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父から娘へ受け継いだ大きな「宇宙」のバトン
山田 知佐
2003年入社
理工学研究科 応用化学専攻修了
セキュリティ・情報化推進部 情報化基盤課
REASON入社の理由
「困ったら山田に聞け」と言われたい
父がNASDA職員で、私が最初に知った職業が「宇宙開発」でした。子供のころ、宇宙飛行士の毛利衛さんに遊んでいただいて、「今からがんばれば私にもなれるかも」と宇宙飛行士を目指したのが小4の頃。それからは学業、スポーツ、健康維持、そして高3の時は留学と、宇宙飛行士になるための努力は惜しまず、楽しみながら取り組んできました。
「宇宙開発は総合技術だ」という父からの助言に加え、「得意分野で勝負したい」と、好きだった化学を専攻として選び、その分野(の宇宙を目指す人)の中では一番になろうと頑張ってきました。博士課程に進むか就職かを選ぶ際も、ETS-7「おりひめ・ひこぼし」のプロジェクトマネージャーとして記者会見に出た父の姿と言葉を思い出し、やはり宇宙開発以上に魅力を感じる職業は他にないと決意し、JAXAを受験しました。
内々定の面談で「『困ったら山田に聞け』と言われるような技術者になりたいんです!」と力説したのを今でも覚えています。
WORKわたしの仕事
「バッテリ」でも「情報システム」でも JAXAの頼れる存在に
入社当初は、バッテリの部署に配属となりました。宇宙をやりたくて就職したのに、最初は正直、宇宙らしさをあまり感じられずにいました。ある日、人工衛星に搭載されたバッテリの調子が悪いとの連絡があり、衛星の管制室にお邪魔しました。衛星との通信が始まると、パソコンの画面の数字がパッパッと変わったのですが、その小さな光を見た時に初めて、「私、宇宙やってる!」と感激しました。絵面は本当に地味なのですが。今でもその感動を超えることはありません。宇宙開発は地道な仕事の積み重ねだと思います。
また新人の頃、「プロになれるようこれから頑張ります」と伝えたら、所属長に「配属された時点であなたはプロ。これから勉強しますでは許されない」と言われ、JAXA職員としての自覚を促されました。入社半年でメンバーの異動や突発的な事情が重なり、担当のJAXA職員が私一人になってしまったタイミングで、まさかの衛星の電源系の不具合が発生。新人の私が一人で対応することになったのですが、「新人なのでわかりません」とは勿論言えません。「確認します」と言って持ち帰り、対処しました。だいぶ背伸びしながら、何とか2か月間持ちこたえたことは、今でも印象深い思い出です。
入社以来電源の部署に15年間在籍し、様々な宇宙機の電源系に関わってきたので、関係者に「バッテリの山田」は認知されたのではないかと思っています。
現在はセキュリティ・情報化推進部 情報化基盤課にて、Office365の便利な使い方を伝授し、JAXA内の共通情報システムの運用・管理等を担当しています。6年間の産休・育休を経て、復職したときはそれほど困難に感じることはありませんでしたが、今回は全く分野の異なる部署への異動で大きな壁を感じました。情報システムについては本来素人であり、戸惑いもありました。ですが、今はむしろユーザーと一番近い立場だからこそ気づけること、できることがあると考え、ユーザー視点に立ったわかりやすい説明や、文書の作成など、丁寧に対応することを心がけています。
この度、コロナ禍で全社がテレワークになったときもスムーズに移行できたことを評価され、団体で理事長賞をいただきました。こうした地道な努力が認められたのだと、とても嬉しかったです。今後は「情報システムのことで困ったら山田に聞け」と言われるようになりたいなと思います。
FUTURE将来の想い
そして宇宙への夢を次世代へ繋いでいく
様々な場所で講演する機会もありました。身近なものを使った工作を通してロケットや探査ミッションの理解を深める等、宇宙好きな若者を増やすよう頑張っています。段ボールで大型模型を自作して仕組みを示し、講演先に寄付したりもしました。かつて父や毛利宇宙飛行士が私にとってそうであったように、私の講演活動で見たり聞いたりしたことが子供や若者たちの心のどこかに「宇宙の種」として蒔かれ、その種がいつの日か芽吹くことを願っています。いちばん近くで活動を見てきた娘が宇宙好きに育ってくれて「しめしめ」と思っているところです。
言わずもがなですが、JAXAは宇宙航空に関する研究開発を先導する唯一の場所です。最近の新人さんは大変優秀で、周りも意識が高く、仕事を楽しんでやっている方が多いです。でも、まちがいなく、私がいちばんJAXA職員であることを楽しんでいます!
CAREER PATHキャリアパス
入社してからこれまでのキャリア
1st year
技術研究本部宇宙エレクトロニクス技術グループ配属
配属は電源・バッテリの部署。専攻は化学だったので電気については専門外だったが猛勉強し、50系統近く実施していた電池の試験を把握しデータ評価を学んだ。
衛星の追跡管制隊も経験。月周回衛星「かぐや」の月周回到達までの追跡は「姫様」がご機嫌損ねないよう見守る任務、と子供たちに講演では案内した。
6th year
宇宙飛行士選抜試験を受験
この時は残念ながら宇宙飛行士にはなれなかったが、共に受験した同期との交流は現在も続いており、お互いの活躍を共有している。
7th year
2人の子の産休・育休で計6年間休職
13th year
研究開発部門第一研究ユニット勤務
バッテリの業務に育児短時間勤務で復職
16th year
セキュリティ・情報化推進部 情報化基盤課に配属
育児短時間勤務
18th year
(現在)育児短縮勤務
THE OTHER SIDE OF THE MOON私の一面
独身の頃から、冬はスキー、夏はダイビング、他にもいろいろ趣味を楽しんでおり、時間が足りませんでした。今は全部継続できているわけではありませんが、家族で同じことをできることが幸せです。かつては“JAXAスキー”なるサークルのようなものがあり、私のJAXA内の人脈は圧倒的にこの催しの繋がりから得たものです。先に顔や人柄を知っているので、仕事でもコミュニケーションがとりやすいです。