第20話「合格です」
深夜の大森林にて。
僕たち一行は、焚き火を囲んでいた。
僕は焚き火を見つめ、マリーシャ学長はぼんやりとした眼差しで虚空を眺め、ジュリアンは瞼を閉じているが眠っているわけではなく、瞑想をしているようだった。
そして、焚き火のぱちぱちという音に紛れ、すやすやとした寝息が聞こえてくる。
その主はリズだった。
あの双邪神の腕を王家の力で消滅させたリズは、すぐに次の現場へ向かった。
双邪神は腐食した地面から身体の一部分だけを露出させたような姿で、酷い悪臭を放ちながらも周囲をゆっくりと腐らせていた。
そんな光景に辟易とした様子を見せながらも、リズは合計で3ヶ所の腐食の地を浄化して、気が付けば夜になっていた。
すっかり疲労困憊の様子だったリズは、夕食のスープを飲んでから倒れるように寝込んでしまい、それからずっと深い眠りに就いている。
僕の近くの地面に横たわる彼女はもはや野宿を嫌がる素振りすら見せず、とにかく休まないと身体が保たなかったようだ。
いつも自由きままで束縛を嫌うリズが、ツェフテ・アリアの王族として存分に力を振るった日だ。
肉体的な疲労も強いだろうけど、精神的な負担もまた大きかったに違いない。
多分、これからは王族としてもっと厳しい現実を目の当たりにさせられるはずだ。だからこそ、今だけはゆっくり休むといい――。
僕が彼女の寝顔を見つめながらそう思っていると、それまでぼんやりとしていたマリーシャ学長が言った。
「テオドール。真理について話をしましょう」
「……いきなりだね?」
「あなたは私の思考を否定しなかった。その根拠を教えてほしいのです」
マリーシャ学長の青い瞳が僕をじっと見据え――ているんだかいないんだか、よくわからない。
僕というよりも、その中身を見つめられている気分だ。
今のところ、特に僕を人間ではないと疑うような素振りは見せてはいないようだけど……。
まあいい。
僕も彼女の追い求めた真理とやらの話には興味があったからね。
「簡単な話だよ。帝国のミルディアナでは末期の雫を造るためにギスランという魔術師が策謀を巡らせ、グランデンの地ではトトとハインという冒険者を装った者たちが神殿を破壊するためにあの城砦都市全体を巻き込んだ大規模な怨霊の襲撃を企てた。そして彼らに共通することは、己が崇める神のためという大義のもとに事態を引き起こしたという部分だ」
僕は続ける。
「その対象であると思しき『女神』という存在が気にかかる。ギスランは末期の雫を用いて天魔召喚術式を発動させ、天魔を地上に降臨させて蹂躙した後、女神に相応しい場所にするといったことを口走っていた。これはつまり、ギスランが言っていた女神とやらが本当に神かどうかはともかく――実在するナニカである可能性が極めて高い。すべてはその女神とやらが裏で糸を引いている、というのが今のところの僕の結論といえるかな」
この言葉にマリーシャ学長はどう反応するのか。
凡庸な返答であれば、わざわざ問答する必要はないだろうが……。
彼女はぼんやりとした面持ちのまま言った。
「その女神がミルディアナとグランデンの事件を企てた黒幕。あなたの立てた推論はそれだけですか」
「……どういう意味だろう?」
「帝国で過ごしている身でありながら、思考はそこで止まっているのですか。それとも、帝国で過ごしているからこそ、それ以上のことにまでは頭が回らないのか」
ふっ、本当にはっきりと物を言う女性だ。
まさか僕に対して頭が回らないと返してくるとはね。
……僕が明かしていないことはまだある。
トトとハインの真の目的は、グランデンや神殿の破壊そのものではなくサタンを顕現させることであったというものだ。
しかも、サタンを封印していた水晶が何故帝国の神殿にあったのか――という部分は疑問が尽きないところでもある。
そして、このことに関して、人間としての僕の身で明かせる情報には限界がある。
デュラス将軍や、ゼナン竜王国の大竜将とされる者は実際にサタンをその目で見たが、公にされている情報はほとんどないといっていいだろう。
……サタンを目にした者の中にはクラリスも含まれているんだけど、今の彼女は数に含めても意味がないし、そもそも目の前にした者が魔王の1柱だということすら知らないだろう。
グランデンで大きな事件があったのは明らかだが、それらはすべてデュラス将軍という大英雄によって解決され、最後には天使――ルミエルのことだが――の祝福があり、邪なる神剣の力によって夢幻の束縛へと陥っていた軍人たちを救った。
めでたしめでたし。
軍部の将官以上の関係者ともなればいざ知らず、学生を含めた民草が得られる情報はこのあたりが限界か。
僕が魔族だと明かせば話はもっと簡単に進むだろうけど……これからある程度情報の共有をしなければならない相手に無駄な警戒心を抱かせるのは好ましくない。
おまけにここにはジュリアンがいる。
既に僕を魔族だと決めつけているリズはともかく、彼に悟られるのは少し――。
僕がジュリアンのことをちらりと横目で見ながら思った時、マリーシャ学長は僕の視線の先へと目を向けて言った。
「竜の子よ」
「……あ? オレのことなんざ気にしないで真理の話で盛り上がれば――」
「土台、そのつもりです」
「は……?」
黒髪の少年が瞼を開け、胡散臭そうにマリーシャ学長を見つめた途端、彼はぷつりと糸が切れたようにその場に倒れ込んだ。
特異術式。七大属性のどれにもあたらず、攻撃的性質を持たない術式はそう呼ばれる。彼女は自らの青い瞳を光らせて、ジュリアンを一瞬で眠らせてしまったようだ。
あまりにも素早く容赦のない行動だった。しかも、魔力耐性が極めて高い竜族をこうもあっさりと眠らせてしまうとは……つくづく、恐ろしい女性というほかない。
「マリーシャ学長。ジュリアンは一応賓客なんだから、大事に扱ってくれないかい?」
「あなたの言葉を阻害する要素がまだあるなら言いなさい」
「……いや、ないよ。本当に貴女は凄いね。うん、実に凄い。貴女にならあるいはもっと踏み込んだことを伝えてしまってもいいのかもしれない」
僕は一呼吸置いてから、言った。
「女神がグランデンの襲撃を命じた本当の理由は、とある魔族の封印を解くためだった」
「魔族」
「そう、サタンという魔族さ。今から1200年前に姿を消したとされていたんだけどね」
その情報の出所はどこか?
恐らく、そういう問いかけが来るだろうと思っていた僕が返答を用意をしたところで、マリーシャ学長は言った。
「魔族の封印、ですか。ナスターシャはどのような反応をしましたか」
……なんだと?
どうしてここでその女の名前が出てくる?
「マリーシャ学長。そのナスターシャというのは……」
「デュラス大将の奥方です。グランデンに赴いたあなたであれば知っているのでは」
「もちろん知ってるよ。ただ、その女性は数年前に何者かの手にかかって殺されたらしいけどね」
僕がそう言っても、目の前のエルフはぼんやりとした表情を崩さなかった。
特に重要な何かを知らされたような素振りも見せずに言う。
「そうですか。彼女の知識は、真理を追い求める私にとっては必要不可欠だったのですが」
「知り合いだったのかい?」
「帝国とゼナンのくだらぬ戦に退屈していたところで彼女と出会いました」
自らも参戦し、数多くの犠牲が出た大規模な戦すら、くだらない上に退屈で済ませてしまうのか。
このエルフの女性にとっては、自分に迫る死の危険すらも他人事に過ぎないのかもしれない。
「ナスターシャという女性とは、どこで出会ったんだい?」
「帝国北方の地で一時的に戦が膠着状態になり、私が戦線から離れた際に帝都で」
戦時中にナスターシャが帝都にいたというのか?
地理的に考えれば、西方領のグランデンにいた方がまだいくらか安全なはずだけど。
「私がナスターシャと出会ったのは偶然ですが、話が合ったので交流を深めました。彼女は他の者が知り得ないような知識を有している稀有な存在だったと言えるでしょう」
「それは、ただ勉学に励んでいるだけでは知ることが出来ないような事柄のことを言ってるのかな?」
「ええ。この国で禁忌とされているミラの血潮事件はもとより、風化してしまった神話や伝承にも造詣が深かった。あらゆる国の事情に精通している彼女が、唯一あまり知らない国だと言っていたのがテネブラエ魔族国です」
……あまり知らない?
公になどなっていないサタンの失踪すら把握していた女がそれを言うか?
「サタンといえば、魔族国を支える魔王の7柱がうちの1柱。そのような力ある者がある時、忽然と姿を消したと彼女は言っていました。ある意味、あなたの話の裏付けになるとも言えるかもしれません」
「……サタンの名前を知っているだけでも大したものだよ。姿を消したという話も実は広がっているのかい?」
「魔王の名前程度なら大昔の碑文などに残っているので、知っている者は私を含めて稀にいます。ですが、魔王が姿を消したという話は初耳でした」
マリーシャ学長はじっと焚き火を見つめながら言う。
「私がナスターシャから聞いた話は、そのどれもが出典が曖昧なものばかりで真偽の程は定かではありません。サタンに関する逸話も、何を根拠にしたものだったのかを彼女が語ることはなかった」
「たとえば、彼女は魔族に関することについて、他にはどんな話をしてくれた?」
「印象に残っている話といえば、キアロ・ディルーナ王国の始祖である大魔法使いディルーナとルーガル王国の始祖である神獣王ルーガルは、とある魔族と友好的な関係を築いていたと」
……戦慄を覚えた。
何故、そんなことまで知っている……?
僕がディルーナとルーガルに会ったのは、もう1600年以上前の話だ。
ただの人間が知っているはずがない。
それとも、ディルーナが僕との出会いを書物か何かに記していたのか?
いや、たとえそうだったとしても、帝国の貴族の娘に過ぎないであろうナスターシャが知っていること自体がおかしい。
「その魔術大国の始祖と親しいという魔族の名前はわかるかい?」
「いいえ。具体的な名前は出てきませんでした。ただ、ナスターシャは『私も魔族と話がしてみたい』などと笑っていましたが」
マリーシャ学長は淡々とした様子で続けた。
「他には、魔族の中でも上位に値する者たちは時に殺し合い、勝者は敗者の名前を戴くという話も印象深かったものと言えるでしょう」
「……」
それも事実だ。
滅多に起きることではないが、破壊衝動に満たされた魔族が上位の者に戦いを挑み、相手を滅すればその名を戴く――というよりもその座を奪うことがあったといった方が正しいか。
名もなかった僕が名前を得たのが、まさしくその方法によるものだった。
そして、僕は魔族国の主たる先代のルシファーをも滅殺し、その名と位を戴いたものだが……。
「そして、彼の国では合議制を採用しているとも聞きました。7柱の魔王が集いて意見を交わし、それぞれの合議によって国の行く末を決めると」
ナスターシャとは一体何者だ。
魔族に関して詳しくないと嘯きながら、他の種族が知り得るはずのない情報に精通しているのは何故なのか。
本当に、ただの人間なのか……?
「彼女ともっと話をしたかったのですが、戦の状況が様変わりした結果、それも叶わず」
「……そのナスターシャという女性は、マリーシャ学長の追い求める真理についてはどういう反応を示したんだい?」
「肯定も否定もしませんでした。ただ、そういう考え方もあるのかと穏やかに笑っているだけで」
エルフの学長は星空を見上げながら呟いた。
「死してしまったのであれば、もはや彼女の言葉を聞くことは出来ない。話を戻しましょう。あなたにはまだ私に伝えてはいないことがあるのでしょう」
「……何故、女神がサタンを復活させたかについては憶測でしかないんだけど」
僕はテネブラエで王族会議を行った時に、他の魔王たちと話し合ったことを伝えた。
女神の目的はこの大陸に混乱を招き、大陸全土を焦土と化してしまうことなのではないかと。
「――というわけでね。僕も女神の目的がただ帝国やツェフテ・アリアの滅亡だけに留まるとは思っていない。女神とやらの真の目的は、もっと先にあると考えているんだよ。そういう意味でもマリーシャ学長の追い求めた真理を肯定せざるを得ないというのが現状だ。『すべての者の背に繰り糸が見える』というのは、言い得て妙だと思った……というわけさ。これでどうだろう?」
この何を考えているかわからないエルフの思考を読み解くのは難しい。
彼女は僕をじっと見据えながら、沈黙したままだった。
しばらくの間を置いてから、マリーシャ学長は頷いた。
「いいでしょう。合格です」
「……流石に緊張したよ。ミルディアナの軍学校での入学試験なんて、マリーシャ学長に認めてもらうことに比べたら可愛いものだったのかもしれない」
半分冗談で半分本気、といった感じだ。
彼女にそっぽを向かれるようでは、これから先の情報収集に支障が出かねないからね。
ふと気が緩んだところで、そういえばと思い出した。
僕がツェフテ・アリアに向かう前にその存在に気が付いた、ミルディアナにいた不気味な生き物たち。
帝国の戦に参戦したマリーシャ学長であれば、何か知っている可能性があるのではないだろうか――。
久しぶりの更新となります。
これからは不定期連載となりますが、よろしくお願い致します。
本作の第4巻が10月22日頃に発売予定です。
また、コミカライズは10月16日から各電書ストアで配信が開始され、近日中にマンガワンでも連載されるそうです。
両方ともよろしくお願い致します。