信じるかどうかは任せるが、元関係者の私がこれからKalafina解散~復活までの舞台裏、そして梶浦由記氏の退社の真相について書き記したいと思う。なお最初に断っておくが、このブログで語るのは、単なる事実のみである。特定の誰かを批判する目的は一切無いことをご理解頂きたい。何よりKalafinaメンバーや梶浦氏、および関係者たちも全員1人の人間であるため、特定誰かに対する誹謗中傷コメントはお控え頂けると幸いである。関係スタッフの実名については、CDや映像作品のクレジットで明らかにされている者のみ記載する。
この記事は前編、後編、番外編に分けて書き記す。以下の①と②の内容が前編、③と④の内容が後編、⑤が番外編である。
①梶浦由記氏事務所退社の真相
②Kalafina分裂、活動休止の真相
③Kalafina活動休止後のメンバー、梶浦氏の動向
④Kalafina再結成に至った経緯、梶浦氏激怒の真相
⑤Kalafinaに関する権利関係
※①と②の内容はこれまでの報道内容と重複部分が多いため、既知の方は読み飛ばして後編をご覧頂いても良いと思う。
(後編からお読みになる方はこちら)
(番外編からお読みになる方はこちら)
作曲家 梶浦由記 氏 (2024年のライブより)
Kalafinaの音楽プロデューサーでもあった梶浦由記氏は2018年2月に所属事務所スペースクラフト(以下スペクラ)を退社し、Kalafinaのプロデュースからも一旦退いた。その経緯は概ね既に週刊誌やスポーツ誌で報じられているとおり。
スペクラの大西一興社長(以下社長)は、ある時から突然宝塚歌劇団にハマった。そして、宝塚歌劇団出身であるスペクラ女性幹部の猪熊佐恵子(以下I女史)を贔屓するようになった。(I女史は橘沙恵という芸名で1993年まで宝塚歌劇団に所属しており、その後スペクラ音楽部門に入社。2021年にスペクラを退社して自身が代表を務める会社を設立している。)
スペースクラフト元女性幹部のI女史 (I女史が現在代表を務める会社のHPより)
I女史を贔屓したかった社長は、当時事務所の稼ぎ頭であった梶浦氏とKalafinaの現場プロデューサーをI女史に任せることに。しかし、そのためにはそれまで梶浦氏とKalafinaの現場プロデューサーを務めていた森康哲氏(以下M氏)を排除する必要があった。(M氏は梶浦氏を音楽業界にスカウトした人物で、梶浦氏のマネージャーを経て、長年梶浦氏とKalafinaの現場プロデューサーを務めていた。)
梶浦氏とKalafinaの元現場プロデューサーM氏 (2003年MBSのドキュメンタリー番組より。当時は梶浦氏のマネージャーであった。)
そもそもスペクラは元々モデル事務所であり、俳優業や声優業も行っている者を除くと、音楽活動分野で成功したと言えるのは梶浦氏とKalafinaぐらいであった。そんな同社の音楽部門を長年支えてきたのがM氏であった。しかし、I女史を贔屓した社長は次第にM氏に対するパワハラを繰り返すようになった。2016年9月に行われたKalafinaのアリーナツアー公演からは、M氏に代わってI女史がKalafinaのライブの総合プロデューサーに就任し、M氏はミュージックプロデューサーという肩書きになった。(これは実質的に降格ともいえる処遇である。)そんな状況に耐えかねたM氏は2017年6月にスペクラを退社し、アニソンアーティストが多く所属する音楽事務所ハイウェイスター(以下HS社)へ移籍した。
2016年に神戸ワールド記念ホールと日本武道館で行われたKalafinaのアリーナツアー。4日間で計3万人を動員。
そして社長の計画どおり、M氏に代わってI女史が梶浦氏とKalafinaの現場プロデューサーになった。しかし、それまでの現場のやり方を理解していなかったI女史と梶浦氏は方向性を巡って度々意見が対立。梶浦氏は退社後のファンクラブ会報でも少し語っているとおり、元々事務所にはとても感謝していた。アルバイトをしなければ生活が苦しいような時期も事務所は彼女を見捨てずにサポートしてくれていたため、「事務所に恩を返すまでは事務所を退社しない」と決めていたようである。だが、一連の騒動を受けたことに加え、事務所に恩を返したと判断したことにより梶浦氏はスペクラ退社を決意。弁護士を通して楽曲の権利等を話し合い、2018年2月にスペクラを退社した。
ちなみに、スペクラ所属時代に発表された梶浦氏の楽曲の大半(特にノンタイアップ曲)の著作権管理は現在もスペースクラフト音楽出版が行っている。そのため、梶浦氏は過去の楽曲をライブで演奏することは可能だが、それらの曲をライブで演奏したり、それを映像作品としてリリースする際には、その収益の一部がスペースクラフト音楽出版に入ることとなる。
梶浦氏は、毎年恒例となっていた「Yuki Kajiura LIVE」(以下YKL)も、M氏不在の状況で開催するつもりは無かった。そのため、M氏が事務所を去った2017年はYKLが開催されなかった。2018年6月からYKLが再開されるにあたって、梶浦氏はHS社(M氏の移籍先)と業務提携を結び、YKLは再び梶浦氏とM氏のコンビで進められることになったのである。
フリーランスになったうえ、信頼するM氏に支えられて再び仕事が出来るようになった梶浦氏は、スペクラ所属時代よりものびのびと音楽活動が出来るようになり、より多くのアーティストへ楽曲提供もするようになった。
Kalafina (2017年)
元々Kalafinaは梶浦由記トータルプロデュースによるグループであった。だが、レーベルのSony Music(以下ソニー)はKalafinaの活動の幅を更に広げるために、梶浦氏をKalafinaの活動から徐々に排除することを画策していた。大きな転機となったのは2015年に行われたKalafinaの日本武道館2days公演。単純にキャパの大きな会場でライブをやることになったので、当然スタッフもそれまでより増員することに。そこでKalafinaのライブの現場スタッフは、梶浦氏繋がりの古いスタッフからソニー側のスタッフへと移行した。Kalafinaライブのディレクションも梶浦氏から南流石に代わった。
Kalafinaと南流石 (2017年)
その後、梶浦氏制作ではない楽曲を歌う試みとして谷村新司とのコラボ曲「アルシラの星」をリリースし積極的にテレビ出演などを行ったものの、そこまで話題にならず失敗に終わった。そのため梶浦氏をKalafinaプロデューサーから外すのは時期尚早という結論になった。
そして、2017年の4月ソニーはアニソンアーティスト中心のレーベルSACRA MUSICを新設し、KalafinaはSME RecordsからSACRA MUSICへ移籍した。そのSACRA MUSIC第一弾リリースにKalafinaのシングルを選ぶなど、ソニーは相当Kalafinaの売り込みに力を入れていた。同じ4月には梶浦氏とKalafinaを切り離す準備として、Kalafina単独ファンクラブ「Harmony」が設立された。(それまでKalafinaのファンクラブは梶浦氏と合同のファンクラブであるFictionJunction Clubであった。)ファンクラブ運営は事務所サイドの仕事ではあるが、この頃にはもはやソニーがKalafinaの活動の主導権を握っているともいえるほどの力関係であった。
また、梶浦氏の活動もソニー介入の影響を少なからず受けており、2016年の「Yuki Kajiura LIVE」はソニー系列のアニプレックス(以下アニプレ)作品である「ソードアート・オンライン」縛りのライブになった。梶浦氏、FictionJunctionは元々ビクター、フライングドッグからリリースを行っていたが、ソニーの介入により梶浦氏が劇伴を担当する作品はアニプレ作品ばかりに。NHK番組のサントラもソニーからリリースされた。ビクター、フライングドッグとの仕事が減少したことに伴い、FictionJunctionやFictionJunction YUUKAの活動も2015年以降は停滞気味になった。(ただし梶浦氏とソニーが直接揉めた訳ではないので、両者の関係は現在も良好である。)
そのような時期にM氏のスペクラ退社が重なってしまう。更に、長年Kalafinaのマネージャーを務めた大嶋一輝氏(以下O氏)もスペクラを退社。O氏もM氏と同じくHS社へ移り、Kalafinaのマネージャーは別の人物に交代した。
こうした状況の中で、梶浦氏はスペクラ退社を決めた。プロデューサーである梶浦氏の事務所退社が決定したことに伴い、Kalafinaはその後の活動計画を練り直すこととなった。梶浦氏の事務所退社が正式に決まった2017年末の時点で、Kalafinaは2018年3月までの活動スケジュールを発表していた。そのため、2018年1月23日のKalafina 10th Anniversary LIVE at 日本武道館や同年3月のドキュメンタリー映画公開は予定どおり行われた。
ドキュメンタリー映画の舞台挨拶に登壇したKalafina。3人揃って公の場での仕事をするのはこの日が最後になった。(2018年3月)
更に正式に発表はされていなかったものの、2018年4月からNHK某歴史番組の新エンディングテーマがリリースされることが決まっていた。そして、2018年秋には19枚目シングル「blaze」以降のシングル曲を含む6枚目アルバムのリリースと、それに伴うライブツアーも計画されていた。ライブツアーは北米公演も含む、大規模な国内外ツアーであった。こうしてKalafinaには続々と仕事が舞い込んでいた。だが、梶浦氏の退社に伴いこれらの計画は見直すことに。加えてメンバーのKeikoはワンマンライブが体力的に最後まで持たないほど持病が悪化していたこともあり、グループの休養を事務所に申し入れた。しかし、結局話が上手くまとまらず、2018年4月にKeikoは事務所を退社し休養することとなった。ここまでがKalafina活動休止の真相である。
後編ではより踏み込んだ内容に触れる。
この記事は前編、後編、番外編に分けて書き記す。以下の①と②の内容が前編、③と④の内容が後編、⑤が番外編である。
①梶浦由記氏事務所退社の真相
②Kalafina分裂、活動休止の真相
③Kalafina活動休止後のメンバー、梶浦氏の動向
④Kalafina再結成に至った経緯、梶浦氏激怒の真相
⑤Kalafinaに関する権利関係
※①と②の内容はこれまでの報道内容と重複部分が多いため、既知の方は読み飛ばして後編をご覧頂いても良いと思う。
(後編からお読みになる方はこちら)
(番外編からお読みになる方はこちら)
①梶浦由記氏事務所退社の真相
作曲家 梶浦由記 氏 (2024年のライブより)
Kalafinaの音楽プロデューサーでもあった梶浦由記氏は2018年2月に所属事務所スペースクラフト(以下スペクラ)を退社し、Kalafinaのプロデュースからも一旦退いた。その経緯は概ね既に週刊誌やスポーツ誌で報じられているとおり。
スペクラの大西一興社長(以下社長)は、ある時から突然宝塚歌劇団にハマった。そして、宝塚歌劇団出身であるスペクラ女性幹部の猪熊佐恵子(以下I女史)を贔屓するようになった。(I女史は橘沙恵という芸名で1993年まで宝塚歌劇団に所属しており、その後スペクラ音楽部門に入社。2021年にスペクラを退社して自身が代表を務める会社を設立している。)
スペースクラフト元女性幹部のI女史 (I女史が現在代表を務める会社のHPより)
I女史を贔屓したかった社長は、当時事務所の稼ぎ頭であった梶浦氏とKalafinaの現場プロデューサーをI女史に任せることに。しかし、そのためにはそれまで梶浦氏とKalafinaの現場プロデューサーを務めていた森康哲氏(以下M氏)を排除する必要があった。(M氏は梶浦氏を音楽業界にスカウトした人物で、梶浦氏のマネージャーを経て、長年梶浦氏とKalafinaの現場プロデューサーを務めていた。)
梶浦氏とKalafinaの元現場プロデューサーM氏 (2003年MBSのドキュメンタリー番組より。当時は梶浦氏のマネージャーであった。)
そもそもスペクラは元々モデル事務所であり、俳優業や声優業も行っている者を除くと、音楽活動分野で成功したと言えるのは梶浦氏とKalafinaぐらいであった。そんな同社の音楽部門を長年支えてきたのがM氏であった。しかし、I女史を贔屓した社長は次第にM氏に対するパワハラを繰り返すようになった。2016年9月に行われたKalafinaのアリーナツアー公演からは、M氏に代わってI女史がKalafinaのライブの総合プロデューサーに就任し、M氏はミュージックプロデューサーという肩書きになった。(これは実質的に降格ともいえる処遇である。)そんな状況に耐えかねたM氏は2017年6月にスペクラを退社し、アニソンアーティストが多く所属する音楽事務所ハイウェイスター(以下HS社)へ移籍した。
2016年に神戸ワールド記念ホールと日本武道館で行われたKalafinaのアリーナツアー。4日間で計3万人を動員。
そして社長の計画どおり、M氏に代わってI女史が梶浦氏とKalafinaの現場プロデューサーになった。しかし、それまでの現場のやり方を理解していなかったI女史と梶浦氏は方向性を巡って度々意見が対立。梶浦氏は退社後のファンクラブ会報でも少し語っているとおり、元々事務所にはとても感謝していた。アルバイトをしなければ生活が苦しいような時期も事務所は彼女を見捨てずにサポートしてくれていたため、「事務所に恩を返すまでは事務所を退社しない」と決めていたようである。だが、一連の騒動を受けたことに加え、事務所に恩を返したと判断したことにより梶浦氏はスペクラ退社を決意。弁護士を通して楽曲の権利等を話し合い、2018年2月にスペクラを退社した。
ちなみに、スペクラ所属時代に発表された梶浦氏の楽曲の大半(特にノンタイアップ曲)の著作権管理は現在もスペースクラフト音楽出版が行っている。そのため、梶浦氏は過去の楽曲をライブで演奏することは可能だが、それらの曲をライブで演奏したり、それを映像作品としてリリースする際には、その収益の一部がスペースクラフト音楽出版に入ることとなる。
梶浦氏は、毎年恒例となっていた「Yuki Kajiura LIVE」(以下YKL)も、M氏不在の状況で開催するつもりは無かった。そのため、M氏が事務所を去った2017年はYKLが開催されなかった。2018年6月からYKLが再開されるにあたって、梶浦氏はHS社(M氏の移籍先)と業務提携を結び、YKLは再び梶浦氏とM氏のコンビで進められることになったのである。
フリーランスになったうえ、信頼するM氏に支えられて再び仕事が出来るようになった梶浦氏は、スペクラ所属時代よりものびのびと音楽活動が出来るようになり、より多くのアーティストへ楽曲提供もするようになった。
②Kalafina分裂、活動休止の真相
梶浦由記プロデュースによるグループであったKalafinaは、梶浦氏の事務所退社に伴い活動継続が困難になった。2018年4月から実質的に活動休止状態となり、2019年3月には正式な解散発表がされた。Kalafinaの分裂、活動休止から解散に至るまでの経緯も概ね既出の週刊誌報道やスポーツ誌報道のとおりである。Kalafina (2017年)
元々Kalafinaは梶浦由記トータルプロデュースによるグループであった。だが、レーベルのSony Music(以下ソニー)はKalafinaの活動の幅を更に広げるために、梶浦氏をKalafinaの活動から徐々に排除することを画策していた。大きな転機となったのは2015年に行われたKalafinaの日本武道館2days公演。単純にキャパの大きな会場でライブをやることになったので、当然スタッフもそれまでより増員することに。そこでKalafinaのライブの現場スタッフは、梶浦氏繋がりの古いスタッフからソニー側のスタッフへと移行した。Kalafinaライブのディレクションも梶浦氏から南流石に代わった。
Kalafinaと南流石 (2017年)
その後、梶浦氏制作ではない楽曲を歌う試みとして谷村新司とのコラボ曲「アルシラの星」をリリースし積極的にテレビ出演などを行ったものの、そこまで話題にならず失敗に終わった。そのため梶浦氏をKalafinaプロデューサーから外すのは時期尚早という結論になった。
そして、2017年の4月ソニーはアニソンアーティスト中心のレーベルSACRA MUSICを新設し、KalafinaはSME RecordsからSACRA MUSICへ移籍した。そのSACRA MUSIC第一弾リリースにKalafinaのシングルを選ぶなど、ソニーは相当Kalafinaの売り込みに力を入れていた。同じ4月には梶浦氏とKalafinaを切り離す準備として、Kalafina単独ファンクラブ「Harmony」が設立された。(それまでKalafinaのファンクラブは梶浦氏と合同のファンクラブであるFictionJunction Clubであった。)ファンクラブ運営は事務所サイドの仕事ではあるが、この頃にはもはやソニーがKalafinaの活動の主導権を握っているともいえるほどの力関係であった。
また、梶浦氏の活動もソニー介入の影響を少なからず受けており、2016年の「Yuki Kajiura LIVE」はソニー系列のアニプレックス(以下アニプレ)作品である「ソードアート・オンライン」縛りのライブになった。梶浦氏、FictionJunctionは元々ビクター、フライングドッグからリリースを行っていたが、ソニーの介入により梶浦氏が劇伴を担当する作品はアニプレ作品ばかりに。NHK番組のサントラもソニーからリリースされた。ビクター、フライングドッグとの仕事が減少したことに伴い、FictionJunctionやFictionJunction YUUKAの活動も2015年以降は停滞気味になった。(ただし梶浦氏とソニーが直接揉めた訳ではないので、両者の関係は現在も良好である。)
そのような時期にM氏のスペクラ退社が重なってしまう。更に、長年Kalafinaのマネージャーを務めた大嶋一輝氏(以下O氏)もスペクラを退社。O氏もM氏と同じくHS社へ移り、Kalafinaのマネージャーは別の人物に交代した。
こうした状況の中で、梶浦氏はスペクラ退社を決めた。プロデューサーである梶浦氏の事務所退社が決定したことに伴い、Kalafinaはその後の活動計画を練り直すこととなった。梶浦氏の事務所退社が正式に決まった2017年末の時点で、Kalafinaは2018年3月までの活動スケジュールを発表していた。そのため、2018年1月23日のKalafina 10th Anniversary LIVE at 日本武道館や同年3月のドキュメンタリー映画公開は予定どおり行われた。
ドキュメンタリー映画の舞台挨拶に登壇したKalafina。3人揃って公の場での仕事をするのはこの日が最後になった。(2018年3月)
更に正式に発表はされていなかったものの、2018年4月からNHK某歴史番組の新エンディングテーマがリリースされることが決まっていた。そして、2018年秋には19枚目シングル「blaze」以降のシングル曲を含む6枚目アルバムのリリースと、それに伴うライブツアーも計画されていた。ライブツアーは北米公演も含む、大規模な国内外ツアーであった。こうしてKalafinaには続々と仕事が舞い込んでいた。だが、梶浦氏の退社に伴いこれらの計画は見直すことに。加えてメンバーのKeikoはワンマンライブが体力的に最後まで持たないほど持病が悪化していたこともあり、グループの休養を事務所に申し入れた。しかし、結局話が上手くまとまらず、2018年4月にKeikoは事務所を退社し休養することとなった。ここまでがKalafina活動休止の真相である。
後編ではより踏み込んだ内容に触れる。
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