第5話「ミルディアナの地にて~前編~」
エルベリア帝国南方ミルディアナ領軍部総司令官室にて。
執務机にどんと載せられた大量の紙束に目を通しながら、僕とジュリアンが話す言葉に耳を傾けていた紫色の髪を長く伸ばしたハーフエルフが言う。
「なるほど。グランデンで起きた事件の話は既に聞き及んでいましたが、そのようなことがあったのですね」
この地を護る軍部の総司令官でもあり、軍学校の学長でもあるリューディオ学長はペンを走らせる手を止めずに呟いた。
「ロカとシャウラはルーガルへ。キースは帝都へ。貴方がた全員が元気に帰ってくるものだとばかり思っていましたが……少し寂しいですねぇ」
「僕もそう思ってたんだけどね。たった2ヶ月でこうも変わるとは思わなかったよ」
僕がそう言うと、ジュリアンはつまらなそうに鼻を鳴らした。
「ま、何だかんだでアレだけの事件に巻き込まれておきながら全員が無事だったんだぜ。1人か2人は死んでもおかしかなかったってのに」
「ふっふ。流石は我がミルディアナの特待生たち、というわけですね。――して、特待生といえば、リーゼメリア殿下はそのグランデンの特待生と一緒にいると?」
「うん。リューディオ学長とは後で会うからって。今はミルディアナの露店をクラリスと一緒に冷やかして回ってるんじゃないかな」
リューディオ学長は顎に手を添えて何かを思い出すかのように唸った。
「……ふぅむ、クラリス・フレスティエ少尉ですか。私が直に彼女を目にしたのは、フレスティエ公爵家のパーティーに招待された時以来です。その頃の彼女はまだ自分で歩くことも出来ない赤子だったのですが、いやはや年月が経つのはあっという間ですね。今では立派な軍人として小隊を率いているとは」
「ま、そんなご立派な軍人さんも今じゃその赤ん坊みたいなもんに戻っちまったみてえだけどな」
既にクラリスの身に何があったかを知っていたリューディオ学長は、頭を振って言った。
「どれほど立派であっても、やはり精神的な面は年相応の少女ということなのでしょうね。いくら神使とはいえ、普通の人間と違うのは戦闘能力や体力だけですから……それをロラン殿下はわかっておられない」
不意に出たその名前を耳にして、僕は訊ねた。
「ロラン殿下……といえば、帝国の皇太子さまだよね」
「ええ。とても優れた力を持つ神使でもあり、立派な青髪の持ち主です。どのような戦い方も心得ておられますが、中でも剣術が得意でした」
学長は含みを持たせたような言い方をした。
「クロード……デュラス大将閣下がいなければ、帝国一の剣士と言っても差し支えなかったでしょう」
「へえ。あの将軍の次につええ剣士ってか。化けモンか何かなのかね、青髪の奴らってのは」
ジュリアンがちらりと僕の方を見ながら言う。
この姿に変化している僕のことはともかく、青髪の人間が常軌を逸した力を宿しているのは間違いないだろう。
それはグランデンで出会ったあの美しい青髪をした少女、シャルロットにも当てはまる。
クラリスに勝るとも劣らない力量を持ち、レナの隠密術式を見破り、死者との戦闘では獅子奮迅の活躍をしたらしいからね。
しかし、その青髪の少女の父はありふれた金髪でありながら、凄まじいという言葉以外で表現することが出来ないほどの実力を有していた。
「デュラス将軍は凄かったよ。神剣を持っているとはいえ、およそ人間では有り得ないほどの力を感じさせられたから」
僕が神剣を振るうデュラス将軍の姿を思い出しながら言うと、学長が感慨深げに呟いた。
「デュラス大将閣下が振るう神剣リバイストラ……凄まじかったでしょう、アレは」
「彼の元々の力量もそうだけど、それに大女神さまが創ったとされる神剣もあれば無敵と言えるかもしれないね」
状況的に有利だったとはいえ、あのレナを相手にして一歩も退かないどころか、あのまま戦いを続けさせていれば、レナは間違いなく首を刎ねられていただろう。
仮にも半魔神の力を有した彼女をも圧倒するとは、本当に素晴らしい。しかもそれが神使とはいえ、ただの人間なのだから尚更だ。
僕がそう考えていた時、ジュリアンが不意に切り出した。
「なあ、学長。率直に聞きてえんだけど」
「何でしょう」
「デュラス将軍はどうしてリバイストラを扱えるんだ? 有り得ねえ話なのはあんただってわかってるんじゃねえのか」
「どうしてそう思うのです?」
「神剣を振るえるのは、皇族直系の者だけだからだよ。デュラス公爵家の血筋が皇族と交わったのは数百年前が最後。本当なら、あの将軍が神剣を使えること自体が有り得ねえんだ」
そうなのか? デュラス将軍以外に神剣リバイストラを扱えるような人間の想像なんてなかなかつかないけれど。
リューディオ学長は、ふむと軽く唸った。
「……ジュリアン。今の話は誰から聞きましたか?」
「どうでもいいことだろ」
「では、今この場にいる者以外に誰かとその話はしましたか?」
「してねえよ」
「ならば、今後も厳に慎みなさい。その命が惜しくば」
「はぐらかしてんじゃねえ。オレはただ真実を知りたいだけだ」
「――さて、今日はいい天気です。明るい陽光降り注ぐ街中に吹くそよ風も心地良く、気分を落ち着かせるのにはこれ以上ない日。一度、広場にある大きな噴水の前で涼を取るのはいかがでしょう」
「あ……? なに言って……」
僕はジュリアンの肩に手を置いて言った。
視線だけで「それ以上何も言うな」と語りかける。
察しがいいジュリアンは僕の仕草と学長の言葉の裏にある意図を読み取ったのか、ちっと舌打ちしてから何も言わずに踵を返して総司令官室から出て行ってしまった。
「助かりましたよ、テオドール。ですが、察して頂けたのなら貴方にも退室願いたいくらいですが」
「別に僕は死が間近に迫っても構わないし、むしろそういうものが来てくれる方が嬉しいくらいだけど……その様子じゃ、学長は何も話してくれそうにないね?」
「はてさて、私は何かを言う場面でしたか? いけませんねえ、こう見えても結構な年なのでいい加減に耄碌してきたのかもしれません」
笑顔で言うリューディオ学長。
本当に油断ならない男だ。
神剣の話には触れたくない、どころの話ではない。これ以上は何も知らないと貫き通したいのだろう。そもそも、そんな話は聞かされてもいないとでも言いたげだ。
どんな思惑があるのかはわからないけれど、学長はジュリアンが神剣の話を他の誰かに聞いたか、あるいは漏らしたかを気にしていた。
知ればただでは済まない。それは『命が惜しくば』という学長の言葉そのまま。きっと、そういう系統の話なんだろう。
……直系の皇族のみが使えるはずの神剣。それを振るっているのは皇族の者ではなく、デュラス公爵家の者。
この状況が何を意味するのかまではわからないけれど、確かに表沙汰にしたくはない話だろう。特に皇族にとっては。
僕の目の前で澄ました顔をしているハーフエルフは、どこまで知っているんだろうか。
ある意味、デュラス将軍より厄介な相手だ。彼は隠し事が苦手なほど真っ直ぐな性格の持ち主だったけど、この学長は違う。
僕と同じように笑顔で嘘を吐けるし、鎌をかけても絶対に口を割らないだろうから。
神剣の話にも興味はあるけど、それはまたいずれ。今問い質しても意味がない。
僕は元々の話でもあるツェフテ・アリアへ向かう件について、改めて学長に説明する。
話を最後まで聞き終えたリューディオ学長は、頷いて言った。
「貴方をツェフテ・アリアに招待するおつもりだというお話は、既にキルフィニスカ女王陛下から伺っていました。あのお方も自国でなさねばならないことが数多くあるでしょうから、少しだけ間を置いてからということで」
「へぇ。でも、それなら最初から教えておいてほしかったかな? ご褒美は何がいいかって言われても、なかなか思いつかないよ」
「……普通の人間であれば、金銀財宝やあの国固有の珍しい薬草などを欲しがるはずですけどねぇ」
学長が机の上の書類に目を通したまま言う。
……確かに言われてみれば、それもそうか。
しかし、僕からすればそんなものは邪魔でしかない。
「時にテオドール。もう褒美は何がいいのか決めたのですか?」
「……う~ん、まあね。女王さまがそれに応じてくれるかどうかはわからないけれど」
表向きは学長の言うように金銀財宝を欲する感じにしておこうか。
あの実の娘のリズよりも小柄ながらも威厳たっぷりで傲慢さを感じさせたエルフの女王の姿を思い出していると、学長が言った。
「あまり失礼なことを頼まないようにお願いしますよ。また女王陛下からお小言を聞かされる私の身になって考えて頂けると助かります」
「了解。無礼な言い方も慎むとするよ」
「ええ、お願いします。……ああ、そういえば、私からも貴方に1つ質問が」
何だろう? そう思って先を促した時、彼は世間話でもするかのように問いかけてきた。
「グランデン領にて、天使のような翼を生やした少女を見かけたという報告が届いています。それが何者か、教えて頂けませんかね?」
……まったく、油断も隙もないな。
学長は質問と言いながらも、実際には既に答えに辿り着いている気がする。
ここは素直に答えるしかないだろう。彼女のことは既にデュラス将軍にも知られているからね。
「ルミエル。それがあの子の名前だよ」
「ほう。やはり天魔ではないと」
「うん。正真正銘、本物の天使さまさ」
正直に答えた。
ここではぐらかす意味はない。
「では、そのルミエルさまと貴方はどういう関係です?」
「……僕の奥さんだって言ったら信じるかい?」
リューディオ学長は一瞬虚をつかれたような表情をした後、堪らずといった様子で笑った。
しばらく笑い声が響いた後、学長は言った。
「いやはや、申し訳ない。私が今まで聞いてきた中でも、なかなかに面白い話に入りましてね。これだから貴方と話すのは楽しいのですよ」
「だいぶ懐かれてね。激しく求愛されたよ。あまりにも激しくて、殺されるかと思った」
少々情けない話だがすべて事実だ……。
しかも殺されると思っただけじゃなくて、1回死んだ。不甲斐ないと言わざるを得ないけど、この身体であの暴虐の天使と付き合うのは命懸けだ。
「まさか天使さまにそこまで気に入られる者がいようとは。いつ夫婦になったのです? 式は挙げたのですか?」
「……今日からお前は私のもの、みたいな感じだよ。強引そのものさ」
本当は『逆』なんだけれどね。
1000年前に彼女を娶った時のことを思い出していると、学長がまた笑った。
「天使さまというものは、押し並べて傲慢なものなのかもしれませんね。これは面白い……またこのような話が聞けるとは」
「また? 何の話だい?」
リューディオ学長はそれまで緩めていた表情を、ふと引き締めた。
「テオドール、貴方は『ダークエルフ』のことはご存じですか?」
「うん? 闇の力を有するエルフのことを総じてダークエルフと呼ぶのは知ってるよ。慈愛の女神ミスティリア・ティスティの加護を拒絶したとか、なんとか。それと彼らは力を重んじる傾向にあるはず」
ダークエルフか。懐かしい響きだ。
僕も何度か彼らの姿を見た記憶がある。
誰も彼もが闇の力を有していて、何を考えているかさっぱりわからない連中ばかりだった。
しかし、その心のうちにあるのは力を欲する貪欲さだ。
ある意味、魔族と似ている部分もあるのかもしれない。
「それだけの知識があれば十分です。彼らはエルフと違う道を進んだ一種族でしてね。実は私の魔導の師もまたダークエルフなのですよ」
「へえ……。面白そうだね。女王さまに会いに行くついでに、彼らとも話したいくらいだ」
「我が魔導の師は変わり者でして。しかし、あのお方の弟君は更に変わっていましてね。彼の傍らには常に『黒い翼を持つ天使』がいるのです。貴方とルミエルさまの関係とは少し違うかもしれませんが、相似しているといってもいい関係性に興味はありませんか?」
黒い翼の天使? 何だそれは。
この地上にルミエル以外の天使がいるというのか?
「ただ少しだけ頭に入れておいてほしいことが。彼の黒き翼の天使は、力ある者に並々ならぬ興味を抱きます。あるいは今の主に飽きて、貴方に凄まじい執着を見せる可能性もある。『彼女』は一度気に入った者は何がなんでも手に入れようとします。とても恐ろしい存在ですよ」
「それを言うなら、学長は気に入られなかったの?」
「……まだ幼い頃、彼女の魅了に惹き込まれそうになったことがありますよ。我が師の計らいによって難を逃れられましたが、それがなければどうなっていたやら」
リューディオ学長は肩を竦めておどけてみせる。
しかし一瞬だけ僕から逸らした瞳には複雑な色が浮かんでいた気がする。
……幼い頃とはいえ、この学長すら己のモノにしようとしたのか。興味深い。
「僕にとっても面白い話だよ。是非、その黒い翼の天使さまとやらにも会ってみたい」
「……わかりました。それでは、我が師に紹介状でもしたためておくとしましょう。今しばらく時間を頂けますか? なるべく手短に済ませますので」
「了解。ありがたいよ、学長」
その黒い翼の天使とやらにも興味は尽きないところだけれど、赤星の煌めきのことを調べるためにはより多くの者と接触した方がいいのも事実。エルフだけではなく、ダークエルフにも。
女王陛下からの褒美とリューディオ学長の紹介があれば、ツェフテ・アリアである程度自由に行動出来るだろう。あの国で情報を探るにあたって、またとない機会だ。
僕はその後、彼と他愛ない話をしてから総司令官室を後にした。
突然ですが、本作がドラマCD化されることになりました。
既に声優さんも決定してアフレコも始まっています。
以下、登場キャラと声優さんです。
CAST
テオドール(小林大紀)
リズ(青山吉能)
ロカ(渡辺けあき)
シャウラ(下屋則子)
キース(近衛秀馬)
ジュリアン(澁谷梓希)
レナ(柚木涼香)
リューディオ(三木眞一郎)
(敬称略)
以上となります。
本当は2巻の帯+18日の更新や活動報告で告知する予定でしたが、諸事情により早く公開することになりました。
詳細は10月18日以降のガガガ文庫公式サイトや、ガガガオンラインショップをご覧くださいませ。
活動報告にドラマCDについてもう少し詳しい情報と、帯付きの2巻カバーイラストも載せていますのでそちらもチェックして頂けると嬉しいです。