第23話「狂気と正気」
僕とマリーシャ学長は、寝ているリズとジュリアンを叩き起こした。
彼女らが不平不満を言う暇もなく、マリーシャ学長は転移術式の構築を始めた。
「少し時間がかかります。死んでも悔いのないよう祈っておきなさい」
リズは瞼を擦りながら不満げに言う。
「いきなり起こされたと思ったらそれー? ほんと、マリーシャせんせーってば意味わかんないよ……」
ジュリアンは状況を理解するまでに時間を要しているようだ。
酷い頭痛でも感じているように頭を押さえて呻いている。
「クッソ……吐きそう、だ……。おい、テオドール……何が……」
「あまり無理して喋らない方がいいよ」
僕はそう返しながら、マリーシャ学長を見つめる。
魔法陣の生成、詠唱、術式にソツはないし、彼女の表情は普段と変わらない。
しかし、恐らく彼女は転移術式は不得手なのだろう。
攻撃的な術式であれば魔法に至るレベルのものですら難なく行使できるマリーシャ学長ですら、この人数を転移させるほどの術式を扱うのはなかなかに骨が折れるらしい。
当然、人間の僕では術式を扱うことは不可能。器用なレナですら自身を含めて2、3人転移させるにも難儀する。
ルミエルは論外だが、ジゼルならどうだろう。そろそろ1000人程度を一斉に強制転移させられる程度の力を得ただろうか――。
などと考えていると、マリーシャ学長の魔法陣が発動し、僕らは転移術式により聖域キラファ・リシテルへと向かった。
周囲の光景が一変した。
聖域に転移したと認識すると同時、僕らの目の前に膨大な闇の力を纏った黒い翼の少女が突然現れた。
身の丈ほどもある大鎌を握り締め、強烈な殺意を放っている。
その黒翼の少女は周囲を見回し、ぶつぶつと憎々しげに独り言を呟いている。視界に映っているはずの僕らの気配に気付いた様子もない。
まるで周囲に潜んでいる親の仇でも捜しているかのように集中していて、他のものに目が行っていないのだろう。
その異常な様子を見たリズがぼそりと呟いた。
「もしかして、アレって……」
リズが最後まで言い切るまでもなく、マリーシャ学長が僕らの前に立って黒翼の少女へと話しかける。
「『聖域を侵すことなかれ』。あなたは一体、何度この制約を破れば気が済むのですか、ラナキエル」
ラナキエルと呼ばれた黒翼の少女は、血走った瞳でこちらを見つめてくる。
その殺気だけでリズが小さな悲鳴を上げ、ジュリアンが呻いた。
「……マリーシャ、マリーシャ。リューディオの血縁、リューディオの……私の可愛いリューディオの……」
ぶつぶつと独り言を呟いていたラナキエルだったが、何の予備動作もなく鎌を振るった。
鎌から生じた風の刃がマリーシャ学長へと向かい、リズが悲鳴を上げてジュリアンは慌てて結界術式を発動させようとするが間に合わない。
だが、その刃はマリーシャ学長の前で弾かれる。即席の結界だ。
結界を張ったのは僕だった。
なかなかに面白そうだからね。これはこちらから話しかけずにはいられない。
「君が噂の黒翼の天使、ラナキエルだね?」
「……だれ、誰、誰? あなたは、誰?」
片手で頭を押さえながら、僕を注意深く見つめてくるラナキエル。
言動からして正常ではないのは明らかだ。
ただ、まったく話が通じないわけでもないようだから僕は名乗った。
「僕はテオドール。訳あって帝国からやってきた人間さ。君のような黒い翼の天使を見るのは初めてでね。良かったら話を聞かせてくれないかな」
「テオ……ドール……テオドール、テオドール、テオ、テオ、テオ……」
片手で頭を抱えながら呟き続けるラナキエルだったが、ふと何かに気が付いたかのように僕を見据えた。
「……テオ。1つ、聞かせて……」
先程までの狂乱めいた言動とは違い、その言葉はとても穏やかなものだった。
僕が「どうぞ」と促すと、黒翼の天使は問いかける。
「あなたからは、懐かしい、あの子の匂いがする……」
「あの子……? 誰のことだい」
「あの子、名前……名前は……ああ、そう。そうよ、そう、あの子の名前」
ラナキエルは続けざまに言った。
「テオからはルミエルの匂いがするの。あの子の光と、あなたの闇が自然に調和している。あなたは闇と光が交ざったような、とても珍しい存在……」
「へえ。彼女とは知り合いなのかな?」
「ルミエルは私のお友達。何度もお茶をして、何度も語り合って……懐かしい」
ルミエルにこんなに面白い知り合いがいるとは聞いたことがない。
話すに値しないような取るに足らぬ雑兵、というわけでもないだろう。このラナキエルという少女が発する闇の力は尋常じゃない。
ルミエルには天使のことについて色々と教えてもらった。
天使とはどのような存在で、いかな強さを有しているのかと。
その天使たちを語る上で外せない話が、神気だ。天使たちが纏う神気の量はそれ自体が力の指標となる。
ルミエルが発する神気は凄まじい。
堕天した後になってもその力は衰えず、未だに力弱い魔族は彼女に近づくことすら出来ないのだから。
そして、ルミエルはこうも言っていた。
『天使にとっての神気は、他の種族が内包する魔力と似たようなものなのよ。その多さはそのまま強さに直結するの』
実際に大勢の天使を見た僕も、確かにそう感じたものだ。
しかし、僕の目の前にいるこの少女からは神気がまったく感じられない。
ただ、闇があるだけ。それは魔族ととてもよく似ているし、ラナキエル自身と縁があるというダークエルフの特徴とも似ていると言っていい。
これだけ膨大な闇の力を発する存在を、魔族以外で見たのは初めてだった。
自然と僕の興味はそこへも向けられる。
「ラナキエル。君に聞きたいことは山ほどあるけど……まずは、君が有する闇の力がどこから来たものなのか聞いてもいいかな? それだけの闇を持つ存在が、他の天使と共存していたとは考えがたい」
ラナキエルは僕のことをじっとりと見据え、不機嫌そうに言った。
「質問は私がしてるの。ルミエルとテオは、どういう関係? あの子は今、どこにいるの」
「友達以上、恋人未満といったところかな。彼女からはなかなか気に入られていてね。目を付けられてもこうして何とか生き延びていられるんだ。僕と別れた彼女は――さて、どこへ行ったのやら?」
白々しいにも程があるが、真相を話したところでこの場が混乱するだけだ。
すると、ラナキエルは小首を傾げた。
「そう……。ルミエルは優しいもの。無邪気で明るくて、いつも“下々にいる”人間たちやエルフたちのことを気にかけていた。あの子は今も変わらない?」
「うん、本質的には変わっていないと思うよ。彼女は優しいさ。少しわがままなところもあるけれどね」
ルミエルは好戦的で傍若無人なところもあるけど、根は優しい子だ。
その殺意や敵意が弱者に向けられることは決してない。慈悲深い性格といってもいいだろう。レナやカーラと頻繁に衝突するのも、相手の力量がわかっているからこそ。
ルミエルは、テネブラエにやってきた頃の幼いジゼルに対して深い愛情を見せることもあった。一時期は僕よりもジゼルに構って、いつもその身を案じていたっけ。
昔はジゼルの方からルミエルに甘えていたくらいだ。
人間の少女を優しく包み込むルミエルからは、一種の母性か何かのようなものが感じられた気がする。
もっとも、今となってはすっかり立場も逆転してしまったけど――。
突然、ラナキエルが真っ黒な翼を広げた。
その身体から闇の力を放出させながら、彼女は笑う。
「ルミエルはね、優しいの。でも、それはそれ。誰に対しても心を開くわけじゃない。天使の中でもはぐれ者のような存在だったあの子が気を許した男の子がどんな人間なのか、私に示してみせて?」
「いいよ、僕も君のことが気になっていたからね。優雅にお茶でもしながら歓談するのも悪くないけど、刃を交えた方が話が早そうだ」
「……あっはは! テオは面白い! ルミエルだけじゃなくて、私とも気が合いそう! ねえ、テオ……楽しみましょう!!」
ラナキエルは手にした鎌を振り回すと、豪速で飛翔してきた。
衝撃波を発しながら向かってきた彼女が振るう鎌を、即席の魔力で作った闇の剣で受け止める。
闇の鎌と闇の剣が打ち合った衝撃だけで身体が吹き飛びそうになった。
もしも僕の作り出した剣が闇の力を有していなければ、闇の鎌の力に耐えきれず即座に粉々にされていただろう。
ラナキエルは頬を紅潮させ、嬉しそうに叫んだ。
「真正面から私の刃を受け止めた子はルード以来……!! 本当に、本当に久しぶり!!」
「それは、ダークエルフの王さまのことかい……!」
「そう、そう! ルードは強いの! 私が力を与えるまでもなく強い! ダークエルフの中でも突出した逸材!!」
目視することすら難しい速度の斬撃を、ひたすら受け止めた。
お互いの刃がぶつかり合う度に凄まじい衝撃波が発生する。
それまで趨勢を見守っていたマリーシャ学長が言う。
「テオドール、加勢は必要ですか」
「いらない!!」
返答するのも面倒だった。
僕の身体はジゼルによって前よりも更に強化されている。にもかかわらず、形勢は僕の方が不利だ。
幾度も打ち合った結果、剣を持つ手が痺れ、脂汗が頬を伝う。
まったく、面白いね。
「ねえ、テオ! テオは本当に人間なの!? 脆弱で、儚い、あの虫けらみたいな存在と同じなの!?」
「ふっ……! 君は思い上がり過ぎだ。僕より強い人間はいるよ。たとえば、帝国西方を守護する大英雄さま、とかね!」
僕はラナキエルの鎌による一撃を弾き飛ばし、すぐに彼女の心臓を狙って刺突。
わずかに出来た隙を突いたものだったが――。
黒翼の天使はふっと笑いながら、僕の攻撃をかわす素振りも見せずその胸を剣が貫いた。彼女は吐血しながらも、その表情は喜びに打ち震えている。
一瞬の違和感。
僕はすぐに異常を察して自らの剣から手を離し、黒翼の少女から距離を取ろうとする。
しかし、ラナキエルは鎌を放り、片手で僕の腕をがっしり掴んで強引に引き寄せた。
このままだと腕が折られるか、引き千切られそうだ。
そう思った瞬間には、もうラナキエルの顔が目の前にあった。その血を垂れ流した唇が弧を描き――。
彼女は空いていたもう片方の手で僕の後頭部を鷲掴みにして抱き寄せ、そのまま僕の唇を強引に奪った。
「っ!?」
何が起こったのかと思っていると、すぐに僕の口内を鉄のような味が満たした。
ラナキエルの舌が僕の舌と絡み合い、湿った音がする。
頭を押さえつけられているせいでまったく身動きが取れず、僕は彼女にされるがままだった。
状況を見守っていたリズとジュリアンが立て続けに言う。
「うわっ、ななな、何やってんの……!?」
「殺し合いになったかと思ったらこれかよ……だからイカレたわけのわからねえ奴は嫌なんだ」
「ま、マリーシャせんせー!? こ、これ、どうすんの? どうすんのー!?」
マリーシャ学長は普段と変わらぬ様子で答える。
「ラナキエルから敵意が消えたので、そういうことなのでしょう。気が済むまでそうしていれば良いのでは」
「『そういうこと』ってどういうことなのかなー!? あたしにはぜんっぜんわかんないんですけど!!」
長い口付けの間、僕はラナキエルの顔を見つめていた。
どう考えても常軌を逸した行動をした彼女だったが、その表情から狂気は感じられない。とても穏やかな表情をしていた。
僕は思わずふっと笑ってしまう。
「情熱的だね、君は」
「……うん。うんうん、テオは可愛い。ふふふ、可愛い、強い、大胆。ルミエルが気に入るのもわかる。もっと味わわせて?」
「魅力的な女性にそこまで言われると僕としても、悪い気はしな――」
またしても唇を奪われる。
まったく……。確かに悪い気はしないんだけれど、ここ最近はずっと女性にリードされっ放しで困るよ。
気が緩んだ頃、不意にラナキエルに舌を噛まれた。
それは少し傷を付けるような噛まれ方だった。口内に血の味が満ちる。
唐突な行動だったけれど、大して驚きもしなかったのは以前似たようなことをされたことがあるからだ。
興奮したカーラが欲情と渇きのあまりに僕の血を欲して、こういうキスをしてくることがあった。最後にそういうことをされたのは何年前だったかな。
普段はお淑やかで控えめに見えるカーラも時には激しく僕を求めてくる。ただ、彼女の場合は血に興奮し過ぎた結果そうなるわけで、僕の舌を噛み千切るほどの勢いだった。
人間の僕の身体じゃそんな激しい愛撫には耐えられない。そもそも彼女の全力の抱擁を受けた時点で死んでる。
それに比べたら、ラナキエルの行為は単なる甘噛みに等しい。
黒翼の少女は自らの血と僕の血を口内で混ぜるように舌で舐った後、陶然とした様子で呟いた。
「凄い……。闇そのものみたいなのに、光の感触もして……こんなの、初めて。わからない、テオがわからない……」
「君からは闇しか感じられない。僕にとっては心地良い感触だけどね。……それより、胸の傷は大丈夫なのかい?」
明らかに心臓を貫かれたはずの彼女はしかし、なんでもないという風に「平気」と呟いた後、また僕の唇を奪った。
先程まで戦いで昂っていた感情が少し薄れてしまった。これはこれで悪くないんだけどね。
「テオに、従いたくなる……なん、で……私より、弱い……んじゃないの……?」
ラナキエルは僕を間近で見つめながらそう呟いた。
僕が返答しようと口を開いた瞬間、またキスをされる。
僕は彼女の頭を優しく抱いて、撫でた。
艶やかな髪を梳き、その黒い翼に触れる。
くすぐったそうに身をよじったラナキエルが僕から唇を離し、囁いてきた。
「テオ……もしかして、手慣れてる?」
「天使の扱いに関しては、それなりに」
「そう……そうなの」
ラナキエルは満足したように呟くと、僕を解放して立ち上がる。
彼女が手を差し伸べてきたので、大人しく従った。
黒翼の少女はとても落ち着いた様子でふぅと一息吐いて、周囲を見回した。
マリーシャ学長は葉っぱをしゃくしゃくと齧りながら僕たちを見つめていて、リズはその後ろに隠れてこちらを覗き見している。
ジュリアンはというと「やっと終わったか」とでも言いたげに僕を睨めつけてきた。
ラナキエルはふとリズへと視線を固定する。
それを察したリズが変な悲鳴を上げてマリーシャ学長の背後でがたがたと震えていた。
「リーゼメリア……」
そう呟いたラナキエルは更に続けた。
「まだ王家の力を使いこなせてはいないけれど、その才能は十分。エインラーナより凄くなるかもしれない」
「あ、あ、あたしは母さまより全然ダメダメな子なんで、色々勘弁してほしいかな!?」
「ルードのお嫁さんにするには悪くないかもしれない……」
ふと葉を食べ終えたマリーシャ学長が問いかける。
「正気に戻りましたか、ラナキエル」
「頭がすっきりしてる。テオのおかげなのかしら。とても気分がいいの」
「それならば結構ですが、あなたは強制転移されたように見えました。アミルさまと対峙したのでしょう」
「……ええ。でも、まあ、今はどうでもよくなっちゃった。次に見つけたら殺すだけ」
ラナキエルは心底どうでもよさそうに言った後、翼をはためかせながら僕へと顔を向けた。
「ねえ、テオ。今から私と一緒にフュートハリアに来る気はない? ルードにも会わせたいの。連れていってあげるわ」
「そう遠くないうちに行くつもりだけど、今はまだやることがあるからね。その時はよろしくお願いしたいかな」
「そう? なら、用事はなるべく手短にお願い。……私の頭がまたぼんやりとしないうちに、ね」
ばさりと翼を広げたラナキエルは、そのまま飛び上がった。
名残惜しそうに僕を見つめた彼女は、やがて南方の方角へと飛び去る。
それを見つめながら、マリーシャ学長は言った。
「生きた天災です、アレは」
確かに最初はそう思ったけど、途中からラナキエルの雰囲気が明らかに変わった。
そして狂気じみた言葉と、血に飢えた闘争を望む様は魔族の破壊衝動と酷似していた。
そんな彼女とルミエルが知り合いだったというのも気になる。
僕がそう思った頃、唐突に僕たちの傍に強い魔力が溢れ何者かが転移してきた。
そこに現れたのは薄い布を纏っただけのダークエルフの女性と、彼女に抱き支えられるようにしていたクラリスだった。
それを見たリズが「今度は何!? 何なのもう!?」と声を上げ大いに混乱する。
マリーシャ学長は突然現れたダークエルフの女性に驚くこともなく、言った。
「アミルさま。様子を見ていたのであれば、テオドールとラナキエルの衝突を止めて頂きたかったのですが」
アミル。そう呼ばれたダークエルフは首を横に振る。
「そこの少年が死にそうになったら介入せざるを得なかったのだけれどね。幸か不幸か、ラナキエルは正気に戻ったじゃないか。狂気に蝕まれた状態ならともかく、正気に戻っているなら私には手に余る存在だよ、あの天使さまはね」
そしてダークエルフは僕へと顔を向ける。
「それにしても、テオドールくんといったか。あのラナキエルにあそこまで気に入られた者を見るのはリューディオ以来だよ。いやはやまったく、私からしても興味深い存在というほかない。素晴らしき才能だ」
「アミルさま、だったかな。お褒め頂いて光栄だね。ところで――クラリスとはどういう仲なんだい?」
別れる直前までは相変わらず憔悴していたクラリスだったが、今は何がなんだかわけがわからないという様子でおろおろとしているだけだった。
ダークエルフの女性はそんなクラリスに何事か囁いてから、再び僕に顔を向ける。
「彼女とはちょっとした縁があったのさ。それにしてもこのような状態の少女を1人にしておくとは配慮に欠けていると言わざるを得ないよ、テオドールくん。今のこの子には優しく包み込んでくれるような存在が必要だ」
元はといえば、マリーシャ学長に同行を却下されたのが原因なんだけど。
ただ、僕らが見た双邪神の一部もなかなかに刺激の強い存在だった。
クラリスはどういう行動をしていたとしても、その精神に悪影響を与えられたに違いない。
「返す言葉もないかな。クラリス、大丈夫だったかい?」
「え……ええ、私は……こ、このお方に助けて頂いて……?」
困惑したように言うクラリスは僕とダークエルフの女性を交互に見ながらも、他に何を言ったらいいかわからない様子だった。
褐色の肌のエルフはふっと笑う。
「大したことはしていないさ。それより、テオドールくん。君の目的は私だろう?」
「うん、よくわかったね。色々と話を聞きたいんだ」
赤星の煌めきに端を発するこの旅路の目的は、天文現象に詳しいとされるダークエルフとの接触だった。
だけど、今では双邪神に関係する話も聞きたいし、リューディオ学長から託された魔導生物の死骸の一部をこの女性に託すという役目もある。
そして、最後にはエインラーナ陛下のもとにこの女性を送り届けなければならない。首から上さえまともなら他は問わないという条件付きで。
「話す分には構わないが、少し時間を頂こうか。そしてしばらくの間、クラリスの身は私が預かろう」
「どういうことかな? この後、のんびりお茶でもしながら話せればいいなと思ってたんだけどね」
「テオドールくん。君からは少し嫌な感覚がするんだよ。大方、リューディオに何か言われて私を捜していたのだろうが……それだけじゃないだろう? 私にはよくわかるよ、君からはあのエインラーナとかいう性悪女から何か言い含められたような気配が伝わってくる。嗚呼、恐ろしい」
「そう。お察しの通り、聞きたい話がたくさんあるんだ。あまり時間を無駄にしたくないんだけどね?」
「ふふ、君は事を急き過ぎだ。……と、そろそろこのあたりも騒がしくなるか」
周囲を見れば、キラファ・リシテルに住まうエルフたちの姿が増えつつあった。
軍属と思われる者たちの姿も見受けられる。
彼らはマリーシャ学長がこの場にいるのを見て、ますます混乱しているようだった。
「テオドールくん、ちょうどいい。君には私からの試練を授けよう」
「あまり嬉しくない話だね。まあいいさ、付き合うよ。どういうものなんだい?」
「『私のねぐらを見つけ出すこと』。これを私と話す条件に設定しようじゃないか。手段は問わない。誰にどんなことを聞いてもいいから、私のいる場所に辿り着けばいい。単純明快だろう」
「……? ということは、マリーシャ学長に訊ねてもいいってことかな?」
僕がそう言うと、マリーシャ学長はふるふると頭を横に振る。
「私はアミルさまのねぐらの場所を『知りません』。他の者も同じでしょう」
嘘を言っているようにも見えない。
元からぼんやりしている女性だから感情の機微がわかりにくいけれど、思ったことをそのまま言ったような表情だった。
「なるほどね。これはまたずいぶんと厄介な話を持ちかけられたものだ」
ダークエルフの女性はクラリスの肩を抱きながら言う。
「さあ、それじゃ行こうか、クラリス」
「……あ、あの、私には……状況がまったく……??」
「今は何も考えなくていい。ただ、私に身を任せたまえ」
そう言われた途端、混乱の極みだったクラリスの表情から焦燥や恐怖が消え、瞬く間に眠ってしまった。
ダークエルフの口から紡がれた優しげな言葉からは若干の魔力が感じられた。
マリーシャ学長がジュリアンを眠らせるために使った魔術とも違う。これはエルフ独特の術式か。
本当に興味深い女性だ。
「さて、それじゃあ後のことは頼むよ、マリーシャ」
「何度目の面倒事ですか。これだから軍属は嫌で堪りません」
普段と変わらぬ様子ながらも露骨に嫌そうに言う学長の姿を見て、ダークエルフの女性は笑いながら言った。
「ふふ、君は力があるのに戦にはまるで興味を示さないね。だからこそ、リューディオにも愛想を尽かされるのだよ、マリーシャ。あの子は力ある者がそれを行使しないことに苛立ちを募らせる性質があるからね」
「私は望んでこの力を身に付けたわけではありません。勝手に期待されても困ります」
「実に君らしい返答だ。……それでは、テオドールくん」
ダークエルフの女性とクラリスを闇の力が包んだ。
「見事、私を見つけ出せることを祈っているよ」
「手早く済ませたいところだね。クラリスをよろしく」
僕がそう言うと、アミルさまとクラリスの姿がその場から瞬時に掻き消えた。