いくつかの "twitter" が、ことごとく非公開になってしまった。私に攻撃されることを懸念した結果でないことを願うばかりだ。
パキスタンと中国の国境に位置する世界で二番目に高い山「K2」で、日本人登山家が遭難した。救助は困難と判断され救出は終了。私はある登山家の投稿を見ていたが、その登山家が奇妙な書き込みを引用していた。
リヴァプールの北23kmに位置するサウスポートというニュージーランドのようなド田舎で、6歳・7歳・9歳の少女が殺害された。容疑者は17歳(事件当時)の少年。
私はこの報道を衛星放送のBBCで見ていたが、上記の在留邦人が書き込む「ソマリア人移民2世」という報道は、どこもしていない。BBCとインディペンデントはカーディフ出身(ウェールズ)、ルワンダ出身の両親を持つ少年と報道している。容疑者の国籍は報道していないが、カーディフ出身なので英国籍を保有している可能性が高い。そこで私は「ソマリア出身という報道はどこの引用なのか? その根拠を示して欲しい」と、上記の在留邦人にメッセージを送った。いつまでも返事がこないのでおかしいと思ったら、ブロックされていた。
『いつもの在留邦人の仕業か』と、落胆したのだ。
在留邦人は不思議な人たちである。日本人でありながら日本人ではない。初等・中等教育を日本で受けているのに基礎学力がない。外国を絶賛しながら外国に馴染めない。日本に対し文句ばかり言うのに日本国籍は手放さない。私の中には1つとして存在しない倫理観である。
在留邦人特有の倫理観は、私が世界の僻地にあるド田舎のニュージーランドで惨めな高校生をやっていた時から何も変わっていない。在留邦人になれる人は特殊な人なのだ。故に、在留邦人は1つの考え方、1つの生き方しかない。どの在留邦人も同じ考え、同じ生き方なので、最初は仲が良いが、すぐに仲が悪くなる。相手の考えていることはすぐにわかるからね。表では仲良しを装うが裏では悪口しか言わない。でも日本語が通じ、感覚的にやり取りできる日本人がいることは外国生活では重宝するので仲間にしておきたい。でも仲は悪いので「外部協力者」という関係だけに留まるので、どちらかがニュージーランドを離れると、一切の消息もつかめなくなるというか、ニュージーランドを離れてまで付き合う価値はない。
外国語を話す自分を誇らしく思うも、その外国語はほとんどの人に通じない。自分の子供を外国人として育てたい日本人母が大多数。でも子供はお母さんの話す外国語では現地の人とやり取りできないから軽蔑するようになる。それで子供にも捨てられ惨めな晩年を過ごすので新規の日本人を見つけるとマウントを取りにいく。『自分は何年ニュージーランドに住んでいるから偉い』『自分は結婚しているから偉い』『自分には子供がいるから偉い』と、訳のわからない自慢をしてくる。意味深長というか意味不明な私は『英語が話せることは偉いことなのか?』『結婚していることは偉いことなのか?』『子供がいることは偉いことなのか?』と、日本人女性の自慢を聞かされる度に思った。私には日本人女性が主張したい中身が理解できず、現在に至るまで理解できていない。でも在留邦人同士は『うん、わかる』と納得する。私には理解できないのだ。
私は大人になってから、概ね25歳を過ぎてからニュージーランドに住んでいないので、日本人女性がニュージーランドの何に魅力を感じるのかまったく理解できない。どちらかと言えば現地で生まれ育った人と同じく『ニュージーランドにいても未来がない』『働く場所もない』『働く場所はあっても賃金が低い』『賃金は低いのに物価も税金も高い』『賃金に対し住宅価格が高い』『犯罪が多い』『学校に行くと殴られる』『教員にやる気がなく授業をサボる』『車の運転が荒くすぐに引かれる』と、同じ感想を持っているのだ。
ニュージーランドに行ったことで人生が良い方向へ変わったという人がいる。それはその通りである。ニュージーランドへ行き人生が悪い方向へ変わった人がいつまでもニュージーランドに留まるわけがない。
その一番の理由は「年齢」である。在留邦人は概ね25歳を過ぎてニュージーランドへ行くので人生の選択肢がある。人間は年齢に応じた心の変化があることは、数多くの心理学者や社会学者が学術論文として発表している。古代ローマの哲学者マルクス・トゥッリウス・キケロも著作の中で年齢に応じた心の様子の在り方を記述している。人間はその年齢に達しないとわからないことが無数にある。社訓も校訓も意味がない。「若い人に伝えたいこと」も意味がない。若い人は年を取らないと「若い人に伝えたいこと」が理解できない。
子供の学校での様子を見て『自分もこのような教育を受けたかった!』と発言する在留邦人は意味がない。私はそのような発言をする在留邦人に伝えたい。『あなたの周りに同じ環境があっても、あなたは聞く耳を持たなかった』と。すべては年齢が問題であり、年齢が解決する。ニュージーランドが解決してくれるわけではない。
日本人女性はニュージーランドにいてもニュージーランド生活に溶け込めないので自己解釈でニュージーランドを絶賛してしまう。『子供の学校での話を聞くと』『知り合いの知り合いが』と言うが、自己体験はない。『子供が嘘をついていたらどうなるのか?』『知り合いの知り合いがデタラメを言っていたらどうなるのか?』と聞いてはいけません。在留邦人にとってニュージーランドは夢の中にあるネバーランドですからそこには嘘もデタラメも存在しない。
これが私がニュージーランドで上手くやれなかった理由の1つであることは事実である。
『ニュージーランドは日本とは異なり多民族国家だから世界各国の人と仲良くなれる』という日本人女性の意見も理解できない。
私は現地校の教員に『50年前、俺とオマエは殺し合いをしていた』と、直で言われた。私は16歳だった。そのような発言をする人は少数であっても、私にはそれがニュージーランド人の平均的な倫理観、心の在り方に思えた。韓国人に会えば「韓国併合」の歴史で嫌味を言われた。「韓国併合」は韓国人にとって屈辱的な歴史である。プライドの高い韓国人には決して許せない歴史観である。中国人に会えば尖閣諸島の領有権について嫌味を言われるだろう。ニュージーランドで色々な国の人と仲良くなれたら「ヘイト」を根源とする人種差別は存在しないのだ。
世界の僻地にあるニュージーランドにやって来る外国人は在留邦人を含め貧しい人が多く、知識層も、富裕層もいない。現在のニュージーランドは中国人を入れないと経済が回らない「中国依存」になってしまったので、中国の失業やニート、教育問題を重要視する。ニュージーランドに就学する35%の海外留学生は中国人である。ニュージーランドは中国なしでは成り立たない社会である。私がいた頃のニュージーランドに中国本土から来ていた人は、ほぼいなかった。中国語圏である香港や台湾から来ていた人はいたが、中国本土から来ていて人は、ほぼいなかった。
香港からの留学生が『香港で暮らす1ヶ月分のおカネで中国に4ヶ月住めるから中国本土から来ている人は裕福だ』と話していたが、数少ない中国本土からの渡航者も、その多くは香港を経由し流入していたので、私には裕福な中国人には見えなかった。
台湾の生徒は富裕層が多く、お父さんもお母さんも高い学歴を持ち、立派な職業に就き、高級住宅地に持ち家があり、教育熱心で子供の教育にお金を使い、私に会うと必ず挨拶をしてくれたので接していてとても気持ちが良かった。目が合ってもシカトする在留邦人とは大違いである。
『日本は息苦しいから海外に出た方が良い』という在留邦人の意見にも賛同できない。何を根拠にそのような発言になるのかまったく理解できないのだ。
しばし引き合いに出される「外国人技能実習生」についても、日本が息苦しければ技能実習生もやって来ない。在日外国人は300万人を超え、私がニュージーランドにいた頃のニュージーランドの人口よりも多くの外国人が日本に居住している。移民政策を持たない日本でこの有様なので日本国政府が本格的な移民政策を導入すれば、現在の10倍、3000万人の外国人が居住しても不思議はない。
他方、海外在留邦人数は129万人と2014年と同じ水準まで激減した。『日本はしがらみが多く息苦しい』と雄弁に語っていた日刊ニュージーランド主宰の長田雅史が大嫌いな日本へ完全帰国した理由を説明してもらってください。「医療はタダ!」「学費もタダ!」「外国人でも選挙権がもらえる!」「外国人でも生活保護がもらえる!」「掛け金なしで年金がもらえる!」と、あれだけニュージーランドを絶賛していた長田雅史が、なぜ、大嫌いな日本へ完全帰国したのか、その真相は多くの人に説得力ある事実を語ってくれるでしょう。
長田雅史は私をブロックしているので、私の悪意に満ちた嫌がらせは、長田雅史に届きません。興味のある「あなた」にこそ、行動に打って出て欲しい。なぜ、長田雅史は日本へ完全帰国したのか。
『日本が多重国国籍を認めれば少子化は防げる』と雄弁に語る日本人女性がいるが、この意見にも賛同できない。
この日本人女性は自分の子供が22歳になるまでに国籍選択が求められる。二重国籍になると日本に住めるので就職に有利で少子化にも貢献できる・・・・らしい。このロジックが私にはまったく理解できない。
多重国籍を認めれば少子化が解消するのであれば、ニュージーランドは少子化になっていない。
2023年の速報値でニュージーランドは過去80年間で最も子供の数が少なくなった。第二次世界大戦後、最小の出生数となった。出生率は1.52%で統計を取り始めた1943年以降最小となった。「出産費用はタダ!」「医療もタダ!」「子供の歯科検診は18歳までタダ!」「学費もタダ!」のニュージーランドもこの有様。多重国籍と少子化は無関係である。
同じ日本人女性は、医療の発達により寿命が延びたことが人間らしさを失わせたと雄弁に語っているが、ニュージーランドも長寿国となってしまい、65歳の人はあと23.4年を生きることになり、これは1950年代と比べ9.4年も長く生きることになる。まったく同じことを現地のベビーブーマー(概ね65歳から80歳の人)を前に、お得意の英語で雄弁に語ることはできるのだろうか。私はそのようなことを語れる在留邦人に1人として出会ったことがない。
『日本はプラスチックの使用が多い』という日本人女性の発言も賛同できない。
ニュージーランドは長きに渡り中国へプラスチックごみを輸出していた。ニュージーランドにはゴミを焼却する施設がないため、プラスチックを地中に埋めることができない。過去に何度もゴミ焼却施設の建設が検討されたが、人口が少なく、人口分布がまばらなため、莫大なゴミ焼却施設の建設は検討だけに留まった。現在もニュージーランドで出されるゴミは、そのまま地中に埋めている。土地が有り余っているので、誰も何も、文句を言いません。
プラスチックごみが中国へ輸出できなくなり、困ったニュージーランドはプラスチックの使用削減に打って出たという簡単なお話である。
中央大学が主催し、高校生が発表した「第6回 高校生地球環境論文賞」で優秀賞を受賞した「レジ袋削減は本当に必要か」という論文は、1年で1日だけ、車で30kmを走らないだけで、1年分のレジ袋に相当する原油量を削減できると結論づけている。『これを高校生が調査し、執筆し、発表したのか』と唸った。
ニュージーランドを見てみよう。世界の僻地に位置するド田舎なので、車は一家に1台どころか、1人1台である。酒を飲みに行くにも車が必要なド田舎である。莫大な原油を消費しないとド田舎では生きていけない。原油を消費すれば莫大は環境負荷が生じるが、ニュージーランドではまったく議論されない。中東やアメリカ、ロシアから原油を持って来る環境負荷も生じる。
私がクライストチャーチで惨めな高校生をやっていた当時も、路線バスに乗ると『路線バスの利用は(自家用車よりも)環境にやさしい』と、大きな広告が張り出ていた。具体的な数字を出し、環境保護の観点から自家用車の利用を減らし、路線バスの利用を促進する狙いがあった。ニュージーランドの民が1年で1日だけ車に乗らないだけで、ニュージーランドの公害は劇的に改善することをコロナで都市封鎖を経験したニュージーランドは忘れてしまったのだ。そのような側面を無視して『日本はプラスチックの使用が多い!』『過剰梱包!』と批判する在留邦人は『添加物は太る!』『添加物は死ぬ!』と大騒ぎしている在留邦人とまったく同じなのである。
やはり私はニュージーランドを離れて良かったと、26年前の自分を誉めてあげたい。
これはたぶん、多くのニュージーランド生まれ、ニュージーランド育ちの民と同じ気持ちに思うのだ。
ニュージーランドは貧しい国からやってくる外国人に頼らないと維持できない貧しい状況に直面しているので「日本以上の危機感」を持ち望まないと世界の僻地にある小さな島国は南太平洋で沈下してしまう。沈下しても世界のほとんどの人はニュージーランドが実在していたことも知らないと思いますが。