第1話「悲愴」
エルベリア帝国西方の地、グランデン。
先の戦で大きな被害を受けたこの地では、早くも軍学校の授業が再開していた。
退屈な時間を過ごして放課後になると、僕は軍学校の正門を出て街中へと繰り出した。
南方領のミルディアナ領直属軍学校から短期留学をしていた僕たち特待生も、そろそろ帰還する日が迫っていた。
とはいっても、ロカとシャウラは戦場である祖国へ赴き、キースは自身の実家がある帝都に向かうと言って去っていったから、帰りはたったの3人となる。
あの騒がしい獣人娘たちと、普段は特待生の中で唯一の常識人でもあるキースがいないとどうしても物静かになりがちだ。
ジュリアンは相変わらず魔導の探究に血道を注いでいるものの、この地の魔術レベルの低さに早くも嫌気が差している様子だった。
そして、僕の正体が魔族だと悟ったらしきリズとは今まで通り顔を合わせることは多いけど、どこかよそよそしい。
以前まで何かとスキンシップが激しかった彼女とは思えないほどだ。僕に見せる笑顔もどことなくぎこちないのが少し寂しいところだね。
僕はそんな彼女“たち”の向かった街路のとある路地裏へと入り込んだ。
「ね、クラリス。次はどこに行く?」
「……」
深緑を長く伸ばしたエルフの少女が、軍学校の制服を纏い金髪を右側で結った少女と手を繋いで明るく話しかけていた。
しかし、当の金髪の少女はというと、心ここにあらずといった様子でその歩調もどこかぎこちない。まるでリズが繋いでいる手を離したら、その場にぺたりと座り込んでしまうのではないかというほど弱々しい感じだ。
「クラリス、どんなところでもいいよ? とっておきの場所に案内してほしいな」
「……すみません……」
「ん、うーん……そこで謝られても……。ほ、ほら、あたしたち、そろそろミルディアナに帰らなきゃいけない頃合いだからさ。クラリスと一緒に話せるのも後ちょっとだけだから、思い出とか作りたいなぁ……なんて」
茫洋とした瞳をしながら手を引かれるだけのクラリスの呟きに、リズはひどく困惑している様子だった。
それは、つい先日に起きた『死霊の集団』がこの街に侵入し、強大な力を持つ神使によってグランデン領の神殿に安置してあったすべての大水晶が破壊されたことによって生じた『次元の裂け目』に連なる事件の後からずっとだった。
テネブラエの王族がうちの1柱『サタン』と魔導生物の失敗作と思しきモノがあの裂け目から出てきた影響は、帝国だけではなく、ゼナン竜王国をも動かした。
あの国の四竜将の一人にして『大竜将』の名を冠するルドルフ・ベルガー大将率いる中隊規模の竜騎兵が、サタンへの扱いで意見を違えたクラリス率いるフレスティエ小隊と衝突し、彼女以外のすべての隊員を虐殺してしまった。
直後、現場に駆け付けたこのグランデンの守護者にしてエルベリア帝国最強の大英雄クロード・デュラス将軍により、大竜将率いる部隊は壊滅。大竜将ベルガーは難を逃れて竜王国へと帰還。
その後は――暴走したサタンとデュラス将軍の衝突に成り行きを見守っていたレナが介入し、デュラス将軍と激突。
僕はかつての盟友であるサタンの暴走を食い止めようとして……最終的にテネブラエで長い眠りについていた僕の第二夫人にあたるジゼルの手助けによって成功した。
彼女の力によって、一度人間の身体から魔神の身体へと戻った僕はサタンを戦闘不能状態にした後、テネブラエに帰還。
その間、僕の配下である真祖の吸血鬼カーラに僕の姿や記憶を完璧にコピーさせ、この地の監視を任せていた。
任務を終えた彼女からの報告によると、クラリスは身体にこそ負傷はないものの、精神的な動揺が激しく、とてもまともに動けるような状態ではないらしい。
リズは街の復興作業を手伝う中、クラリスの食事を作ったり、彼女を街中に連れて行ったりと気を回していたらしい。
それには祖国に帰る前のロカとシャウラたちも加わっていたらしいけど、結果は芳しくないようだ。
僕やデュラス将軍の考えていた最悪の結末といってもいいだろう。
その将軍も今は復興作業や軍務に追われていて、クラリスに時間を割いてあげられるような余裕はない。
一度だけ彼女と話し合ったらしいとの話はカーラから聞かされたけど、その後は顔も合わせていないようだ。
僕は街路の階段に座っているリズとクラリスの前に行った。
リズがぴくりと反応する。
「あ、て、テオくーん……どしたのかな?」
「そんなに露骨に警戒しなくていいよ、リズ。別に君を取って食べに来たわけじゃないから。そんなことより、クラリス、大丈夫かい?」
「……」
僕の姿を見ても、クラリスはほとんど何の反応も示さずに俯いてしまった。
「ちょいちょい、テオくん。いいかな?」
リズが立ち上がって歩いてくると僕の手首を無理やり掴み、少し離れた場所まで移動してから言う。
「もう、テオくんのバカ……!」
「いきなりどうしたんだい」
「どう見たらあれが大丈夫に見えるわけ……!? 今はあの事件のことは忘れさせて、少しでも元気付けてあげなきゃいけないところじゃない?」
僕は自然と冷めた眼差しでリズを見ていた。
「軍人が戦の結果から目を逸らすのかい?」
「っ! そ、それは……クラリスは、軍人さんでも、まだ軍学校の生徒でもあるし……!」
「彼女は少尉という肩書を与えられた立派な軍人だよ。軍学校に在籍しているのは、デュラス将軍の計らいに過ぎない。部下を持つ立場だからこそ、学校で教官の真似事をして人を率いる経験をさせられているだけであって、戦う力は十分にある」
「テオくんは、何が言いたいの?」
「部下を喪った程度でああなるようじゃ、軍人には向いてないね」
リズが僕の頬を平手打ちする――寸前で、彼女の手首を掴んだ。
「……最低だよ、テオくん」
「何がだい?」
「テオくんの意見は正論かもしんないけどさ。……そりゃ、戦争になったらいっぱい部下も死ぬし、デュラス将軍みたいな立ち場の人なんてもう部下が何人死んだかなんて覚えてらんないかもしんないほど、そういう経験もしたかもだけど」
リズは少しだけ目元を涙で滲ませながら言った。
「クラリスは、まだまだ経験不足なの! 大英雄さまみたいな人とはわけが違うし、キミみたいに怖いくらい冷静でいられるような性格でもないの! こういう感覚ってやっぱり、人間とかエルフじゃないとわから……」
頭に血が昇っているリズは、そこで失言でもしたかのようにはっとした顔になると、ぽそりと呟いた。
「……手、はなして」
僕が黙ってリズの手首を解放すると、彼女は気まずそうに言った。
「……ごめん。テオくん、ごめん。言い過ぎたよ。ほんとにごめんね……。でも、クラリスは」
「いいんです、リズ」
リズが声のした方向に振り向くと、そこには所在なげに佇むクラリスの姿があった。
「全部……テオドールの言う通り、ですから」
「クラリス……!? あ、ああ、ごめんね……今のやり取りは気にしないで」
「すみません、リズ。気を遣わせてしまって……私はもう、平気ですから……」
「どこが! 気を遣ってるのはクラリスの方でしょ!? 今はとりあえず休も? ね?」
部下の全滅。
しかも虐殺されたところを目の当たりにしたのだから、無理もないか。
それに、クラリスはどんなに才気に溢れていたとしても、所詮はまだ子供に過ぎない。実戦経験もなければ、当然部下を殺されたような経験も今回が初めてだ。
だけど。僕は思わず口を開いていた。
「クラリス。ちょっとだけいいかな」
「……」
「部下の死は、軍人であれば誰もが経験することだと言っていい。君のように将来有望な者なら、尚更ね。君はそこから目を逸らしてはいけない」
リズが僕を睨んでいるが、気にしないで続ける。
「フレスティエ公爵家は帝国の中でも名家だと聞く。君が今のような立場でもなければ、もう縁談の1つや2つは来ているはずだ。自分が軍人に向いてないと思っているなら、退役して実家に帰るのも悪くはないんじゃないかな」
「……」
「テオくんってば! お願いだから、それ以上クラリスを追い込まないでよ……!」
クラリスをかばうリズに向けて、僕は言った。
「リズ、君は本当に優しいね。でも、無責任な優しさは相手のためにならないよ」
「む、無責任ってわけじゃ……」
「僕たちはもうすぐミルディアナに戻る。その後はクラリスに構ってあげることは出来ないじゃないか」
「だ、だからってほっとけってわけ!?」
「そうとも言えるかもね。それに、そもそも君にクラリスを慰める資格なんてない」
予想もしていなかった言葉だったのか、リズは激しく動揺しながらも怒りを露わにした。
「慰めるのに資格なんているの!?」
「リズは自分の目の前で部下を誰かに殺されたことはあるかい?」
「……ない、けど」
「リズとクラリスじゃ、立ち場も何もかも違う。君の言葉はクラリスに届かない」
「……!! じゃ、じゃあ、テオくんだって……テオくんだって、そんな経験したこと、ないじゃん……」
「ないね。だから僕は彼女を慰めない。ただ感想を述べてるだけだよ」
嘘を吐いた。
部下――魔王の僕にとっては配下にあたる者が死んだ経験なんて腐るほどあるさ。歯向かう者はこの手で始末したことだって何度も。
そんな僕の言葉に、リズはますます激情を募らせていく……が、もはや僕には見向きもしないでクラリスに言った。
「クラリス。行こ? テオくんの言うことなんて気にしないで……」
「……リズ。もう大丈夫……ですから。少し、1人にして頂けませんか」
「え、あ、う、うん……! ごめんね、うるさかったかな」
「いえ……お気遣い頂けて嬉しかったです……」
俯いたままのクラリスが静かに告げると、リズは悲しそうな表情を浮かべながら僕のことを見て……そのまま何も言わずに立ち去った。
それを見送っていると、クラリスがゆっくりと歩いてきて僕の前に立つ。
「……テオドール」
「うん?」
「私のせいで……リズと仲違いをさせてしまってようで、申し訳ない……です」
「僕は本心を言っただけだよ。君が気にするようなことじゃない」
「……彼女のこと、悪く思わないでください。私を想って……ずっと、付きっきりになってくれて、感謝しているのは本当ですから……」
「もちろん。悪く思ったりしないさ。彼女はとても魅力的だよ……まだまだ幼いところはあるけれど」
リズの献身的な優しさ……。
知り合って間もない相手に、ああも優しく出来るものだろうか。
もっとも、僕の夫人のジゼルも誰に対してもとても優しい。それこそ出会ってすぐの相手であっても。けれど、あれは比較対象にはならない。
ジゼルは人間でありながら、人間ではない。彼女の何者をも虜にする包容力は数百年以上の時を経て辿り着いた彼女の本質そのものとも言える。
人間どころか、エルフですら辿り着けない悠久の刻の果てに、今の彼女があるといっていい。
ジゼルとリズの優しさは同じようなものに見えて、実際にはまったく異なるものだ。
「クラリス。君は軍人を続けるつもりかい? 誤解を招いてもおかしくない言い方だけど、あの程度の失敗なら君の立場には影響しないと思うよ」
「……わかり、ません。どうしたらいいのか、何も」
「君は可愛くて頭もいいから、きっと貴婦人の道を選んでも上手くやっていけると思うけどね」
「……私が出来るのは、勉学と戦うことだけ、です。昔からダンスや楽器の演奏の練習などは苦手でよく投げ出してしまっては、両親に怒られていました……」
自嘲するクラリスは、その頃のことを思い出しているのか、どこか遠くを見つめた。
これは意外だ。クラリスなら何でもそつなくこなせると思い込んでいたけど、苦手な分野があるのか。
無言が続く。
僕も思うところがないわけではないが、今はこれ以上続けるのはやめておこう。
でも最後に一言だけ。
「僕は君が自責の念に駆られるのを責めはしない。けど、クラリスを慕って戦場に散った者たちは君のそんな姿を見ていたくはないんじゃないかな」
「……っ」
これはあくまでも感想に過ぎない。
ただ、昔……僕の目の前で致命傷を負った者にこう言われたことがある。
『これからも魔族を統べる尊き御方であらせられますように』――と。
その時のことを何となく思い出した。
「じゃあ、そういうことで。僕はそろそろ帰るよ。君も送ろうか?」
「……私は、もう少し1人でいます」
「そっか。またね」
僕は踵を返して、その場を去った。
グランデンの軍学校の寮。その自室で――私はベッドに寝転がりながら、愛妻に腕枕をしてその髪を撫でていた。
銀色の美しい髪を梳き、その感触とほのかに漂う甘い香りを堪能しながら少女に問いかける。
「レナ。私はまたミルディアナに戻ることになるが……お前はついてくるか」
私の首に腕を回して抱きついたまま、レナが何も喋らなくなってから半刻は過ぎた。
いつもは甘く囁いてきたり、耳に吐息を吹きかけてきたりするレナが何もしてこないのは珍しい。
それだけ、何か思うところがあるのだろう。先のデュラス将軍との戦から、どうにも塞ぎ込みがちになっていたからな。
私が手の離せない状況の中、ジゼルが宥めてくれてだいぶ落ち着いたらしいが。
そう考えていた時、レナはぽそりと呟いた。
「私は、ルシファーさまのお役に立つことが生き甲斐です」
黙って先を促すと、レナは抱擁を強くしてから呟いた。
「これから先、貴方さまのお傍にいる資格が私にあると思われますか……?」
か細い声だ。
もとよりレナは理知的で冷静だ。喋り方も落ち着いているが、いつもはこんな声は出さない。弱々しいにも程がある。
先程見かけたクラリスの姿とどことなく似ている気がする。思えば、あの少女もレナも生真面目であるという点では非常に似通っている部分がある。
私はレナに言う。
「当然だ。お前は私が契りを交わした愛妻なのだから。これからも私の傍にいろ」
「……本当、ですか。ルシファーさま、ルシファーさま……!」
レナが抱擁を強くしてきた。
私はふっと笑って、それを優しく受け止める。
……身体がみしりと悲鳴を上げた。
いや、待て、やめろ……お前が少し力を入れただけで、この人間の身体が弾け飛ぶことくらいわかっているだろう。
「ルシファーさま、お慕いしております! これからもどうか、ずっとずっとお伴させてくださいませ!」
「っ!? ぐっ……レナ……」
「はふぅん、我が至高の主の妻として相応しく振る舞えるよう、今後も精進致しますからぁ!」
甘えてくるレナにぎりぎりと身体を締め付けられる。
感極まって力の加減を忘れていないか、こいつは……!
レナの甘い匂いや豊満な胸の感触を堪能している場合ではない。
「待て……! 落ち着け、レナ……んぶっ」
強引に唇を奪われた。
待て、待て、待ってくれとレナの背中をバシバシと叩くが、レナの瞳の中には既に臨戦態勢万全とでも言いたげな情欲の火が灯っている。
この日、興奮しきったレナが落ち着くまでの間に肋骨と背骨が何度か折られるハメになったのは言うまでもない。