石破茂のファッションセンスは退屈を救ってはくれない
休職中でやることのない私は、友人のポストをチェックしていた。今日もインターネットは新しい総理大臣、石破茂のモーニングからでっぷりとした腹がのぞいているとか、眼鏡に新品のシールが貼ってあるとかそういうことで盛り上がっているらしい。おそらく純朴で愛すべきその友人みたいに、今までの人生でインターネットを見すぎていなければ、少し……コーヒーを飲み終わるくらいまでは楽しめたであろう話題だが、今の私にはすべての話題がくだらない喧騒にしか感じられない。そう、インターネットを見すぎてしまったがゆえに、新鮮味のあるはずの話題にもどこか既視感を感じるようになってしまった、そういうことだ。
行き場をなくした親指はつるりとしたスマホの画面上をスライドし、人々の怒り、嘲笑、その他にまみれた投稿を上から下へと押し流していく。世界情勢なんぞは石破茂のファッションよりは内実がある話題であろうが、くだらない話題はくだらないとはいえ、刺激が強すぎる話題もこれまた気持ちが沈んでいるときにはふさわしくないのであった。私の脳内に存在するシナプスという名前のちびっこたちは、ちびっこだけあってえり好みが激しいやつである。
……人生がつまらない。これも、いってしまえばつまらない、インターネットの片隅に見つけたものだが、「つまらねえつまらねえってお前の感受性がつまらないからつまらないんだよ」といったような内容の漫画のコマを思い出す。そんなものを思い出したところで今更心がえぐられるような純粋さも持ち合わせていなければ、そのナイフでもって自分で心をえぐりに行くだけの体力すら残っていない。ただただ10月に入ってもしぶとく残り続ける残暑が体にまとわりつくような、倦怠感だけを友として横たわりつづける。扇風機の風が体の上を撫でていって、機械的な首振りでもってそっぽを向いていく。扇風機ですら私と向き合い続けてはくれないということか、などと感傷的な気分に浸ってみる。
仕事をしていたころのほうがしていないよりは少しは楽しかったかもしれないが、そう発言することで皆さんの脳裏にかすめるであろうまぼろしのように「仕事が大好きです!」と目を輝かせるだけの体力も気力も残念ながら持ちあわせていない。ただ感受性が死んでいるので、プライベートとは違って遂行に感受性なんてものがほとんど求められない仕事のほうがマシってだけである。
さてと、ここまで一息に書いておいてなんだが、こんな文章を生み出したところでなんにもならないのである。こんなものはそれこそ石破茂のファッションセンスがどうとかいう話題よりつまらない、三流雑誌のコラムにすらならない、トイレットペーパーと一緒に利根川にでも流しておいたほうが良い内容であるが、あいにく一人で孤独にふんばるだけの我慢強さも残っていなかった。
扇風機の首が回り切った後、確かな風音を立ててもういちどこちらに向かってくる。このシニカルな気分を一発気分爽快にしてくれるわけでもないどころか、残暑に対する効果も限定的なのに、たいそうな音を立てて押しつけがましい風だな。まるで、読みたくもない愚痴をわざわざ全世界にばらまいているこの文章みたいだ。
休職期間はあと一か月もある。
人生はおそらくもっと……数えたくはないな。
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