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第6話「ミルディアナの地にて~中編~」

 僕はミルディアナの軍学校を久しぶりに見て回った。

 あの事件から2ヶ月以上経ち、少しは落ち着きを取り戻した学生たちが賑わいを見せていたけれど、僕の姿を見た瞬間に凄まじい勢いで逃げ出す生徒がいた。

 ……まったく、情けないな。


 早々に軍学校に見切りを付けて、街中へと繰り出す。

 まだまだ街の復興への道は遠そうだけど、少しずつ景観が元に戻っていっているように思えた。

 街路では既に露店が設けられ、以前とほとんど変わらない活気に満ち溢れている。


 こうしてこの街を歩いていると、テネブラエからこの地にやってきた時のことを思い出す。

 陽光降り注ぐ学術都市の光景は、なかなかに壮観なものだった。

 人間として振る舞うためにレナに散々レクチャーされてきたけど、うっかりボロを出してしまわないように細心の注意を払っていたっけ。


 まずは普通の人間として街中を歩いて、店を回ったり、宿を取ったり。

 その後は人間と会話が出来るかどうか、実際に何度か試してみたけど特に問題はなかった。

 それからは確か、レナにクレープを買ってあげたんだったかな……と思っていると。


「クラリス、クレープ食べない? 甘くて美味しいよ~」

「……」


 かつて僕がレナにクレープを買ってあげた店の前にリズとクラリスがいた。

 明るく振る舞うリズとはよそに、クラリスはただ黙っているだけ。

 最近ではこれが日常になりつつある。


「ねね、おばさん! クレープ2つちょうだい!」

「おや? リズちゃんじゃないの、久しぶりねぇ。しばらく見ないから心配してたのよぉ」

「あはは。実はちょっと西方領に短期留学みたいな形で出かけてて、やーっと帰ってきたのー。でもさ、ちょっと聞いてよ。今度はあたしたち、ツェフテ・アリアに行かなくちゃなんなくてー」


 リズと店主のおばさんが世間話をしている間、クラリスはぼんやりと佇んでいた。

 ミルディアナの地に来れば、誰もがこの街の大きさや人の往来の多さに驚くところなんだけれど、彼女にとってはもはやそういうものもどうでもいいものらしい。

 店主のおばさんがそんなクラリスに気が付いて心配そうに声をかけるのを、リズが慌ててごまかしたりしていた。


 さて、僕もまたあの輪の中に入るべきかどうか。

 そう考えていたのはさっきまでだ。今は違う。


 ――視線を感じる。

 何者からの視線なのかを察するのは、この身では難しい。

 ただ、このミルディアナの街路のどこかから、複数の視線が僕を捉えていた。


 何だこれは? 歪な感じに思わず眉をひそめた。

 本当に人間の視線なのか? その視線の気配はどんどん増えて、数人や数十人どころではなく、数百や一千にも迫るような瞳に見つめられている気がした。

 もちろん、往来の人々から向けられる視線はあるがそれは普通のものだ。僕の髪の色に少し驚いた様子を見せる人もいるくらいだけど、そんなものはもう何度も感じている。


 それにこの視線の数は、道を行き交う人々の数よりも遥かに多く感じた。

 なんとなく覚えのある感覚な気がしないでもない。だが、それは一体何だったろうか。

 人でも、獣でもないような。もちろん、エルフや竜族ですらない。もっと異質なもの。


 しばらく考えていると、ふと似たようなものを思い出した。

 ――これは、あのベルゼブブの配下にあたる蟲たちの気配に似ている。蟲の眼に見つめられているあの感覚に似ているんだ。


 魔族の中でも蟲の魔族たちの感情を察するのは極めて難しい。種族によっては、そもそも感情というものがない者たちも存在する。

 その見た目の醜悪さと得体の知れない気質から、彼らを毛嫌いする者は多い。ルミエルやレナは特に苦手だと言っていた。

 僕も好きこのんで接しようとは思わないが、ジゼルは感情のある個体を見つけては手懐けるのを得意としている。彼女が言うには、大抵の個体には微弱ながらも感情が存在するらしい。


 もっとも、それはあくまでもあの爺の配下の話に過ぎない。

 ベルゼブブが僕を監視するなら、こんな方法を使わずとも千里眼で見ればいいだけのはず。

 僕を見つめているのは、あくまでも蟲の気配に似ているだけの者たちだろう。しかし、心当たりはない。


 この場にレナがいれば正体を探らせることも出来たけど、学長と話している間はなるべく彼女を遠ざけておきたかったから今は別行動中だ。

 僕は何気ない風を装って、街路のあちこちを見やるものの、当然こちらを見つめ続けている者たちの姿は見えなかった。

 何が目的だろう。グランデンで正体を晒したことが知られたか……?


 その時、一千をも超えるような視線の気配が一斉に僕から逸らされた。

 それは僕より少し前方にいる、2人――リズとクラリスへと向けられたような気がする。

 見た限り、彼女たちがこの異様な気配に気付いている様子はない。


 見つめていても、殺意を抱いているわけではないようだ。

 ただじっと観察しているだけのような、気味の悪さだった。


 しかしもうソレらは僕を見てはいない。気配も感じられなくなった。

 僕は逡巡した後、彼女たちに話しかけることにした。


「やあ、2人とも。奇遇だね」

「ん……はぁ、テオくんとは腐れ縁ってやつなのかな~」


 両手にクレープを持ったリズが何とも言えないような表情をして固まる。


「前は君の方から積極的に絡んできてくれたと思うけど」

「んー、百年の恋も醒めた可能性がなきにしも非ず、みたいな?」

「いきなりそんなことを言われたら寂しいよ。君は最近、いつもクラリスにばかり構ってて僕のことを見てくれないから」


 そんなことを言いながら、僕は露店の店主のおばさんにクレープを注文する。


「あら、確か前にクレープを2つ買っていった子じゃないの。久しぶりねえ」

「よく覚えてたね、久しぶり。今日は1つでいいよ」


 僕がクレープを受け取って代金を支払うと、リズがこそこそと話しかけてきた。


「テオくん、ここに来てまで話を蒸し返したりしないでね……ほんと、お願いだから」

「何を勘違いしてるんだか知らないけど、僕は別にクラリスをいじめたいわけじゃないよ」


 僕は、リズから受け取ったクレープを両手で持ってそれを黙って見つめているクラリスに言った。


「それじゃ、ここで話すのもなんだから場所を変えよう。リズならミルディアナのどこがいいスポットか知ってるんじゃないかい?」

「これからクラリスと一緒にデートするつもりだったのにな~。ま、いいや。ちょうどいいところがあるから、そこに行こ」


 リズが先導する中、僕はクラリスに話しかけた。


「ここに立ってるのもなんだし、リズについていこうよ」


 黙っているクラリスの肩を抱いて、少しだけ強引に歩かせた。

 僕はふと周囲の様子を確認する。

 無数の視線の主たちの気配は、もうどこからも感じられなかった。




 リズに先導してもらった先は、ミルディアナに流れる河川にかかる橋の下の通路だった。

 欄干に手をかけて、穏やかに流れる河を見下ろす。水も透き通っていて、魚が泳いでいる姿が見えた。

 橋を渡る人は多いものの、その下にはほとんど人通りがなかった。心を落ち着かせるにはなかなかいい場所だろう。


「んー、やっぱミルディアナのクレープは甘い! グランデンの甘さ控えめなクレープも良かったけど、あたしはこっちが好きかなー」


 クレープを頬張って満足げに言ったリズは、クラリスにも食べるよう促した。


「ほらほら、クラリスー。かぷって行っちゃおう! とろけるような甘みが堪らないんだよー!」

「……」


 僕は欄干に肘を乗せてクレープを食べながら、ただ彼女たちの行動を見つめていた。

 最初は遠慮していたクラリスだったけど、ここのところまともに食事もしていなかったからなのか、ただリズに根負けしたからなのかはわからないが、ゆっくりとクレープを食べた。

 しばらく頬を動かしていたクラリスは、ぽそりと呟いた。


「……甘い、です」

「ね? ね? おいしいでしょー。ミルディアナには他にも色々甘くておいしいものがあるんだけど……んー、他のものを紹介する暇はなさそうかな。早くあのおばばのところに行かないと後々うるさそうだし……あ、でもでも、ツェフテ・アリアにはもっとおいしいものが――」


 リズが喋っている最中、クラリスはもう一口だけクレープを食べた。

 ゆっくりと頬張っていると、俯きがちだった彼女の瞳から一筋の雫が流れた。それがクレープに落ちたのを見て、リズがぎょっとする。


「ど、どどどしたの? クラリス? お、おいしすぎて感動しちゃったー……なんて感じ、かな?」


 完全に混乱しているリズがあたふたとする中、クラリスは鼻を啜った。


「甘い……。甘い……です」


 クラリスは両目から涙を流しながら言った。


「イリア一等兵にも、エリック二等兵にも……みんなに、も……食べさせて、あげた……い」


 かつての部下たちの名を呼びながら、彼女はすんすんと鼻を鳴らして泣いていた。

 リズはかける言葉が見つからないといった感じだったけれど、そんなクラリスをそっと抱き締めて頭を撫でる。


 こんな場面で僕の言葉は不要だ。ただ、時が過ぎるのを待てばいい。

 少し甘過ぎるクレープをさっさと食べ終えた僕は、川を眺めながら時間を潰す。背後から少女がすすり泣く声が響いてくるのを聞きながら。







 暗雲立ち込めるテネブラエ魔族国、ルシファーの宮殿のテラスにて。

 ぱり、ぱり、と薄い何かを砕くような音が響いていた。


「……ねー? ちょっとジゼルー?」

「……」


 長い金髪と純白の翼が自慢の堕天使ルミエルが、テーブルを挟んで自分の向かい側に座る黒衣の少女へと声をかけるが反応はなかった。

 彼女は皿に盛られたクッキーを1枚、2枚と口にしながら、まるで何かの書物を熱心に読んでいるかのような表情で“とある場所”をずっと見つめていた。


「ねー、ジゼルー? だ~りんに見惚れるのは仕方ないけど、どうしたの?」


 黒髪を長く伸ばし、フリルがふんだんにあしらわれた黒いドレスを纏ったジゼルは先程から空間魔法を使ってミルディアナの一角をじっと見つめている。

 ジゼルはそれを見ながら、片手でテーブルに置かれている皿の上に手を伸ばした。ルミエルはそっと皿をズラす。

 黒髪の少女は皿がないことに気が付かないまま、クッキーを探す手を動かしている。


「まったくもー。ジゼル。ほら、あ~ん」

「……はむ」


 ルミエルがテーブル越しにジゼルの口許にクッキーを伸ばせば、彼女はそれをぱくりと咥えて、手も使わずに口だけで1枚のクッキーを食べてしまった。

 彼女がまたテーブルに手を伸ばしてクッキーを探し始めるのを見て、ルミエルはむぅと頬を膨らませる。


 テーブルに両手で頬杖をついたルミエルが、そんな第二夫人のことを眺めてから、自分も空間術式の先に映っている青髪の少年――最愛の男性の姿を見るものの、空間術式の先の光景が単なる街路に変わってしまった。

 それからは、空間魔法の映像がミルディアナの様々な場所を切り替えて映すだけになってしまう。

 ルミエルはつまらなそうに溜息を吐いてから、ぱちりと指を鳴らした。


「お呼びでございますか」


 そう呟いた瞬間、今まで何もなかった空間にメイド服を纏った華奢な少女が姿を現す。

 吸血鬼の真祖たるカーラは、呼び出した主に向けて冷たい眼差しを向けた。


「ジゼルのいつものやつー。直して」

「……鳥にジゼルさまの何がわかると思っているのやら」


「何か言った?」

「ルミエルさまは自身がローストされる時にどんな味付けにされたいでしょうか、と申しました。塩と胡椒で問題ございませんか」


 ルミエルがぎらりと瞳を光らせた瞬間、メイド服の少女の立っている場所に落雷が発生し、凄まじい轟音が辺りに響き渡る。

 力の弱い魔族なら一瞬で消し飛ぶような魔力を伴ったその一撃を、カーラは片手の人差し指を天に向けて受け止める。

 カーラの腕を雷の残滓が駆け巡るが、傷1つ付いた様子もない彼女は呟いた。


「お戯れを」

「次はほんとーにでっかいの喰らわせてあげるけど?」


 ルミエルは最初から効果がないことをわかっていたかのように言うが、カーラはふるふると頭を振る。


「ジゼルさまの邪魔になります故」

「……じゃあ、さっさとクッキー持ってきて。さっきからジゼルがぽいぽい口に入れてるからなくなりそうなの」

「かしこまりました」


 カーラが素直に頷いた時、それまで黙ってクッキーを求めていた少女が呟いた。


「――帝国は、いつから『普通の人間じゃない』子たちがたくさんうろつくようになったのかしら」


 いつの間にか、いつものジゼルの様子に戻っていた。

 彼女は何かに強い興味を抱いたり、物事に極度に集中すると、他のものにまったく反応しなくなることがある。


 ルミエルはそれを知っていても、ジゼルが長時間無反応になるのが寂しくて色々イタズラをしたりするが、彼女は何をされてもまったく気が付いてくれないから困りものだった。

 同じく事情を知っているカーラは静かに問いかける。


「失礼ながら、ジゼルさま。どのような意味でしょうか?」

「カーラには見えない? 普通に見るんじゃないの。もっとこう、景色に同化した生き物を見るように調整してみて?」


 カーラは瞼を閉じてから、ゆっくり開眼した。その紅い瞳が爛々と輝いた時、彼女は少しだけ息を呑んだ。


「……これはまた面妖な」

「人間どころか、高位の魔族でも容易には気が付けないような子たち。グランデンでは見かけなかったけれど、ミルディアナにはたくさん棲んでるのかしら」

「ねー、何の話よー。どーせわたし、ジゼルみたいな魔力ないから何も見えないもーん」


 能天気ながらもどこかいじけた様子を見せるルミエルがテーブルに突っ伏すと、ジゼルはくすくす笑いながら言った。


「ルミエルは陛下の強大な魔力に慣れ過ぎたのよ。それは第一夫人としてはとても喜ばしいことだけれど、時に細かなものが見えなくなってしまうものでもあるの」

「ふぇー?」


 まったく意味がわからないといった様子のルミエルがジゼルを見た時、彼女の細長い手指がルミエルの頭を優しく撫でた。

 ジゼルとの感覚の共有。それが行われたのを悟り、ルミエルは改めて空間魔法の先の光景を見て……思いきり眉根をしかめて、がたんと音を立てて椅子から立ち上がった。


「何これ……!?」

「ね? 普通じゃないでしょ?」

「普通じゃないとか異常だとかそういう話じゃなーい! やだやだ、気持ち悪いー!!」


 ルミエルは怖気が走ったかのように己の身体を抱いて、まるで汚物を見るかのような目で空間魔法の先を見た。

 ミルディアナの街路。そこに並ぶ多くの建物の外壁に、無色透明の人体に似た胴体に長い尻尾の生えた――まるで人間とトカゲが交じったような奇怪な生き物がびっしりと張り付いていた。

遅くなりましたが、活動報告にて2巻の書籍オリジナルキャラクター『ピアナ』のキャラデザを公開致しました。

エルフの女の子です。今までの他キャラとは違って、挿絵も1枚載せています。

とても可愛らしいので、よろしければ是非ご覧くださいませ。


もう1キャラは次話更新時に。

こちら都合により、既にガガガ文庫公式ツイッターでキャラデザが公開されていますので、早く見たいという方はそちらをチェック願います。

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