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アンリ・ルソーとは|40歳を超えて独学で画家になった天然の才能

画家とは絵に魂を捧げなければいけないのか。血や骨を削って、必死に一枚の絵と向き合う必要があるのか。画業をやるうえで絵だけに集中をするべきなのか?

私はそんなスポコンはいらないと思う。noteというプラットフォームの登場はまさに自由な世の中を表している。誰でも作品を自由に投稿でき、不意に発見されてアーティストとして世間に認知される。才能が埋もれない心底素晴らしい世界だ。

作品を投稿している皆さんのなかにも、普段は会社員や公務員として厚生年金を支払いながらも、休日は作品づくりに没頭している「日曜アーティスト」も多いでしょう。

実は西洋化美術史において、そんなゆるーいアーティストは1890年代ごろに評価されはじめた「素朴派」という名前で呼ばれている。専門的に絵の教育を受けているわけではないので、絵のレベルが高くはないが、なんか「素朴」な魅力がある。今っぽく言うと「ヘタうま」だ。

そんな素朴派の筆頭といってもいいのがアンリ・ルソーです。ルソーの作品はたしかに上手ではない。当時も「技術的には未熟」とはっきり評価されている。しかしルソーの作品には日本でもファンが多いし、オリジナリティが高く「真似できない素敵さ」がある。ルソーが令和にいたら、絶対noteで作品を投稿している。

今回はそんなルソーの生涯を紹介するとともに、独学ならではの作品の魅力、 本業・サラリーマンという強さについて一緒にみていこう。

アンリ・ルソーの生涯 ~いたって普通のおじさんだった40歳まで〜

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アンリ・ルソーは1844年にフランスで生まれた。この時代のフランスの美術界はまだ「美術学校(アカデミー)至上主義」だった。つまり画家として食っていくためには「きちんと美術学校で教育を受けること」「歴史画や宗教画を描くこと」が必要条件だった。

ただその一方で「バルビゾン派」が出てきたのもこの辺である。いまでいうとアカデミーの画家は選挙ポスターを描かされるなど、政治利用されがちだったんです。それに反して「好きなようにアートをやろう」と風景画を描く集団が出てきたくらいの時期でした。

さて、話をルソーの生涯に戻そう。ルソーの父親は配管工、つまりパイプなどを作る職人だった。家は決して裕福ではなく、借金もあったので、ルソーも幼いころから父親と一緒に働き始める。高校に入ると父親の借金の首が回らなくなったので家を差し押さえられてしまったので引っ越した。

高校生だった彼は可もなく不可もなく、平凡な成績だったが美術や音楽では小さな賞をもらうなど、ものづくりは得意だった。小さい頃から配管を作っていたので、手先が器用だったのかもしれない。

高校を卒業した後は、20歳から弁護士になるために法律を学び始める。しかし数年で諦めて軍隊に入退。すると兵役を終えたあとに父親が死去をしてしまう。一家の稼ぎ頭を失ったことからルソーは母を支えるためにも、24歳でパリに引っ越して公務員として働くようになった。

パリに移動してすぐに、当時15歳だった地主の娘、クレメンス・ボイタードと結婚する。彼女との間には6人の子どもをもうけたが、そのうち5人は幼くして亡くなってしまう。

28歳にして彼は公務員から税関職員に転職。ビズリーチ。その後、サラリーマンとして平凡な暮らしを送り続けるが、40代に入ってボイタードが35歳で死去。翌年にジョセフィン・ヌリーと再婚した。

アンリ・ルソーの生涯 ~前衛集団から評価される画家として~

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…………と、ルソー40代までの生涯を描いたが、今のところ美術の「び」の字も登場しなければ、絵画の「か」の字もない。普通のおじさんの人生だ。

そんなルソーが本格的に絵画にはまるのは1886年、42歳からだといわれている。1886年から無審査。無賞・自由出品を原則とするサロン・ド・アンデパンダンに作品を出品しはじめた。

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アンリ・ルソー「カーニバルの夜」1886年

しかしアンリ・ルソーの作品は正直、まったく評価されていなかった。アンデパンダン展は誰でも出品できるイベントなのでルソーも作品を出せたが、批評家からは言及すらされていない。もはや完全にスルーだった。

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アンリ・ルソー「私自身:肖像=風景」1890年

しかしルソーはめげずにアンデパンダン展に毎回作品を出品していた。このころは平日は税関職員として働き、日曜日に絵を描くという「日曜画家」だった。すると1891年に「熱帯雨林の中の虎」ではじめて画壇から評価された。決して「上手い」とはいわれていないが、その独創性や幻想的🄱な表現に対して「なんじゃこりゃ。逆に新しすぎるやろ。絵画のルール全部破っとるやろこれ」と評価されたわけだ。

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アンリ・ルソー「熱帯雨林の中の虎」1891年

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アンリ・ルソー「A Centennial of Independence」1892年

そんなルソーは1893年、49歳で本格的に退職願を出して年金をもらいながら絵に専念する。上司とかどんな顔したのだろうか。「嘘やん、絵? 50歳前で画家になるから仕事辞めるん?まじで?」とびっくりしただろう。

ルソーはフランス画家の聖地・モンパルナスに拠点を移して絵を描きはじめた。そしてマニアックな収集家や画家たちから称賛をされながら、代表作をいくつも生みだしていく。。

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アンリ・ルソー「眠るジプシー女」1897年

眠るジプシー女は「コンテス・ド・ドローネー」と企業からの案件である。また1905年には「飢えたライオン」を描く。この作品は後年にゴーギャンらによって確立される「フォービズム」の先駆けになったともいわれている。

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アンリ・ルソー「飢えたライオン」1905年

このころになると、ルソーの作品には同業者からのファンも多く、パブロ・ピカソや、ロートレック、ゴーギャン、アポリネールなど、のちに前衛を作り出す若い画家たちがルソーに会いにいっている。1908年にはピカソ主宰で「アンリ・ルソーの夕べ」という盛大な飲み会を開催。画家だけでなく詩人までが参加してルソーを称えたそうだ。

そんなルソーの最後の作品であり最大級の作品は「夢」。キュビスムやシュルレアリスムの名付け親としても知られているギョーム・アポリネールはこの作品を見て「色彩を含めてとんでもなくキレイやろ。もう誰もルソーの絵を笑えんぞ。彼は立派な画家や」と激賞した。そしてルソーは1910年に66歳でその生涯を終えることになった。

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アンリ・ルソー「夢」1910年

画家の基礎を知らない「マイルール」ならではの斬新さ

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ルソーが本格的に絵に専念したのは50歳からであり、それ以前の彼の生涯はベールに包まれている部分も多い。なので、生涯をあますことなくお届けするのは難しいが、彼は「ジャングル」をよくモチーフにした。

彼がジャングルを描いた理由としては子供向け絵本の挿絵が影響したという声もある。もしかしたら、子供を幼くして亡くしたことが彼の作風に影響を与えているのかもしれない。

また彼の描き方は面白い。まず背景のジャングルを描く。そのうえで人間を描くので、もう完全にパースが崩れている。遠近感もへったくれもないのっぺりとした絵になっているわけですね。しかしこれが一周回って新しかった。当時のアカデミズムの「彫刻みたいな絵を描け」という指導の真逆を突き進んでいたのだ。

ルソーの絵を「狙って2Dにしている」という意見もあるが、考えすぎでしょう。ルソーはまったく画家としての鍛錬をしてないからこそ、この斬新な絵を描けたのだと思う。つまりここには「描き方を知らない」という”真の自由”がある。

基礎を知った画家が「斬新さ」を求めるのって、一度覚えた手法を認識して、論理的に壊すという無駄なワンクッションが要るはずだ。

その点、ルソーは画家としての作法も、基本的な技術も知らない。全部がマイルールなんです。だから一般的には「下手」だった。でも、そもそもアートって上手い下手じゃない。独創性や熱量なども必要なはずなんですね。

ある意味、基本を知らないルソーは最初から独創的な絵しか描けない人だったのだ。だから極端にいうと「幼稚園児の絵」なんですよね。でも幼稚園児の絵ってすんごい前衛で、エネルギーがハンパじゃない。アートとしてずっと観ていたいと僕は思います。

また時代も味方したのは事実だ。このころ特にアカデミーという「上手さ至上主義」に対して「いやそんなん古いわ」といわれ始めた。ルソーの絵に共感したのはピカソ、ゴーギャンなど、この後に前衛を始める画家ばっかりです。

ルソーにみる「習わないこと」の素晴らしさ

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さて、今回は50歳からアートを始めた日曜画家・ルソーについて紹介しました。彼の絵には「習わない」ことの素晴らしさがある。

誰かに習うと、上手くはなるけどオリジナリティは薄れるものだ。ルソーはその点、最後までマイルールのなかで絵を描いた。彼の絵は長い西洋美術の歴史のなかでも独特すぎます。

「基本」なんてそれまでの他人の常識の詰め合わせですから。アートに「基本」が存在することが、そもそもちょっと変ですよね。習うって、あえて意地悪に書くと「呪われること」なんだと思う。その瞬間に、師匠の呪いにかかる。

例えば明石家さんまがジミー大西に「習うなよ」と言い聞かせていた、みたいなエピソードがある。それは彼が笑いを知ってしまうと、その天然さが薄れるからでしょう。しかしジミー大西は「習わないことを習っている」わけで、確実にその瞬間にビジネス天然になったはずだ。正解は「何も言わないこと」だったんじゃないかしら。

その点、ルソーはぜんぶ独学。だからそのプリミティブな作風はおもしろいんです。できれば誰とも関わらないまま、最後まで生きてほしかったくらいですよほんと(傲慢)。

ただ私は「絵が上手くなりたい」という欲求を否定しているわけではない。1+1=2を知ることって「はじまり」でもある。ただ記憶を通さずに、ものすごく本質的な欲求で絵を描く気持ちも大事なんですよね。

「絵が本業じゃない」という身軽さ

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またルソーは安定した収入があったことも強かったと思います。退職した後もしっかり年金暮らしです。「絵で食う」となると、超ビジネス思考になっちゃいますよね。一度決めた画風を崩すとファンが離れる。すると食えなくなる。自縄自縛。

noteで絵を描いてらっしゃる方のなかには、趣味で絵を描いている人も多いでしょう。別に「下手だ」と酷評されようが、お財布に関係ない人もいると思います。

これってすごく身軽ですよね。逆説的ですけど「日曜画家」のほうが、自由に創作できるのだ。今はやたらと「ブランディング」が一人歩きしてますが、だんだん不自由になっちゃうのも確かです。

なので、たまにはハメを外してもいいんじゃなかろうか。アートってもっと自由なもんですよね。日曜画家の皆さん、子どもに戻って誰にも媚びない「自由な絵」を描いてみるのも、ときにはおもしろいかもしれませんよ。

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コメント

犬柴
賛成の賛成なのだ、です。
あの、溢れるキュートさ、チャームは、生まれ持った才能で、勉強では身につかないし、むしろ潰してしまう様に思います。
ハイボール
とてもよかった😌
アンリ・ルソーを深くは知らなかったけれど、「コラージュみたいな絵だな」と感じていました。記事でジャングルありきのプロセスを知り、腹落ちしました🥳
わたしはアートを交流だと思っていて、それは死者との交流も含む。
常に絵本の挿絵のような彼の絵は、見送った幼い子どもたちや早逝した妻へのルソーなりの供養なのかなと思いました。伝えたい想いがある時には特に、アートには力が染み宿るものでしょうから。

学び多き良記事でした🤗
「私の物語」/二胡弾き
とても面白く最後まで、読ませていただきました。ありがとうございます。
また、読みに参ります!
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コンセプトは「カルチャーを知ると、昨日より作品がおもしろくなる」です。週刊女性PRIME様などでコラムを執筆中。美術検定保有。 美術・アニメ・マンガ・文学など、難しい話を、深くたのしく書きます。お仕事のご相談、質問はgiraffecompany1016@gmail.comまで。
アンリ・ルソーとは|40歳を超えて独学で画家になった天然の才能|ジュウ・ショ(アートライター・カルチャーライター)
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