小布施堂は小布施の歴史に敬意と誇りを感じています。異文化を受け入れる真摯な態度は、北斎を温かく迎えた江戸時代だけのことではなく、昭和七年、聖公会カナダ支部から新生結核療養所を進んで受け入れたこと、或いは戦後民主主義による公民館制度が全国的に設けられる中、初代公民館長には小布施の人ではなく当時疎開されていた林柳波先生をお迎えしたこと、こうした小布施の遺伝子こそは将来に伝えたい第一かもしれません。
小布施が受け継いできた町並みや農家の佇まい。私たちが感じる小布施らしさは、私たち自身の何物にも換えがたい宝です。気張らないさりげない蚕室や納屋や長屋門などは、小布施や北信地方の先人たちの営みの積み重ねを語り掛けています。
こうしたコトやモノのすべては、過去から受け継ぎ未来へ渡す「預かり物」だと確信しています。土地も「預かり物」です。まして私たちの精神こそは受け継ぎそして伝える「預かり物」の最たるものではないでしょうか。
客人(まれびと)を心からもてなす。自分の家に泊め、心づくしの手料理でもてなす。これも先人たちが心掛けてきた美風です。小布施堂が設(しつら)えてきた「本店」「傘風楼」「鬼場」「蔵部」はこれに替わるものとの考えからです。「桝一客殿」もこの考えの一環です。
建物は解体移築した長野市の商家の土蔵三棟を中心として町並み形成の一翼を担い、内部は西洋式です。シティーホテルでもリゾートホテルでもない「客殿スタイル」とでもいうべき独自の宿泊施設となりました。そこに流れるのは先人の客人を迎えた精神性で、範とするのは私たちのもてなしの思いだけです。
とりわけ重視したいのは「ご家族連れ」です。家族旅行にとって西洋式の宿泊施設は、部屋が二つに別れ、もっとも楽しいはずの家族そろっての語らいの場がありません。「桝一客殿」は一家族一部屋ですごせるような工夫と室礼(しつらい)を追求しました。そして料金も部屋売りを原則に考えています。こうした客人と小布施の人々との間に新たなそして可能性に満ちた交流が生まれてくれたらとの願いをこめています。
小布施堂 主人
市村 次夫