ヤフコメ。賛否両論がない世界。
われわれは森羅万象をあまねく把握しているわけではないので、どのような遠近法で世界像を描いているのか、そこを意識しなければならない。人間には認識能力の限界がある。近くにあると大きく見えて、遠くに有ると見えない。このインターネットには無数のページがあるが、それらは等価ではない。上位表示されたものが眼前に迫り、下位に追いやられたページは見えない。そういう遠近法の世界にいる。ヤフコメでは賛成と反対が9対1くらいの投稿が上位を占める。プラスがついた意見はどんどん上に上がり、マイナスがつくと沈むわけである。上位の投稿も、下に沈む投稿も、両方ともインターネットには存在しているが、人間は全ページを見ないので、当然ながら上位だけ見ている。下位表示は削除されたのも同然である。ヤフコメは一言で言えば減点法である。ヤフージャパンはポータルサイトとしてずいぶん覇権が長いし、それなりのお金儲けのノウハウはあるのだろう。賛否両論で干戈を交えるとギスギスしてストレスが溜まるのかもしれない。ネットユーザー同士の揉め事は意外と恨み骨髄に入るので、廃れる原因であるから、意図的に一方的にしているのかもしれない。何らかの話題について、実際の世論的に6対4くらいの賛否だとしても、ヤフコメのアルゴリズムを通すと9対1になる。トップに表示された衆愚的な投稿にたくさんのプラスが付くと全能感があるのかもしれないし、ポータルサイトの顧客満足度としては優れているのだろう。なんにせよ、われわれはすべてを見ることが出来ないので、どういう遠近法の世界にいるか、なのである。ツイッターはよくエコーチェンバーと言われて、自分と趣味嗜好が似通った人間のエコー(やまびこ)が聞こえる世界と言われる。ツイッターの投稿は、ヤフコメのように上位表示/下位表示という遠近法はないが、自分と同じ意見が表示されて、それぞれの宇宙がある。賛否両論が消されていることは同じである。では、賛否両論を知ることで、われわれの叡智が深まるかと言うと、それはなんとも言えないし、対立派が何を言うか、だいたい想像の範囲である。対立しているからこそ攻撃防御のパーターンが決まりきっている。十年一日のごとく同じような組み手争いをするよりは、賛否両論を消したほうがよろしかろう、という気もする。