出ました。ここでの肩書きは、
| (見出し) | (本文) | (読売) | 紳助容疑者 | 島田紳助容疑者 | (朝日) | 紳助容疑者 | 島田紳助容疑者 | (毎日) | 紳助容疑者 | 島田紳助容疑者(1回目)、 島田司会者(2回目以降) | (産経) | 紳助 | 島田紳助さん | となっていました。毎日新聞が2回目から「司会者」、産経新聞は、もう略式命令が出たあとだからでしょうか、「さん」付けでした。見出しは呼び捨てでしたけど。
2004/12/14
◆ことばの話1959「アフリカ系アメリカ人」
アメリカ大統領選挙も終わり、ブッシュ大統領の再選が決まりましたが、それと同時に行われた上院議員選挙で、黒人としては3人目の上院議員が誕生しました。これを報じた、11月4日の朝日新聞の表現が気になりました。 そこには、「『アフリカ系米国人』としては3人目の上院議員当選」 と書かれていたのです。ほかの新聞(読売と日経)は、 「『黒人』で3人目」 という表現でした。朝日新聞ではもう「黒人」という表現は使わないのでしょうか?もし使うのならば、使い分けの基準はどういうところでしょうか?そこで朝日新聞の知り合いに、メールで質問しました。それによると、結論から言うと、 「明確な使い分けが社内であるというわけではなく、『黒人』も使っている。」 とのことでした。しかも「黒人」の方が圧倒的に多いそうで、だからこそ今回の「アフリカ系米国人」が目立ったのだと思います。今回は「出自」がポイントになっているために「アフリカ系」と明示したのではないか、とのことでした。 ただ、外見は白人でも混血していれば「黒人」として扱われるのか?といった問題や、アメリカ国内でも「Black」を差別語ととらえて(「Nigro」は言うまでもなく差別的呼称) 「African-American」 「Afro-American」 などと言い換える傾向もあることは、今後、踏まえていかなくてはならないかもしれません。私は大学時代から男声合唱をやっているのですが、学生時代は「黒人霊歌」を、 「ニグロ・スピリッチュアルズ」 と呼んでいましたが、最近の合唱の演奏会のプログラムなどを見ていると、 「アフロ・アメリカン・スピリッチュアルズ」 という表記が増えています。 また、CNNとかNBC、ABCといったアメリカの放送局のニュースの同時通訳の人の日本語を聞いていると、「黒人」とは言わずに、 「アフリカ系アメリカ人」 と訳していることが多いように思います。 翌日(11月5日)の読売新聞(だったと思う)でも、「アフリカ系アメリカ人」という記述を見つけたので、まだ、各社とも使い分けが厳密に行われている状態ではないのでしょうね。今後の動きに注目です。
2004/11/11 (追記)
2005年1月26日の日経新聞夕刊に、 「アフリカ系米国人の6割 エイズの陰謀説信じる」 という見出しと本文で「アフリカ系米国人」が使われていました。その同じ記事に、 「『エイズは政府が黒人の人口を抑制する目的で作り出した』という陰謀説も一六%の人が信じていた。」 と「黒人」も使われていました。どういう使い分け基準なんだろうな? また、読書日記154でも書きましたが、『朝日新聞記者が書けなかったアメリカの大汚点』(近藤康太郎、講談社+α新書:2004、11、20)に書かれていた記述によると、 『今アメリカでは「黒人」という表現はしなくて「アフリカ系アメリカ人」と呼ぶのだが、代々アメリカに住んでいる「アフリカ系アメリカ人」たちは、最近アフリカやカリブ海から移民でやってきた黒人との間に一線を画し「あいつらはアフリカ系アメリカ人ではない」と思っている』 とのことなんです。差別とは何か、仲間意識の行き着く先は何か。つまりは民族とは何か、深く考えさせられる出来事のように思いますね。
2005/1/27 (追記2)
去年の11月12日の毎日新聞では、京都府亀岡市にホームステイしている南アフリカ出身の女子高生、アシュリー・カイモウィッツさんが、旧黒人居住区の性的虐待をテーマに制作したドキュメンタリー映画を上映するという記事が載っていました。旧黒人居住区では「21歳までに3人に1人がレイプされる」という証言や、「幼児とセックスするとエイズが治る」といった誤解があることなどを映画は紹介しているそうですが、その記事での表記は、 「旧黒人居住区」 と「黒人」を使っています。というより、アメリカに住んでいる黒人は「アフリカ系アメリカ人」という表現は可能ですが、南アフリカの黒人は、 「アフリカ系アフリカ人」 とでも呼ぶのでしょうか?なんだか、あたり前のような。我々は「日本系日本人」か?? また今年の2月17日、読売新聞のアメリカのライス国務長官を取り上げた記事での見出しは、 「黒人層の反応“複雑”」 で、リードには、 「米国では毎年二月が『黒人歴史月間』」 と出て来るほか、本文でも「黒人」という言葉が使われ、「アフリカ系アメリカ人」という表現は出てきませんでした。
2005/2/18 (追記3)
NHKの原田邦博さんから、こんなメールが届きました。 『アメリカの次の大統領にオバマ氏が決まりましたが、新聞各社の表記を見ると、「黒人大統領」と1語で表す社、「大統領」とは切り離すものの「黒人」を使う社が複数ありますが、朝日新聞だけは、「アフリカ系(黒人)大統領」でした。NHKは「黒人大統領」を使いました。演説ではオバマ氏が「ブラック~」を多用していましたが、マケイン氏は気を遣ってか「アフリカン」を使用していました。』 情報、ありがとうございました。 で、このメールを「ことば事情640『黒人風』」に載せてもいいか?と伺ったところ「黒人風」にはそぐわないが、「アフリカ系アメリカ人」のところなら載せてもいいというお返事をもらいました。あらためて「アフリカ系アメリカ人」を見てみると、あれ?この4年前に書いた「黒人としては3人目の上院議員が誕生」って、オバマ次期大統領のことじゃないですか?名前も書いてないぐらいだから、「黒人の上院議員」というのがニュースのポイントで、「オバマ」という個人にはまったく注目していなかったんですね、当時・・・と言ってもたったの4年前ですが。それが4年後に大統領になるというのは、まさに「アメリカン・ドリーム」ですねえ・・・。
2008/11/10 (追記4)
『世界の首脳・ジョークとユーモア集』(中公新書ラクレ)という本の中に、 「アフリカ系スチュワード」 という表現が出てきました。著者の「おおば ともみつ」という人は、大蔵省の国際金融局長や財務官として国際舞台に立ち、現在も国際金融センター(JCIF)の役員という大立者。そういう立場の人はやはり、 「アフリカ系」 を使うんだなあ。アメリカナイズされていうということですかな。
2008/12/1 (追記5)
3月8日(日)の日経新聞の《活字の海で》『ヒップホップに脚光~社会学者が研究成果』という記事で、文化部の堤篤史さんという記者が、 「ニューヨークのアフリカ系米国人コミュニティーから誕生したヒップホップ文化は、ラップ音楽を中心に大衆文化に大きな影響を与えてきた」 「黒人都市貧困層のうっ屈した感情を表現戦略に高めた成り立ち」 「九二年には、白人警官による黒人男性への暴行事件などを契機に」 というふうに最初は「アフリカ系米国人」、その次は「黒人」というふうに使い分けていました。
2009/3/10
◆ことばの話1958「おっかない」
10月27日午前10時40分ごろ、新潟県中越地震の発生から5日目に、「震度6弱」という大きな余震がありました。その際にテレビカメラに映ったある女性の一言が、 「おっかなかった」 でした。「おっかない」という言葉、意味は「こわい」ですね。この女性も二言目には、 「こわかった」 と言っていたのですが、思わず出た言葉は「おっかない」。これが彼女にとっての「母語」なんでしょうね。 この「おっかない」は、関西人は絶対に使わない言葉です。「おっかなびっくり」という言葉は使わなくもないですが。 そういう意味では、新潟県は、言葉の上では、紛れもなく東日本文化圏なんだなあと思ったのでした。当たり前の話ですがね。 アナウンス部で、 「『こわい』『恐ろしい』ことを『おっかない』と言うか?」 と聞いてみたところ、神奈川県出身のYアナOアナ、それに埼玉県出身のMアナは「言う」、富山県出身のI部長は「言わない」。広島出身のNアナウンサー、神戸出身のWアナ、大分出身のMSアナ、奈良出身のMJアナ、そして三重出身の私は「言わない」派です。東京出身のAアナウンサーは「言わない」。でもおばあちゃんは「言う」とのこと。静岡県藤枝市出身のHアナは「よく言う」。一体どのへんが「おっかない」の境界線なのでしょうか? 『日本方言辞典』を引くと・・・なんと載っていない・・ような感じがする。この辞書、標準語で引くのが特徴なのですが、「こわい」で引くと「おそろしい」を見よとなっていて、「おそろしい」の内容を見ても「おっかない」がない。というより「おっかない」と「おそろしい」は意味が微妙に違うのではないか?と思われる方言が並んでいるのです。なんとも引きにくい。「おっかない」で引けるようにして欲しいな。これ、なんとかならないかなあ。 それはさておき、うちのアナウンサーの証言などをまとめると、静岡と新潟より東(北)は、「おっかない」と「言う」派、富山、三重より西では「言わない」。ということは、境界線は、長野、岐阜愛知、福井あたりにありそうな気がします。また調べてみますね。
2004/11/11 (追記)
川崎市のNISHIOさんから、次のようなメールをいただきました。
国立国語研究所が作成した『日本方言地図』に「恐ろしい」の調査結果が含まれています。1957~1964年に全国2400か所で現地調査。調査対象者は1903年以前に生まれた、その土地生え抜きの男性(各地点1名)で、この方言地図を要約した解説本が出版されています。 『方言の読本』(小学館辞典編集部、小学館、1991.8.1) p.102~103。小学館『日本方言大辞典』の編集スタッフによるものです。 『日本の方言地図』(徳川宗賢、中公新書533、1979.3.25)p.108~114には、「疲れた」の意の「こわい」との関連を論じているのが興味深いところ。編者は、もと阪大教授の徳川宗賢氏、たしか徳川御三卿・田安家の末裔ですね。
とのことです。で、そこに載っている「おそろしい」の方言地図も添付してくれました。それを見てみると、「おっかない」と言う地方は・・・おお、こんなにはっきりと表れているとは!つまりこの表の日本地図で「おっかない」とされている地域は、いわゆる「糸魚川―静岡構造線」と呼ばれるライン、県で言うと新潟・長野・静岡の西端を南北につないだラインなのです。 この『日本の方言地図』という本、読んだんだけどな。覚えてなかったな・・・。もう一度読んでみると、こう書いてありました。 「東西対立型の分布を示す図は、その境界が新潟の糸魚川と静岡の浜名湖を結ぶ線上付近にあることが多い。すなわち、このタイプの図では、新潟・長野・静岡以東が東日本方言圏にはいることになる。」 とありました。典型的ですね、「おそろしい」の分布図は。 そのほかの府県を見てみると、愛知県や岐阜県は「オソガイ」、大阪・奈良・三重・滋賀・京都と兵庫は「コワイ」、和歌山・徳島は「オトロシカ」、岡山は「キョートイ」、広島は「イビセイ」「オソロシー」など、島根・大分・宮崎は「オゾイ」、福岡・佐賀・熊本は「エズイ」「エズカ」、長崎は「オトロシカ」といったところでしょうか。 ただ、この方言地図は1957~1964年の調査で、1903年以前に生まれたその土地生え抜きの男性が対象ということ。つまり今から40年以上前の調査で、その時点で50代半ばから60歳ぐらいなので、現在はこういった方言が残っているかどうかはわかりません。 NISHIOさん、どうもありがとうございました。
2004/11/18
◆ことばの話1957「履歴」
漫画週刊誌『ビッグコミックスピリッツ』(小学館)の11月22日号に掲載されている 「DAWE(ドーン)~陽はまた昇る」(作・倉科遼、画・ナカタニD.) という漫画の第13話「地の塩」と言うのを読んでいたら、国産のトウモロコシと大豆は、 「生産履歴のはっきりした安全な原料として、我が国には大きな需要があるはずだ」 というセリフが出てきました。この「履歴」という言葉は今、 『パソコンの履歴』 のように使われています。しかし昔(パソコンが普及する前)は、 『履歴書』 ぐらいでしか使われなかったのではないでしょうか?つまり今、「履歴」はパソコン用語として使われる一方で、そのほかの場面でも「経歴」とか「過去のデータ」という意味で、かなり一般化して使われているのではないか、と思いました。 GOOGLEで検索してみると、(日本語のページ、11月9日) 「履歴」=210万件 もありました。また、キーワードを追加してみると、 「履歴、パソコン」=59万3000件 「履歴、更新」=197万件 そして従来「履歴」を含む言葉としてよく使われてきた「履歴書」は、 「履歴書」=33万6000件 と、「履歴、更新」の6分の1程度であることがわかりました。 辞書を引いてみましょう。 「履歴」=「現在までに経て来た学業・職業などの次第。来歴。経歴。」(広辞苑) 「その人が今までに経験して来た学業・職業・賞罰など。(物について言うことが有る)(新明解国語辞典) 「その人が現在まで経てきた学業・職業などの経歴」(明鏡国語辞典) 「現在までの学業・職業などの経歴。」(三省堂国語辞典) そして3日前に購入したばかりの『日本語新辞典』(松井栄一・小学館、2005、1、1)も引いてみました。 「現在までに経てきた職業、学業、賞罰などの事柄」(日本語新辞典) というふうに、ほとんどそれも同じ。ここで言うところの、 「履歴」=「コンピューターの過去の使用データ」 という意味は書き込まれていません。また「生産履歴」ならば、 「生産履歴」=「農(畜)産物が市場に出るまでに、どんな農薬(飼料)を使って誰が生産(飼育)したかというようなデータ」 という意味は記されていません。『新明解国語辞典』の「物について言うことが有る」というのが、かろうじて当てはまるかな、ということころですね。今後は新しい「履歴」の意味を書いてほしいものです。 なお、和英辞典で「履歴」を英語でなんと言うか引いてみたところ、 「 history、record、career 」 の3種類の単語が対応しています。 1、「 history 」=(人の)履歴、経歴、前歴 2、「 record 」=(個人に関する)記録、経歴 3、「 career 」=(一生の)経歴、障害、履歴 とありました。これで言うと、これまでの「履歴」は1と3で、新しい「履歴」は「2」の意味になるんですかね。
2004/11/9 (追記)
川崎市のNISHIOさんからのメールです。
研究社『新英和大辞典』(第6版)には、「history」の6番目の意味として 「履歴」が載っています。 → [[電算]] ヒストリー,履歴《過去の検索・コマンド投入などの記録》 コンピュータの世界で「history」は上記の意味で古くから使われています。 UNIX(OS; Operating Systemの一種)には、コマンド操作の history を呼び出す「history コマンド」があり、これが「history」の元祖といえます。→http://linux.about.com/library/cmd/blcmdln_history.htm?terms=history 技術者はこの機能を日本語でもそのまま「ヒストリー」と呼んでいますが、パソコンのソフトでは「履歴」と訳されていますね。Webブラウザの「Internet Explorer」「NetScape Navigator」では「履歴」。「google」では「検索履歴」となっています。
NISHIOさん、貴重なご意見ありがとうございました。もともとは業界用語のような言葉だったのがパソコンの普及とともに、おそらくそのままの形で広がったような感じですね。
2004/11/18
◆ことばの話1956「運動不足なお父さん」
9月25日土曜日放送の「ズームイン!!サタデー」。番組スタート当初から出演してきた山岡三子キャスターは、この日が最終回でした。同じく番組当初から出演している、読売テレビの村上順子アナウンサーは、この日の番組の最後のコーナーで、山岡キャスターをねぎらって、こういう言葉を口にしました。 「いつも仕事に全力投球な山岡さん」 これは本来なら、 「全力投球の山岡さん」 と言うべきところでしょう。これについて、会社のOBのOさんから、 「『全力投球な』というのは、おかしいんじゃないかい?」 とご指摘がありました。確かに、私も放送を見ていて違和感がありました。 ただ「商業コピー」、広告の世界などでは、わざと違和感を持たせて人の気を引くために、本来「全力投球の」と言うべきところを「全力投球な」という手法はありうる、と思ったので、「まったくもって大間違い」とも言い切れないなと思っていました。 (「迫力(栄養)満点の」が「迫力(栄養)満点な」になるようなものなのでしょうかね?) その記憶が消えないうちの先日の「ニューススクランブル」ニュースで、今度は横須賀アナウンサーが、 「運動不足なお父さん必見!」 と言う表現を使いました。この 「運動不足な」 の「な」が気になりました。これは正しくは 「運動不足の」 と「の」を使うべきではないのでしょうか? 11月10日のスクランブルでは大浦さんが 「これからの季節にピッタリな『あんかけ丼』をご紹介します。」 とこれも「ピッタリな」ではなく、本来は、 「ピッタリの」 ではないのでしょうか? 「な」と「の」では、どう違うかというと、「の」は断定していますが、「な」はそのあたりがオブラートにくるんだように曖昧です。断定を避けています。 「これからの季節にピッタリのあんかけ丼」 だと、そのものズバリ、そういうものは一つしかない!という感じです。それに対して、 「これからの季節にピッタリなあんかけ丼」 と言うと、やや範囲が広がったような感じで、 「季節に合う『あんかけ丼』、何種類かのうちの一つ」 というようなイメージがあります。「な」をほかの言葉で置き換えると、 「~気味の」 「~傾向のある」 「~みたいな」 といった言葉に置き換えることができます。 結局この表現も「断定を避けてぼやかす」という一連の若者表現の一つと言えるのではないでしょうか。ただ、使っている人たちの上限が30代半ばに達してきており「若者表現」と呼んでいいのかどうか・・・。ああ、怒られるうー!
2004/11/11 (追記)
12月16日の「なるトモ!」の中で、原稿を読んでいた小林アナウンサーが、 「意味不明な自信を見せていました」 という原稿を読んでいましたが、この「な」も、ちょっと違和感ありましたね。
2004/12/16
(追記2)
「小悪魔な女になる方法」 という本の宣伝を、新聞広告で見ました。やはり、 「○○な△△」 という形、使われているようです。
2005/1/11 |