急逝の西武・森慎二投手コーチ秘話 人知れず目指していた現役復帰、足かけ7年リハビリ続け…

葬儀に参列後、取材に応じる西武・辻発彦監督(撮影・吉澤良太)
葬儀に参列後、取材に応じる西武・辻発彦監督(撮影・吉澤良太)

 6月28日に多臓器不全のため急逝した西武・森慎二投手コーチ(享年42)は、米大リーグ・デビルレイズ(現レイズ)時代の2006年にオープン戦で右肩を脱臼し翌年契約解除された後も、NPB(日本野球機構)復帰へ向けて執念を燃やしていた。

 証言するのは、西武・南和彰打撃投手(35)。南氏は04年に巨人で2試合に登板するなど3年間プレー。米独立リーグを経て、08年に国内独立リーグのBCリーグ・石川入り。2年目の09年に森コーチが選手兼任投手コーチで入団し、10年から監督に就任した。くしくも15年からともに西武に加入し、9年間も同僚として過ごした。

 「慎二さんは石川に来たときにはヒョロヒョロ球しか投げられず、普通ならそこで諦めてもおかしくなかったのに、とにかく野球が好きな人でした」と振り返る。

 「報道はされませんでしたが、(10年に復帰戦として)欽ちゃん球団(茨城ゴールデンゴールズ)との試合で投げたとき、肩を痛めてしまい手術したんです。そこからまたリハビリして、138キロぐらいは出るようになっていました」。奇跡の復活を遂げたという。

 石川では2年のブランクを経て13年に9試合、14年に14試合に登板。米国で大けがを負ってから、足かけ7年近く苦しいリハビリを続けていたことになる。

 しかし15年に古巣西武からの要請でコーチに就任。指導者として日本一を目指していた。

 森コーチの告別式は4日に西東京市の総持寺大日堂斎場で営まれ、辻監督はじめ西武の1軍選手ら約300人が参列。辻監督は「(3日・日本ハム戦の)ウイニングボールと中村のホームランボールをご家族に渡した。全員が慎二とともに優勝を目指して頑張りたい」と志半ばで逝った後輩との別れを惜しんだ。(塚沢健太郎)

シェアする
最新のニュースやお得な情報を受け取ろう

今、あなたにオススメ

izaスペシャル

今、あなたにオススメ