第8話「幻想の森」
僕たちがミルディアナを発ってから、2日後。
宿場町を越えた先にあるのは、大森林と呼ぶに相応しいほど鬱蒼とした木々が生え揃う場所だった。
大木の高さは数十メートルといったところ。初めてこの光景を見る者は、誰もがその巨木の高さと多さに唖然とするだろう。
しかし、特別変わった場所のようには見えない。
確かに圧倒的な規模の大森林だけど、他に目立つようなものは何もない。
小鳥の囀りが聞こえ、木々から発せられるむせ返るようほど濃い空気が肺を満たす感覚は心地良いものだけど、それは他の森でも体感出来るものだ。
むしろ、この大森林は迂闊に入り込めば、そのまま野垂れ死にしてもおかしくないと考える者の方が多いだろう。
まるでこの大森林は、よそ者を寄せ付けないような意思があるとさえ感じるかもしれない。
――そう、正にその感覚は正解だ。この大森林自体が『幻想』なのだから。
そして迷い込めば野垂れ死にすると考えるのも、また同じ。何も知らずにこの大森林に侵入すれば、文字通り死ぬことになる。
何故なら、この森に許可もなく入り込んだ者は脱出することすら出来ない。延々と同じ道を歩んだ挙句、力尽きて倒れやがては息絶える。
ただ、僕からすればそれも大した話じゃない。
ツェフテ・アリア王国が大森林に囲まれているのは間違いないけど、この国の大森林は本当はこんなにも『退屈』な光景じゃないんだ。
僕たちは大森林の前に立ち塞がるエルフたちのもとへと歩み寄った。
そこにいたエルフの女性2名が手にしていた槍を僕たちへと向けてから、問いかける。
「何者であるか」
「出自を述べよ」
それを見ていたジュリアンが、つまらなそうに言った。
「この国の奴らは自分の国の王女すら知らねえってか」
「あー……いや、そういうのじゃないんだよね。彼女たちは、あたしじゃなくて母さまが相手でもこんな感じだよ。姿を変えて潜入してこようとする輩かもしれないからって」
リズは気まずそうに言いながら、エルフたちへと近付いていった。
そして、こほんと咳払いをする。
「えー。リーゼメリア・キルフィニスカです。姓の通り、エインラーナ女王陛下の娘。疑うなら確認どーぞ?」
「なれば、確認を」
王女を名乗るリズの姿を見ても表情1つ変えないエルフが言うのをよそに、もう1名のエルフがリズの首筋に槍の刃先を向ける。
少しでも手が滑ったら、彼女の白い首筋が貫かれてもおかしくないほどだった。
槍を向けていないエルフは手に魔力の光を宿らせながら、詠唱を続けていた。
「マジでエルフってのは見かけによらねえよな。どんだけ物騒なんだよ」
「でも面白いじゃないか。自国の女王や王女の姿を見てもああだって言うんだから」
「大袈裟なこった」
僕たちが話し合っていた時、詠唱し終えたエルフがぱちりと指を鳴らす。
その瞬間、リズの目の前に複雑な形をした緑色の文様が浮かび上がった。
「紛うことなき、ツェフテ・アリア王国王家の文様なり……」
呟いたエルフがふぅと息を吐いた後――。
「リーゼメリア殿下ぁ! お待ち申し上げておりましたぁ!」
いきなりリズに抱きついた。
彼女はそんな行動に驚いた様子も見せずに気さくに応じる。
「うんうん、久しぶりー。フィーネは元気だった?」
「もちろんでございますぅぅ! わ、私は殿下がお帰りになると陛下から伺った際には天にも昇るような気持ちでええぇ!!」
リズに抱きついて涙を流しながら喜ぶエルフの女性。
そっと槍の刃先をズラしていたもう1名は、そんな同胞の姿を見て呆れたように言う。
「……フィーネ。他の客人もおられるのだから、あまり醜態を晒さないで」
「うぅっ、ぐすっ! 殿下がご帰還なさるって伺った時にも特に表情を変えない薄情者のあんたにはわかんないわよ、私のことなんか!」
「……はいはい。わかったから。リーゼメリア殿下、大変心苦しいことですが他の方の出自も調べて構いませんか?」
フィーネと呼ばれたエルフとは逆に、あまり感情を表に出さないエルフの女性が言うとリズは頷く。
「うん、だいじょーぶだいじょーぶ。あの金髪の女の子がクラリスっていう見た目通り可愛い人間の女の子。あっちの黒髪ぼさぼさの生意気そうなおチビさんがなんと純血の竜族」
そこまで聞いた時、フィーネが警戒したようにジュリアンを見る。
それはもう1名のエルフも同じだった。
「竜族でございますか!? 純血であれば、ゼナン竜王国出身では……」
「帝国出身だよ。ねえ、ジュリアンくん?」
「……まあ、出身って言われりゃそうなんのかな。生憎オレは実の親の顔も知らないんでね。ずっと孤児として教会で暮らしてたからゼナンだのなんだのはよくわかんねえよ。知識としてならあるけどな」
律儀に答えるジュリアンはしかし、その瞳には剣呑な光を宿していた。
その視線からはエルフへの敵対心のようなものを感じさせる。
フィーネはジュリアンの視線に若干怯みながらも、あくまで決められた作法に則るつもりなのか、こほんと咳払いをして無表情に戻る。
「……では、ジュリアンとやら。私の前まで来なさい。刃を向けられても気にせず。出自を確かめるだけです」
「へいへい」
早速、寡黙なエルフが槍をジュリアンへと向ける中、詠唱が紡がれて彼の前に黒い文様が浮かび上がった。
「竜族であるのは間違いありませんね。ただ、貴方は本当にゼナン竜王国出身ではないのですか?」
「何でそう思うんだよ?」
「この文様には相手の種族のみならず、血筋や年齢なども浮かび上がるのです。貴方の血筋からは……他の竜族とも違う不思議な気配を感じます。15歳というのはまことで?」
「自分の術式が信じられないなら、門番失格だぜ」
「そ、そのようなことはありません!」
「……フィーネ。落ち着いて。どうしたの」
「いえ……何でも、ない。少し気になることがあっただけ。ジュリアンとやら。貴方はもういいです」
「あっそ」
ジュリアンがさっさと彼女たちの前から離れると、次はクラリスが同じように調べられた。
フレスティエ公爵家の令嬢。それも間違いないから身分は問題ないけど、今の彼女の幽鬼のような雰囲気がエルフたちを少し動揺させていた。
そして。
「さて、次はそこの青髪の少年。私の前へ」
「僕はテオドール。……っていう情報だけで他には特に異常なものはないと思うよ」
「それは私が判断することです」
僕の首筋にもまた槍が向けられる中、ちらりと横目に入ったリズが僕を凝視している。
今のリズには僕の『中身』は人間にしか見えないはずだ。
そのあたりは、テネブラエに戻った際にジゼルに再調整してもらった。
フィーネの詠唱が終わると、僕の目の前に青い文様が浮かび上がった。
それを見たフィーネが言う。
「これは珍しい。オルフェリアさまの加護を受けておられるのですね。……その見事な青髪と、女王陛下から伺ったお話にも聞いてはおりましたが驚きました」
「みたいだね。それで?」
「まったく問題ありません。どうぞ、ご通行を」
「おい、ちょっと待てよ。そいつの出身は帝国なのか?」
ジュリアンが早速噛みつくが、フィーネは少し困惑したように返す。
「……オルフェリアさまの加護の力が大き過ぎるのです。明瞭な出身や血筋など、私の力如きでは測ることすらままならず。それに何より、オルフェリアさまの加護が邪悪な者に宿るはずなどありません」
「ちっ。役に立たねえ」
「リーゼメリア殿下ぁ! 何なのですかこのジュリアンとかいう小さい竜族はぁ! 私、何かしました!? 何で初対面なのにこんなに罵られるんですかぁ!?」
フィーネが再びリズに抱きつきながら言う。
それを支えてよしよしと頭を撫でてから、リズは苦笑した。
「あはは……ジュリアンくんは普段からあんな感じだから気にしないで」
「ぐだぐだしてんじゃねえよ。さっさとこの森の幻想を解除しろ」
おや? ジュリアンもこの森のことは知っていたみたいだね。
フィーネはリズに宥められながら鼻を啜り、同僚と思しきエルフから呆れられた眼差しを向けられている。
彼女はジュリアンからの殺気にも近い視線に怯えながらも伝えた。
「それでは、貴方がたの出自も身分も把握致しましたので……大森林の真の姿をお見せしましょう」
その後、フィーネは独自の言語――エルフの間でのみ使われる言葉で、まるで森の中に潜む何かに告げるかのように叫んだ。
一瞬、地面が揺れた気がした。そう思った時には、目の前の光景は一変していた。
見渡す限り、巨木が生え揃っていた大森林とはまったく違う、ツェフテ・アリア王国を囲う真の大森林が姿を現したのだ。
大木は、赤、青、橙と様々な色をした木の姿へと変じ、その大木に生えるのはそれぞれの木と同じ色の葉だった。
それらの葉が明滅し、色鮮やかな光が大森林全体を淡く照らし出す。
そして、落ち葉や小枝が落ちていただけの森の地面は更に様相を変えた。
ところどころから、青や紫色の水晶が生え、それらが発する不思議な光が見る者の心を癒やしてくれる。
ただの雑草にしか見えなかった草は、光を放つ花へと変じ、様々な色に発光するキノコが周囲に生えている。
そして僕らの周囲を、手のひらに収まるほど小さいモノが発光しながら飛び交う光景を目の当たりにする。
鬱蒼とした大森林は、たちまちのうちに鮮やかな光沢を放つ不思議な森林となってしまった。
僕はこうなることを知っていたけれど、あえてリズに問いかけた。
「噂話程度には聞いていたけど、凄い光景だね」
「んー。そっかな? まあ、エルフにとっては普通でも他の人から見れば珍しいのかも」
「ところであの大森林はどうなってしまったんだい?」
「あれはこの森に住む精霊たちが使っている魔術なの。塵も積もれば山となるみたいな感じで、精霊たちが一斉に魔術を使うとそれは強大な力を持つ魔法に匹敵する幻想の術式となるって感じ。あの大森林は地続きなように見えて、実はこの世のものじゃないから迂闊に入り込んだら……まあ、精霊の気まぐれがない限りは生きて出てこられないかも。ぶっそーなんだよ、要するに」
「なるほどね。精霊たちはどうしてそんな幻想を?」
「外敵から身を守るためだよ。ほら、エルフって弱っちいじゃん? リューディオせんせーみたいなやばいのはほんの一握りで、後は攻性術式すらまともに扱えない子ばっかりで。……まあ、例外もいるっちゃいるけど、基本はそんな感じだからエルフと精霊はお互いを護るためにこういう幻想を見せる術式の中で隠れて暮らすようになったわけ」
「人間と同盟関係を結んでなお、その警戒が解かれることはないのかな?」
「うーん。そんなとこ。といっても、最近は精霊たちの力が弱いからなのか、昔みたいに常時術式を張ってられるわけでもないんだよね」
それを聞いていたフィーネが溜息を漏らす。
「最近では、本来の森の希少な薬草や水晶を手に入れるために賊が入り込むことも稀にあるのです。大森林の幻想術式を張っている時ならともかく、そうでない時にはいらぬ争いの種となってしまいます故、私たちは警護を続けています。……では早速ですが、殿下」
「あ、ごめんごめん。ほらみんなもう行くよー! 精霊たちの術式はすぐに元に戻っちゃうから早く早く!」
あの常時張られていた大森林の幻想が、今では機能していない時があるのか。
昔では考えられないことだ。あの大森林の幻想こそが、人間とエルフを隔てる大きな壁にもなっていたんだからね。
……一体、今までに何人があの幻想に呑まれて死んでいったのか。
リズが言うように、この大森林の本当の姿は煌びやかなれど、物騒なものに変わりはない。
僕たちは、少し急いで歩を進めた。その最中、最後尾をふらふらと歩いていたクラリスの手を取った僕が、再び大森林の幻想が戻るのを目にする直前。
フィーネともう1名のエルフがこっそりと囁き合っているのが聞こえた。
「あの竜族の子、一応陛下にお知らせしなきゃ」
「……何が見えたの」
「見たことがない文様だから困ったのよ。ただ、あの複雑さはもしかしたら貴族――」
そこで会話は完全に聞こえなくなってしまった。
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