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第4話「学術都市への道すがら」

 僕、リズ、ジュリアン、そしてクラリスを乗せた馬車がグランデンを発って数日後。

 馬車の御者に今晩は野宿になると告げられた。

 それぞれに食事を済ませた僕ら――クラリスは何も食べなかった――が馬車の中で黙り込んでいた時、リズが言った。


「んー、確かここらへんって水辺があるはず……。あのさみんな、あたしちょっと外に出てきていい?」

「別に構わないけど、誰かに連れ去られても知らないよ」


 僕がそう言うと、リズは「大丈夫ですよーだ!」と言ってから、黙って座っているクラリスの肩を叩いた。


「ねね、クラリス。水浴びしよーよ! 気持ちいいからさ! それにほら、今日はお月さまもきれいだし月光浴も兼ねて。そういうのも悪くないと思うから、ね?」

「……」


 クラリスは何か呟こうとしたけれど、その前にリズが強引に彼女を立たせて、着替えを持って馬車から降ろす。

 ぼんやりとしている金髪の少女の腕を取って、リズはさっさとどこかに走り去ってしまった。


 僕とジュリアンが残された時、魔導書に目を通したままの少年が言った。


「お前は行かねえのか?」

「うーん。彼女たちの裸体には興味が尽きないけど、リズにこれ以上嫌われたくないからね」

「何かお前ら、最近変じゃねえ? 前みたいにあんまり絡んでねえし。つっても、あのクソエルフが距離取ってるだけに見えっけど」


 僕とリズの関係が少し変化したのはジュリアンも何となく察していたらしい。


「……まあ、君がいない間に色々あってね。その後すぐにグランデンが襲撃されたから、仲直りなんてする暇もなくて」

「あっそ。まあ、どうでもいいけどよ」


 ジュリアンがさして興味もないように言った後、その場を沈黙が支配した。

 辺りは暗闇に包まれ、しんと静まり返っている。


 御者のおじさんは既に馬車の隅ですやすや眠りこけていた。

 僕もうたた寝でもしようかなと思っていた時。


「おい、テオドール」

「ん? なんだい」


 不意にジュリアンが話しかけてきた。

 彼は魔導書に目を通したまま言う。


「少し話がある」




 ジュリアンからの話を聞いた後、僕は呟いた。


「……ゼナン竜王国の大飢饉、か」

「ああ。今じゃ帝国とあの国とは敵対関係だからな。軍学校の歴史学の授業じゃ度々取り沙汰されては非難の対象にされてるだろ。やれ王侯貴族の腐敗だの、竜神王の加護がなくなっただの、野蛮な民族に天罰が下っただの……好き勝手に言いやがる」


 吐き捨てるように言うジュリアンの様子が少し気になった。


「君はゼナンに肩入れしているようには見えなかったけれどね」

「別にしてねーよ。ただ、人間だろうが竜族だろうが食いモンがなければくたばるのは同じだろ。あの国の奴らだって必死になって生きようとして――そんでもバタバタくたばっていった。王族も貴族も関係ねえ、ただの貧民や庶民が大勢犠牲になったんだよ。そいつらは悪事なんざ働いてねえのに、一緒くたにされんのが我慢ならねえっつうか……」


 ジュリアンはいつもと違い、少しだけ饒舌になって感情的に言った後、言葉に詰まって黒髪をがりがりと掻いた。


「やっぱり、君にも優しいところはあるのかな?」

「くだらねえこと言ってんじゃねえよ」


 僕の言葉を一蹴したジュリアンは、ふぅと溜息を吐いてから言う。


「で、どう思う? 『豊穣の神』ってやつの存在は」

「有り得ない」


 即答する僕を見てジュリアンはやや面食らったような表情になったが、すぐに厳しい表情を向けてきた。


「根拠は?」

「そんなものがいたら大飢饉になるわけないじゃないか。っていう答えで満足してくれないかい?」

「この世に神々は数え切れねえほどいやがる。でも、どいつもこいつも人間の頼みや願いなんざ聞きゃあしねえで自分勝手に加護を与えるよな」


「つまりは?」

「てめえの言ってる『大飢饉が起こったが故に豊穣の神など実在するわけがない』って論理が成り立たねえってことだよ。わかって言ってんだろ? 煙に巻こうとすんな、オレは真面目に聞いてんだ」


 ジュリアンの銀色の瞳には剣呑な光が宿っていた。

 しかし、僕は半分は本音を語った。豊穣の神などいないと。よしんば、いたとしてもそれはこの世界に何の影響力ももたらさない木偶でくも同じ。

 この世に豊穣を具現化した場所など存在しない。あの緑豊かなツェフテ・アリア王国ですら、豊穣とは程遠い。


 ただ、半分は嘘……というよりも、限りなく似た光景を見たことがあるというものだった。

 それは遥か古代の大魔法使いディルーナが起こした奇跡。

 僕はその有り得ない現象を見て、息を呑んだ。あの時の光景は、たとえこの身が滅びようとも決して忘れ去ることはないだろう。


 戦で荒れ果てた広大な大地。

 草木も生えず、地面はひび割れ、元の緑豊かな光景に戻るまで膨大な時間が必要とされたであろう地で。

 ディルーナは、彼女を称える二つ名に相応しき『大魔法』を使った。


 莫大な魔力が放たれた後には、荒涼たる大地の面影はなかった。

 地面は恵みの雨をもたらされたかのように潤い、草原が復活し、木々が次々と生え揃い、大木には数多くの果実が実った。


 見渡す限りの大自然を、彼女はいとも容易く“造って”しまった。

 彼女からその偉業を成し遂げると事前に聞いていた僕は、鼻で笑って否定したのだけれど……荒野に自然が復活した後、ディルーナは僕の方を振り向いてこう言った。


『ねえ、――――? わたしの言った通りになったでしょう?』


 白銀色の髪が美しい少女は少しだけ自慢げだった。

 彼女は圧倒的と評するほかない大魔法を使った後だということを感じさせないまま、無邪気に『かつての僕の名』を呼んだ。

 凄まじい規模の術式にただただ圧倒されるほかなかった僕をよそに、彼女の傍に佇む黄金色の体毛をした神獣王ルーガルが物静かな口調で言う。


『ディルーナ。やり過ぎだ』

『いいじゃない! これでみんな幸せだわ!』


『ディルーナ』

『……もう、何よルーガル。そんなに怖い顔して』

『今後、もう二度と斯様かような大魔法を用いてはならない。お前の力は強過ぎる。自然のことわりをも超越した力は、その身に余るものだ』


『それはそうかもしれないけど、食べるものに困る人がいなくなれば、それでいいじゃない』

『飢饉もまた自然の摂理。それを乱してはならぬ』


『飢饉が起こったのも、戦争なんか起こすお馬鹿さんたちがいるからでしょ?』 

『戦もまた、理なれば』


『何が理よ。戦争なんて人間が勝手に起こしたことじゃない』

『戦をするは、人間のみに非ず。人を超える竜族から、草原に隠れ棲む小動物に至るまで戦を避けることは出来ぬ。狩りという言葉くらい、お前も知っているだろう』

『……それは……でも、みんな、仲良く出来ればいいじゃない……』


 先程、信じがたい奇跡を難なく成し遂げた少女は瞳に涙を滲ませていた。

 その後は神獣王ルーガルと言い争いのようになり、彼女は泣きながらその場を去った。

 神獣王はその後ろ姿を見つめながら、僕に語りかけてきた。


『ディルーナはまだ年若い。道理を理解してはいても、認めたくはないのだろう』


 だが、神獣王はふと呟いた。


『……とはいえ、我も言い過ぎたかもしれぬ。人間というモノをまだ理解しきれていないのだろうか。お前はどう思う、――――よ』


 神獣王ルーガルもまた、名を呼んだ。先代のルシファーを滅する前の僕の名を。

 すべてを達観しているように思えながら、年若い無邪気な人間の娘を相手に手間取っている神獣王に向かって僕は何と返したんだったかな……。


「おい、テオドール」

「……ごめん。ちょっと考え事」


 現実に引き戻されると、そこは当然馬車の中だった。

 最近はよくあの偉大なる大魔法使いと神獣王のことを思い出す。

 今はもう、どこにもいない彼女らのことを。


 僕は豊穣の神の存在など信じはしない。

 だが、限りなく近い存在は確かにいた。神などではない。それはただの無邪気で幼さを色濃く残した少女……人間に過ぎなかった。

 彼女が造り出した緑は、やがては消滅した。しかし、それまでに長い時間がかかったと風の噂で聞いたことがある。


 もしあの大魔法をまた放てるのだとしたら、彼女こそが豊穣の神といっても差し支えないのかもしれない。

 だが、もはやあのような大魔法を放てる者自体がこの世に存在しない。


「……豊穣の神が存在しないという僕の意見は変わらない。ただ、グランデンを襲撃したトトとハイン。彼女たちはそんな存在を確信しているかのような素振りだった」


 トトは豊穣の神はいると断言し、ハインはその神に縋るかのような言動をしていたらしい。

 テネブラエに帰った後、レナにも聞いてみたけれどそのような神がいるとは信じられないと言っていた。

 僕が帝国にやってきてからも、学園の授業で度々神々に纏わる話が出てきたがそういう時ですら豊穣の神の話は耳にした記憶がない。


「なあ、テオドール。ミルディアナの事件の黒幕だったっつうギスランとかいう野郎は500年の刻を生きてたんだよな」

「……記録を読む限り、500年どころじゃなさそうだけどね」


 500年前に帝国で起こったミラの血潮事件。

 その黒幕であり、現代のミルディアナで末期の雫を用いて天魔を召喚したのもまたあのギスランという人物だった。

 ミルディアナの大図書館にあった『ミラの血潮事件の簡易的記録』を読む限り、彼は500年前の時点で既に精神が崩壊しかかっていたように思える。末期の雫を飲んで幼くなったミラに憑依した彼の言動からその一端が垣間見える気がした。


 500年以上は確実。

 あるいはもっと以前から――このエルベリア帝国がまだ存在しなかった頃から、ギスランは既にこの世に生を受けていた可能性すらある。

 それ以上の手がかりがないから憶測に過ぎないけど、否定出来るようなものではない。


「オレは直接、そのハインとかいう男の姿は見てねえ。だけどよ、そいつが目指す理想郷とやらには豊穣の神の力が必要だって言ってたんだよな?」

「彼らの言ってることをそのまま解釈するなら、そういうことになるのかな」

「……そのハインって野郎は、『帝国歴798年に起こったゼナン竜王国の大飢饉』を経験したんじゃねえか?」


 それは先程ジュリアンが僕に聞かせてくれた話だった。

 ゼナンで飢饉が起こった歴史と、豊穣の神とやらがどう結び付くのか。彼はそれを気にしていたらしい。


 ジュリアンは問いかけてきているように見えるけど、実際には確信しているように思える。

 そして話を聞いているうちに僕もまたその意見を支持しても差し支えないように感じてきた。

 僕はあくまで憶測だと告げてから、考えていたことを口にした。


「ハインはゼナンの大飢饉を半死半生で生き延びた時か、あるいは死を目前にした時か。いつかはわからないけれど、ある人物によって救われた。ということになるのかな」

「ああ。そして、そいつに不死の力を与えられたんだろ」

「それだけじゃなく、その存在は……いや、もうこんな言い方はまどろっこしいね。恐らく、ギスランに関わったモノと同一人物である『女神』は豊穣の神の存在を否定しなかった。あの人肉を喰らう邪剣も、もしかしたら女神から与えられたもので、それを使って人々の血肉を豊穣の神への供物にしろと命じた……そんなところか」


 ジュリアンはふんと鼻で笑った。


「何が女神だか。人間とエルフをぶっ殺すのが趣味の快楽殺人鬼の間違いじゃねえのか。ま、人間を不老化させるとかいう神のような力だけは持ってるみてえだが」


 ……サタンをあのような状態にしたのも女神であるとするなら。

 人間を不老化させるだけではない。他にも何か驚異的な力を持っているのは間違いない。

 しかし、何故だ。


 サタンを屈服させ、人間を不老化させ、魔族ですら知り得ないようなエルフを使った末期の雫の製造方法を考え出し、凄まじい魔力耐性を誇る天使を強制的に地上に召喚させて操る術式をも編み出しただと?

 そんな芸当は、人間どころか僕たち魔族……王族である僕やベルゼブブですら容易に出来ることではない。

 何故、あのギスランの記憶の中にいた女はそのようなことを可能とした?


 僕が見た限りでは、普通の人間の女にしか見えなかった。

 だが、もしかしたら違うのか。人間でも、エルフでも、獣人でも、ドワーフでも、果ては竜族でもなければ……。


 今まで挙げた者のいずれでもなければ、あるいは神とも呼べるのかもしれない。

 しかし、ここまで強大な力を持つ神がどうしてこのような迂遠うえんな方法でこの大陸に混沌を巻き起こそうとするのか? サタンをも凌駕する力があるなら、その強大な力を以てして各地を破壊すればそれで済む話ではないのか……?


 それとも、このような方法を取らなければいけない理由があるのか?

 それは一体。

 思考を巡らせていると、リズがクラリスを引き連れて帰ってきた。


「ただいまっと。はー、さっぱりしたー!」

「おかえり。夜の森に長時間いて怖くなかったかい?」


 そう問いかけると、リズは首を振る。


「エルフは森と静寂を好むから。昼の森もいいけど、夜の森も落ち着いていい感じなんだよー」

「いつもぎゃーぎゃーうるせえ女のセリフとは思えねえな」

「ほんと、後はこのうっさいチビがいなければ最高だったんだけどねー」


 リズとジュリアンが睨み合う中、クラリスはゆっくりと馬車に乗った。

 そして両脚を抱えてうずくまり、黙り込む。

 それに気付いたリズが慌てて何か言おうとするものの、何も言葉が思い浮かばなかったのか、悲しそうな表情を浮かべてから自分も大人しく座った。


 ジュリアンはその雰囲気を察してか、それ以上何も言わずに瞼を閉じた。

 彼とはまだ議論の途中だったけど、仕方がないか。


 かつてグランデンへ向かったあの時。

 ほんの2ヶ月前、ミルディアナの特待生たちは良くも悪くも騒がしかったものだ。


 たった数日で退屈過ぎて死にそうになったロカが妙なことを言い出して、グランデンまで走り出したんだっけ。あの馬鹿げた行動が、なんだか懐かしく感じるな。

 そう思ってしまうほど、ツェフテ・アリア王国の経路であるミルディアナへ向かう道中の馬車の雰囲気は、陰々滅々いんいんめつめつとしたものだった。

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