第2話「女王からの手紙」
グランデンの街中は、とある噂で持ちきりになっていた。
曰く、『天使さまが降臨なさった!」と。
……流石に、ルミエルの姿にはそれだけの影響力があるということだろう。
ミルディアナの騒動で彼女の姿を見かけた者も多いかもしれないけど、あの時は他にも純白の翼を生やした化け物――天魔が空を埋め尽くさんばかりに大量発生していた。
故に、他とは明らかに違う雰囲気を纏った可憐な少女であっても、天魔と同じような存在と思われたのか、大した騒ぎにはならなかったわけだけど。
噂には尾ひれはひれが付き物だ。
『天使さまが大英雄と共になって竜王国の竜騎兵たちを退治した』だの『天使さまのおかげで死霊たちが浄化され、妖しげな術式にかけられていた軍人たちが奇跡的に回復した』だの……。
まったくのでっち上げもあれば、一部だけ本当のことが交じっていたりするから油断ならない。
とはいえ、それだけなら別に問題はない。
どのような噂でも、僕とルミエルの関係性にまで言及されたものはなかったから。
だけど、それを間近で見た者からは思いきり怪しまれているわけで……。
夕陽が城砦都市を照らし出す時間帯。僕は軍学校の図書室の椅子に座り、テーブルの向かい側から睨みつけてきている銀色の瞳の少年から顔を逸らしたままだった。
「おい、だんまりかよ」
「……僕と『彼女』は盟友みたいなものだっていう主張を信じてくれないからさ」
「ハッ。ミルディアナで半殺しにされてどっかに連れ去られていった挙句、気が付けばそいつと盟友ってか。馬鹿も休み休み言えよ」
半殺しじゃないよ。1回死んだよ……。当時のことを思い出すだけで、何とも苦々しい気分になる。
しかし僕とルミエルの実際の関係を説明するわけにはいかない。いや、たとえ説明したとしても、それこそ最も馬鹿げている言い訳に思えるだろう。
『あのルミエルっていう子は、僕の第一夫人なんだよ』って。4歳児の嘘かな? そんなに幼くても、頭のいい子ならもっとマシな嘘を吐けるよね。……そう思われるに決まってるし。
ミルディアナから帰った後のみんなからの質問責めも凄かったのを思い出す。
もちろん、得体の知れない天使のような者に連れて行かれたのだから心配するのは当たり前だろう。
最後まで、連れ去られた僕の身に何があったか一切心配する様子を見せなかったのは、あの真っ白な身体をした女の子好きの狼の獣人娘だけだったっけ。あそこまでいくといっそ清々しい。
そんなシャウラから、
『あの天使のような子とはどこまで行ったの?』
『あんたの方から襲ったんじゃないでしょうね? あ、でも、軽くはたかれただけであんなに吹っ飛んじゃうような力量差だったからそれはないかしら。……ちょっと待って、じゃあ逆にあの可愛らしい子に凌辱されたっていうこと? 羨ましい!!』
『天使の性感帯について詳しく教えて』
今考えても酷い質問責めだった。
真剣な表情で聞いてきた最後の質問にだけ「翼の根元。右じゃなくて、左側」とぼそりと呟いておいたけど。
どんな座学の授業よりも夢中になって尻尾を振りながら、熱心に聞き入っていた彼女の様子をぼんやりと思い出す。
そして今回もまた、シャウラからの質問責めは凄かったとカーラから聞いている。
僕の代わりという任務を終えたカーラはそんな狼少女に対して一言。
『あのシャウラさまという獣人族の娘は色情魔か何かではないでしょうか。ルミエルさまと気が合いそうです。あのお方をテネブラエにお連れしてあのニワトリもどきと共に檻にぶち込んで家畜としてしまってもよろしいのでは』
ロカの奴隷という身分でさえなければ、シャウラはそんな仕打ちを受けても嬉々として受け入れそうだ。
檻に入れるかどうかはともかく、ルミエルとも気が合いそうだし。
などと、若干くだらない方向に思考が飛んだ時、銀色の瞳の少年ジュリアンが言った。
「お前ってさ、もしかしてレスタフローラから来たのか?」
「うん……?」
やや予想外の質問を受けて首を傾げると、ジュリアンはぼさぼさの黒髪をがしがしと掻きながら言う。
「すっとぼけてんじゃねえ、レスタフローラ聖王国だよ。あそこは大女神オルフェリアを主神としてるし、何よりも『天使』を崇めてるだろうが」
「ああ……そういえば、そうだったっけ」
レスタフローラ聖王国は、僕たち魔族の領域であるテネブラエ魔族国の北方に位置する小国だ。
しかし、小国とは言ってもあの国の国力はかなりのものとなる。
あの国特有の貴重な資源の輸出で財政は潤い、軍事力の要となる僧兵の力量は一般的な帝国軍人の遥か上を行くし、何よりも神使の数がとにかく多い。
それがあの国の民の信仰心から来るものなのかどうかは知らないけど、一騎当千の化け物じみた力を持つ僧兵ですらあそこでは雑兵扱いだ。
その上に位置する聖騎士と、魔術師たちの実力は更に抜きん出て凄まじいものを感じさせられる。
そして、あの国の最上位に君臨する聖女は神聖術式に特化した強大な魔法を無尽蔵に放てるほど莫大な魔力を有している。
僕が現ルシファーとなってからも何度かあの国と大規模な戦をしたけど、お互いに消耗が著しい。
自らの領地の関係で、レスタフローラと最も多く衝突してきた魔王がうちの1柱のベルフェは魔術に疎いながらも長年にわたってあの国の侵略を食い止めてきた。
彼はこう言っていたっけ。
『……聖女は化け物以上だが、俺なら狩れる。だがよ、あそこにはもっとやべえ奴がいる。テネブラエの総力を挙げるならともかく、俺が率いる『悪夢の群れ』だけじゃ話にならねえ』
あの戦狂いのベルフェですらそう言うのだから、相当な相手だ。
本気を出した彼が苦戦するとなれば、神剣を振るうデュラス将軍と同等の力量か?
その力自慢の魔王をも苦戦させたのは、絶世の美女といって相違ないほど見目麗しい女性の剣士だったとか。
僕もその姿を見てみたかったのだけれど、残念ながら件の相手が戦場に現れてベルフェに深手を負わせたのは数百年の間でたった一度だけだったという。
それ以降は、戦場に聖女が出陣するような時ですら姿を見かけることはなかった……。
とはいえ、総力戦を仕掛ければ僕たちが勝つのは目に見えている。ただし、被害は甚大になるし、周辺諸国へ与える影響も考えて、こちらから攻め入ることはしないように厳命してあるけど。
そして向こうから侵略されることも減っていき、あの国と戦うことがなくなってからもう何百年過ぎただろうか。
「おい、話し聞いてんのか」
「レスタフローラと僕なら、何の関係もないよ。多分ね」
「あっそ。天使に気に入られるような奴なら、聖王国出身なんじゃねえかと思ったんだけどな。んじゃお前は一体どこの出身なんだよ。帝国出身じゃねえことくらい、もうとっくにお見通しだぜ?」
「想像に任せるよ。たとえば、そう、もしかしたらエルフが人間に化けてるのかもしれない」
「化ける理由がねえだろ。お前のねじ曲がった性格から考えりゃ、エルフの線も捨て切れねえが」
前々から思っていたけど、ジュリアンはどうしてエルフのことを嫌うんだろうか。
リズとの仲は険悪なように見えて、実際には息の合った戦闘をしていたと軍人たちが話しているのを聞いたけど。
「僕よりも君のことの方が気になるよ、ジュリアン。君はエルフが嫌いなのかな? それともリズが嫌いなだけかい?」
「……気に食わねえんだよな、あいつらの舐め腐った態度がよ」
「ミルディアナに戻ったら、決して口には出来ない一言だね。今の情勢を考えるなら尚更だよ」
「わぁってるよ。せいぜい、あのクソエルフを罵倒するだけにしておくさ」
とんだとばっちりだね、リズ。
そんなことを思っていた時、急に図書室の扉ががらっと大きな音を立てて開かれた。
こんな時間に誰かと思えば、少し息を切らした風な様子のリズが僕たちを見かけて、はあっと大きく吐いた。
「あー……いたいた。ジュリアンくんはともかく、何でテオくんまでこんなところにいるわけ? どんだけ捜し回ったと思ってるのー……」
「おい、オレはともかくって何だよ」
「まあ、僕も生徒だから図書室を使うことくらいはあるんだけど……どうしたんだい、リズ」
「……テオくんに、見てほしいものがあって」
リズはまだ先日の険悪な雰囲気の尾を引いているかのように、気まずそうにしながら僕に手紙のようなものを見せてきた。
そこにはエルフたちの使う独特の文字でリズへの一時的な帰還を促す旨の文章が書かれていて、最後にこう付け加えられていた。
『追伸。テオドールへの褒美は何がいいか決まったか? あの男も必ず連れてくるように。他の特待生も、我らがエルフの国に興味があるようなら同行させることを許可しよう』
手紙をしたためた主の名はエインラーナ・キルフィニスカ。
エルフの国、ツェフテ・アリア王国の現女王陛下であり、リーゼメリア・キルフィニスカことリズの母親でもある。
手紙を読み終えた僕は訊ねた。
「エインラーナ陛下からの手紙? ……褒美って何のことだい?」
「ミルディアナでテオくんは大活躍したでしょ。結局、テオくんと母さまは事件の後は顔合わせをしなかったけど、キミがいないところであの活躍っぷりを話題にしてたの」
それは意外だ。
あの高貴な雰囲気を纏うエルフの女王陛下が、僕のことを気にかけていたのか。
「あの事件は本当に帝国とツェフテ・アリアにとって大きな危機だったし、何よりも事件を解決させて犠牲になった大勢のエルフの無念を晴らしたことを母さまが高く評価したとか。要はそういうお話」
あの女王陛下はそんな気の回し方はしない性格のように見えたけど、思ったよりも律儀なのかもしれない。
それに天魔召喚術式の術式破壊を行ったのも、リューディオ学長だしね。僕はただ街中や地下でちょっとした『掃除』をしただけに過ぎないのに。
「で、テオくん。褒美なんだけど、何がいい? ……実は結構前から聞こうと思ってたことなんだけど、何て言うのかな……。なかなか切り出す機会がなくてさ」
「褒美ってだけ言われても困るな。何でもいいの?」
「母さまに出来ることなら、ね」
急に褒美だのと言われても困るな……。
逡巡したところで、僕の方からもあの国に用事があることに行き当たった。
ベルゼブブの言っていた赤星の煌めきだ。あの天文現象に関する事柄について、エインラーナ陛下に話を聞いてみたい。
魔族国を出立する前から予定だけは決めていたけれど、さてどうしたものかと思っていたところだ。
これはまたとない機会だろう。
ただ、この場で本音を正直に漏らすのは得策ではない。ただでさえ今のリズには何かと警戒されている身だからね。
「……褒美を与えられるってことは、僕もツェフテ・アリアに招待されてるってことでいいのかな?」
「ん、まあ、そーだね。女王のご褒美を顔を合わせもしないで受け取れるってくらい、テオくんが常識外れだったら気にしなくていいと思うけどー」
リズが少し面白くなさそうな言い方をした。
彼女も一時的に帰らなければいけないようだし、当然僕のことを案内する必要が出てくるからだろう。
僕の方は願ったり叶ったり。悪くない展開だけど、一応彼にも聞いてみよう。
「ジュリアン。さっきはああ言っておいてなんだけど、ツェフテ・アリアに興味はあるかい?」
「えー? ないでしょ。エルフのこと嫌ってんじゃん、ジュリアンくん」
即座にリズがないないと首を振るものの、ジュリアンは言った。
「あるぜ」
「うっそぉ!? 何で何で!? キミが来たところで楽しめる場所なんかないよ!? ていうかぶっちゃけ来ないでほしい!」
「うぜえ……。オレだってエルフなんざ嫌いだがよ。それとこれとは話が違う。オレは『あの国の歴史』に興味があるんだ。他の特待生も誘っていいって書かれてあったんだろ? んじゃ、オレも連れてけよ」
リズがうええと変な呻き声を出した。
グランデンを発つ前に思わぬ事態になったね。
……でも、そうか。エインラーナ陛下は知らないんだったね。
ロカもシャウラもキースも。もう既にこの地にはいないというのに。
特待生は僕を含めて、わずか3名だけ……と何気なく思った時。
いるじゃないか、もう1人の特待生が。
ミルディアナにはいなかったけれど、素晴らしい力を持っている彼女が。
僕はすぐにこの後の行動を考え、リズに話題を振ってみた――。
書籍第2巻の書影が公開されました。
発売日は10月21日(流通の関係上、18日は恐らく一部店舗のみ)です。
よろしくお願い致します…!