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 *


 夢を観ていた。上も下もない暗闇(くらやみ)の中に、無数の星が(きら)めいている。


 私は満天(まんてん)の星空の中を、覚束(おぼつか)ない足取りで歩いていた。私の思考は熱病(ねつびょう)(おか)されている時のように、曖昧(あいまい)として、自身の手より大きなものを、片手で(つか)もうとし、(すべ)り落としているかのようだった。


 思考が(まと)まらず、思考と記憶は(ことごと)く洗い流され(とど)め置くことが出来なかった。


 ――人の子。(つみ)なきが(ゆえ)に、許されることのない苦痛(くつう)に身を置くものよ。


 声が、聞こえた。


 全てが曖昧(あいまい)な世界の中、いやにはっきりとした、鮮明(せんめい)な声だった。聞いたことのない、声だったが、私にはその声の主が誰なのか、瞬時(しゅんじ)に、分かった。


 私は足を止めて、(ひざ)()いて(こうべ)を下げた。何かが私の(あたま)()れる。私は好奇心(こうきしん)から、頭を上げたくなったが、不敬(ふけい)がそのまま死に(つな)がることを、本能的(ほんのうてき)理解(りかい)していた。


 ――(おそ)らく。貴方(あなた)予想(よそう)は当たっていますよ。私は光。私は宵闇(よいやみ)間隙(かんげき)。その(またた)き。


 (すなわ)ち、星々(ほしぼし)(つら)なりを(かんむり)として(いただ)くもの。


 ──(やぶ)られる(はず)のない封印(ふういん)(やぶ)られました。貴方のせいで。


 (とが)めるその声は、(しか)し、不思議(ふしぎ)(やさ)しい(ひび)きで、暗闇(くらやみ)に広がった。


 ──私の光は世界に秩序(ちつじょ)を与えましたが、秩序(ちつじょ)抑圧(よくあつ)という(かげ)を生んだように。私が生まれた(さい)に、私にも(かげ)が生まれました。

そして、私はかつて私の(かげ)を切り(はな)し地上に(ふう)じたのです。


 私はふと、あの硝子(がらす)(ひつぎ)と、その内で眠る美しき少女の姿を幻視(げんし)した。まさしく。あの少女は。星々(ほしぼし)(きら)めきの、その(うつ)し身のようではなかったか。


 ──(あわ)れな人の子。白紙(けっぱく)()れぬことを(なげ)いたが(ゆえ)に、自らを(ぎむ)流血(ばつ)()める子よ。(つみ)なきが(ゆえ)に、永遠(えいえん)(いばら)(とら)われた虜囚(りょしゅう)よ。その矛盾(むじゅん)(ゆえ)に、貴方(あなた)は私の(ふう)破壊(はかい)した。


 冷たい指先が(ひたい)()れ、全身を激痛(げきつう)が走った。鋭利(えいり)刃物(はもの)体中(からだじゅう)に食い込んでいるかのような感覚(かんかく)に、(さけ)び声を上げそうになる。だが、どれだけ口を開こうと、言葉(ことば)(はっ)せられることはなかった。私は自身が夢を観ていることと、(ゆえ)に、言葉が発せられるべき肉体がないことを思い出した。私は(たましい)によって(さけ)ぶ方法を(わす)れていた。


 ――貴方(あなた)に、私の(ちから)をあげましょう。貴方(あなた)(きず)(いや)されるように。貴方(あなた)軽率(けいそつ)さが(ゆる)されるように。そして、貴方(あなた)が……。せめて、貴方(あなた)(おのれ)(おろ)かさを(あい)せるように。きっと。私の(かげ)貴方(あなた)(のぞ)むでしょう。貴方(あなた)(あい)を。私がそうであるように。(しか)し、(わす)れてはいけません。(あい)とは(ゆる)しではありませんよ──

  

 *


 私は、自身の(さけ)びで、目を()ました。視界(しかい)(かす)み、目の(おく)(あつ)い。一度、二度、頭を()ると、(みょう)に頭が重かった。


 (あた)りを見渡(みわた)し、私は此処(ここ)が死の()てに()るという月の楽園(らくえん)でないことに気が付いた。私は死んだのではなかったのか。(ひど)頭痛(ずつう)に、思わず(ひたい)に手を当てる。何か夢を観た気がした。


 どうやら私は、硝子(がらす)(ひつぎ)の中で(よこ)たわっていたらしい。誰が私を(ひつぎ)に入れたのか。そして、あの少女の聖骸(いたい)何処(どこ)に行ったのか。


 いや、そんなことは、どうでもいい。何よりも――ああ、私は自分の目がおかしくなったのか、(ある)いは、頭がおかしくなったのかと(うたが)った。それとも私は、(いま)だに死の(ふち)にいて、引き()ばされた時間の中で夢を見ているのだろうか。



 私は、王国の学園で支給(しきゅう)される制服(せいふく)()ていた(はず)だ。本来(ほんらい)流刑(るけい)となる囚人(しゅうじん)には()()ない待遇(たいぐう)だが、宮住(みやず)まいの貴族(きぞく)には、私に同情(どうじょう)してくれるものが多く居て、(むご)たらしく処刑(しょけい)されなかったのも、そのお(かげ)なのだが、彼等(かれら)は、最後まで私の名誉(めいよ)に気を使ってくれた。


 ()(かく)。私が着ていたのは、学徒(がくと)羽織(はお)長衣(ローブ)

であって、貴族(きぞく)の娘が着るような()かしの(かざ)(ひも)がふんだんに使われた衣装(いしょう)などではなかった(はず)だ。


 貴族達(きぞくたち)夜会(やかい)でさえ()ないであろう(たけ)の短い(すそ)から(あら)わになっている(あし)はあまりに白く、そして、細かった。いくら私が書物(しょもつ)にかまけて、肉体の健康を(おろそ)かにしていたとしても、ここまで貧相(ひんそう)ではなかった。いや。そもそも。この身体は。男性の身体とは決定的(けっていてき)(こと)なっていた。きめ細かい、白い肌。細く、それでいて、(やわ)らかな肉付(にくづ)き。関節(かんせつ)柔軟(じゅうなん)さと動きまでもが。


 私は、困惑(こんわく)した。背中に(いや)(あせ)(あふ)れ、じっとりと()れる。私の肉体は如何(いか)なる作用(さよう)か、少女のものへと変じていたのだった。 


 私は()い出るようにして、(ひつぎ)から(だっ)すると、私が死んだはずの場所を精査(せいさ)した。奇妙(きみょう)物言(ものい)いになるが、其処(その)に私の遺体(いたい)はなかった。


 ということはやはり、この体は私のものなのか。


 血痕(けっこん)すら存在(そんざい)していないのは奇妙(きみょう)なことであったが、そもそもが奇妙(きみょう)なことばかりであったので、そんなことは些細(ささい)なことのように思えた。


 私が着ていた衣服(いふく)(かばん)はご丁寧(ていねい)に部屋の(すみ)(まと)められていた。一体、誰が、とは思うものの、それを知りたいとは思えなかった。私を(つらぬ)いた、あの七色の軟体(なんたい)を思えば、この館に真面(まとも)存在(そんざい)期待(きたい)する気にはならない。むしろ、明確(めいかく)な、何らかの意思を感じ、私は警戒(けいかい)を強めた。


 私は誰に見られているでもなしに、自分の服装(ふくそう)気恥(きは)ずかしさを(おぼ)え、(やかた)で見付けた外套(がいとう)を上から羽織(はお)った。私の身体は、貧相(ひんそう)な少女のものに(へん)じており、元々(もともと)着ていた服は大きさが合わずに着れそうにもなかった。羽織(はお)った外套(がいとう)でさえ大きすぎて(ゆか)()っていた。


 私は座り込んで、これからどうするべきかを考えた。端的(たんてき)に言って、私は辟易(へきえき)としていた。諦観(ていかん)疲労(ひろう)忌避(きひ)できぬほどに(ふく)れ上がり、死よりの蘇生(そせい)も、不可思議(ふかしぎな)な肉体の変化にもそれほど大きな驚愕(きょうがく)を覚えることも出来(でき)なかった。私は(うつむ)き、(ひざ)(かか)え、外見通(がいけんどお)りの少女であるかのように、(ひど)く落ち込んでいた。


 (しばら)く、そうしていると、何かが、私の頭に()れたような気がした。私は(みょう)既視感(きしかん)(おぼ)え、頭を上げるのを躊躇(ためら)った。


「頭を上げなさい」


 硝子(がらす)で出来た(すず)音色(ねいろ)のように、()(わた)った声だった。私が驚愕(きょうがく)と共に顔を上げると、そこには美しい薔薇(ばら)(かんばせ)があった。(きら)めく黄金の髪が、私の(ほほ)()れて(くすぐ)った。(ひつぎ)の中で眠っていた少女が、私のことを、その大きな(ひとみ)で、見下ろしていた。気の強そうな、それでいて、何処(どこ)か、病的な偏執(へんしゅう)宿(やど)した、(くら)黄金(おうごん)──。


 少女は私の顔を見て、満足(まんぞく)そうに笑うと、(きゅう)に顔を近付(ちかづ)けて、そのまま私の(くちびる)(うば)った。


「ん……、あ、ふ、ぁ……」


 突然(とつぜん)接吻(キス)に私は(ひど)狼狽(ろうばい)して、少女を()しのけることを(わす)れてしまった。少女は、乙女(おとめ)細腕(ほそうで)とは思えぬ力で私を(ゆか)(おさ)()け、私の口内(こうない)()勝手(かって)蹂躙(じゅうりん)した。少女の(した)()()退()けて入り()み、私の口蓋(こうがい)をなぞり、(した)(から)み、歯肉(しにく)(くすぐ)った。私の身体はいやに敏感(びんかん)で、少女の(した)による愛撫(あいぶ)(たび)四肢(からだ)()ね上がり、それを少女が尋常(じんじょう)ならざる力で(おさ)()んだ。


 少女の身体(からだ)から(つた)わる熱が(びやく)のように私の身体に回っているのを感じた。下腹部(かふくぶ)の熱と、湿(しめ)()に私は困惑(こんわく)し、必死(ひっし)(あし)を動かして少女を退()けさせようとした。


 私の必死(ひっし)さを(あわ)れんだのか、少女は(ようや)く私から顔を(はな)すと、愉快(ゆかい)そうに(わら)った。


「ああ、貴方(あなた)感謝(かんしゃ)するわ。私を()(はな)ってくれて」


 私は(あら)(いき)(ととの)えながら少女の言葉の意味を考えた。やはり人間ではなかったのか。では、彼女は一体、なんだというのか。星の女神に由来(ゆらい)する場所に、(ふう)じられていた、彼女は──


 何であれ。私は少女の本質(ほんしつ)邪悪(じゃあく)なものでないことを(ねが)った。勿論(もちろん)(ねが)ったということは、つまり、私は微塵(みじん)も彼女が善良(ぜんりょう)存在(そんざい)だと思ってないということだが。


 少女は私が沈黙(ちんもく)しているのを見て、不機嫌(ふきげん)そうに(まゆ)(ひそ)めた。少女は、そのしなやかな指先を、私の(ほほ)()ばし、()でた。私は思わず首筋(くびすじ)(あつ)くなるのを、感じ、(おのれ)(あさ)ましさを()じる(ほか)なかった。


貴方(あなた)、どうせ(ろく)な人間ではないのでしょう? こんな場所に来るくらいだもの」


 私が曖昧(あいまい)(うなづ)くと、少女は軽薄(けいはく)な笑い声を上げて、私の(ひたい)()れた。(するど)(いた)みが走り、思わず顔を()らす。


忌々(いまいま)しい印があるわ」


「印? 印など……私には……」


「あるわ。貴方(あなた)の中に」


 私は夢の中での出来事を思い()かべ、()ぐに消した。代わりに少女を横に退()けて、立ち上がる。少女は抵抗(ていこう)せずにあっさりと横に退()いた。少しだけ、()しいと思った自分を()じる。


 私は、少女の顔を直視(ちょくし)出来ずにいた。私は少女の薔薇(ばら)(かんばせ)に心を(みだ)されることがないように、視線(しせん)()らしていたが、(あわ)れな私は、少女の白い四肢(しし)が目に入るだけで、(しん)(ぞう)悪戯(いたずら)()ねた。


「あれは……夢だった。そんなことより、私は、帰らなければ。館の……入り口の扉の開け方を知っているか?」


 私は、声が不自然(ふしぜん)(ふる)えていないか、心配(しんぱい)になった。少女は何も答えずに(かた)(すく)める。(しばら)くの(あいだ)沈黙(ちんもく)が私達を支配(しはい)した。何故(なにゆえ)私は直ぐにその場を立ち去らなかったのか。自分でも分からない――などという欺瞞(ぎまん)を口にするつもりもない。私の心は(すで)に、冷静(れいせい)ではなかった。


「その姿で帰るの?」


 (もっと)もな意見(いけん)だと思ったが、それでも、この館に閉じこもっているわけにはいかないだろう。私は私に起きた変質(へんしつ)について、少女が何か知っていることを期待(きたい)した。


「元の姿(すがた)(もど)れるのか」


 少女は(わら)った。

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