東京五輪・パラリンピックの開催期間中に各国の選手団や関係者が生活する東京・晴海の選手村。五輪後には宿泊施設を住居棟に転用し、50階建ての超高層住宅棟や商業棟などを建設する大規模な都市開発が計画されている。東京都が地権者であった選手村用地は、2016年12月に都が129億6000万円で不動産会社など11社と譲渡契約を締結した。しかし、この譲渡価格が「不当に安価である」として17年8月、都民33人が小池百合子都知事らを相手取って東京地方裁判所に提訴。その訴訟が現在も継続している。
選手村用地は中央区晴海5丁目に位置しており、敷地面積は約13.4ヘクタールにおよぶ。都は16年5月に整備事業を手掛ける「特定建築者」を公募し、同年7月に不動産会社など11社(三井不動産レジデンシャル、エヌ・ティ・ティ都市開発、新日鉄興和不動産、住友商事、住友不動産、大和ハウス工業、東急不動産、東京建物、野村不動産、三井不動産、三菱地所レジデンス)を選定した。
原告側は、周辺の地価などから選手村用地の適正価格を1339億626万円(100万円/㎡に13万3906.26㎡を乗じる)と試算している。この金額と譲渡価格の差額である1209億4626万円などを都や特定建築者11社に対して請求している。都は16年4月、都市再開発法に基づいて選手村の土地評価額を原告団の主張する金額の約10分の1以下となる129億6000万円とした権利変換に同意している。つまり、11社の特定建築者はこの価格を前提に、都と用地の譲渡契約を締結したのだ。
選手村用地の評価額を試算したのは都が土地価格調査を依頼した日本不動産研究所だ。同社は16年2月に各街区を一体として試算した土地価格が1㎡当たり9万6800円であるとの調査結果を都に提出している。しかし、原告の1人である桝本不動産鑑定事務所代表の桝本行男不動産鑑定士は「都が発注した試算価格は不動産鑑定評価基準にのっとっておらず、近隣の公示地価や基準地価をまったく反映していない」と指摘する。選手村に隣接する晴海5丁目東地区の地価は1㎡当たり60万~108万円。選手村用地を1㎡当たり100万円と仮定するなら地価は約1340億円になると原告は主張する。
「機会損失を考慮」納得できない都の説明
なぜ価格にこれほどの開きがあるのか。都はこの土地が東京五輪・パラリンピックに対応していることを理由に挙げている。16年3月の都議会予算特別委員会では「土地を取得した民間企業が資金を回収するまでに時間がかかる」と説明している。五輪開催後に本格的な整備事業が始まり、完成した建物を分譲したり、賃貸したりするまでのタイムラグで機会損失が発生することを考慮した価格だというわけだ。原告に加わる「臨海部開発問題を考える都民連絡会」の市川隆夫氏は「都の説明ではなぜ相場の1割の地価を試算したかが分からない」と憤る。
訴訟が続く中で、小池都知事は19年7月、マンションの分譲や賃貸などを通じて予定している分譲収入の1%を超える増収があった場合、経費を除いた増収分の半分を都に納める覚書を特定建築者と交わしたと発表。これを受けた原告団は「選手村土地譲渡契約書には『著しい収益増がある場合譲渡金額の変更を別途協議する』旨の特別条項がある。激安譲渡価格に対する世論の批判をかわすための『逃げ道』としてあらかじめ設けたのではないか」と批判している。
この訴訟では、17年11月から20年12月までに10回の口頭弁論が実施されてきた。20年は新型コロナウイルスの感染拡大によって予定通りの進行とならず、訴訟が長引いている。21年に入って4月1日には原告側の証人として桝本鑑定士が選手村用地の譲渡価格が周辺地価の10分の1である異常性を説明した。一方、被告側も4月8日に都の依頼を受けて土地価格の調査報告書を作成した日本不動産研究所の水戸部繁樹鑑定士が尋問に応じている。東京地裁の記録によると、水戸部鑑定士は都からの依頼が「選手村として利用する特殊な、それで長期の利用制限が付く極めて難しい案件だった」と証言している。
不動産鑑定評価基準に基づく正常価格が算出できなかった点については、選手村が土地購入者にタワーマンションを中心とする複合開発を義務づける上に、五輪終了までは選手村としての利用制限を課された土地のため、「複合開発を即時自由に土地購入者ができる最有効使用」ができないことを理由として挙げた。また、市場での一般的な価値を考慮できない場合の特定価格についても、「特定価格は法律上の要請に基づいて求められる価格。選手村は都から前提条件を付けられた行政上の要請で、法律上の要請ではない」と説明した。
一般的ではない「開発法」で価値算定
不動産鑑定評価基準では原価法、取引事例比較法、収益還元法などを用いて土地価格を試算するのが一般的だ。しかし、選手村用地の利用制限や立地の特殊性、これらを背景とした他の取引事例との比較の難しさから、日本不動産研究所は「開発法」と呼ばれる手法で調査を実施した。開発法は整備した建物の分譲や賃貸で得られる収支を見積もり、そこから工事費などのコストを除した金額を土地価格とする手法だ。
原告の代理人を務める渋谷共同法律事務所の千葉恵子弁護士は「開発法は確かに不動産鑑定の手法の1つだが、開発法を採用した場合も正常価格を参考として試算すべきだ。路線価格などの参考となる地価さえも示していない」と指摘する。「日本不動産研究所が都に提出したのは『調査報告書』であり、『不動産鑑定評価書』ではない。しかし、原則は不動産鑑定士が作成した資料は土地に公平な価格があると認識させる。調査報告書であるからといって正常価格が出せないという例外は認められない」
選手村用地の激安譲渡を巡る訴訟は五輪が終わった8月31日に東京地裁で結審する。都都市整備局市街地整備部の選手村担当者は「係争中の案件なので都としてのコメントはない。結審後の結果を見て対応を決める」と話す。いずれにせよ、都民の訴えが認められるなら都が、都の言い分が通るなら都民が控訴することになるだろう。
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