第10話「プロメテーラ水晶宮」
船で対岸まで辿り着いた僕らは、リズに先導されながら宿場町で一泊。
その後も彼女に案内を任せてからしばらくして、僕たちは遂にツェフテ・アリア王国の王都プロメテーラに到着した。
門番はリズの姿を見るなり、あっさりと全員の通行を許可して、いよいよ王都の中へ入った。
その瞬間、景色は一変した。
王都の中は、そのすべてが淡い光沢を放つ水晶で構成されていた。
地面から建造物、そして王都の正門から遥か先にあってもなお圧倒的な存在感を放つ白亜の宮殿までもが白き水晶によるものだというのがわかる。
「こっからでも見えると思うけど、あのでっかい水晶で出来たお城がそのまんまあたしの母さまが玉座でふんぞり返ってる宮殿なの。プロメテーラ水晶宮って呼ばれてる」
「……ここまで来るとすげえな。現実離れしてるようにしか見えねえ」
感心しているのか呆れているのか、ジュリアンはそう呟いてから周囲をきょろきょろと見回した。
すべてが水晶によって出来た地。歩を進めれば、川に架けられた橋までもが水晶によるものだということが見て取れた。
橋から覗ける川面は透き通っていて、きらきらと輝いている。ミルディアナを流れる河川とは比べ物にならないほど美しい。
ジュリアンが言うように、これは本当に現実なのかと疑問符を浮かべてしまいそうだ。
もっとも、僕は魔族国で別の意味で現実離れしている地を腐るほど見てきたから驚きはしないが。
マモンの根城である天象の宮がその最たる例だけど、アスモやレヴィ、ベルゼブブが住まう地も普通の人間たちから見れば想像を絶するであろう光景が広がっている。
レナはそのいずれにも強い衝撃を覚えていたし、あのジゼルですら初めて見たその場所を称して夢の世界のようだと言っていた。
……天象の宮の場合、夢の世界というより悪夢の世界という言い方が合っているかもしれないけど。
ベルゼブブの地に至っては、悪夢という領域を超えている。その光景はさることながら、危険度も天象の宮に近いといっても過言ではないだろう。
それはそれとして。
いま眼前に広がる光景とはまた別の話だ。
この王都プロメテーラは、まさしく夢の世界そのものに見えるほど美しい。
リズが先導して街路を通ると、道端にいたエルフたちが揃いも揃って彼女のことを凝視して驚いている様子がありありとわかった。
久しぶりの王女の帰還だから無理もないだろう。
そして、それと同時に彼女にくっついて回る僕たちのような異物に強い警戒心を抱いているようだ。
それを敏感に察したリズが言った。
「あー、ごめんね。みんな悪気はないんだよ。ただ、王都にエルフ以外の種族がやってくることって滅多にないから驚いてるだけ」
「やっぱ、エルフってもんは閉鎖的なのかね。ここまでの道のりを見りゃ、嫌でも伝わってくるけどよ」
「否定出来ないなー。保守的な思想が多いし、何かと選民思想もあったりー……ま、そのへんは後でゆっくりね」
エルフたちは聴覚に優れる。
特にここにいるエルフたちは、ほとんどが純血の者たちだろう。
ミルディアナにいたエルフは大都市特有の騒音に慣れている者が多かったけど、この都市は見るからに静かだ。平穏を重んじているといってもいいか。
だからこそ、聴覚には敏感なはず。
普段はいない他種族の者が喋っているとなれば尚更だ。
大人しくしている僕やクラリスともかく、ジュリアンのように無意識に無作法で乱暴な言葉遣いをする相手は嫌悪の対象に映るかもしれない。
あまり大通りで話しながら歩くわけにもいかないかな。
……それにしても、王女の帰還だというのに大森林の番をしていたフィーネというエルフのようにリズに話しかけてくるような者がいないのは少しだけ気になった。
畏れ多い、という感じとも少し違うか? あまり関わり合いになりたくないというような雰囲気にも思える。
水晶で出来た幻想的な大都市の中に拡がる密やかな動揺のようなものを感じつつ、僕たちは王城へと辿り着いた。
本当に、全部が全部、水晶で出来ている。白銀の水晶がどうやって王城の形を保っているのかは、僕にもよくわからなかった。
テネブラエの王族会議で使った古城のように、魔力で出来ているようにも見えない。
門番のエルフたちはリズの姿を見ると、何も言わずに頭を垂れて城へ入るのを見届けた。
それを横目でちらりと見たジュリアンが肩を竦めた。
「おい、歓迎されてるって雰囲気じゃねえみてえだが」
「うーん。ジュリアンくんのことはあたしも別に歓迎してないからね~。帰るならどーぞ」
「ざけんな、アホ」
リズとジュリアンのやり取りを見ながら、水晶の城の中を歩く。
城内にもエルフたちはいたが、やはり誰も何も言わない。女王陛下がリズの帰還を知らせているだろうとはいえ、ここまで来ると少し奇妙な感じがした。
何の障害もなく、僕らは王城の中で最も神聖なる場所である、女王の間へと辿り着いた。
扉が開かれると、水晶で出来た玉座に鎮座していた者がその幼げな容姿とは裏腹に凛々しく威厳のある声で僕たちを出迎えた。
「よくぞ来た。歓迎するぞ、帝国の特待生諸君」
肘掛に頬杖をつきながら、どこか傲慢さを感じさせる口調で語りかけてきたのはこの国の女王であるエインラーナ・キルフィニスカ陛下だ。
リズと同じような深緑の髪を肩のあたりで切り揃えたエルフの女王陛下は、やはり実の娘よりやや幼く見える。
しかし、玉座に鎮座しているその様は正しく女王と呼ぶに相応しいほどの荘厳さに満ちている気がした。
周囲を見渡せば、近衛兵と思しきエルフたちがエインラーナ陛下の近くで直立不動の体勢でいた。
ある者は僕たちを眺め、ある者は瞳を閉じて瞑想しているかのようにも見える。
中には僕と視線が合うと、にこりと微笑む女性のエルフもいた。
近衛兵たちの誰もが片手に槍などの武器を携えてはいるものの、その切っ先を僕たちに向けてきたりはしない。
一見すればそれほど警戒されていないのかと思ってしまいそうになるが、彼らからは独特の緊張感が見て取れる。
近衛兵というだけあってなかなか強そうだ。
本来、戦を得意としないエルフたちの中でも実力のある者が揃っているのだろう。
そう思っていた時、女王陛下の言葉に答えたのはリズだった。
「はいはーい、たっだいまー。近衛のみんなも熱烈な歓迎ありがとー」
リズの表情は笑顔だけど、肩を竦めるその仕草からは今の状況をあまり快く思っていない様子が窺える。
そして、周囲の近衛兵の中にもリズの言葉に反応する者はいなかった。
唯一、軽く溜息を吐いたのは女王さまだけだ。
「みな、汝の態度に呆れて声も出ぬようだ」
「うんうん、ごっめんねー! あたし、ほんと王族とか王女さまとかそういうのに向いてないんだよねー。母さまみたいな堅物が大好きな子たちはがっかりしちゃうよね」
玉座に腰掛けるエインラーナ女王陛下の眉根がぴくりと動いた。
「次期女王ともあろう者が口にするような言葉ではないな。斯様な小娘が妾の後を継ぐとなれば、他の者からどう思われるかわかったものではない」
「でしょー? だからさ、せいぜいあたしよりも長生きしてよ母さま。もう500年は生きてるんだから後200年かそのくらい延長したってバチあたんないでしょ?」
女王陛下は指で眉間をほぐした後、天を仰いだ。
相変わらずだな、この親子は。前にミルディアナで対面した時とちっとも変わっていない。
……まあ、陛下の今の気持ちもわからなくはないんだけど、僕にとってはどうでもいい話だ。
このままだと言い合いが続きそうな気がしたから、僕はさっさと話を進めることにした。
「リズと陛下の親子喧嘩ならよそでやってよ。今回は僕たちを歓迎してくれるんじゃなかったのかな?」
周囲にいた近衛兵たちがぎょっとした表情になったのを横目に、僕は続けた。
「ミルディアナで起きた末期の雫事件を解決させたご褒美として美味しいものを食べさせてくれたり、この美しい街を自由に観光させてくれたりさ。そして、僕が帰る頃には両手に収まらないほどの財宝を抱えているとか……そういうものを期待していたんだけど?」
リズが「流石はテオくんだよね」とぼそりと呟き、ジュリアンは「空気読まねえよなこいつ」とぼやいた。
一方、女王陛下はやれやれと頭を横に振ってから言う。
「無論だ。汝の望むことであれば出来得る限りのことはしよう」
「うん、いい答えだ。早速、僕らを歓迎する晩餐会の準備でもしてもらいたいところだね」
僕の無礼極まりない言葉を聞いても黙って堪えていた近衛のエルフの女性が、とうとう我慢出来なくなったのか叫んだ。
「こ、こ、この無礼者!! 女王陛下の御前で何たる言葉――」
「良い。先にも言って聞かせておいただろう。礼儀をわきまえぬ小童が来るが、気にするなと」
「し、しかし、陛下。こやつの言葉はもはや礼儀云々の話ではないかと……!!」
「女王に対する礼儀も何もなっていない者が身内にいるからな。これくらい、どうということもない。それに――このテオドールという者は妾とリーゼメリアだけに留まらず、帝国とミルディアナに降りかかる災厄を見事に打ち払ってのけた、いわば命の恩人。むしろ、女王という立場でふんぞり返っている妾の方が不敬であるやもしれぬ」
ふっと自嘲するエインラーナ陛下に向かい、リズはけらけらと笑った。
「確かにそーかも。母さまもあたしもテオくんにはもっと感謝しないといけないよね。ああ、そうだ。テオくんはエルフの女なら何でもいいみたいだから、まずは手始めに母さまが色仕掛けでテオくんに媚びるっていうのはどうかなー?」
「僕は大歓迎だけど」
部屋の中にいた近衛兵全員から殺意の漲った視線を向けられた。
「――ここにいるエルフたちに暗殺なり謀殺なりされそうだから、そういうことはしないよ。多分ね」
エインラーナ陛下はなかなかに可愛らしい。
実の娘からは散々年増だのババアだの罵られているけれど、エルフとしての美しさや気品に満ち溢れているその様は芸術品のようだからね。
そう思っていた時、傍にいた竜族の少年が頭をがりがり掻きながら言った。
「おい、テオドール。お前がどんな方法でぶっ殺されようがオレには全然関係ねえ話だからどうでもいい。けどよ、お前のせいでこっちにとばっちりが来たらどう責任取るつもりなんだ。いらねえゴタゴタに巻き込むんじゃねえぞ」
「はいはい、わかったよ。ジュリアンはともかく、彼女に危険が及ぶと困るからね」
僕はそう言って、隣で所在なげに佇んでいるクラリスの肩を抱いてみせた。
彼女はぴくりと反応したが、一言も発しないまま俯いている。
それまでリズや僕のことばかり気にしているように見えた女王陛下が、ちらりと金髪の少女へと視線を向けて言った。
「……テオドール。その女子は何者か。ミルディアナでは見かけなかったが、よもや汝の愛人か何かではあるまいな」
「クラリスっていう子なんだよ。可愛いでしょ? せめて、恋人って言ってほしいけどね」
「汝の口からそのような甘ったるい単語が出るとも思えぬが。愛人でなければ、玩具か何かではないか」
流石はエルフの女王さまだ。
僕の性格がどんなものかは大体把握しているらしい。
……噂に聞く限りでは、エルフの王族は心の底を読み取る、あるいは真実を見通す力があるとされる。
ただ、その力も万能ではないだろう。どんな状況でも心を読み取ったり真実を見通せるのなら、そもそもミルディアナでの末期の雫事件はあそこまで末期的な状態にはならなかっただろうから。
対面した相手の心のうちを読む程度か? ならば、今こうして目の前にいる僕のこの思考は果たして読み取られているのか?
僕がこの街に来た最大の理由は、魔族を脅かす存在になり得る女神の手掛かりを得るためだ。
そのためにも、このエインラーナ陛下はもとより、ダークエルフたちにも接触しなければならない。
ただ、他の者がいる前ではこういう話は出来ない。近いうちに、話し合いの場を設けられないだろうか。
――そう、たとえば、夜に女王陛下の寝室で2人きりで話をする。とかね――。
僕はそういう気持ちを込めた視線で女王陛下の薄緑色の瞳を見据えた。
彼女の表情からは何の感情も窺い知ることは出来ない。
少しの沈黙を挟んだ後、女王陛下は僕から視線を逸らして両手をパンパンと叩いた。
「さて、冗談はさておき。みなの者、早速ではあるが晩餐の準備に取り掛かるがいい。今宵は妾とリーゼメリアの命の恩人たるテオドールらを大いに歓迎するとしよう。決して、この者らに不敬な振る舞いをしてはならぬぞ。良いな?」
「「はっ!!」」
女王陛下の号令により、謁見の時間は瞬く間に過ぎ去った。