凡人が真面目に生きる意味はあるのか
どんなに他人に迷惑をかけたとしてもなんだかそれなりに力のある人に拾われてしまえばそこそこいい感じで生きられてしまうという場を目の当たりにすると真面目に生きる意味とはなんなのかと無力感に陥る。多くのヘイトを集めるだろうが、何故か応援もされたりしていて人間という物はよくわからない。真面目に頑張ってる人たちを踏みにじるような奴をあんたらは持ち上げるのかと、そんな奴がみんな嫌いなんじゃないかと、結局人は力によって屈してしまうのかと思ってしまう。真面目にコツコツと努力しても花開かなければ道端で誰にも気づかれずにその一生を終える。そんな風に思えてしまう。
いじめ加害者、才能はあるが規律違反をした者、人気者に拾われたはみ出し者。そういった人たちは守られ着実に未来へ歩いていく。やはりなにかしらのカーストの天辺に手をかけられるぐらいの力が無いと野垂れ死ぬしかないのだろうかと途方に暮れる。
自分のような才能の無い凡人は一旦真面目・努力・地道にコツコツみたいな言葉から離れるべきなのではないかと最近は思う。なんとなくだけど自分はこれをやりたいからやる。そういったものを適当に続ける。そうして一日一日を生き抜いていく。もしも目標と言う目印を置くのなら自分にしか考えられないような目標にする。普遍的な目標にしてしまうとどうしても横並びの人が目に付いてしんどくなるから。
そもそもなんで花開く前提で生きているのかとも思う。自分は花なんかじゃなくてただの雑草かもしれないじゃないか。別に死にたいと思わないのなら雑草のようにしぶとく生き続けるだけでもいいじゃないかという心持ちで行く。
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