第7話「ミルディアナの地にて~後編~」
リズとクラリスを見送ってから、僕は再び総司令官室に向かった。
そう時間はかからないと言われていただけあって、リューディオ学長のお師匠さまへの紹介状はもう出来上がっていた。
手紙の封蝋には学長の家の家紋であるらしい、二振りの剣の上に双頭の鷲が描かれているという複雑な意匠のものが使われていた。
「ありがと、学長。でも、その肝心のお師匠さまはダークエルフだとしか聞かされていないけど」
「『アミル・セルジェスタ』。それが彼女の名です。キルフィニスカ女王陛下に謁見した際に名前を口にすれば、よくわかるかと……ええ、面白いくらいに」
含み笑いを漏らすハーフエルフは、またしてもろくでもないことを考えていそうだった。
「我が師には魔導の才もありますし、各国の歴史や風土、宗教、果ては天文学に至るまで私よりも遥かに知識がある。優れた才女ですが、まあやはりと言うべきか、そういう傑出した者には得てして共通事項があります。曰く……」
「僕のことを見ながら言わないでよ……まるで変人だとでも言いたげだね。そっくりそのまま学長に返すよ?」
「それだけで済めば良いのですがね。まあ、会えばわかります。一筋縄ではいかないお方なので、くれぐれも気を付けるように」
何を考えているかよくわからないダークエルフの中でも、更なる変わり者か。
さて、どんな性格の持ち主なのやら。この学長がここまで言うからには、相応にいい性格をしているんだろう。今から楽しみだ。
「時にテオドール。見えないものを見えるように振る舞うというのは、なかなか大変なことだと思いませんか」
学長が突然、妙なことを言い出した。何かの謎かけか?
見えないものを見えるように振る舞うか。
……デュラス将軍がレナの存在を言い当てた時のことが真っ先に思い浮かんだ。
「確かに大変だね。その見えないものが何なのかにもよると思うけど」
「そうでしょう。本当に見える者からしたら、そのような振る舞いは滑稽にしか思えないでしょうから」
デュラス将軍の場合は、その見える者自体もまた彼の味方だったわけだけどね。
もっとも、僕には彼の背後にいる存在が何者なのかは本当にわからなかった。
姿を隠していたレナを見破るばかりか、素性すら知っていたのだから計り知れない存在なことは言うまでもない。
「では……逆のことを問いましょう。見えるものを見えないように振る舞うというのは、それ以上に大変だとは思いませんか」
「質問の意図がわからないな。……僕の背後に誰か見えない人でもいるとか?」
「いいえ、何も。深く考えなくていいのですよ。私はただ単純に貴方の答えが聞きたいだけですから」
当然だけど、この部屋にレナはいない。
彼女が僕に告げずにこっそりとこの部屋に入り込んでいるなら別だけれど、そんなことをして下手にこの学長にバレたら大変なことになる。
だから、この部屋には僕と学長しかいない。
これもまた素直に答えるしかないだろう。
「そうだね。たとえば、僕だって学長が見えるのに見えない風を装うのは大変だと思うよ。話しかけられただけでもボロが出そうだ」
「いやはや、まったくその通り。私も貴方が見えないように振る舞うことは出来そうにありません」
「……リューディオ学長。僕はあんまり回りくどいことは好きじゃないんだけど」
「別に貴方を引っかけようなどと考えて言ったわけではありませんから、心配せずとも大丈夫です。それはそれとして、貴方にはこれを見て頂きたい」
学長は執務机の引き出しから、小瓶を取り出した。
中にはぶよぶよとした緑色の何かが入っている。
「見覚えがある気がするね」
「ええ、これは高等魔法院が崩落した後も生き残っていた例の『末期の雫を造り出す魔導生物らしきモノ』のなれの果てです」
巨大な緑色の体躯をした単眼の化け物のことを思い出した。
地下で見かけた2体は生きたまま確保して学長に任せたけど、その後はどうなっていたんだろう。
学長が語る。
「アレらはエルフにしか興味がない。人間がいかに近付いたところで何の興味も示さず、およそ食物といえるほとんどの物に対しても一切の反応をせず。しかし、少しでもエルフが近付くと耳障りな咆哮を上げて貪欲なまでの食欲を見せるのです」
「……あの生物は今は?」
「死にました。まさかエルフを食べさせるわけにもいきませんからね。この小瓶に入っているのは、あの生物の死骸の一部です」
学長は端的に言うと、小瓶を僕へと差し出した。
それを受け取って懐にしまう。
「これをどうしたらいいんだい?」
「アミルさま……我が師へ渡してください。これが果たして一体何なのかを調べてくださるはずです。ですが、決してキルフィニスカ女王陛下には知られないように」
「ふぅん……まあいいよ。僕もこれが何なのかは気になっていたし。報告はまたここに戻ってからでいいかな?」
「ええ。また会った時にでも」
学長は顎を擦りながら瞼を閉じて「うぅん」と唸る。
「そういえば、テオドール。この街に帰還して見て回ったミルディアナの景観について、どう思いますか?」
「結構いい具合に復興が進んでるんじゃない? しばらく時間はかかるだろうけど、また以前のような学術都市という名に相応しい街並みに戻れると思うよ。何か気にかかることでもあるのかな?」
「いえいえ。細かなことに目を瞑れば、私もそう思いますよ。早く元通りになってくれれば良いのですが」
学長はひらひらと手を振った。もう帰っていいということだろう。
僕は了承して、踵を返して部屋を出た。
……何もわかっていないのを装いつつ。学長が僕に何を問いかけたかったのかは、何となく察しがついていた。
夜遅く。僕は軍学校の寮の自室で、早くもツェフテ・アリアに向かうための準備をしていた。
その時、扉がノックされる。こんな時間に訪ねてくる相手なんて彼女しかいないわけだけど、一応いつものように返事をする。
「開いてるよ」
扉をすり抜けてきた目に見えない者が、すぐに正体を現した。
長い銀髪とメイド服が特徴的な我が愛しき妻は、少しだけ表情を強張らせながら言った。
「ルシファーさま。少々、大事なお話が」
「――ああ。私も少しお前に訊きたいことがある」
レナの話は予想通り、このミルディアナに潜んでいる者たちのことだった。
「姿かたちは、私にはあやふやにしか見えませんでしたが……人間とトカゲが交じったような得体の知れない生物に思えました」
「なるほどな。そんな者がこの華やかなりし都に群れ潜んでいるとは……一体いつからなのか」
「正確にはわかりかねますが、少なくともルシファーさまがグランデンへと出立した後なのは間違いございません。それまではあのような者たちの気配は感じ取れませんでしたから」
先にリューディオ・ランベールが口にした街の景観についての他愛ない話。
アレは間違いなく、その奇怪な生物とやらに関連しているだろう。曰く、『お前はあんな化け物共が群れている光景を見て何も思わなかったのか』と問いかけた。
奴にもまた、その生物の姿を捉えることが出来たと考えて間違いない。
「恐らくは高度な隠密術式でも用いているのであろうな。お前の魔力を以てしても不鮮明にしか視えないというのは興味深い」
「……力不足を恥じ入るばかりにございます。本来のルシファーさまはもちろん、ジゼルさまのような力が私にもあればもっとはっきりと視えたに違いないのですが。でも、今はもうどこからもあの気配は感じられません」
「何も気にすることはないだろう。アレらから殺意や敵意を感じることはなかった。既にこの地にいないのであれば目的を果たして帰還でもしたか……。いずれにせよ、私の邪魔にならなければどうでもいい」
そう伝えたものの、レナは悪寒が走ったかのように自らの身体を両腕で抱いていた。
よほど不気味に感じたのだろう。
それが数えきれないほどいたとなれば、無理もない話か。
私はレナの身体を抱き寄せ、優しく背中を擦った。
何も言わずに甘えてくるように身体を押し付けてくる愛妻の感触を堪能しながら、私は他の話題に切りかえることにした。
「黒い翼の天使……ですか」
「うむ。あの中将の師の弟、だったか。その者の傍らに常に控えているらしい」
「私はまだ帝国で暮らしていた頃、レスタフローラ聖王国出身の者と話す機会が何度かありましたが……そのような天使の話は一度も聞いたことがありませんね」
「500年前の軍学校の授業でも扱われていなかったか?」
「ええ。そもそも、天使という存在は純白の翼を持つのが当然と。天使の性別を問わず、その美しい翼に恋焦がれる者が多かったです」
「ルミエルからもそのような存在がいると聞いたことはない。……その天使の翼は元から黒かったのか、最初は純白であったのか。興味深いところだ」
そう呟くと、レナは無言で私の肩に頭をぐいぐいと押し付けてきた。
……こいつにとっては、天使といえばルミエルの印象が強いのだろう。
「何だ、嫉妬でもしているのか?」
「私は何も申し上げておりません」
拗ねたように言うところがまた愛らしいものだ。
その銀髪の頭に鼻を寄せ甘い香りを嗅ぎながら、手で長い髪を梳いた。
レナは私に身体を預けながら、指先で胸板をくすぐってくる。
明日からはまたしばらく身体を重ねる機会はない。
このまま今晩は情欲に身を任せたい気分になりながらも、私はもう1つのことを切り出した。
「レナ。また気味の悪い話をしてやろう」
「ふぇっ!? な、何を……?」
突然のことに驚いたレナが問いかけてくる。
私は中将から託された末期の雫を造り出した魔導生物の死骸の話をした。
「――というわけでな。黒き翼の天使もそうだが、こちらもまた気にかかる要素だ。小瓶に入れられた肉片程度でどこまでわかるかは知らんが」
「ルシファーさまは意地悪です……」
「どうした? お前が不気味なモノの話に震え上がり、私に抱きついてくるよう促してやったつもりなのだが」
「私は……私はただルシファーさまと穏やかに愛を囁き合う時間が欲しかっただけなのに、あんな気味の悪いモノの話を蒸し返されて困惑しきりです! そんな話はさっさと終わらせてから愛でてください!」
レナが私の肩にごつんと頭を押しつけた。
……妙な痛みが走ったぞ。またひびでも入ったんじゃないか。
猛獣どころか、魔獣にじゃれつかれている気分だ。
レナはその濃紫色の瞳に不満を浮かべながら、私をじっと見据えてくる。
どんと両胸を押され、私はベッドに倒れ込みレナが圧し掛かってきた。
「ルシファーさま、今から犯される気分はいかがですか」
「……もう用件は済んだ。好きにしろ」
「『好きにしろ』? かしこまりました。“また”足腰が立たなくなるくらいめちゃくちゃにして差し上げます」
「いや待て……それは明日の行動に差し支える。少しは加減しろ」
レナはくすりと笑って、押し倒した私の顎を指先で持ち上げた。
「そもそも『しろ』と命令しているルシファーさまは何様のつもりですか? まさか、こんな貧弱な身体で魔王さまとでものたまうおつもりで?」
「お前こそ、何様……」
ああ、そうか、こいつは。
「私は勇者さまです。こんなにか弱い自称魔王さまを、猫がネズミを弄ぶそうに嬲る、誉れ高き勇者さまですよ?」
――少々挑発が過ぎたか。
やれやれ、私はまた今晩も犯される。
早朝に寮の自室から出た僕は、よろめきながらも集合場所である軍学校の正門までやってきた。
既に到着していたリズが僕の様子を見てぎょっとする。
「えっ……ちょっと、テオくん? だいじょーぶ……?」
「……うん、平気。至って元気だよ」
僕はそう言いながら、門に寄りかかるようにして座り込んだ。
「そんな死ぬ5秒前みたいな顔で元気だなんて言わないでよ。どしたの、テオくん。まさか具合でも悪いとか? キミに限ってそんなことないよね? いっつも元気で謎な方向にやる気満々なテオくんが、こんなしなびたお花みたいになって……えーっと、何なの?」
「何なのって言われてもちょっと……。大丈夫、しばらくすれば回復するから」
リズが奇妙な動物を見つけたかのように僕を凝視している中、彼女の傍に佇んでいた金髪を右側で結った少女が僕を朧な眼差しで見つめてから、首を傾げた。
「テオドール……? 大丈夫、ですか」
「うん。いや、元気なのは本当だよ。ただちょっと足腰が……ね」
既にミルディアナの関所の外で待機しているであろうレナを若干恨めしく思いながらもそう呟いた時、軍学校の方からジュリアンが歩いてきた。
若干眠そうに瞼を瞬いていた彼は、僕の様子に気付いて言った。
「何やってんだ、お前」
「なんか知んないけどテオくん元気ないみたい。天変地異の前触れかなー?」
「縁起でもねえ……。最近ただでさえ厄介事が立て続けに起こってんだ。これ以上面倒なこと増やすなよ」
心配する様子をカケラも見せないまま、ジュリアンはさっさと関所の方に向かっていってしまう。
リズは胡散臭そうに僕を眺めた後、はぁと溜息を吐いて手を差し出してきた。
「立つのもしんどいんでしょ? ほら、手出して」
「ありがと、助かるよ……」
リズの手を借りて、彼女に寄りかかるようにして立ち上がる。
すると、彼女はうーんと唸りながら言った。
「別に体温は普通だし、呼吸も脈拍も問題ないよね。腕の力も普通だったし……なになに? もしかして、具合悪いの装ってあたしに甘えたくなっちゃったとか?」
「……」
「冗談のつもりで言ったのに。ノってきたら突き放してやろうかなーってさ」
僕が何も言わないままでいると、彼女は僕の身体を労わるように肩をぽんぽん叩いてきた。
「……ほんとにしんどそうだし、仕方ないから付き合ってあげる。なんなら、おんぶしてあげよっか? お姫さまだっこでもいいけどー?」
「流石に恥ずかしいな。肩を貸してくれると嬉しいんだけど」
「しょーがないなー。ほら、早く行こ。ジュリアンくん、下手したらあたしたちのこと置いてどんどん先行っちゃいそうだし」
僕が頷くと、リズは傍にいるクラリスに向かって言った。
「ね、クラリスは平気? 歩ける? 無理そうだったらテオくんなんかそこらへんに捨ててから手貸すよ」
「……大丈夫、です。それより、テオドールをしっかり見てあげてください……」
「そっか。ならいいんだけど。ほら、テオくんー? クラリスにも気を遣わせて恥ずかしくないのかなー?」
「ごめん……今は本当に」
「ほんとーに調子狂うなぁ……。でもまぁ、たまにはテオくんの弱ってる姿を見るのもそれはそれで面白いかも。どーせ放っておけばそのうち治るんでしょ?」
リズからややぞんざいな扱いを受けながらも、僕たちはミルディアナの街を出るために関所へと向かった。
途中で僕たちが遅れに遅れたことに対する苛立ちを隠そうともしていないジュリアンと合流し、僕らはいよいよエルベリア帝国南方ミルディアナ領の外へと足を踏み出したのだった。
ここから先はエルフたち、ツェフテ・アリア王国の領域となる。
本日はガガガ文庫の公式発売日となりますが、ブックスは少し遅れる形となります。
恐らく都心やその他一部店舗でのみ、本日中に本作の2巻も出回るかと思いますが基本的には10月21日発売です。(通販はサイトによって異なります。電書は全サイト21日で確定です)
一応、本日も告知しておきます。
加筆修正が全体の半分ほどにもなり、なろう版とは別物ともいえる物語となった第1章がこの2巻にて完結となります。
よろしくお願い致します!
また、活動報告にて、エインラーナ・キルフィニスカのキャラデザと挿絵を公開致しました。
幼い容姿ながらも、高貴さや凛々しさのあるエルフの女王さまといった仕上がりになっております。
是非ご覧くださいませ。
ドラマCDの詳細の発表は未定です。(多分来月…?)
恐らくそんなにかからないかと思われますが、もう少々お待ちくださいませ。