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第9話「水晶の洞窟」

 僕らがツェフテ・アリア王国の大森林に入ってからしばらく。

 色鮮やかな木々と草花は、まるでこの世のもとは思えないほど不可思議な気配を漂わせながら、先が見えないほど延々と生え揃っていた。

 僕は初めて目にした風を装いながらも、遥か昔、この地を訪れた時の出来事に想いを馳せていた。


 前方を歩くリズは、時折僕らの様子を窺うかのようにちらちらと振り返りながらも歩みを止めることはなかった。

 この国の出身たる彼女にとっては、この不思議な森の光景も見慣れたものなのだろう。特に感慨に耽る様子もない。


 一方、ジュリアンは大森林を興味深そうに眺めながら、あちこちを飛び回る発光体の様子も忙しなく目で追っていた。

 初めて見る光景なのだろうから無理もない。


 そしてクラリスはというと、流石の彼女もこの森の光景には驚いている様子ではあったけど、特に周囲を見回すようなこともない。

 ただ黙ってついてくるだけだったけど、足元がおぼつかない有り様だった。

 だから、僕はクラリスの手を握って転んだりしないようにしていた。彼女は大人しく僕の手を軽く握り返している。


 そんな様子でしばらく歩いていた時、ジュリアンがあたりをきょろきょろ見回しながら言った。


「なあ、さっきからエルフの姿が見えねえけどここらへんにはいないのか?」

「ん、そだね。このへんはあの精霊の術式の近くだし、あんまり近寄らないようにしてる子が多いんじゃないかなぁ。こっからしばらくこんな感じだよ」

「ってことは、他の奴らに話を聞かれる心配もねえわけだな」


 ジュリアンがそう言うと、リズはぎょっとした様子で振り返って「え? なになに?」と警戒も露わにした。

 竜族の少年は、自分の身体の近くを飛び交い、彼が空に向かって伸ばした右手の人差指の周りをくるくる回る黄色い飛翔体――精霊の姿を見ながら口を開いた。


「500年前、ミラの血潮事件が起きた時。こいつら精霊の結界術式は作用しなかったのか?」

「……っ! も、もー、やだなぁ、いきなり思い出させないでよ……。今思い出しても寒気がするんだから」

「この国ではあの事件は禁忌扱いなんだろ? 女王と謁見する前に聞いておきたくてよ。どうなんだ?」


「んー、あたしも母さまやリューディオせんせーから聞いただけだから詳しくはわからないけど、天魔たちは強い魔力耐性を持ってたでしょ?」

「ああ。焼き尽くすのにも氷漬けにするのにも苦労したもんだ」


「当時と最近の天魔がどこまで同じなのかはわかんないけど、精霊の幻想術式も効果がなかったみたいだよ。いくら魔法のように強い術式とはいっても、単体の術式は本当に効果が低いからね……強引に突破されたんじゃないかなって思うけど」

「攻撃的な性質は持ってなさそうだからな。その可能性もあるか」

「迷い込んだら野垂れ死に確定だけどね。元々は人間や獣人なんかを遠ざけるための術式だったみたいだから、天魔みたいなものは想定してなかったんじゃない? まー、あんなのが来るってわかっててもすぐに対策出来るようなもんじゃないと思うけどさ」


 天魔か……。

 末期の雫によって強制的に召喚された天使のなれの果て。

 その召喚術式は、本来の天使の姿を歪ませ、理性も失わせ、力を削いでまで強引に地上へと呼び寄せるものだった。


 あの大規模な事件には黒幕がいた。

 魔術大国出身のギスランと、そして女神という存在が。

 しかし、あのモノたちがミラの血潮事件に続き、今回のミルディアナでの末期の雫事件をも引き起こした理由に関しては未だにわかっていない部分が多い。


 エルフの女王……エインラーナ陛下を殺害することこそが目的の1つには違いないが、それ以上のことがわからない。

 エルフの王族の死は何を意味するのか。

 あのような術式を考えてまで成し遂げようとするほど、大きな意味合いを持つものなのか。


 何にしろ、僕はこの地でもっと情報を得なければならない。

 女神やその配下の者たちのことはもちろん、夜空に輝く赤星の煌めきという天文現象も調べ、黒幕が一体何を考えてこの大陸を混沌へと導いているのかを知らなければ。


 あの女王陛下から、情報をどこまで引き出せるか。

 そして、リューディオ学長の師匠だというダークエルフが何をどこまで知っているか。

 彼女らからもたらされる情報は、果たして僕たち魔族に対して利となるものか。


 テネブラエで、僕は魔王の中でも強硬派にあたる者たちの意見を退けてまで魔族の軍勢による他国への侵攻を食い止めた。

 その結果が何も知らぬ存ぜぬでは、道理が通らない。

 永遠なる魔族の安寧を願うのならば、強硬派の彼らを納得させるだけの理由が必要となる。

 僕はこの地でそれを得ることが出来るだろうか。


 現状ではあまりに乏しい情報を頭の中で整理しながら歩いていた時、周囲の景色に靄がかかった気がした。

 先頭を歩いていたリズが言う。


「あ、こっから景色がまたがらっと変わるからねー。別に害はないんだけど結構驚くかも」


 彼女が言い終えた時には、既に色鮮やかな大森林は姿を消し、僕らはいつの間にか大きな洞窟の中にいた。

 壁や地面からは草花やキノコの代わりに、様々な色をした水晶が生えている。

 巨大なものは、人間の背丈の3倍以上もの大きさを誇っていた。


 それらの発する光が本来は暗いはずの洞窟の中を淡く照らし出している。

 とても神秘的な光景だ。

 人間の国とエルフの国。2国間の違いがよくわかる。あまりにも別物といっていい。


「すげえな。あの森が一瞬で洞窟に様変わりかよ」

「この国は、一歩足を踏み出した瞬間に別の景色を見るハメになったりするからね。観光には最適だよー……ま、入国の仕方を間違ったら死ぬんだけど」


 嫌な観光だ……。

 周囲の水晶とそれが放つ光は何とも美しいけれど。

 さっきの大森林も合わせれば、多少の危険を冒してでもこの光景を見るためにやってきてもいいと思ってしまうくらいだ。


 ただ、足元は結構危ない。

 気を抜いていると、小さな水晶に足を引っかけて――。


「っ……!」

「おっと」


 案の定、僕の隣を歩いていたクラリスが水晶に足を引っかけて転びそうになったのを、僕が支えた。


「大丈夫かい? 危ないから、しっかり手を握ってて」

「……はい。すみません……」


 ぼんやりとしたままのクラリスが僕の手を少しだけ強く握ってきた。

 僕もそれを握り返し、足元に注意を払いながら道を進む。


「しっかし、邪魔くせえ水晶だよな。これ、ずっと放置してんのか?」

「そだよ。放置っていうか、そもそも水晶に手を出すこと自体が厳禁。この国特有の水晶は価値も高いから、欲しがる人は多いんだけどね……女王がまだ母さまでなかった頃からずっとそんな感じ」


「売ったらさぞかし金になるんじゃねえの。どうせまた生えてくるんだろこれ?」

「そういう問題じゃなーい。エルフはお金なんて気にしないの……あ、でもあたしはしょーじきな話、お金は好きか嫌いかって言われたら好きだよ? めっちゃ贅沢したい!」


 僕はすぐにジュリアンが小馬鹿にすると思ったし、リズもおどけた風に言ってるからそのつもりだったんだろうけど、竜族の少年は呟いた。


「金が嫌いな奴なんざいねえよ。帝国と同盟結んで商売してんなら尚更だ。どいつもこいつも金が欲しくて堪らねえのさ」

「んっ? ま、まあ、そうだよねー……」


「あ? んだよ、怖気づいたみたいな喋り方すんな。気持ちわりぃ」

「失礼だなぁもう。ジュリアンくんはそういうのにあんまり頓着してなさそうだから、どうせ馬鹿にされるんだろうなーって思ってたんだけど」 


 僕もまたそう思っていたんだけど、彼はつまらなそうに言う。


「自給自足だけで済んでりゃ苦労はねえよ。ただ、人間だろうがエルフだろうが1回でも金で贅沢を覚えたらそれが恋しくなる。特に生まれ育った環境からして恵まれてる奴は、それが当たり前の状態だ。金がなきゃ生きていけねえ」

「……あたしはこれでも王族だからねー。何にも言い返せないかも。ジュリアンくんはお貴族さまや王族が嫌いなの?」

「ああ、大っ嫌いだよ。金のためなら何でもする奴は特にな」


 そう吐き捨てたきり、彼は何も言わなくなってしまった。

 リズは何だか気まずそうにしながらも、僕たちへの案内を続ける。


 お金か。僕にとってはどうでもいいものだけど、もはやアレがなければ大抵の種族の生活に甚大な影響を及ぼすだろう。

 レナは勇者になる前は小さな貴族家のメイドとして仕えていたけれど、あまり裕福な家柄ではなかったらしく、何かと見下される主人たちがかわいそうだったと言っていたっけ。


 煌びやかな水晶の洞窟をひたすら歩いていくと、徐々に周囲が霞に包まれてきた。

 また景色が変化する前触れだ。

 リズが後ろを振り返って言う。


「はいはーい、ご注目。今までは洞窟だったけど、次は油断すると湖の中にぼっちゃーんだから気を付けてねー!」


 その言葉と同時に、辺り一面が広大な湖へと変化した。

 靄のようなものが漂い、視界はあまり良くないが水面は透き通るような美しさだった。

 そして、僕たちが進む道が湖へと続き、その半ばで途切れてしまっている。


「道がねえぞ。泳いで渡れってか?」

「ジュリアンくんはそうしたら~? 体力つくかもよー」

「つかねえよ。で、どうすんだ」


「慌てない慌てない。もー少しで来るから」

「何がだよ……」


 そんなやり取りをしていると、湖の先に巨大な物影が現れてこちらへと向かってきた。

 それは岸の前まで流れてきて、ぴたりとそこで制止する。


 靄のせいではっきりと見えなかったそれが、木製の船であることがわかった。

 10人近くは乗れそうなほどの大きさだ。

 普通に見かける船のように見えるものの、仄かに魔力を発していることがわかる。


「……この船からは魔力を感じるな。攻撃的なものじゃねえみたいだが」

「そーそー。これは対岸に誰かが来ると勝手に流れてくる船。魔力感知の類の術式だと思うんだけど、そこらへんはあたしもあんまり詳しくないんだよねー」


 リズとジュリアンがひょいひょいと船に乗り込んだ。

 僕はクラリスに言った。


「さ、ゆっくり歩いて。こけて湖に落ちたら大変だよ」

「……はい」


 僕がクラリスの手を引いて彼女が船に乗る手助けをしていると、リズがジト目で見つめてきた。


「サマになってますなぁ、テオくん。女の子をエスコートするのとか、すんごい慣れてそう」

「何を言ってるんだか。クラリスは僕が預かったものだからね。傷でもついたら困るじゃないか」


「ごめん、前言撤回。極悪人だったよ、テオくんは」

「今更なに言ってんだよ。どっからどう見たらこいつが善人に見えるって?」

「善人っていうか、紳士っぽい感じ? でもそんなの上っ面だけで、お腹の中は真っ黒だと思う」


 まったく、散々な言われようだなぁ。

 船の上で座り込んだクラリスの隣に腰掛けて、彼女の肩に手を回してから言う。


「どこからどう見ても紳士だと思うけど? 僕は美しいものは大事にする主義だから」

「胡散くせえ」

「あたしとジュリアンくんがいなかったら、クラリスをどーするつもりなんだかー。ちょっとでもお痛したら船から突き飛ばしてあげる」


 ジュリアンとリズから白い眼差しで見られるものの、僕は気にしない。

 そして全員が乗り終わったと認識したのか、船はゆっくりと対岸へ向けて自動的に進み始めた。


「ところでよ、もうそろそろいい時間だろ? 今日は野宿なのか?」

「ううん。この湖の先にちょうどエルフが作った宿場町があるから、そこで一泊。そっから2日くらいで城下町。その先にあるのが――」


 リズはいきなり立ち上がり、その場で頭を垂れてスカートの端を摘まみながら厳かな口調で言う。


「我がツェフテ・アリア王国の王都にあたる『プロメテーラ』でございます。異邦いほうから来たりし皆々様を、ツェフテ・アリア王国第一王女である、わたくしリーゼメリア・キルフィニスカが心からおもてなしさせて頂きますわ」


 リズはいつもの雰囲気とはまったく違った口上で延べ――途端にどさりとその場に座り込んだ。


「ってーわけだから、よろしくね。みんな」

「似合わねえことしてんじゃねえよ」

「うっさいなー。疲れんだよこれー? はー、バッカみたいで嫌気が差すったらないよー。テオくんもどーせ、似合わないなとか思って腹のうちでへらへら笑ってるんでしょー?」


 気だるげに言うリズに向けて、僕は笑った。


「確かに君らしくはないかもね」

「はー、だからやなんだよねー。そもそもが」


 僕はリズの言葉を遮った。


「でも、いつもの君とは違う魅力があって可愛かったと思うよ」

「……っ。も、もう……」


 リズは顔を赤面させて、僕から視線を逸らしてから「やるんじゃなかった」と何やらぶつくさ言っている。

 そんなリズをじっと眺めていると、彼女は気まずそうにしてから僕に背中を向けてしまった。


 なかなかサマになっていて可愛かったと思うんだけどな。凛々しいほどではなかったけれど、彼女がそこまでの領域に至るのはまだまだ先の話だろう。

 僕はそんなことを思いながら、ゆっくりと進む船旅を楽しんだのだった。

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