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第11話「晩餐会の後に~前編~」

 僕らは、プロメテーラ水晶宮と呼ばれる白銀の水晶で出来た宮殿にて、エルフたちから大いに歓迎された。

 特にエルフが好むとされるこの地独特の野菜を用いた料理や、蜂蜜酒の味はなかなか感心させられるものがあった。


 しかし、静かなテーブルで僕が遠慮なく食事をする一方、他の面々はどうにも料理に興味を抱いていないらしい。

 僕の右隣に座るリズはテーブルに肘をついて頬杖して――いたところをエインラーナ陛下に叱られたので、仏頂面になりながらもそもそと食事をしている。


 その様はまるで高貴な者が庶民の食卓に並ぶ皿にうんざりとしているようで、どこか滑稽だった。

 軍学校の学食を知り合いと一緒に食べているリズは、いつも笑顔に溢れていたものだけれど。

 

 竜族の少年はというと、僕やリズとは離れた席に座って腕を組みながらつまらなそうに皿の上に盛られた豪華な料理を見つめている。

 リズが不機嫌な理由は何となくわかるけど、ジュリアンの様子はよくわからない。

 いくらエルフが嫌いでも、食事にまでは影響しないんじゃないかな? それとも、野菜がメインだから竜族にはあまり適していないとか?

 でも、学食では野菜でも魚でもなんでも食べていたような気もするけど。


 そして、最後。僕の左隣に座る金髪の少女は、憂鬱な表情を浮かべながらフォークとナイフを手にしていた。

 流石は公爵家の令嬢なだけあって、テーブルマナーにはそつがない。でも、クラリスは本当に“ただ”食べているだけに見える。

 料理の味やかぐわしい香りを楽しんでいるようには見えない。


 ――かつての凛々しくも愛らしい彼女の姿はそこにはなかった。

 僕が出会った頃のクラリスなら、この場では緊張に満ち満ちた表情を浮かべながらも料理を堪能し、その1つ1つの皿に対して賛辞の1つや2つは述べていただろう。

 そして、しんどそうな表情をしているリズやどうでもよさそうにして食事を口にしないジュリアンに向かってこういう風に言ったんじゃないかな。


『~~! 先程から見ていれば何ですか、貴方がたは!? エインラーナ・キルフィニスカ女王陛下の歓迎を無下にするとは笑止千万! その場に直りなさい!!』


 それに対してリズとジュリアンが反論をして、何かと堪忍袋の緒が切れやすいクラリスが怒鳴りつけようとしたところで女王陛下がこほんと咳払い。

 実は自分も女王陛下の御前で怒鳴り散らすという恥ずかしい真似をしていたことに気付いて、慌てて謝罪をする。そしてそれをリズたちにからかわれて、また――。


 そういう光景を見てみたかったんだけどね。

 賑やかで楽しそうだ。きっと、食事ももっとおいしく感じただろう。


 今の静謐ともいえるような晩餐会の雰囲気も嫌いではない。嫌いではないんだけれど。

 僕は、少し物足りないなと内心で溜息を吐いた。




 僕たちはそれぞれがプロメテーラ水晶宮にある部屋をあてがわれた。

 例に漏れず白銀の水晶で造られている部屋へ向かおうとした時、すれ違った女性のエルフの給仕から何かを差し出される。

 透明な紙のようなものに、魔力が込められた字でこう書いてあった。


『汝に話がある。深夜、妾の私室に訪れるが良い』


 手短にそう書かれていたのを確認した瞬間、エルフの給仕が軽く微笑みながら囁いてきた。


「水晶宮の最上階には決して立ち入らぬよう。陛下の私室がございます故」


 優しげな笑顔と言葉が一致しないが、彼女が僕に伝えたいことは最後の部分だけだろう。

 僕はこくりと頷いて言った。


「了解。そこまで警戒しなくていいよ」

「左様でございますか」


 エルフの給仕はそう返すと、何事もなかったように本来の仕事へと戻っていった。

 周囲には他にも大勢のエルフがいる。耳の良い彼らには囁き声ですら簡単に聞かれてしまうから、婉曲に伝えるしかなかったんだろう。


 エインラーナ女王陛下が僕の意図を察してくれたのか、はたまた偶然にも内密の話がしたいだけなのかはわからない。

 ただ、せっかくの招待だ。ありがたく部屋に向かわせてもらうとしよう。


 


 夜も深まった頃合い。

 僕は水晶宮の階段を上がり、最上階へと辿り着いた。


 白銀の水晶が淡く輝き、廊下を照らし出しているため視界は確保できている。

 夜になったからなのか、水晶の輝きはとても弱いものだ。せいぜい蝋燭の灯りと同程度といったところか。


 最上階をしばらく進むと、大きな扉が見えてきた。

 水晶で出来たそれはぴたりと閉じられている。

 ……ノックなどしてしまえば、耳のいいエルフたちに勘付かれる可能性が高いか。


 防音の術式をこの階全体に巡らせてしまえばいいだろうか。

 そんなことを考えていたら、堅く閉じられていた水晶の扉が勝手に開いた。

 ありがたい配慮だね。


 遠慮せずに中に入ると、背後の扉が音もなく閉まったのを感じた。

 それと同時に、白銀の水晶で出来た私室の奥にある椅子に座っていた者から声がかけられる。


「よく来たな、テオドール」


 エルフの女王は椅子に腰かけ、僕の方を見ながら言った。

 室内の窓辺には小さな花瓶があり、一輪の白い花が生けてある。


「……喋ってもいいのかな?」


 この会話も筒抜けになるのでは、と思ったけれど、童顔のエルフの女王陛下はくすりと笑って、向かいにあるもう1つの椅子を僕に指し示した。


「ここには防音の結界が張ってある。問題ない」

「そっか。なら遠慮なく。……改めてお久しぶりです、女王陛下」


 僕がそう言って席に座り込むと、エインラーナ陛下は愉快そうに言った。


「慣れぬ敬語を使うものではない。妾の前では表面上の言葉など、何の意味もないのだから」

「う~ん。僕はリューディオ学長やデュラス将軍の前でも普通に接してたけど、流石に一国の女王さまが相手となるとね」


 僕自身はどうでもいいが、周りがうるさい。

 人間に化けて帝国へと赴く前にレナから人間のマナーを教えられた際にも、この敬語というものが僕を苦しめた。

 僕はテネブラエの王族だし、ルミエルや他の王族をはじめとした一部の者を除けば、みなが敬語で接してくる。


 だけど、僕は自分が敬語を使うのに慣れていない。

 相手によって言葉遣いを変えるということに難儀しているともいえるかな。


 先代のルシファーや、他の魔王たち、そして今は僕のメイドであるカーラ。その誰もがかつては僕よりも目上の存在だったが、僕が彼らに接する態度は今とほとんど変わらなかったし、それを気にする者はほぼいなかった。

 ……ああ、いや、当時のカーラには「格下のくせに生意気ですね」と目を付けられて散々吸血されたっけ。まあ些事だろう。


 僕が昔のことを思い出していると、エインラーナ陛下は言う。


「みなの前でも言ったが、汝は妾とリーゼメリアの命の恩人であることには変わらぬ。それだけでなく、帝国とこのツェフテ・アリアの救世主でもあろうな。言葉遣いなど気にせずとも良い……まあ、あまり度の過ぎたことを口にしなければの話だが」

「じゃあ、他の人たちと同じように接しようかな。――それにしてもエインラーナ陛下は大袈裟だね。ミルディアナであの狂乱の翼を召喚した術式を破壊して騒動を鎮めたのは、リューディオ学長なのに」


「何を言う。あの阿呆はただの力と、張りぼてに等しい権力しかない男だ。あやつだけでも天魔共を滅することは可能だったかもしれぬが……妾やリーゼメリアのことにまでは手が回らぬであろう。もしくは、妾たちを救出することを選んでミルディアナ自体を壊滅させてしまったかもしれぬ」

「……リューディオ学長の力は、あの高等魔法院に封じられていたからね。平時では禁術も扱えなかっただろうから、天魔を相手取るのは確かに面倒だったかもしれない」


 ミルディアナを襲撃した白翼の群れたる天魔は、もとは天使だった。

 天使の魔力耐性は極めて高い。人はもちろん、エルフや竜族をも圧倒するほどの強固な耐性を持っている。


 だが、天魔と化したことによってその魔力耐性も弱まった。位階の高い魔術でなら簡単に殺せてしまえるほどに。

 もし、力を封じられたままのあのハーフエルフが大勢の天魔と戦った場合、どうなっていたか。


 あの戦いでは僕と他の特待生たちをはじめ、数多くの軍人が投入され、その裏ではレナやルミエルも解決の手助けをしてくれた。そのすべての役割をこなすのは、いかにあのリューディオ学長といえども厳しいに違いない。

 たとえあの戦いを生き残ったとしても、想像できないような甚大な被害が出ただろう。軍の将官らに交じっていた反エルフ主義者をも相手取った以上、救国の英雄扱いされるかどうかも怪しいところだ。


 エインラーナ陛下は溜息を吐いた。


「……たとえ、どんなに強い力を持っていても、あやつだけでは何も出来なかっただろう。汝はもちろんのこと、他の者の助力あってこその成果だ」

「なら、他の特待生たちのことも僕と同じように扱ってくれないかい? まあ、この地にやってきたのはリズとジュリアンだけになっちゃったけどね」

「リーゼメリアはともかく、あのジュリアンという竜族にも感謝している。それ相応の褒美は取らせるつもりだ。他の者もいれば良かったが……特にあの獣人娘たちの安否は気にかかるな」


 物憂げに言うエインラーナ陛下。

 ロカとシャウラは戦場へと向かった。

 今頃はとっくにルーガル王国に辿り着いているだろう。戦況によっては、キアロ・ディルーナ王国か。


 本当の戦場に向かった彼女たちはどうなるだろう。力はあるけど、まだまだ未熟な子たちだ。

 彼女たちを支える獣人たちや帝国軍の助力もあるだろうから、あっさり犬死にするようなことはないだろうが……。


 いや、今は物想いに耽っていても仕方がない。

 こうして女王陛下と2人きりになれたんだから、大事な話をしないとね。そう思って、エインラーナ陛下を見つめる。その薄緑色の瞳と目が合うと、彼女はふと笑んでから言った。


「――そうだな。大事な話があるのであった」

「その様子だと、やっぱり女王陛下は相手の心を読み取る力があるのかい?」

「ああ。何もかもわかるわけではないがな。こうして、汝と瞳を合わせることでようやくその心のうちで思っていることを察せられる程度だ。まったく、妾も年を取ったものだ……昔はそんなことをせずとも、傍にいるだけで相手の心をある程度は読み取れたのだが」


「それはエルフの王家に伝わる力、なんだよね」

「然り。相手の心を透かし見ることが出来るという――ツェフテ・アリア王国の始祖が神より与えられしもの。特に邪悪な心を持つ者に対して絶大なる効果を発揮するのだ」

「邪悪なる心か。じゃあ、僕がエインラーナ陛下をこの場でどうしたいと思ってるかとかもわかるかい?」


 2人きりだから、その身体を好きに出来る。

 そんな思いを込めて見つめると、陛下はやれやれと呟いて半眼になりながら言う。


「好色な男よな。こう見えても妾は500年の刻を生きてきたのだが、それでも情欲を覚えるか?」

「貴女は美しい。幼げな容姿ではあるけど、その凛々しさや威厳もさることながら静謐で神秘的な侵されざる部分はとても魅力的だよ。――いっそのこと、すべてを僕の色に染め上げてみたいと思うほどにね」


「口説き文句としては及第点だと思ったが、最後で台無しだな? 下卑た欲望しか感じられぬ」

「本性を隠して女王陛下を口説くのは失礼かと思って。そうだ、大事な話はそこにあるベッドの上でするかい?」


 エインラーナ陛下は僕の戯言を聞いても、不快感を抱いている様子はなかった。

 苦笑しながら彼女は言った。


「妾はこれでも今は亡き夫にみさおを立てているつもりだ。残念ながら汝の欲望の相手をすることは出来ぬよ。――もっとも、このような状況で問答無用に襲われれば、為す術もなかろうが」

「ふっ、一途だね」


 僕は嫌がる女を無理には襲わないと決めた。

 破壊衝動に満たされていればこの自制も利かなくなるかもしれないけど、今は落ち着いているから大丈夫だ。


 ……そういえば、今まで陛下の夫――リズのお父さんのことについては何も聞かされていないな。リズも陛下の悪口を言ったりはするものの、父親に関する話題は一切しなかったように思う。

 それを訊ねると、エインラーナ陛下は瞼を閉じて腕を組みながら言った。


「良き夫……だったと思う。少なくとも、妾にとっては」

「何だか曖昧な感じがするけど、それはどうしてだろう?」

「このツェフテ・アリア王国では、とある例外を除いて王となるのは女と決められている。女王や王女ともなればその権力は他の国のそれよりも強いと言える。……が、王族というものに自由がないというのは、汝の近くにいるあのどうしようもないじゃじゃ馬娘を見てもわかるであろう?」


 確かに。

 リズがこの地から抜け出した事情もおおよその見当はつく。

 窮屈な生活に限界を来たした反動だったんだろう。


「束縛されるという意味では、妾も同じ。恋人は勝手に周りの者が用意して、結婚する者も同様。妾と亡き夫の関係もまた、そのようなものだった」

「自分で選んだ相手じゃないというのはわかったよ。どんな性格のエルフだったんだい?」


「大人しく、繊細だった。常に妾を上に立て、ただ話すだけでも緊張するあまりにたどたどしく喋り、妾の反応が芳しくないと申し訳なさそうに謝るという……男らしさなどというものとはとんと縁のない冴えない男だ」

「とても女王陛下と釣り合うような感じには思えないけど、やっぱりそういう部分は重要視されないものなのかな。政略結婚というやつは」


「ああ。亡き夫の家柄だけは誰もが羨むようなものだったからな。だが、その実は病弱でな……若くして、もう先は長くないだろうと言われていた」

「へえ。それはまた難儀なものだね」

「驚かぬのだな?」


 不意に瞼を開いたエインラーナ陛下に言われて、僕は何のことだかわからずに彼女の瞳を見つめる。


「妾は500年もの刻を生きた。そしてリーゼメリアはといえば、まだ16年と幾許か。普通の人間であれば、妾の亡き夫の年齢と、若くして先がないと宣告されたにもかかわらずそのような歳の娘がいることに疑問を抱くものかと思っていたが」


 ……僕の悪いクセがまた出たようだ。

 指摘されるまで気付きもしなかったけど、常識的に考えてみれば少しおかしいのか。


 人間という生き物は年齢の近い者同士で結ばれることが多い。歳が離れていても、せいぜい数十年といったところか。

 あくまでも人間として振る舞っている僕の価値感からすれば、彼女の言葉に疑問を覚えない方がおかしいのだ。

 つまるところ、そもそも陛下の夫は何歳で、いつ死んだのか。


 僕は魔神だ。

 第一夫人は元天使で1000年以上の刻を生きている。

 第二夫人は元人間で900年以上、第三夫人も同じく元人間の500歳以上。

 時間間隔が普通の人間とまったく違う。だからこそ、エインラーナ陛下の特殊な事情に疑問を覚えることもなかった。


 僕はかなり気まずい気持ちになって頬を掻きながら……苦笑して問いかけた。


「……今更だけど、陛下の旦那さんの年齢はどうなってるんだい?」

「くふふ。まことに普通の人間とは違う思考回路をしているとしか思えぬな。――あの男が妾の夫となった時は、汝とそう変わらぬ年頃であった。17歳だったからな」

「す、凄い年齢差だね」


 言ってて白々しい。僕からすれば17歳も500歳も1000歳も変わらないから……。

 リズも人間の姿の僕と同い年あたりだから、彼女のお父さんが今も生きていたら三十路の半ばかそのあたりか。


「家の事情というものでな。亡き夫はその家の嫡男だったのだ。だが、残された命の灯火はいつ消えるとも知れぬ。既に両親は他界し、兄弟もおらず、親戚も血筋が薄く――家名を継ぐ継がぬで大わらわ。その時に持ち上がったのが、嫡男とまだ未婚で子もいない妾との縁談であった」

「……なるほど。複雑な話だね。普通の神経の持ち主なら、いきなり陛下と縁談なんて聞かされたら驚くだろうし」


「家名を残すため、王家との縁を繋ぐため、ひいては血筋を残すため。亡き夫は年若かったが……そのような重責を一身に背負っていたのだ。本当に、まだまだ未熟で、子供のようで……何をするにも周囲の言葉に雁字搦がんじがらめにされていた。本来ならば、妾のような年寄りと結ばれる運命ではなかったであろうに」


 幼さと凛々しさを同居させる雰囲気をした女王陛下は、窓辺に置いてある花瓶に目をやって言った。

 純白の花が月明かりを浴びている。


「あの花は、亡き夫が妾に結婚を申し出る際に贈ってくれたものだ。何もかも周囲の者の言葉に振り回されていたが、あの花を贈ることだけは自分で決めたと言っていたよ。直後に、項垂れながら『こんなものじゃ嬉しくないですよね』などと震えながら言って泣きそうになっていたが……妾にとっては、これ以上ないほどの贈り物だった」


 エインラーナ陛下は少しだけ椅子の背もたれに身体を預け、気だるげな表情で純白の花を見つめていた。

 まるで、遠い日の思い出に縋るような瞳だった。もうあの頃には戻れないとわかっていながらも、思い出さずにはいられない……いや、それこそ縋らざるを得ないという感じだろうか。 


「陛下にとっては、かけがえのない思い出の花というわけかな。今も枯れないでいるのは、特別なものだから?」

「……いや、見た目こそ美しいがただの花だ。枯れないでいるのは、妾が力を分け与えているからに過ぎぬ。エルフの王家に与えられたもう1つの力である、大自然の秩序を守るための力のほんの切れ端を使ってな」


 凛々しくも気高いエインラーナ陛下の心の支えとでもいうべきか。

 小さな一輪の花が、彼女を物静かに守っている。そんな風に感じられた。

 女王陛下は言う。


「結婚の支度は瞬く間に終わった。目まぐるしい日々の中、亡き夫と過ごす時間は楽しかった。ただ、妾もあの男もまた愛だの恋だのに不慣れでな。年長である妾が色々と教えてやりたかったが……何もかもさっぱりわからん。故に最初はぎこちない夫婦生活そのものであった。まったく、情けない……」

「初々しくていいんじゃないかな。それに今はああして元気いっぱいな娘がいる以上、上手くいったんでしょ?」


「結果的にはな。気が付けば身籠みごもっていて、亡き夫もそれを喜んでくれていたのだが……どうやら、妾たちの縁はここで切れる運命だったらしい。最期は、実に呆気なかった。何も言わずに妾と子を捨ててこの世を去るとは何事かと、怒鳴ってやりたくなった……」


 幸せの絶頂というところで、病に倒れたか。

 エインラーナ陛下は椅子に体重を預けながら、虚ろな瞳で窓辺の花を見つめたままだった。


 ふるふると震える唇を引き結び、瞳に薄い涙の膜を張るその様は、いつもの彼女の傲慢ともいえるような威厳ある態度とは明らかに違う。

 ただ、大事な者がいなくなってしまったことを未だに受け入れられないでいる哀れな女性にしか見えなかった。


 僕は何も言わずに、彼女を見つめていた。

 少しだけ間を置いて、女王陛下はまるで我に返ったかのようにはっとしたような仕草をすると、慌てて姿勢を正し、薄緑色の瞳から零れ落ちそうになっていた雫を指で拭って言う。


「すまぬ……。汝を招いておきながら、取り乱してしまった」

「構わない。僕を気にして悲しみを隠す必要はないさ。話し合いはまた日を改めてからでもいいよ」


 そう言って僕が席を立とうとした時、「待ってくれ」と言われた。

 エルフの女王は一度だけ大きく深呼吸をした後に、いつもと変わらない口調で続ける。


「もう大丈夫だ。……先程までのことは、見なかったことにしてくれ」

「……わかった。陛下がそう言うなら」

「感謝する」


 そう言った陛下はもう、女王としての威厳を取り戻しているように見えた。

 そして、僕をじっと見つめてくる。


「さて、話が大きく逸れてしまったな。本題に戻したいのだが、その前に1つだけ……汝に聞いておかねばならぬことがある」


 大方の察しはついていたけど、僕は黙って先を促した。


「テオドール。汝は……魔族だな?」

「うん、よくわかったね。褒めてあげるよ」


 思った通りの質問をされて、僕は即答し軽く拍手する。

 エインラーナ陛下は呆気に取られた表情をしていたものの、すぐに気を取り直して僕を見据えてきた。

 先程まで静かで穏やかだった室内に、張り詰めたような空気が満ちていった――。

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