エピローグ
僕が城砦都市グランデンに戻ると、街は既に復興へと向けて動き出していた。
実に1週間近くこの都市から離れていたわけだけど、その間に起きたことについては魔族国に帰還したカーラから脳内にすべての記憶を送り込まれた。
争いとは縁遠かった彼女も、やはり吸血鬼であることには違いない。大勢の人間が住むこの地に長く留まって、その吸血衝動が暴走しないか不安だったけれど特に問題はないようだった。
しかし、彼女からもたらされた情報には少し驚いた。
その原因は目の前にいる“彼女たち”だったりする。
「さーて、シャウラよ。準備は整ったかー?」
「ええ。私は大丈夫」
他にも集まっていた特待生の中から、リズが少しだけ不安そうな声で切り出した。
「ね、ねえ、ロカ、シャウラ。本当に……帰っちゃうの?」
「うむ。爺……ああ、セヴラン大元帥のことなのだがな。あれに帰還命令を出されたのだ。そろそろ頃合いだから余も戦列へ加われとな」
「……」
いつも明るいリズは「大丈夫なのか」と問いたげな表情を浮かべるけど、口にはしなかった。
それを察したのか、シャウラがリズに抱きつく。
「なぁに? 私がいなくなるのがそんなに寂しい? 私たち、もうとっくに一線を越えた仲だものね。無理もないわ」
「……そうだね。シャウラとはもう切っても切り離せない仲だもん! やっぱり寂しいよー! 行かないでー!」
「んだこいつら…‥」
シャウラのノリにあえて何も反論せずにノったリズを見て、ジュリアンが半眼になりながらぼやく。
そんな中、赤髪の青年がロカへと言った。
「ロカ。お前より弱い俺から言えることはあまりないが、無理だけはするな」
「ん。心得ておる。余は絶対に死ぬわけにはいかぬからな。だがな、キースよ。お前とて強い。自分を卑下して余に遠慮などせずとも良いぞ」
「いや、俺はまだまだだ。もっと己を磨かねばならん。お前に後れを取らぬよう、体術にも一層の磨きをかけておく。また会える日を心待ちにしているぞ」
「……そうか。うむうむ、楽しみにしておるぞー」
「ロカー! ロカも行っちゃやだよー! まだ一緒にいたいよ、ねえ」
「むー、何だリズ。お前は大人しくシャウラと乳繰り合っておればよかろう」
「私はむしろロカも交ざった3人で……嗚呼、いいわ。素晴らしい光景よ。うふうふ」
「ね、ロカ。絶対に死んじゃダメだよ。約束だよ。今度一緒にまたアップルパイ食べよ? ね? とっておきのお店、探しておくし」
「店などどうでもいい。余はリズが作ったアップルパイをまた食いたい。あれは今まで余が食ってきたどのような甘味よりも美味だったからな。また作ってくれ、リズ」
「うっ……ロカぁ……」
ロカの誕生祭の最後に出されたのがリズのアップルパイだったっけ。
なかなかおいしかったなぁと思いつつ、僕はジュリアンへと目を向けた。
「ジュリアン。君から言うことは?」
「別に。うるせえのが2人いなくなるだけだろ。これで少しは静かになるってもんだ」
シャウラの凍てつくような視線がジュリアンを射抜くものの、彼はまったく気にした様子もないようだった。
ロカは未だに半泣き状態で抱きついているリズを撫でながら、竜族の少年に向かって言う。
「おい、そこの竜よ。お前とは本当に最初から最後まで縁がなかったな。せっかく開かれた余の誕生祭にも出席しないとは何たることかー」
「どうせお前らのことだから酒の飲み過ぎで酷い有り様だったんだろ? そんなくだらねえもんに興味はねえよ」
「……ちっ、まったくいけ好かない竜……いや、トカゲめ」
思いのほか洞察力のあるジュリアンに対してロカが悪態を吐くものの、一転爽やかな笑みを浮かべた。
「しかしまぁ、今日この日、ここでだけは名前で呼ぶのも悪くはあるまい。ジュリアンよ、お前にも世話になったな」
「……今生の別れみたいに言うな、お前も。まあ、そういうことなら最後の手向けにオレも名前で呼んでやるよ。ロカ、シャウラ、せいぜい派手に死んでこい」
「ちょっと!? 蛮族共の前にまずあんたをバラバラに引き裂いてあげましょうか!?」
「シャウラ。良い良い。お前もほら、名前で呼べ」
「ええっ!? うぅ~、呼びたくないぃ……けど……仕方がないわね。ジュリアンとかいうクソガキ。次に会ったら覚悟してなさい。その喉笛、絶対に切り裂いてやるわ」
「へいへい、やれるもんならやってみな」
……恐らく、ロカもシャウラもジュリアンも。何度かこういう経験をしたことがあるんだろう。
知り合いと何気なく別の道を歩み――そのまま二度と会うことの出来ない辛い体験。それがこの3人に強く根付いている気がしてならない。
「さて、テオ」
ロカの瞳が僕を見据えた。
「お前にも本当に世話になった。余の予定ではお前を倒せるほど強くなってからルーガルへと帰還するつもりだったのだが、そうも言っていられなくなったのが心残りだ」
「僕も君の成長する様を見ているのは楽しかったんだけどね。ここでお別れは少し寂しいかもしれない」
「しばしの別れだと思うぞー? 戦が終わったら、お前たちを我がルーガル王国へと招待しよう。そう遠くない話だろうから――」
「うん、ありがとう。期待しておくよ。それよりロカには大事なことを伝えておきたい」
ロカが少しだけ小首を傾げるのを見て続けた。
「君は『獣王』であるということを忘れてはいけない」
「そんなこと……常日頃から意識しておるぞー? もはやルーガルに残された王族は余だけなのだからな」
「君の誕生祭で僕が言ったこと、覚えてるかな?」
「む……『戦う意思のない者を殺すな』だったか?」
「そう。君が本当に獣王の名を冠するに相応しい器となり、やがては神獣王ルーガルと並び立つ気があるのなら、それを決して忘れてはいけない。彼の血を最も色濃く受け継ぐ君なら、必ず道を踏み外すことはないと信じているけど」
「ねえ、ちょっと。説教でもしてる気なの?」
「シャウラ、君もだよ」
「な、何が?」
「ロカの傍で彼女を支えてあげてほしい。戦場ではいくら血気盛んでも構わない。でも、もしも主君が道を踏み外そうとした時が来たなら、君がそれを正すんだ」
「……意味が、よくわからないんだけれど?」
「今はわからなくていい。いっそわからないままの方がいい。だけど、場合によっては君はロカと戦ってでもルーガル王国を正しき道へと導く責務がある」
そう告げると、ロカがふっと笑った。
「余が道を踏み外すかはともかく、シャウラが相手ではなぁ。単に殴り合っても、余が勝ってしまうぞー?」
「そうよ、我が主の言う通り。何でそんなことを私に言うわけ?」
「決まってるじゃないか。こんなこと、シャウラにしか頼めないからだよ。それに僕は君のことも信じてるから」
真っ白な狼娘を見据えて言うと、彼女は口をぱくぱくと開閉させてから気まずそうにぷいとそっぽを向いた。
「……まあ、いいわ。あんたが強いのは確かだし、ロカを支えるのはもとから私の使命だもの。黙って従ってあげるわ」
「シャウラー。名前を呼ばぬか」
「くっ。わ、わかったわよ……テオドール、あんたの言葉は覚えておく」
「話が早くて助かるよ、シャウラ」
「ふ、ふん……。あんたが女の子だったらもう少し素直に聞いてあげても良かったんだけど。不潔な男の声なんてこれ以上聞きたくないわ」
シャウラはそう言って、荷袋を背負ってグランデンの門扉へと歩いていった。
「さて、リズ、キース、ジュリアン、そしてテオ。またな」
「……ぐすっ、ロカぁ、元気でね……」
「わかったわかった。こういう時はいつものリズのように明るく送り届けてもらいたかったのだが、今日のお前は本当に面倒くさいな」
「うー、めんどくさい言うなぁ……!」
「ほれ、テオ。後は任せた」
ロカがエルフ娘をどんっと押し出して、よろめくリズを僕が後ろから抱き留めた。
「て、テオくん……」
すっかり警戒されたままだな。まあ、仕方ないか。
僕はリズを少しだけ見てから、ロカを見つめた。
「ロカ、戦場に行くような相手にこう言うのもなんだけど、元気でね」
「うむ! お前たちも達者でな! ……クラリスのことも頼んだぞ? ではな。行ってくる!」
ロカは荷袋を背負って駆け出し、ちょっとしてからまた立ち止まって僕たちへと振り返った。
そして満面の笑みで片手を振る。
そんな彼女を、眩しいほどの朝陽が照らし出していた。
ロカは何度も名残惜しそうに振り返りながらも、やがて僕たちの視界から消え去った。
「……俺も、一度帰らなければならん」
キースが唐突に言った。まだ半泣き状態だったリズが驚きの声を上げる。
「えっ!? き、キースくんまでどうしたの!? ロカと同じで戦場に行くとか!?」
「違う。俺の実家は帝都にあるのだ。そこで、少しだけ寄りたい場所があるだけだ。別に危険なことなどない」
「そっか。じゃあ、リューディオ学長には僕たちの方から伝えておくよ」
「ああ、頼んだ。実は既に準備も終わっている。この後、すぐにでも発つつもりだ」
「キースくんもかぁ……本当に、寂しくなっちゃうね」
「キース。そこで君が何をしたいのかはわからないけど、自分を見つめ直すいい機会だ。ゆっくりしてくるといいよ」
「ああ、わかっている。ではな」
そして、赤髪の青年もまた僕たちの前からいなくなった。
リズが鼻をすんすんと鳴らしながら呟いた。
「なんだか、あっという間だったね……」
「ま、キースはともかくあの獣人……いや、ロカとシャウラがいずれこうなることはわかってただろ。ちょいとばかし予定が早まっただけだ」
ロカとシャウラが向かったのは、本当の戦場だ。
魔術どころか、禁術や魔法が飛び交い、魔導生物が跳梁跋扈する血生臭い戦場。
彼女たちには帝国軍という強大な後ろ盾がある。負けるはずがない。
……けど、何も犠牲がないわけじゃないだろう。
ロカ、シャウラ。君たちと過ごした時間は短かったけど、なかなかに濃密なものだった。
またさっきみたいに、6人揃って話せる時が来たらいいね。
そうしないと、リズが悲しむし。ほら、その証拠にまだ泣きやんでない。
僕は信仰する神なんていないから神頼みはしない。ただ、君たちが無事であることを願うだけだ。
次にまた元気な君たちと再会出来る日を心待ちにしているよ。
そんな思いを込めながら、僕は3人が旅立った門扉の方をしばらく見据えていた。
◆
獣人との戦に辛勝した部隊が、キアロ・ディルーナ王国に帰還した折。
首筋を爪で裂かれ、失血死も免れない状態であった兵士に回復術式がかけられると、無残に刻まれていた爪痕がきれいに消失した。
意識が混濁していた兵士は、自分が生きていることに驚きを隠せないといった様子で喜色を浮かべながら言った。
「おお……ありがとうございます、姫竜将閣下……! 貴女こそ、正に聖女そのもの……!」
姫竜将――ラフィーユ・バルハウスは、穏やかな笑みを浮かべながら首を振る。
「いえ、私に出来るのは傷を癒やすことくらいですから。むしろ、この地に帰還するまでよく永らえてくれましたね。イザック一等兵」
「じ、自分のような者の名前まで覚えていてくださるとは……!!」
歓喜のあまりにむせび泣く兵士の背を優しく撫でていた時、背後から野太い声がかけられた。
「これはこれは姫竜将殿。また、位の低い者への優遇ですかな? 負傷者は他にもたくさんおりますぞ」
そこにいたのは赤いローブを纏った禿頭の軍人、フェスター・ブラハム元帥であった。
治療を施されたばかりの兵士が一気に顔を青ざめさせる中、ラフィーユは凛とした口調で言う。
「イザック一等兵の傷は命に関わるものと判断しました。他の負傷者はこの後すぐにでも――」
「斯様な雑兵など捨て置けばよかろう! 魔術もろくに扱えぬ兵士など犬にも劣る!」
「ブラハム元帥閣下。先も申し上げたように、どのような者にも得意な戦い方というものがあります。魔導にだけ特化していては、いずれ必ず滅びの道に――」
「黙らぬか小娘が! このキアロ・ディルーナ王国1500年の歴史は魔導に始まり、今の栄華へと至ったのだ! 魔導の才なき者など不要!」
「それが驕りだというのです。此度の戦は、もはやルーガル王国だけが相手ではありません。エルベリア帝国の介入が本格化してきた以上、今までのようなやり方でいてはならないのです!」
禿頭の将官の眉根が釣り上がり、額に青筋が浮き上がった時、何の前触れもなく遠方の地で何かが爆発するような音が響いた。
その場にいた者たちが相次いで戦の予感を覚えて身構えたのをよそに、ラフィーユは言った。
「まるできれいな花火のようですね」
爆発音の後に、夜の空に様々な色によって術式が構築されたと思われる巨大な魔法陣のようなものが浮かび上がった。
それはラフィーユが言うように、正しく花火のようであると形容することしか出来ないものだ。
「ブラハム元帥閣下。後でお話があります。今後の戦に関して、極めて重要なことです」
「……ほう? 傷を治癒させることしか能のない紛い物の聖女風情が何を言うかと思えば」
「必ずや貴方を満足させる情報だと確信しております」
毅然とした態度を崩さない竜将を前に、フェスター・ブラハム元帥は唸り声を上げてから言った。
「……今の言葉、偽りであるならばもはやその身は不要。わかっておろうな?」
「心得ております。お話は、後ほど大聖堂にて」
「ふむ、よかろう。せいぜい儂を少しでも楽しませる報告であることを願っておくとしよう」
年老いた元帥が踵を返して去っていった時、ラフィーユはイザック一等兵に言った。
「大丈夫ですか?」
「お、俺は……何とか、数人の獣人を仕留めることが出来ましたが……それだけです。禁術を扱えるような方々にはとても……」
「良いのですよ。人は自分に出来ることをすればそれで良いのです」
上体を起こしていたイザック一等兵の身体を優しく抱いて、その耳元で呟く。
「見事でした。他の誰も認めはしないかもしれませんが、私だけは貴方の味方です。今日はもう、ゆっくり休んでくださいね」
「……うっ、うぅっ……!!」
ラフィーユの優しさに触れ、イザック一等兵は言葉もなく嗚咽を漏らすことしか出来なかった。
ぐずぐずと泣く兵士を撫でながら、ラフィーユは誰にも聞こえることのない声でぽそりと呟いた。
「貴方もお疲れさまでした。――フレデリク二等兵。その命はまさしく大輪の花のようでしたよ」
それは、かつて極秘裏に与えた任務を達成したであろう兵士の名前。
上空に浮かぶ摩訶不思議な魔法陣を見つめ、ラフィーユは少しだけ笑った。
大聖堂。
月明かりが降り注ぐその場で、ラフィーユは片膝を地について祈りを捧げるかのように両手を組んでいた。
しばらくの時間をそうして過ごした後、彼女は胸の前で両手を組んだまま――遥か西方の地へと顔を向けた。
「――7柱の王族にして、その頂点たるルシファーさま。私からの特別な贈り物は気に入って頂けましたか?」
ラフィーユは感慨深そうに呟いた。
「貴方にとっては、とてもとても大事なモノが入っていた『箱』。用意するのは大変だったんですよ?」
姫竜将と呼ばれし少女の独り言は続く。
「でも、予想外でした。まさか贈り物を届ける前に、貴方が帝国に接触していただなんて。おかげで私の可愛いギスランは召されてしまいました。末期の雫も、半端な役割をしただけで終わってしまった……。アレを作り出すのにもとても手間がかかったのに、貴方のせいで台無しです」
その言葉とは裏腹に、どこか嬉しそうな表情を浮かべる少女。
「――でも、予想外の出来事は、決められた道筋をなぞるだけの私の乾いた心に降り注ぐ恵みの雨のようでした。ミルディアナでのギスランの陰謀を暴き、グランデンでは不死なる刺客を撃退して盟友を助け出したその手腕。本当に惚れ惚れと致します」
ラフィーユは天を仰いで瞼を閉じてから、遠い過去の記憶を思い出しながら言った。
「あの破壊衝動に侵されて蛮行を繰り返した愚かしい先代とは、あまりにも違う。私の目からすれば、貴方は燦然と光輝く神の如きお方。愛おしい……その光が、とても愛おしい」
ほうと溜息を吐きながら言う少女はしかし、口許に弧を描いた。
「でも、貴方は何も知らない。先史文明が滅んだ理由も、ディルーナとルーガルの愛が裂かれた理由も、オルフェリアがどこにいるかも、聖炎がどうしているかも――そして、天空に瞬く赤き輝きのことも何も知らない」
くつくつと面白そうに笑うラフィーユは、自分の正体など知りもしないであろう最強の魔王に向けて呟く。
「人間とは、とても恐ろしいものなのですよ。魔族などよりも、ずっとずっと。力だけあっても、どうにもならないことは必ずあるのです。何も知らない貴方は、果たして私に辿り着くことが出来るのでしょうか――かつての神獣王ルーガルのように」
ラフィーユはその名前を口にした途端、それまで浮かべていた笑みをすっと掻き消した。
そして、時を同じくして大聖堂の扉が開かれる。禿頭で恰幅のいい軍人が厳しい表情のまま現れた。
「さて、姫竜将殿。何用か」
「もう良いのですよ、フェスター」
突然名前を呼び捨てにされたことに、フェスター・ブラハム元帥は身じろぎした。
「……一体、何事か」
「『おままごと』はもうおしまいです。ねえ、フェスター」
その言葉を耳にした途端、フェスターは皺の刻まれた顔をぶるりと震わせた。
先程まで殺気すら籠もっていたような瞳から、一雫の涙が流れ落ちる。
「……おお」
「どうしたのですか、涙を流したりして。もう、前のように私を呼んでもいいのですよ?」
「おお……おおお……!! 女神よ!! 我が女神よ!!」
フェスター・ブラハム元帥は、ラフィーユの目前で跪き、彼女の履いているブーツをべろべろと舐め始める。
「女神よ、女神よ……!! ラフィーユさま、ラフィーユさま……!!」
「そんなに私に甘えたかったのですか? まるで犬のようですよ? 先程、貴方が犬だと罵倒した一兵士よりもなお」
「私めは、私めは貴女さまの犬にございます故……! おお、おおお、我が女神よ……!!」
我を忘れたかのようにブーツを舐め続ける老人の姿を見下ろしながら、女神と呼ばれた少女は言った。
「先の花火。まことに見事な色合いでした」
「お……おお、お気に召してくださいましたか……!」
「素晴らしい魔法でした。これでまた、私の悲願も叶おうと言うもの」
フレデリク二等兵に持たせた箱の中身は、フェスターが込めた魔法。
一見しただけではただの花火のようにしか見えないそれが、後になってどのような光景を生み出すのかを想像したラフィーユは笑う。
「ラフィーユさま、これまでの無礼で非礼極まる言葉の数々をお許しくださいませ。この矮小な老躯風情が女神たる貴女さまを侮辱した罪、いかな行為によってでも贖罪足り得ません。まことに、まことに申し訳ございませぬ……!」
「良いのですよ、フェスター。もとより、私が命じたことなのですから。キアロ・ディルーナに根付いていた選民思想をより強固なものとし、弱者は徹底的に排除する。追いやられたかわいそうな子は私が元気付けてあげるのです。とても良い暇潰しでした」
魔術大国と呼ばれし国には選民思想があったが、ルーガル王国との和平条約が締結されるに至るまでにはそれもだいぶ薄まりつつあった。
だからこそ、両国の王家の血筋を引く者たちが相次いで死んだのを皮切りに、彼らの中にあった選民思想をこれでもかというほど煽った。
魔力を扱えぬ者は獣人と変わらず。奴隷のように扱って構わない。
そう仕向けることによって、魔術大国が徐々に衰退していくことに気付ける者は排除された者を除いて誰もいなかった。
目先にいる獣人族という敵と、自分たちの中に宿る尊大な自尊心がすべてを些細なことだと断じてしまうように誘導したから。
「ねえ、フェスター。キアロ・ディルーナ王国は滅んでしまいます」
「ええ。ええ。そうでしょうそうでしょう。そうなるように仕向けましてございます」
「これもすべては貴方が彼の国の要人として、長きにわたって活動してきた結果。よく頑張りましたね」
「何のこれしき。すべては我が女神の願いとあらば、私めに出来ぬことなどありませぬ」
「でも、良いのですかフェスター。彼の魔術大国で、貴方は妻子を持つ身。此度の戦であの国は殲滅させられてしまいますよ。貴方が大事にしていた家族も例外ではありません」
そう問いかけると、それまで犬のようにブーツを舐めていたフェスターがラフィーユを見上げながら言った。
「私めが彼の国にいた時間などたかが70年にもなりませぬ。貴女さまと過ごした悠久の刻を思えば、瞬きにも等しき時間。私めには何の価値もありませぬ故」
「そうですか。では、このように」
ラフィーユは、フェスターの禿頭をブーツで力いっぱい踏みしめ、頭蓋を割るように踵を何度も強く押しつけてねじるように回しながら弄ぶ。
何の抵抗もせずにそれを受け入れる老人。
「今のキアロ・ディルーナ王国の現状がこれです。もはや獣に蹂躙されるのみ。王家に残るはお飾りの姫君ただ1人で使い物にはなりません」
「左様でございます……すべては貴女さまが望むがまま」
ラフィーユはフェスターの頭から足を離した。
禿頭の老軍人はそれを名残惜しそうにしながらも這いつくばったままだ。
「そして、蹂躙する側に残る最後の王族は――狐の獣人ロカ・コールライト。そして元王族の狼の獣人シャウラ・ブランネージュ。どうして、この2『匹』が残っているのだと思いますか、フェスター」
「そ、それは……愚昧極まる私めには、何もわかりませぬ」
「似ているのですよ、あの2匹は」
「に、似ている……と仰いますと?」
ラフィーユは小首を傾げながら、つまらなそうな表情をして続けた。
「あの穢れた神獣王と、愚かな大魔法使いに」
「……神獣王ルーガルと、ディルーナさまでございますか」
「その身に纏う雰囲気だけではないはず。恐らく彼女たちには、ルーガルとディルーナの加護が与えられています」
「し、死してなお加護を与えられるほどの存在なのでありますか、神獣王と大魔法使いとは」
「忌々しい」
ラフィーユはそう呟いてから沈黙した。
恐る恐るといった様子で見上げるフェスターの目には、何の感情も表さない冷たい表情が映るのみ。
少女は瞼を閉じてからゆっくりと語り出した。
「でも、もう良いのです。獣王ロカとシャウラ、そして配下の者たちはもとより、帝国軍の手によってキアロ・ディルーナ王国は跡形もなく滅び去る。ルーガルとディルーナの愛の結晶が連綿と紡いできた血筋が、ディルーナの築き上げた国を葬り去るのです。とても面白い見世物になるでしょう」
「……そうでしょうな。自らの子孫たちに国を潰されるも同然。滑稽以外の何物でもありませぬ」
「魔術大国を陥落させた獣王は歓喜に湧くでしょう。獣王のみならず、ただの獣人たちもみなあの国の凋落に胸躍らせる。――それが一時の喜びで終わるとも知らずに」
ラフィーユは、笑いを堪えるかのように口許に手を添えながら言った。
「神獣王ルーガル。最愛の女を喪い、かつてその女と共に築き上げた国も喪い、子孫たちの半分は死んでしまっても、まだ希望があると思っていますか? ないんですよ、そんなの。だって、最後にはみんな――ふふっ、あはっ」
広大な大聖堂の中に哄笑が響いた。
ひとしきり笑った後、ラフィーユはまた西の方角へと想いを馳せる。
「ルシファーさま、少しだけ待っていてくださいね。ルーガルとキアロの戦を終えた後の処理が残っています。それさえ済ませれば、私がなすべきことはたった1つだけ」
ラフィーユは恋焦がれる少女のように胸元で両手を組みながら言う。
「早く、早く、早く――私のもとに辿り着いてくださいね? 私はもう今から待ち切れないのです。貴方はこれまでで最も至高なる『供物』なのですから。この時のためだけに、私はもうずっと昔から準備していたんですよ?」
無邪気な笑みを浮かべたラフィーユは、もう待ち切れないとばかりに早口で言った。
「でも、私はわがままです。短気です。いけない子です。とっても悪い子です。駄々っ子なのです。だから、もしも私のところへ辿り着くのが少しでも遅かったなら――」
両手をぱんと叩いて、くすりと笑う。
「この世界を、滅ぼしてしまいますよ? ふふふ、その気になれば、すぐにでも」
愉快なことを告げるように言った少女は、指を1本だけ立てて囁く。
「だって、もうこの『星』に残っている大陸はもはやここだけなのですから。次に赤星が夜空に煌めく時、すべては消え去る運命なのです――」
ラフィーユは西方を見据えたまま不敵に笑った。
「さあ、ルシファーさま。貴方が私のお遊戯の単なる駒の1つとして終わるか、見事に盤外にいる私を見つけ出すことが出来るか。今から楽しみです。どうか、私をがっかりさせないでくださいね?」
第2章 FIN
2章完結でございます。
去年の9月、幸運にもたくさんの読者の方からブクマや評価を頂いた結果、1章で幕を降ろすつもりだったこの物語をここまで綴ることが出来ました。
更には書籍化するに至り、作家の端くれにもなれました。本当に感謝しています。
本作の評価をまだしていないという方は、是非この機会にして頂けると嬉しいです。
感想などもあれば是非お願いします。
色々な作品を書き続けて10年以上経ちますが、ここまで長い物語を書くのは初めての経験でした。
不慣れな連載ということもあって、未熟な部分も多く出てしまったと思います。
冗長な部分も多く、お見苦しいところも多かったことでしょう。
ここまで付き合って頂きまして、本当にありがとうございました。
続きが気になるところだと思われますが、しばしお待ち頂ければと思います。
これ以上は後ほど更新する活動報告にて。