第12話「晩餐会の後に~中編~」
深夜の女王の私室にて。
エインラーナ陛下は毅然とした態度で僕に問いかける。
「こうもあっさりと認めるとは思いも寄らなかったが……。魔族ならば、何故帝国に迫る危機を退けた? 放置していれば、テネブラエ魔族国にとって利となるのではないか」
「何故って、そんなの決まってるじゃないか。楽しそうだったからだよ、女王陛下。『君』たちにとって、500年前に起きたミラの血潮事件や現在の末期の雫事件は忌まわしいものなんだろうけどね。僕にとっては、単なる暇潰しの余興でしかなかった。思いのほか、楽しめたよ」
にこりと笑って言ってやると、さしもの女王陛下も眉間に皺を寄せた。
「あれらの事件を楽しかったと言うか……。どれだけのエルフに被害が及んだと思って――」
「僕はあまり人間がどうのエルフがどうのに興味はないんだ。もっとも、それは君たちも同じだと思うけど。魔族がどうなろうと、自分たちに関係がなければどうでもいいでしょ? それだけの話さ」
かすかな怒りを滲ませた視線を向けてくる女王陛下に向かって、僕は言った。
「確かに起きた出来事だけを考えれば、僕は君たちの命の恩人かもしれない。でも、僕は何も帝国やツェフテ・アリアの味方というわけじゃないんだ。ただ面白かったから手を貸しただけ。感謝されるようなものでもないんだよ」
「……」
女王陛下は僕の瞳を見据えてきた。
――わかるよね、僕の本心が。救国の英雄みたいに扱われても、僕の関心はそこにはないんだ。
エインラーナ陛下は眉間に皺を寄せながらも、努めて怒りを収めた口調で言った。
「……いや、結果論だけでいい。汝は我が国と帝国を助けた。そのことに変わりはない」
「善意で助けたわけじゃないのに?」
「二度言わせるな。構わぬと言った」
そう言いきって、エインラーナ陛下は溜息を吐く。
ややしてから、彼女が本当に聞きたかったであろうことを口にした。
「魔族は帝国にも我が国にも与しない。だが、同時に敵対関係でもない。そうだろう、テオドール。いや、魔族としての名があるならそちらで呼んだ方がいいか、魔王よ」
「そういうこと。冷静に受け止めてくれて助かるよ。――呼び方はどうでもいいかな。どうして、魔王だと思ったのかは気になるけどね? 現時点でそこまで明かすつもりはなかったから」
「鎌をかけただけのこと。これほど不遜で尊大な者が低級な魔族であろうはずもない。無論、その実力を見ただけでも上位存在であろうことはわかったがな……汝の従者である銀髪のメイドはどうしている?」
「僕にあてがわれた部屋で退屈そうにしているだろうね。この場には連れてきていないけど、話したいかい?」
「いや……汝はもちろんのこと、あのメイドにも世話になった。礼の一言でもかけなければ我が国の品位が問われる」
「僕から伝えておくよ。それより、もう話の本題に移ってくれないかい? 僕の方から話したいこともあるけど、まずは女王陛下が何を考えて僕の誘いに乗ってくれたのかを教えてほしい」
僕はそう告げてから、更に念押しする。
「僕が力ある魔族の上位種だとわかっていながら、1体1の話し合いに応じたんだ。それ相応に面白い話をしてくれるんだよね?」
エインラーナ陛下は厳しい表情を変えないまま言った。
「この地で『腐食』が起きている」
「腐食? それは……ああ」
僕はかつてダークエルフの里を訪れた時のことを思い出した。
「かつてこの地を襲った『双邪神』と繋がる話かな」
「……! 知っているのか……」
「うん。アレは何年前の出来事だったかな……。とにかく、腐食の力を持った双邪神が突如としてこの地に現れ、エルフやこの国の大自然に甚大な被害を与えた」
確か、その出来事が起こったのは今から1800年近く前になるだろう。
まだ僕がルシファーの名と位ではなく、先代のルシファーがテネブラエ魔族国を支配していた頃だ。
現エルベリア帝国は旧ルトガリア王国から誕生したものだが、その国が生まれるよりもさらに前の出来事であり、魔術大国のキアロ・ディルーナ王国も獣人族の住まうルーガル王国もまだ存在しなかったほど昔の話。
当時からエルフの国であるこのツェフテ・アリア王国は栄えていた。そしてその国を襲った存在の名も、僕は知っている。
「双邪神――片方は『グリオス』。もう片方は『ブラストーマ』。共に腐食の力を持った邪神であり、その力を以てしてエルフの国を襲撃した。懐かしい話だね」
「な、汝はどこまで知っている……? 双邪神の名など、もはやこの国ですら限られた一部の者しか知らぬというに……」
「下調べをしたのさ。当時の僕たち魔族の見解では、ツェフテ・アリアは双邪神の手によって壊滅させられるだろうというものだったからね。それほど強大な力を持つ者を相手取ったら楽しそうだというのが……」
……それが先代のルシファーの意見だった。
僕は同調も反対もしなかったが、それに異を唱える者はいなかった。
「……まあ、とにかく。それが魔族の総意みたいなものだったんだよ。実は僕はその時にこの地を訪れている」
「なんと……」
様子見のために選ばれた実力ある者は、魔王がうちの1柱たるレヴィだった。僕はその補佐として彼女と共にツェフテ・アリアへと赴いたのだ。
そして僕と彼女が拠点を置いたのが、ダークエルフの里だった。名は確か、そう。
「『フュートハリア』。当時のダークエルフの里の名前だったはずだけど、それは今も変わっていないかい?」
「……ああ、変わっていないとも。ダークエルフもまた健在であり、昔よりも今の方が栄えていると言っても過言ではあるまいな」
ダークエルフが住まうフュートハリアという領域は、面白い場所だった。
不思議なことに、彼らは誰もがその身体に闇の力を宿していたのだ。僕たち魔族と極めて近しい存在だったと言ってもいい。
当時の僕は魔神の姿のままだった。だからこの身から迸る魔力は、近くにいる人間を殺してしまうほどのものだったけど……彼らは老若男女ひっくるめ、僕の殺人的な魔力の影響を受けなかったのはよく覚えている。
だからこそ、彼らからある程度の情報を得られた。もっとも、その交渉はほとんどレヴィに任せて僕はただ黙っていただけだったが。
僕とレヴィはよそ者であり、他とは一線を画する力があるということをダークエルフの誰もが察していた。
中には僕らに助けを求める者もいたっけ。
レヴィは彼らと触れているうちに同情のようなものを覚えていたような気がするけど、助言はしなかった。……出来なかったと言うべきか。彼女は先代のルシファーを敬ってなどいなかったが、強い警戒と恐怖心を抱いていたから。
フュートハリアのみならず、ツェフテ・アリア王国全土が危機的な状況にあっても僕も何も助言しなかった。僕の関心事はそこにはなく、ただ遠方で異様な存在感を放つ双邪神を眺めていたっけ……。
当時の光景が少しずつ脳内を満たしていった。
◆
僕はフュートハリアの断崖から、ツェフテ・アリア王国を侵食する腐敗の状況を調べていた。
そして遠方の地にいても、その姿を容易に見ることが出来るほどの巨大な体躯を誇る醜い双邪神の力量がどの程度あるのかを探って数日が経った頃。
僕の近くに寄ってきたのは、白衣と緋袴という独特な姿をした少女だった。
『■■■■よ、いつまで眺めておるつもりじゃ』
若干呆れ気味にかつての僕の名を呼ぶレヴィ。
情報収集の大半は彼女に任せていたから、大変だったんだろう。当時の僕はそんな気の回し方はしなかったけど。
何も答えない僕の隣に立った彼女は、遥か遠方の双邪神の姿を目の当たりにしながら言う。
『アレらはグリオスとブラストーマという名で呼ばれているそうじゃ。放置しておけばこの国が滅びると誰もが言っておったが……ぬしの見立てはどうかの?』
『このままでは、エルフが滅んだ後に我らがこの地で遊ぶことになるだろうな。あの男が満足するほどのものではないだろうが』
『ふぅむ。この美しき大森林が滅び去るか……。物悲しいことじゃな』
以前から、破壊衝動に呑まれてさえいなければ穏やかで優しい性格をしていたレヴィがそう言ったのを聞いて、かつての僕はこう答えた。
『だが、エルフ側も健闘しているようだ。お前も感じるだろう、この莫大な神気の奔流を』
『……なんでも、ダークエルフが言うには神の与えた弓が邪神を弱らせているらしいが、結果は芳しくないそうじゃ』
『エルフが崇めているのは慈愛の女神だったはず。その女神が創り出した神弓が相手を殺傷するとも思えないが。……あの醜い邪神共が癒やしの力で深手を負っているようにも見えん。あの者らは見るからに普通ではないが、お前に懐く死者とは違うだろう?』
『違うな。身体は腐敗しておるが、死した者ではない。そも、アレらは神格のものじゃ。死の概念自体が普通の生き物とは異なるであろう。むしろ、我ら魔神に似ているやもしれんのう』
レヴィは双邪神は死者ではないと断じたが、邪神たちの根源まで見通すまでには至らなかった。
……それが、なおさら不可解だったんだ。
僕はこの国のことやエルフについてはよく知らなかった。ただ、相手を傷つけることを厭う女神の加護が与えられているという程度の知識しかなかったと言ってもいい。
ツェフテ・アリアの主神がエルフたちに与える恵みの力は確かなもの。でも、その代償と言わんばかりに彼らは他者を直接攻撃する術式を使えなかった。
主神は慈愛を司り、争い事を好まないが故にエルフたちにそのような制約をかけたのだろうけど……それは当時、僕たちの目の前で起きた出来事とは相反することだった。
結局、慈愛の女神が国の危機を感じて、その身に宿る力を攻撃的なものに変じさせたのではないかと安易に結論付けることしか出来なかったのを思い出す。
その後、エルフたちの攻撃の勢いが増した。その果てに双邪神の身体が崩壊したのを見て、僕は事前の予想が外れたことに驚いた。
脆弱なエルフの軍勢がよくも持ち堪えたものだ。感心しながらもそう判断して、僕とレヴィはテネブラエに戻った。
あの地を襲撃した双邪神は滅されたと、先代のルシファーに伝えるために――。
◆
「――テオドール」
「うん……聞いてるよ」
懐かしい記憶から引き戻されつつ、僕はエインラーナ女王陛下が語ったことを考えていた。
『双邪神の復活が近いのかもしれぬ』
『王家の力によって封じていたが、抑えが効かぬようだ』
趣旨はそんな感じだった。
僕は問いかける。
「双邪神の身体が崩壊したのは僕が直接見届けた。でも、完全に倒すことは出来なかったのかい?」
「あまりにも昔の話だ。双邪神の伝承は王家の者には代々継がれるものであるが、時間と共に真実は歪んで形を変えてしまう。妾の父母も詳細は知らなかった」
口伝や教育で教えてはいても、いずれは真実の姿が見えなくなってしまう。
目の前にいる相手と話していても、その者が経験したことを完全には理解出来ないように、どれだけ真実をつまびらかに伝えようとも後世になってしまえば真相は徐々に失われていくということか。
エインラーナ陛下が言う。
「妾も出来得る限りの対策は考えた。しかし、数多の選択肢などあろうはずもなく……結局はあやつらの力を借りるほかないと考えるに至った」
「ダークエルフ、かい?」
「そうだ。我らエルフとダークエルフは限りなく同じ種族といえるが、2つ異なるところがある。1つはあやつらには必ず闇の力が備わっていること。そしてもう1つは――ダークエルフには我らが主神ミスティリア・ティスティさまの加護が与えられていない」
慈愛の女神の力を与えられていない、ということは。
「ダークエルフには女神からの制約がかけられていない。つまり、他者を攻撃することを得手とする者がいると考えてもいいかな?」
「そうだ。妾の他にも優れた近衛たちの中には攻性術式を扱える者もいるにはいるが、ひとたびこの力を振るえば身体に凄まじい負荷がかかる。個体差こそあるものの、無理に攻性術式を扱った者は下手をすれば死んでしまうくらいだ……滅多にあることではないが、な」
慈愛の女神の課した制約。それはもはや呪いと同義ではないだろうか?
しかし、その制約の束縛をまったく受けていないであろう存在に僕は心当たりがある。
「陛下。リューディオ学長が桁違いの魔導の才を持っている理由はわかるかい? 彼の力は異常と言ってもいい」
「あくまで可能性の話に過ぎないが、あの男が純血のエルフではないからだろう。慈愛の女神さまの力、ひいてはその制約が効いていないと考えてもいいやもしれぬ。無論、あの男にダークエルフの血は流れていない」
他種族と交わることによって、あのハーフエルフの学長は強大な力を手に入れた……というより、凄まじい才能を持って生まれたと言ってもいいかもしれない。
「このツェフテ・アリアの王家で、純血のエルフ以外が女王となったことはあるかい?」
「ない。王家に与えられし力は純血のエルフにのみ継承されるからな。それ以外の者が王になれるはずもない」
「……その言い方だと、王家に相応しい者は慈愛の女神さまの力を引き継いだものであって、何も純血のエルフでなくても構わないという風にも感じられるけど?」
「そう、とも言えるかもしれぬな……」
エルフの女王陛下は歯切れ悪く呟いた。
てっきり否定されるものかと思っていたが……。
エインラーナ陛下は何かを思い悩むような表情をした後、それまで正していた姿勢を崩して椅子の背にもたれて言った。
「ミルディアナでの事件の後、そう間を置かずにこの地に“ダークエルフの王”が訪れた」
「……僕はダークエルフの里を訪れはしたけど、彼らとあまり話すことはなかったんだ。だから彼らについて詳しくは知らないんだよ。ツェフテ・アリアの王はエインラーナ陛下しかいないとばかり思っていたけれど?」
「元々はあやつらもこの王家の配下であったが、ダークエルフは先の双邪神の一件以来、徐々にエルフと距離を取り始めた。そして今ではフュートハリアは大いに栄え、そこを治める王が必要となったのだ。それ以上の詳しい経緯は妾も知らぬ。ダークエルフにも王の位が与えられたのは1000年以上前の話だからな」
「ふぅん。でも、王さまが2人もいると統治に混乱が生じるんじゃないかな? そのあたりはどうなんだい?」
僕たち魔族にも複数の王がいるわけだけど、合議制とは名ばかりで実質的には僕の力だけで治めているようなものだ。
他の国と比較するようなものでもない。
「あくまでも、ツェフテ・アリア全体を治めているのは我が王家だ。そこで先の話とも繋がる。要は王となる者がこのツェフテ・アリアの主神であらせられる慈愛の女神さまの力を受け継いでいるか、いないかというものにな」
なるほど……。
ダークエルフの勢力が増して王の位を戴く者が現れた以上、エインラーナ陛下と争いになってもおかしくはないが、それを許さない絶対的な権限こそが慈愛の女神の力の有無というわけか。
元々はその女神の力で栄えた国家である以上、ダークエルフもそれに従わざるを得ないのが現状かな。
「エルフとダークエルフ。その両方に王がいるということはわかったよ。それで、彼らの王は何をしにこの地へやってきたのかな」
「無論、腐食の件の話し合いだ。このままでは双邪神の復活へと至るのは間違いない。恐らく、既にそれを止めることは出来ぬ段階であろうと」
……妙な話だ。
何故、そんな一大事を今まで放置していた? 双邪神が復活すれば、かつてのミラの血潮事件以上の悲劇をもたらすことくらいわかるだろうに。
そもそも王家の血筋を持つ者はこのエインラーナ陛下と、その娘のリズがいる。それにもかかわらず、双邪神の封印を抑えられないというのは何事なのか。
問い詰めてもいいが、今は彼女の話の先が気になる。僕はあえてそのことには触れずに問いかけた。
「双邪神の復活を前提に話が進められたんだね。それで?」
「ダークエルフは協力を惜しまないと言った。戦を不得手とする我らとは違い、あやつらの中には強力な力を持つ者が多い。今度こそ、双邪神を滅ぼすと『あの男』は言った」
ダークエルフの王は男か。
女系だけが王となるこのエルフの地とは事情が異なるのだろうか。
「協力してくれるなら良かったじゃないか。エルフだけで立ち向かうより心強い」
「……それは、そうなのだがな」
エインラーナ陛下は思案に耽るような面持ちで言った。
迫る双邪神への復活はもとより、他にも大きな問題を抱えているような、そんな感じだった。
しばらく間を置いてから、女王陛下は呟く。
「ダークエルフの王は対価を要求してきた」
「それはどういうものだったんだい?」
エルフだけでは解決するに至らないと判断した上でのことだろうか?
ツェフテ・アリアの女王たるエインラーナ陛下を前にして、よくもまあ対価の要求が出来るものだ。双邪神の被害を受けるのはダークエルフの領域も一緒だろうに。
少しの沈黙を挟んで、エインラーナ陛下はひどく物憂げな様子を見せながら言う。
「このツェフテ・アリアから双邪神を葬り去った暁には、リーゼメリアを花嫁として差し出せと」