第14話「朝の嵐と、黒翼の者」
プロメテーラ水晶宮で一夜を過ごした後、賓客として扱われている僕たち全員が女王の間へと召集させられた。
僕らが初めて謁見した時と同様、陛下の周囲にはエルフの近衛たちがいる。
昨夜の晩餐会で多少は歓迎されるかもしれないと思っていたけど、彼らの表情を見る限りではそれもなさそうだ。
この国の王女であるリズが、僕たちより少しだけ前に出てエインラーナ陛下と顔を合わせ……ながら、うんと伸びをして大あくびをした。
その様子を見て、陛下は溜息を漏らす。
「少しは周囲からどう見られるか、今一度意識してみたらどうか」
「ふわあぁ……はふぅ~。いい朝だねぇ……で? なに?」
リズは何にも聞こえませんでしたとでも言いたげに応じた。彼女らしい言い方だ。
いつものやり取りのようにも思えるけど、多分もう少し後になったらこの場は大騒ぎになる――
「リーゼメリアよ。汝の結婚相手が決まった」
「……へぁっ?」
唐突過ぎる。リズが変な声を上げて驚くのも無理はない。
あの女王陛下が何の前置きもなしに言うとは珍しい。
「喜べ。相手はダークエルフの王だぞ」
「なっ……えっ? はっ? ど、どういうこと?」
「そのままの意味だ。汝はダークエルフに嫁ぐことになる」
状況を飲み込めていなかったリズがようやく言葉の意味を理解したのか、即座に食ってかかる。
「何それ!? いきなり娘を呼び付けておいて、再会の感動もよそにいきなり結婚相手の報告!? 信じらんないんですけど、このおばば!」
「……再会の感動などというものがあったのかはともかく、相手は汝に見合うほどの男なのだがな? むしろ、汝のような娘を娶ってくれる者を見つけただけ感謝されてもいいほどだ」
「いーりーまーせーん! 結婚なんかまだ考えてもないっての! 勝手に相手まで決められて、はいそうですかって言えるほど出来た娘じゃないからあたし!」
「妾も結婚相手は周囲から押し付けられたのだがな。慣れてみれば、存外に良い相手であったと言える」
「はぁ~? 父さまの話? なーにが『良い相手であったと言える』って? あたしの前で父さまのお話聞かせてくれたことなんて、ぜんっぜんないくせにふざけないでよ! 早死にして良かったとでも思ってんでしょ? 今じゃ自分だけ生きてて玉座にふんぞり返って偉そうにしてればそれでいいから楽なもんだよね」
女王陛下の逆鱗に触れるかと思ったその言葉も、あっさりと流された。
「良き伴侶にそのようなことを願う女がどこにいる。リーゼメリアよ、汝もまずは相手を知り――」
リズはいきなりばっと後方に振り返り、一目散に女王の間の入り口へと走った。
そこにいた近衛のエルフたちが即座に入口を塞ぐが、跳び上がったリズが空中で近衛の頭を蹴ってその反動で外へと転がり出る。
近衛たちが大慌てでリズを追いかけていった。
凄まじい運動能力だ。
かつてミルディアナからグランデンへと向かう最中、散々嫌そうにしながらも何だかんだで他の者たちに負けない速度で駆け抜けた彼女の姿を思い出した。
黙ってそれまでの光景を見ていたジュリアンが、頭をがりがりと掻きながら言う。
「この宮殿、守りが甘いんじゃねえの? どうせこうなることくらい予想してたんだろ?」
周囲の近衛たちが複雑な表情をする中、エインラーナ陛下が溜息交じりに言う。
「構わぬ。この場を出ようと出なかろうと結果は変わらないのだから」
「近衛共が追いかけてったけど、あいつ下手したらこのプロメテーラの外に出るんじゃねえか?」
「それはない。リーゼメリアとて、今の我が国がどういう状況かは既に把握しているからな。汝らを置いてどこかに行くはずもない。……まあ、万が一にでも外に出ようとした場合には幻想の森を彷徨うことになるであろう」
幻想の森。かつて他種族から身を守るために精霊たちが作り上げたそれを、もしかしたら陛下は自由に操れるのだろうか?
それもまたエルフの王家にのみ与えられた力ということかな?
ふと、ぼんやりとした表情で佇んでいた金髪の少女が呟いた。
「……リズは大丈夫でしょうか……」
クラリスがリズの去った方角を虚ろな瞳で見る。
ジュリアンが言った。
「なあ、あんたはフレスティエ公爵家の1人娘だろ」
「……はい」
「オレはただの貧民だから詳しくは知らねえけど、貴族家の娘ともなりゃもう縁談の1つや2つ来てるもんなんじゃねえのか」
クラリスの家は帝国でも名高いフレスティエ公爵家だ。
僕も帝国の貴族の事情には疎いけど、前にデュラス将軍も言っていたっけ。クラリスほどの年齢にもなれば、縁談が来ていてもいい頃だと。
クラリスは細々とした口調で言った。
「縁談のお話は私が幼い頃から何度もありました……。でも、私は軍人としての道を選びましたから……まだ、受け入れなくても良い、と父母から言われて……」
「ふぅん、あっそ。んじゃ、もうそろそろ受け入れた方がいいんじゃねえの。その調子じゃ、あんたは戦場にはもう戻れねえ。よしんば戻ったとして、すぐに犬死にするだろうよ」
「……」
手厳しい言い方だったけど、ジュリアンの言っていることは的を射ている。
彼は続けた。
「両親を悲しませたくねえなら、それが一番の道だろ。ま、オレは実の親の顔も知らねえから親子愛ってのがどういうものなのかはよくわかんねえけど……大切な相手の泣きっ面を見たくねえって気持ちくらいはあるし。もっとも、自分が死んだらそんな顔も見られねえが」
いつもは冷めた態度のジュリアンが、少しだけ情を滲ませているかのような様子で言った。
最後の方は独り言に近かったけど、クラリスはそれに反応した。
「……そう、なのかもしれませんね……。ですが、部下を全滅させたような恥晒しな娘などいない方がいいかもしれません……。フレスティエ公爵家にとっては、醜聞も甚だしい……」
言葉尻が小さくなっていくクラリスを見て、ジュリアンは頭を掻いた。
「だからさ、貴族とか王家ってのはみんな揃いも揃ってそんな感じなのか?」
「……?」
彼の言葉を飲み込めずにいるクラリスと、玉座に座ったままのエインラーナ陛下を交互に見やったジュリアンが眉間に皺を寄せながら言う。
「家の身分だの醜聞だの、そんなことばっか気にして血の繋がった実の子の気持ちなんざ何にも考えねえのかよって言いてえんだよ。オレは貴族でもなんでもねえし実の親もいないからそんな気持ちはわからねえし、知りたくもねえが……マジでそう思ってんならイカレてるぜ。反吐が出るね」
その言葉はクラリスだけではなく、女王陛下にも向けられたものだ。
近衛たちの殺気がジュリアンを射抜くが、彼はそんなものに怯んだ様子は見せなかった。
僕はふと笑って言う。
「ジュリアン、今日の君は熱いね。クラリスだけじゃなくて、リズのことも少しは気にかけてあげてるのかな?」
「んなわけねえだろ。あのクソエルフがどうなろうが知ったこっちゃねえよ。ただ、身分だの家柄だのに縛られてるどいつもこいつもアホにしか見えねえってだけだ」
女王陛下の傍にいた近衛が何か言おうとしたが、陛下がそれを遮る。
彼女はゆっくりと口を開いた。
「そうだな。汝の言う通りかもしれぬ。何もかも馬鹿馬鹿しくて、どうしようもない阿呆に見えても仕方がないだろう」
激怒されるのかと思っていたらしいジュリアンが若干面食らった表情を浮かべた時、エインラーナ陛下は「だがな」と付け加えた。
「一国の主ともなろう者や、有力な貴族は得てしてそういうものだ。強い権力があったとて、それは家柄に付属するのであって自身のものではない。国や家という後ろ盾を失えば、その者には何も残らなくなる」
「くだらねえな、マジで」
「ああ、くだらぬものだ。だがな、竜族の者よ。国や社会というものはそのように出来ている。恐らく、未来永劫それが変わることはない。この世という箱庭に生まれた以上、妾のような身分の者から、汝のような平民に至るまでその理から逃れることは出来ぬ」
「遠回しに言うなよ、女王さま。平民如きがガタガタ抜かしてんじゃねえって言いたいんだろ?」
エインラーナ陛下は少しだけ表情を曇らせたかと思いきや、すぐに笑みを見せた。
「然り。その減らず口を妾以外の王族や貴族に向けてはならぬ。その命が惜しくば、な」
「はっ、知らねえな。オレはオレの好きにやらせてもらうぜ」
「ふむ。命知らずな若き竜よ。もはや何も言うことはないが……汝にもまた大切な者がいるであろう。妾はせめて、その者たちが悲しむことがないように祈っておくに留めよう」
「へいへい、ありがてえこって」
それで話はおしまいとばかりに、女王陛下は「さて」と言ってその薄緑色の瞳を僕へと向けてきた。
「自然災害を御することは難しいな。瞬く間に嵐が過ぎ去ってしまった」
リズは暴風そのものといった感じだ。自然災害とはなるほど、言い得て妙なのかもしれない。
「災害の後には静けさが戻るかと思いきや、そうもいかぬ。リーゼメリアを娶ると言い出したダークエルフの王について語らねばなるまいな」
僕も気になっていた情報だ。
かつて僕とレヴィが訪れたダークエルフの里であるフュートハリア。そこを治めるのはどのような傑物なのか。
陛下はまずリズがどうしてダークエルフに見初められたかについて語った。
それは僕と陛下が昨晩話し合った通りの内容だったけど、あれは極秘で行ったものだから他の者に悟られるわけにはいかないだろう。
初めて話を耳にしたジュリアンは真剣な表情をして、腐食へと興味を示した。一方のクラリスはただ黙って話に耳を傾けるだけだった。
そして、簡単な経緯が語られた後、話題はダークエルフの王へと移る。
「その王の名は、『ルードヴァイン・セルジェスタ・フュートハリア17世』という。力に秀でる者が多いダークエルフの中でも常軌を逸した力量を持つあの男は、200年の長きに亘ってフュートハリアの王の座を誰にも譲らなかった」
……うん? 『セルジェスタ』?
確かリューディオ学長の師匠のアミルというダークエルフも同じ姓のはずだけど。
それを聞いていたジュリアンが陛下に問いかけた。
「エルフとダークエルフにそれぞれ王がいるってのはわかったけどよ。王の座を譲らなかったってのはどういうことだ? あんたみたいに後継者に手を焼いてるわけじゃねえのか」
「……ダークエルフは実力至上主義な一面が強い。故に王となるのは種族の中で最も強いと認められた者となる。あの地では不定期ながらも闘技大会という形式で王位継承権を巡った戦いが行われるのだが、ルードヴァイン・セルジェスタがフュートハリア17世の位に就いて以降、誰も奴を倒すことが出来なかった」
種族の中で最も強いと認められた者が王となる、か。
僕たち魔族と同じような感じだね。ルーガル王国の獣人とも似ているかもしれない。
「なるほどな。200年もありゃ王位から脱落する機会なんざ腐るほどあったろうに、全部跳ねのけたってわけか」
「うむ。正真正銘、本物の強者と言えよう。かつてルーガル王国と我が国の国交の一環として、ルードヴァインと当時の獣神王『ボフォール・ラダイト』の試合の場が設けられたのだがな……」
女王陛下は頭を横に振って溜息交じりに言う。
「お互いの力が拮抗していると悟るや、両者揃って抑えの利かぬ殺し合いとなったものだ。獣神王の大地をも砕く拳がルードヴァインの顔面に直撃し、奴の何物をも斬り捨てる大剣による一撃が獣神王の身体を深々と貫いたのだが、呆れたことに試合はそれで終わらなかった」
「まったく、このあたりも化け物揃いかよ。今までに化け物は散々見てきたから嫌気が差してくるったらないぜ……」
帝国南方軍の総司令官リューディオ・ランベール中将。
同じく帝国東方の地の守護者であり、大英雄と称えられるクロード・デュラス大将。
ジュリアンは短い期間で文字通りの化け物を見てきた。
そしてそれは僕もまた同じ。
彼からすれば嫌気も差すのかもしれないけれど、僕は好奇心や興味が疼いて仕方がない。
「試合は三日三晩続き、周囲を破壊し尽くした挙句に引き分けとなった。戦う力が尽きたわけではない。いくら経っても勝負がつかず、辺り一帯が壊滅したことにようやく思考が傾いた獣神王の計らいにより、そのような結果となったのだ」
「戦闘狂同士のろくでもねえ幕引きじゃねえかよ。……その様子じゃダークエルフの王はまだ戦いたがってたように感じるが?」
「確かにルードヴァインは無類の戦好きだ。強者と戦うためなら自分の命など惜しくないと考えるほどのな。だが、奴はまだ自制が利く。この戦が純粋なる1体1の戦いであれば、ある程度戦ったところで引き分けとしてさっさと試合を終わらせたであろう」
「どういうことだよ?」
エインラーナ陛下は苦い顔を浮かべながら告げた。
「『黒翼』がルードヴァインをけしかけたのだ。お互いに死ぬまで戦を続けよ、とな」
「黒翼……? んだそりゃ?」
陛下のひどく物憂げな表情の中にはかすかな怯えが交じっている気がした。
――黒翼。それはリューディオ学長の言っていた存在と同じモノだろうか?
◆
ツェフテ・アリア王国の南方、フュートハリアの地。
ダークエルフたちの住まうその領域の中に、ひときわ目を引く建造物があった。
天空を突かんばかりの黒き巨塔。
その塔には不思議なことに出入り口が一切見当たらない。どこを見やっても、その塔の内部へ侵入することは不可能なように見えた。
その天高くそびえる塔の頂上に、少女はいた。
壁のないそこは吹きさらしで、少女の長い黒髪が風にそよぎ、紫色のドレスのスカートをなびかせる。
背中に黒い翼を生やした少女はとてもご機嫌な様子で呟いていた。
「ふんふんふ~ん。楽しい、楽しい、楽しい時間」
石造りの床を歩きながら、透き通った声で歌うように言う少女は部屋の中心に座り込んでいる褐色の肌の者たちをにこやかな表情で見つめている。
外見は若く見えるダークエルフの男と女、そして彼らの間に産まれてからまだ数年であろう幼女が寄り添い合い、怯えるような瞳で黒翼の少女を見ていた。
そんなダークエルフたちの様子など気にもしていない少女は、ただ彼らを見つめながらその周囲をぐるぐると歩き回っていた。
軽く頭を揺らしながら、少女は黒い瞳でじっくりと舐るように褐色の肌のエルフたちを見つめる。もう10分以上もそのような時間が続いていた。
その時、それまで黙っていたダークエルフの男が懇願するように言う。
「ら、『ラナキエル』さま……どうか、お許しを」
「何を~?」
ラナキエル。そう呼ばれた黒翼の少女は、愛らしい顔に笑みを浮かべたまま問いかける。
ダークエルフの男が声を震わせた。
「た、確かに、我が弟は国王陛下の催された神聖なる闘技の場から逃げ出しました……。許されざる行為であることは承知しております。で、ですが、どうして私たちが……」
「ふふっ。あっははは。そう、あなたの弟は闘技を放棄した、放棄した~! フュートハリア黒晶宮の主、ルードヴァイン・セルジェスタ・フュートハリア17世の神聖なる催し物を台無しにしたの~」
黒翼の少女は言葉とは裏腹に楽しそうな声で言いながら、その場で踊るように回る。
「一族の罪は一族で償う、贖う! それがフュートハリアの掟。このダークエルフの領域でずぅっと暮らしてきたんだからぁ、そんなことくらい知ってるでしょ~?」
「重々承知しております。で、ですが、我が弟は闘技大会で優勝致しました……。そ、それではいけないのでしょうか」
「優勝……? あんなに弱くて儚い子たちが、頑張ってえいえいって殺し合って、最後まで残っただけ。そんなものに価値はないのないの~」
「そ、そんなご無体な……。優勝した者には、褒美が与えられると」
「それはぁ、ルードを殺したらのお話ぃ。あなたの弟は優勝した後にルードと戦う直前になって逃げた、逃げた、逃げた。怖くて逃げた臆病者~。国王御自らが剣を振るうのを前にして、後足で砂をかけて逃げ出したその罪は万死に値するのするの~」
少女はくすくすと含み笑いを漏らしながら喋る。
「せめて、ルードと戦って殺されてたら、あなたたちはこんなことにならずに済んだの。ぜ~んぶ、あなたの弟が悪い悪い。ねえ、そうでしょう? そうでしょう?」
「……わ、私の弟はどうなったのですか」
「知らない知らなぁい。そんなの興味なぁい。私が興味津々なのはぁ、あなたたちの血と肉の色だけ。それだけそれだけ~!」
ラナキエルは瞬時に紫色の鎌を造り出した。
莫大な魔力によって造られた身の丈ほどもあるその鎌を、片手でくるくると回しながら言う。
「最期に言い残したいことはある~?」
「わ、私はどうなっても構いません。せめて妻とこの子だけ――」
ダークエルフの男の首が瞬時に刎ねられた。
血が噴水のように噴き上がり、ダークエルフの親子と黒翼の天使の身に降りかかる。
あまりにも素早い動きに目が追い付かなかったダークエルフの女は本能的な恐怖を感じて絶叫した。
「うるさいうるさぁ~い」
少女が振るった鎌がダークエルフの女の顔を真っ二つに切り裂く。
顎を境目にして上下に分かれた顔の断面から鮮血が飛んだ。
父と母が一瞬にして殺されたのを目の当たりにしたダークエルフの幼女は、何が起きたのか理解できていない様子だった。
首を刎ねられて息絶えた愛する父の身体を揺すって、「パパ、パパ?」と呟いている。
ラナキエルは残されたダークエルフの幼女に近寄る。
自分の靴が血に濡れるのもお構いなしに、その子へと語りかけた。
「あなたのパパとママ、死んじゃったぁ~」
「……パパ。ママ……?」
「あなたのパパとママはぁ、地獄に堕ちたの。許されざる大罪を犯したから。ふふっ、犯した犯した~!」
「パパ……ママ……」
幼子が涙ぐんで呟くのを見つめていたラナキエルは、小気味良く笑う。
「パパとママに会いたい? 会いたい?」
「……ひぐっ……ぐすっ……うん」
「じゃぁ、すぐに会わせてぇ……あげない、あげなぁい。あっはは!!」
ラナキエルはダークエルフの子の頭を片手で鷲掴みにして、床に擦り付ける。
「喉が乾いたらぁ、血をいっぱいいっぱい飲むの~。ごくごく、ごくごく~! ほら! パパとママの味がする~! おいしいねおいしいね?」
「ひっぐ……えぐっ」
状況を理解できないほど幼いダークエルフの幼女の顔面が床に擦り付けられる。
床に顔をぐりぐりと押し付けられて顔面が血塗れになり、幼女はあまりの生臭さにえずいた。
「ほぉら、舐めて? 飲んで? 早くしないと乾いちゃう乾いちゃう~」
「うっ……ぇっ……」
「気持ち悪い? パパとママの味、気持ち悪い? かわいそうかわいそう~」
ラナキエルはダークエルフの幼女から手を離して立ち上がった。
そして鎌を振るう。
死体が細切れにされ、その血が自身とダークエルフの子にびちゃびちゃとかかった。
「お腹が空いたらそれを食べるの。パパとママの血肉と臓物を食んで、飲み干してぇ……骨を噛み砕いてしゃぶって舐め回す。飢えて死ぬまでそれを繰り返すの。楽しい楽しい~」
わけのわからない状況に幼子が泣き出す中、ラナキエルは天を仰ぎ瞼を閉じて深呼吸をする。
血に塗れた身体と、血生臭い空気。そのすべてが彼女の気分を安らかにした。
「はぁ……このかぐわしい香りこそ、私の安らぎ。退屈で、つまらない……そんなことを忘れさせてくれる一時の潤い……あっ……あぁっ、あっ、あっ……」
ラナキエルはその場に鎌を落とし、己の身体を両腕で抱きしめた。
強い快感を覚え、身体がびくんと跳ねる。やがてぶるりと全身が震えた。
身体が悦びを覚えたかのように小刻みに震え続ける。両脚までがくがくと震え、その場に座り込んでしまいそうだった。
頬を紅潮させて恍惚とした表情を浮かべ、その口許から唾液が滴り落ちることにも気付かないまま、黒翼の少女はしばらくの間、その感覚を存分に味わった。
しかし、その悦楽の表情は次第に薄れ、ラナキエルは無表情になった。
「……つまらないつまらない……。誰か、私に快楽を……悦楽を……逸楽、を……あ……あぁ……」
ラナキエルは俯きながらふらふらと歩き、塔から身を投じた。
地に身体を強打する寸前にその身体は再び宙を舞い、黒翼から黒い羽根が1片だけはらりと抜け落ちた。
塔の頂上にダークエルフの幼子を残したまま、ラナキエルはいずこかへ飛び去る。
先程まで自分が行っていた残虐なる行為のことなど、もはや彼女の頭の中から消え去ってしまっていた。