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第3話「誘拐?」

 いよいよグランデンを出立する日がやってきた。

 僕とリズとジュリアンは、朝早くからデュラス将軍のいる総司令官室に向かい、短時間だけ接触することに成功した。

 僕が考えた計画を話すと、金髪の将は思案げな表情を浮かべてからこう言った。


『予想だにしていなかった発言だ。馬鹿げている……が、今の彼女にはそれが最善の道になるのかもしれない。許可しよう』


 そして僕たちは、クラリスが寝泊まりしている女子寮へと向かった。

 軍学校の授業は既に始まっているが、クラリスは未だに寮から出るのに難儀している有り様だ。

 登校は出来ても遅れて教室に入ってきて、ふらふらとした幽鬼のような足取りで自らの席に向かい、力なく座り込んだ後にずっと虚空を見つめている。


 この街で彼女とその部下に何が起こったかを知らない者はいない。

 以前までの毅然とした様子の彼女の姿はもはやどこにもなく、授業の内容も耳に入っているのかどうかさえわからない。

 どの教官も彼女にどう接していいかわからず、慰めようとしても人形のように何の反応もしない姿を見て、何とも言えない面持ちのまま去ってしまう者ばかりだった。


 それは生徒も同じであり、唯一リズだけがクラリスに積極的に話しかけている。先日までは正にそんな状況だった。

 僕の姿に化けて軍学校での生活を少しだけ体験したカーラは、こう言っていた。


『ご主人さま。彼女を放っておけば、遠からず自害する可能性が高いと思われます』


 淡白な言い方だったが、カーラは魔族の中にあっても人間の感情の機微には聡い方だ。彼女なりに心配しているように見えた気がする。

 ジゼルやレナといった元人間と長年にわたって親しくしていた影響もあるのかもしれないが……昔から彼女は他の魔族とはどこか違っていたから、元々の感情が人間のそれに近いのかもしれない。


 そして、カーラの言い分は安易に否定出来るようなものではない。

 むしろ僕もその可能性が高いと考えていた。

 クラリスは有能だ。有能過ぎた。今までに一度の挫折もなく、敗北すら数えるほどしか経験せず、周囲に自分を超えている存在はデュラス将軍しかいないという環境では慢心するなという方が無理な話だろう。


 そんな彼女が、部下の全員が虐殺される光景を目の当たりにするという凄まじい経験をすれば、それは強い挫折へと繋がる。

 その折れた心は、容易たやすく戻るようなものではない。


 下手をすれば自死を選ぶ、か。先日、グランデンの神殿を訪れた際に歴戦の老軍人から聞かされたとある神使の話が脳裏を過ぎった。

 ――自分が守るべき者たちが虐殺された光景を見た神使の心は折れてしまい、やがては己の力の無さを恥じるかのように自害した、と。


 クラリスを救うためにはある程度の時間が必要だ。

 だが、このまま放っておけば彼女はどうなるかわからない。彼女を支えられるような人間も、いつまでも彼女の傍にはいられない。

 じゃあ、単純な方法で解決するほかないだろう。そして今に至り、僕は小声で言った。


「そろそろだね」


 クラリスの部屋の前で待機していた僕たちは、彼女がのそのそと起き上がり、軍学校に登校する時間帯まで待っていた。

 彼女は大体、昼休みの前の授業には参加する。


 先の戦闘を経験するまでは病欠も一切なければ、休日でも軍学校や軍部に意気揚々と出向いていた彼女はその名残のように外に出ることだけは続けている。

 僕はそれを狙った。


「うーん……こんな方法でクラリスは納得してくれるかなぁ」


 困ったように呟くリズに向けて、僕は言う。


「こんな方法でもないと彼女は従ってくれないさ」

「それはそうかもしんないけど……」


 扉の近くの床に座り、壁に寄りかかりながらやる気なさげに言ったのは竜族の少年だった。


「抵抗されたらどうすんだ? オレはその女の力量を直に見たわけじゃねえが、今は絶不調つっても、あのキースと狼と狐を順番に相手してもぴんぴんしてるような奴なんだろ?」

「彼女が思いきり抵抗してジュリアンの頭が叩き割られるか、身体が吹っ飛ばされてる隙に僕が取り押さえるよ」

「……クソが。竜族舐めてんじゃねえぞ」


 銀色の瞳で睨みつけてくる少年。

 リズが「ちょっとちょっと、今はそれどころじゃないから」と囁いたところで、部屋の奥から物音がした。

 それに敏感に反応したリズが人差し指を唇に当てて「しーっ」と言う。


 しばらく無言でいると。

 部屋の扉がゆっくり開かれ、制服に着替えたクラリスがまるで死人しびとのようにのそりと部屋から出てきた。


 クラリスが自室の扉をしっかりと閉めるのも忘れたまま歩き出そうとした時、僕は彼女を背後から羽交い締めにした。

 彼女が持っている鞄が落ちるのも気にせず、その耳元で囁く。


「やあ、クラリス。死にたくなかったら大人しく言うことを聞いてくれるかい?」

「……?」


 普段の彼女ならすぐに激昂して戦闘態勢に入るか、わけがわからない状況にやっぱり激怒してぎゃあぎゃあと喚くはずなんだけどね。

 今のクラリスには状況を読み取るような力がない。どころか、戦闘能力のない領民ですらすぐに異常だと思うような事態にすら思考が追い付いていないようだ。


「よう、元優等生さんよ。あんまり抵抗すんじゃねえぞ」

「ちょっとちょっとキミたち……!? どこの人さらいの真似事なわけ!?」


「真似事じゃないよ、リズ。今日の僕たちは正真正銘、どこからどう見てもただの人さらいさ。それに君も今はそんな僕たちの仲間なはずだけど?」

「うっ……そりゃ、そうだけどさぁ……!」


 やり取りを黙って見ているクラリスは、何も言わない。

 まるで他人事のように感じているような態度だ。


 ……いや、もう何が起きてもどうでもいいと思っているのかもしれない。重症だね、これは。

 リズはこほんと咳払いすると、覚悟を決めたように言う。


「え、えーっとね、クラリス。あたしたち、今日にはもうミルディアナに帰らなくちゃいけなくてさ」

「……そう、ですか……」

「うん、でもさ、このままクラリスと別れるのは寂しいなぁ~って思って。だから、うーん……つまり、キミを誘拐しにきました!」


 いいセリフが思い浮ばなかったらしい。

 リズはやや投げやりにそう言って、クラリスが落とした鞄を拾う。


「というわけなんだ、クラリス。一緒に来てもらうよ」

「……ぁ」


 彼女をお姫さまのように抱きかかえて、僕たちは女子寮を去った。

 クラリスは無抵抗だった。



 ちょうど午前最後の授業が行われている最中、僕たちが軍学校の校舎を抜けた時、目の前に現れたのは金髪の将と青髪の少女だった。

 青髪のシャルロットが「おー!」と関心したような声を出した。


「クラリスがお姫さま抱っこされてるー!」

「そう。今日のクラリスはお姫さまなんだよ。だから、こうやって悪漢の手に落ちてかどわかされるわけさ。お伽噺にありがちな展開だと思わないかい?」

「ふーん。テオお兄ちゃんは、やっぱり悪い人だったんだね」


 じーっと見つめてくる少女はまだ何か言いたげだ。

 金髪の将――デュラス将軍は、少女の頭を撫でて大人しくさせてから言う。


「ミルディアナの特待生諸君、ご苦労だった」


 威厳のある低音で言われて、リズとジュリアンが緊張感に満ちた表情で返す。


「あー、でゅ、デュラス将軍閣下……! 今までお世話になりましたー……」

「……お、おう。世話んなったな。後はまあよろしくやってくれよ」


 リズは王女さまだから誰に対しても同じような態度を取るのが常だけど、この大英雄の前ではそうもいかないらしい。

 ジュリアンも口調こそいつもと変わらないけれど、頬を一筋の汗が伝っていた。


 この大英雄の鋭い眼差しと威厳のある声の前では、エルフも竜族ですらもかしこまらずにはいられないんだろう。

 僕はその様子を見て笑いながら、大事に胸元に抱えている彼女を見せつけるように言った。


「デュラス将軍。約束通り、クラリスは貰っていくよ」

「ああ。貴君らには迷惑をかけることになると思うが。……クラリス・フレスティエ少尉」

「…………はい」


 クラリスは魂が抜けたような声で答える。

 普段の彼女ならこんな光景を見られたら顔を真っ赤にさせてから僕の手からするりと抜け出して、デュラス将軍に敬礼して見せるだろうに。

 デュラス将軍は続ける。


「貴君は、確かに私の命に背いた。独断でこの城砦都市を離れ、小隊というわずかな人数であの異変の間近に迫った行為は許されざることであり、その結果として貴君以外のすべての者が死に絶えた責は到底あがないきれるものではない」


 大英雄の鋭い眼差しは変わらない。

 彼は言う。


「しかし、その無謀なる行動を恐れず、貴君を慕って戦場に散った者たちがいた。彼らのことを決して忘れてはならない」

「……」

「彼らの遺族から、貴君がどのように罵られたかは知っている。その強い悲しみと激しい憎しみに駆られた言葉を一身に受けて、よく耐えた」


 クラリスは戦が終わった後、精神的に不安定になりながらもすぐにこの街に住んでいる指揮下の遺族たちへと謝罪をして回ったという。

 その結果、今までクラリスを慕っていた者のほとんどは掌を返して彼女を痛烈な言葉で罵倒したらしい。

 部下を喪い、その遺族たちから責められ続けた。ずいぶんと堪えたことだろう。


「時間を経てもなお、その悲しみと憎しみが消えることはない。私とてそうだった」

「……」


 デュラス将軍は無表情を変えないが、どこか遠くを見つめながら語る。


「今でこそ大英雄と持て囃されている私も、戦場で数多くの部下や友を喪った。そのことを公に非難する者はいないが、心中では強い憤りを覚えていることだろう。私は数限りないほど多くの者から慕われ、そして恨まれている」

「父さま……」


 シャルロットは心配したのか、デュラス将軍の手を強く握った。


「しかし、それは私に限った話ではない。あの戦で五大英雄と称された者すべてが――いや、軍人という存在そのものが強い恨みを自国の民からも買っているのだ。どうして、お前はのうのうと生きているのか、とな」


 デュラス将軍は、生気のない瞳のままのクラリスを見つめて言う。


「フレスティエ少尉。軍人とはそういうものだ。自国の者にどれだけ恨まれようとも、彼らを守るために死力を尽くす義務がある。だが、どのように強靭な肉体と精神を持っていても休息が必要となる。故に、ミルディアナの特待生諸君に付き従い、しばらくの間この地を離れることを命ずる」


 クラリスはぴくりと身じろぎした。


「詳しい経緯は特待生諸君らに聞いてほしいが、貴君にはエルフたちの住まうツェフテ・アリア王国に向かってもらいたい。緑豊かな大自然の中で、今一度、己のなすべきこと、これから先のことを考えよ。その思索の果てに再び軍務へと従事する気になったなら、私たちは心から貴君を歓迎しよう」

「……」


 状況を見守っていたシャルロットが小首を傾げながら言う。


「クラリスとはしばらくおわかれー?」

「ああ。急遽決まったことでもある故、お前に教える時間がなかった」

「むー。わたしだけ仲間外れみたい」


 シャルロットは頬を膨らませながらも、クラリスに近づいて言った。


「クラリス。グランデンから出ていっても、元気でね。ゆっくりおやすみしたら、ちゃんと帰ってくるんだよ。あとあと、たまにはお手紙とかちょうだいね! 絶対に返すから!」

「……」


 クラリスは一言も喋らなかった。

 それを見てから、僕は言う。


「じゃあ、僕たちはそろそろ帰るから」

「ああ。貴君らには手間をかけさせた」

「ふっ、僕としてはなかなか楽しめたから構わないさ。……もはや会うことも叶わぬと諦めていた知己ちきと再会することも出来たのだから」


 最後だけ、ぼそりと呟くように告げた。


「アレが楽しいとか、マジでお前は頭イってるよな。逆に尊敬すらしちまうくらいには」

「テオくんは野蛮だから。……ジュリアンくんと一緒にいたせいでああなっちゃったのかも」


「ハッ。ならもう少し常識をわきまえるもんだろ」

「キミがそれを言うかなー」


 ジュリアンとリズが交互に言っていると、シャルロットが彼らに駆け寄った。


「リズお姉ちゃんとジュリアンお兄ちゃんも元気でね」

「うんうん、あたしはいつだって元気だからー!」

「お前はそれだけが取り柄だもんな」


「うっさいなキミはー! 感動のお別れシーンなんだから少しは黙っててくれない?」

「……おわかれ、かぁ」


 シャルロットがしゅんとした様子で呟くのを見て、リズは慌てて取り繕った。


「あ、あ、え、えーっと、また来るし! なんならあたしからもお手紙とかいーっぱい出しちゃうから! だからそんな顔しないでシャルロットー!」

「うぅ、リズお姉ちゃん、いたいよ……」


 青髪の少女に抱きつくリズは感極まったかのように涙を流していた。

 それを見て、ジュリアンは肩を竦める。


「じゃあな、生意気な青髪チビ」

「チビって言う方がチビなんだよー! わたしとそんなに変わらないくせにー!」


「るっせえ。魔術で吹っ飛ばしてやろうか」

「その前にジュリアンお兄ちゃんの首を刎ねてあげるー!」


 リズの言っていた感動的なお別れのシーンは途端に物騒なものになったようだ。

 彼女は溜息を吐きながら、好戦的な2人に向けて「はいはい、いい子だから雰囲気壊さないでねー」と言って更にジュリアンから反感を買っていた。

 やれやれ、騒がしいことだ。


 僕は彼らを放って、そのまま馬車を手配してある城砦都市の門扉の前まで向かおうとした。

 デュラス将軍とすれ違いざま、彼が言った。


「クラリスを、頼む……」

「任せなよ」


 わずかに哀愁の滲んだ声に、いつものように気楽に返す。

 背後から賑やかな声の主たちが慌てて追いかけてくるのを待って、僕は再び歩き出した。


 デュラス将軍にはまだまだ謎が多い。

 恐らく、僕はそのほんの一端に触れただけに過ぎないのだろう。


 デュラス将軍ですら曖昧な知識しかなかった魔族の中の王族であるサタンが1200年前に失踪したことを知っていたという、彼の妻ナスターシャ・デュラスの謎。

 彼に仕えているメイドで、人の身と理性を保った高位の死者アンデッドであり生ける屍リビング・デッドでもあるエルザの正体。

 彼の背後にいた、僕やレナですらその姿を捉えることの出来なかった正体不明の存在。


 僕が知らなければならないことはまだあるが、時間がそれを許さない。

 いずれ、来る日には必ずその無表情の裏に隠されている真実をすべて暴いてやろう。

 その時、またあの日のように戦うことになるのか、それとも何か違うことが起こるのか。今からそれが楽しみだ――。

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