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責任のリデザイン①「自責思考の罠」を脱するために

自責思考を称揚する声は強く、大きく、根強い。日本を代表するベンチャー企業のビジネスパーソンの歴々が、雨が降っても自分の責任だと思えとか、何でもかんでも環境のせいにするなとか、なんらかの仮想敵に対して「喝ッ」を入れているのを、二日に一回はXのタイムラインで観測している。

自分のような意識の低い一介の小市民にとって、「雨が降っても自分の責任だと思え」という言葉を見聞きすることは、「世の中には理不尽なことを言う人もいるものだなぁ」と世間の不条理な厳しさをひとびとに感得させる効果はあれど、自責思考と呼ばれるところの思考様式を養成するきっかけになりえるとはちっとも思わないのだが、とはいえ、自責思考がビジネスパーソンを養成する上で重要な要素の一つであると広く考えられているのは疑いようのない事実であるように思う。

辞書的な定義によれば、責任という言葉には大きく3つの意味がある。法的責任、結果責任、役割責任である。それぞれ意味は字義通りなので説明を要さないと思うが、一応言っておくと、法的責任とは法律に定められた義務を果たすこと、結果責任とは自分の行動の結果を自分が原因であると受け入れること、役割責任とは社会的にあてがわれた役割を果たすことである。自責思考という単語はこの内、結果責任と役割責任を無限に拡張する思考様式である(さすがに自責思考を称揚する人も、あらゆる法的責任を引き受けろとまでは言うまい)。また今回はビジネスにおける責任について扱うため、法的責任は基本的に議論の対象外と考えてもらいたい。

この分類に基づいて自責思考を定義すると「すべてこの世に起こることの結果は等しく自分が原因で起こっており、またこの社会上に存在する役割の全てが自分にあてがわれていると考える」といったものになるだろう。一般的に自責思考という言葉は結果責任にスポットが当たりがちで、ここに役割責任が入っているのは見逃しがちなポイントだ。しかし、例えば会社や上司の仕事ぶりに愚痴を言ったりするのは自責思考的にはNGなのだろうから、やはり役割責任も無限に広がっていると考えるのが妥当である。自責思考には役割分担は存在しない。全ての責任が「私」に一元的に帰属するからである。

僕は、自責思考という概念の有益性を完全には否定しない。社会人として成熟するためには、結果責任も役割責任も適切に引き受けることが不可欠だ。若者は会社や上司の愚痴で管を巻いていても可愛いものだが、いい歳になった大人がいつまでもそうした態度でいられては困るというのはよくわかる。自責思考をもちなさいというフィードバックが有効に機能するタイミングがあることは論を俟たないだろう。ただし、僕の観測によると、自責思考論者は「自責思考の強要」という行動を取りやすく、これは本来意図していたであろう自責思考の養成とは真逆の(そして最悪の)結果を生むことになる傾向がある。すなわち「他責思考の蔓延」である。

そもそも「自責思考を持ちなさい」という字面自体が、ちょっとおかしいと思わないだろうか。自責思考を完全に内面化しているならば、起こっていることはすべて「私」の責任なのだから、自責思考を持っていない他者が目の前に存在していることも「私」の責任である。問われるべきはそのような他者が存在してしまっていることに対する「私」の不手際であろう。

つまらない言葉遊びをしていると感じるかもしれないが、ことはそれほど単純ではない。「自責思考の強要」をめぐる問題はこの矛盾に収斂するからだ。自責思考を持つように要求するということは、あらゆる問題について「あなた」が責任を取りなさいと要求しているに等しい。それは究極の他責思考である。だから、組織の中で自責思考を要求するコミュニケーションが発生すると、その瞬間に責任のキャッチボールが始まる。何か問題が起こっている際に、上司が現場に「当事者意識を持て」とか「自分事化しろ」と命じると、現場は「マネジメントとしての自覚を持て」とか「経営者としての責任を果たせ」と反感を覚える。どちらも自責思考を相手に要求しているのだが、結果的に問題そのものは宙吊りとなる。そして、このようなコミュニケーションのモードが組織の隅々に根付いた状態が、「他責思考の蔓延」と呼ばれるものに他ならない。

「他責思考の蔓延」が発生している組織において、ひとびとは「あいつがダメだからどうせうまくいかない」とか「自分は頑張っているのにあのひとは責任逃ればかりしている」といった思考に支配されて、最終的には自発的に挑戦したり周囲に働きかけることをやめてしまう。これは心理学者マーティン・セリグマンが学習性無気力として概念化した状態であり、自分の行動によって有意味な変化を自分や他人、組織、社会に対して起こすことができるという自己効力感を失うと、人は自発的な行動を起こすことができなくなるというものだ。こうなったら、組織は低空飛行でルーティーンを回すことに徹するようになり、ゆっくりと死んでいくのを待つのみである。

今述べたような状況は、びっくりするほど普遍的な組織課題として観察されることなのだが、こういった不幸な現実を変えるためには、まず責任に対する思考の前提から変えなければならない。第一に、責任とは他人に与えるものではなく、自分で引き受けるものである。自責思考の罠は、責任が他人に与えるものであるという錯誤によって引き起こされる。

日本人の責任に対するこの決定的な錯誤を見出すことができる象徴的な事例を一つあげよう。それは僕たち日本人がたいへん愛していることで有名な経営学者ドラッカーが作り上げたMBOという概念の使われ方である。MBOはManagement By Objectivesのアブリビエーションで、日本語では目標管理と訳されることが多い。だが、ドラッカーは本来これをManagement By Objectives and Self-Controlと定義していた。正しくは目標と自己管理によるマネジメントである。ドラッカーは私たち労働者が自分で目標を作って、自発的に責任を持つということに大変こだわっていた。それが内発的な動機を引き出すと信じていたからである。

しかし、僕たちはドラッカーの思想の根幹の部分を換骨奪胎して、MBOを機械的な目標管理の手法に変えてしまった。目標管理は上司から与えられた目標を機械的にトラッキングするための制度となり、自己管理の要素を失ってしまった。このことは、僕たちが責任に対する重要な前提、すなわち「自分の決めたことだから責任を持つ」という自発性を忘れ去ってしまっていることの象徴である。蛇足にはなるが、OKRはMBOに変わる真新しい手法のように宣伝されているが、実はMBOの本来の自己管理という思想に還っていると捉えるのがより適切である。

第二に、責任は個人が引き受けるものではなく、チームが分有するものである。責任は誰か一人に帰属させるものではなく、出したい結果に対してチーム全員で引き受けるものだ。役割はそのための道具にすぎない。責任を常にある特定の個人に帰属させようとすると、固定的な責任分界点を定義し運用する事に囚われてしまう。そうではなく、結果に対して全員が等しく責任を持ち、それに最も効率的に向かうために役割を分担するのだ。それが固定的である必要は一つもない。

プロダクト組織論の文脈では、特にチームで結果責任を分有する事が重視されてきた。例えば、スクラムは一見厳格に役割分担と責任を定義しているように見えるが、重要なのは全員が「プロダクト価値の最大化」に対して等しく責任を負うという事である。役割はその結果を実現するために、個々が効率的に連動するために与えられる仕組みに過ぎない。役割に囚われて責任分界点を細々定義して運用していたら、本末転倒だということだ。(なお、法的責任においてはもちろん誰か一人に責任を帰属させる必要がある)

まとめよう。自責思考の罠を引き起こす2つの錯誤とは、「責任を与えるものだと考える」「責任を個人に帰属させる」の2つである。この錯誤が引き起こすのが、自責思考のキャッチボールによる責任の宙吊り化と、「他責思考の蔓延」という状態(=自責思考の罠)であった。これらの責任に対する前提を見直すだけでも、自責思考の罠から逃れるための十分な示唆が得られるはずだ。正しく定義される責任とは、「自ら決めた事を達成することにチームでコミットメントする」ことである。責任を押し付け合うことで発生する他責思考の蔓延は、このような思考を浸透させることでしか根本的には防ぐことはできない。

では、今まさに発生している「他責思考の蔓延」をどう手当していけば良いのか。これについての僕の考えは次回詳しく書いていきたいと思っている。


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