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幕間「ギリガン領」

 ハインが自害したのをきっかけに発動した強制転移術式。

 トトを巻き込んで向かった先は、深い森林の中だった。

 己の胸に深々と突き刺さる剣を引き抜きながら、ハインは隣にいる紫色の髪を編んだ少女へと目を向ける。


「うっ……吐きてえ気分、です……きもちわりぃ」


 トトは頭を抑えながらそう呻いて、ハインの肩に全体重を預けて苦しそうにしている。

 それを邪険に振り払うこともせず、ハインは周囲の景色を見回した。

 そろそろ太陽が顔を出す時間帯の深い森林の中。どこか見覚えがある気がした。


「……ここは、『ギリガン領』か」


 ハインがそう呟いた瞬間、トトは脱力させていた身体をがばっと起き上がらせて周囲を見回した。


「あー、マージか……。あそこに薄っすら見えるのは、帝都アグレアですかー……ハイン、ここはやべえ、早く行きましょう」

「……歩けるのか、その身体で」

「死ぬほどしんどいんですけどね……ここにいたらマジで死んじまうんでー……」


 トトはよろよろとした足取りながらも、神剣を杖の代わりにしながら何とか歩を進めた。

 ハインも黙ってそれに続く中、トトは息苦しそうにしながらも言った。


「五大英雄筆頭のデュラス将軍と殺り合ってわかりました。ありゃトトたちが何百、何千年行きようが敵うような相手じゃねえです。メアヴァイパーの不意打ちがなかったら、あんな化けモン止められるわけねえ……」

「……帝国の戦力はもはや以前のそれとは違う」


「雑兵は前と同じようなもんなんですけどねー……一部の神使共の次元が違う。あんたはあまり興味ないかもですけどね、トトはつえー奴らの話が大好きなんで五大英雄たちの話は出来るだけかき集めてるんですが、どいつもこいつも化け物しかいないんで笑っちまいますよ……。こいつら全員トトたちの半分も生きてねえくせにって嫉妬すらしますー……」


 具合は最悪ながらも上機嫌そうに語るトトの後ろ姿を見ながら、ハインは無言のまま歩き続ける。


「今はキアロとの戦に参戦してるセヴラン大元帥は、先史文明期に開発されたっていう原初の魔導兵器を使いこなすんですがね。その威力がやべえのなんのって。全力でぶっ放したら、あの空中移動要塞の結界術式が一時的に機能しなくなったんですよねー……禁術程度ならどんだけ受けてもびくともしねえはずなんですが」


 帝国でただ1人の大元帥。

雷霆らいていの剛将』と名高いほどの雷轟術式の使い手でありながら、同時に原初の魔導兵器と、聖雷斧フルメリオ・ザルニィーツアというこの世に2つとない聖なる斧を振るう稀代の名将でもある。

 若き頃からその武勇伝に事欠かない存在だ――と前にトトから聞かされている。


「バーネット元帥はめっちゃくちゃ可愛いっていうか、美人っていうか、アレほど戦場に似合わない女はいねえって感じですよー。公爵家の病弱な夫人で、旦那には金で買われた哀れな女とか言われても信じちまうほどなんですが、何がおかしいってバーネット元帥は70過ぎのババアだってところですー。話に聞く限りじゃ、原初の魔導兵器を体内に取り込んだ結果らしいですけど……」


 バーネット元帥については、年を取ることのない存在だということは知っていた。

 原初の魔導兵器にどのような作用があるのかはわからないが、人間の寿命をも超越させてしまうのであればそれは神の御業に等しい。

 自分もトトも経緯は違えど、不死の身体と若さを保ってはいる。が、それも完璧ではないだろう。いつかは崩れ去る運命にある。


「とにかく、あのお方も仰ってたようにバーネット元帥を見たら何も考えずにすぐに逃げろってことだけは徹底しておいてくださいよー、ハインー? 豆粒程度にしか見えなくなったところで油断した瞬間にはあの世逝きって話ですし。トトが見かけたのは帝国の東方だった上に戦時中でもなかったから、何も起きませんでしたけど……一瞬だけ視線が合った気がするんですよねぇ……空恐ろしいってのはこういうことを言うんですかねー」


 目の前で陽気に喋る少女の実力は本物だ。並の神使が束になっても勝てるような相手ではない。

 そんな彼女が神剣の力を使わなければ相手にすらならなかったという、デュラス将軍。そしてそのような男と比肩する力を持つ五大英雄の1人となれば、その力は圧倒的なのだろう。

 ハインがそう思いながらも無言を貫いていた時、前を歩いていたトトははぁっと大きな溜息を吐いた。


「ほんっとにあんたと話してると人形に話しかけてる気分になるんですけどー、何か感想とかないんですかー? こいつぁすげー! とかー」

「……」

「はー、つまんねえー。まあいいです、最後の話はちょうど今のトトたちにも関係があるんで言っときますけど……『ギリガン元帥』。こいつが五大英雄最後の1人にして、最も謎に包まれてる人間ですー。年齢も性別もわかってねえ」


 ハインはギリガン公爵家のことを思い出した。

 帝国の中でもデュラス公爵家と並ぶほどの名家であるが、近年その実態は謎に包まれている。


 数十年前に当主が双子の子供をもうけた直後に怪死を遂げ、現在のギリガン公爵家に住まう者は誰もいない。

 その後、産まれた子供たちがどうなったかを知る者はいなかったのだが、いつの頃からか皇族を護るかのように帝都アグレアに姿を現した黒鎧を纏った騎士が、ギリガンの系譜の者だという。


「ギリガン元帥は帝都アグレアの守護者って形になってますけど、実際には皇族を護ることに特化した存在で表舞台に出てくることはほとんどねえって話ですー。帝都に住んでる平民はもちろん、貴族ですら滅多にお目にかかれないとか……。数年単位で姿を見ないこともしょっちゅうあるんで、本当にいるのかどうか疑う人もいたらしいんですけど、初めて大勢にその姿を目撃されたのがエルベリア帝国皇太子『ロラン・ダキトゥス・エルベリア』が、フォルカス大山脈に神剣リバイストラを求めてやってきた時なんだとか」


 皇太子ロランが神剣を求めたのは、ゼナン竜王国との戦の切り札になると判断したからに他ならない。

 歴代の皇族が神剣を以てして、エルベリア帝国の1000年にもわたる繁栄を築き上げてきたのだからそれも無理のない話だろう。


「でも、そこでちょいと妙なことが起きたんですよねー。大神殿の台座に突き立っていた神剣リバイストラを、皇太子は引き抜くことが出来なかったんだとか」


 トトは面白そうに言う。


「本来、神剣の正当な後継者は皇族以外有り得ない。にもかかわらず、リバイストラはロランを拒絶した。本当は皇族の血筋を受け継いでいなかったとか、そういう俗っぽい真相じゃねえ。ロランはそれは大層立派な青髪の持ち主らしいですからねー……で、そん時に事件が起こります」


 既に具合も良くなったのか、トトは森林の草木をひょいひょいと身軽に避けながら続けた。


「ゼナンの大竜将率いる空中移動要塞ドライグ、白竜将率いるジルニトラと、光竜将率いる『アイダウェド』がフォルカス大山脈近辺に突如として出現した。制御が極めて難しいっつー話のあのくそでかい空中移動要塞の3つが何の前触れもなく目の前に現れたってんだから、びっくりですよねー。トトも流石にビビっちまうかもしれませんー」


 空中移動要塞はゼナンの攻守の要。

 その3基が出現したとなれば、その目的は明白。

 神剣を手にするために大神殿に向かった皇太子の殺害だろう。


「ロランは大女神オルフェリアの加護を受けているが、神剣が使えない。そこで代わりに活躍したのが同行していたギリガン元帥だったつー話です。3基の魔導砲による集中爆撃が行われてフォルカス大山脈は神殿もろともめっちゃくちゃになるはずだったんですが……」


 トトはどうにも腑に落ちないというような口調で言う。


「ところがどっこい。魔導砲の集中爆撃を受けても、神殿はおろか、その場にいた皇太子やギリガン元帥も傷1つなかったとか……。有り得ねえ話だとはトトも思うんですけどねぇ、だってあの空中移動要塞の破壊力は単発の魔法を遥かに凌ぐ威力なんですから。ただ1つ気になる話があるとすりゃ、魔導砲の爆撃はそもそも目標に届いていなかったんじゃないかとかいう噂があったりなかったりするわけですー、不思議ですよねー」


 近距離であの空中移動要塞の集中爆撃を受ければ、いかな大山脈とて跡形もなく吹き飛ぶに違いない。

 だが、そうはならなかった。


「結局、空中移動要塞による攻撃は数時間以上にわたって続けられましたが、最大の狙いだった皇太子ロランはもちろんのこと、フォルカス大山脈の神殿にも砲撃を受けた痕跡はなかったそうですー。ギリガン元帥はロランを庇うように立っていただけで何かをしてるようには見えなかったなんていう噂もあったりしますねー」


 足元の草木を踏みしめ、森林に満ちる濃密な空気を吸いながらハインは黙って聞いていた。


「ギリガン元帥は皇太子と神殿を護り続けたことを評されて五大英雄の1人になったんですよー。まあ、本当に面白いとこは『皇太子が神剣に選ばれなかった』っていう最大の醜聞が、ギリガン元帥の活躍によってうやむやにされたっつーところです。巷ではロランは神剣に選ばれなかったわけじゃなくて、神剣を引き抜きにいく最中に襲撃を受けたって信じてられてますー。情報操作ってやつですかねー?」


 楽しそうに語るトトは、そこで少し声色を変えた。


「……そして、時を同じくして、神剣に選ばれし者が現れた。あのデュラス将軍ですねー。皇太子の護衛として同行していたらしいっつー話は聞きますが、詳しいことまではわかんねーです」


 クロード・デュラスは神剣リバイストラの正統な後継者ではない。

 大女神オルフェリアの加護を受けし者の最大の特徴である美しい青髪をしていないのはもとより、皇族との血筋も数百年前に混じったのが最後。

 直系の皇族でない以上、決して有り得ない――あってはならないことが起きたのだ。


「一体どういうからくりなんでしょうねー。いやー、トトにはさっぱり。ただ1つ言えるのはギリガン元帥は五大英雄の中でも最も防衛力に優れていて――帝国の暗部を牛耳ってるらしいってところですー。後の話はあんたも知ってるんじゃないですー? 軍の将官ですら存在を把握していない諜報部隊が組織されているってやつです。ギリガン元帥の本領は戦闘ではなく、情報収集と都合の悪いことの揉み消しだ――と、あのお方が仰るからには間違いねえでしょう」


 自分が信仰する者を全知全能と信じてやまない少女は、何の前触れもなく足を止めてから言った。


「それよりも、ハイン。ちょいと聞きたいんですが――てめえ、何で作戦通りに動かなかった?」


 それまで飄々としていたトトが振り返ると、彼女はその瞳に怒りを宿していた。


「……もとより某は己が理想郷のために動くのみ。お前と慣れ合っているわけではない……」

「結果的に目的は果たせたからいいんですよ。てめえが問題なのはですね、我らが愛しき御方の命に背いたところ。トトはそれが堪らなく許せねえ」


 紫色の髪をした少女は、戦の時にすら滅多に浮かべないような殺気立った表情をしていた。


「あんたとは長い付き合いです。今までも嫌なことばっかでしたが、今回は最悪です。今度あのお方に逆らったら、いくらトトと同じく寵愛を受けているあんたでも容赦しねえ」

「……某に与えられた任務は、生き地獄の果てに力尽きた者共の怨念をこのレド・メスキュオレに吸収させること。故に途中でお前とは別行動を取った。あらかじめ、そう『命じられていた』」

「は……? だ、だって、あのお方は……犠牲となる者には苦痛のない死を与えろと……」


 混乱したように言うトトを見て、ハインはかすかに表情を変えた。

 真実を理解していない少女に向ける憐れみの瞳は、いっそ穏やかであるとすら言える。


「……お前は、何もわかっていない」

「は……?」

「……『アレ』を、慈悲深き存在だとでも思っているのか」


 ハインは、慈愛に満ち溢れた笑顔で語りかけてくる女の顔を思い出しながら言った。


「……あの女は女神などではない。アレは紛うことなき、悪神あくじんだ」

「っ!! ハイン、てめえ――」


 ハインは周囲に満ちる空気が徐々に変わっていくのを敏感に察して、怒りのあまりに我を忘れそうになっているトトを見据えながら言った。


「……ここはギリガン領。それ以上騒げば、死ぬぞ」

「くっ……クソが」


 殺気立っていたトトも、ようやくこの森林に満ち始める奇怪な雰囲気に気が付いたらしい。

 ――何かに見られている。

 十とも百とも千とも知れぬ、夥しい数の視線が自分たちに向けられている。


 付近の様子は変わらない。

 自分とトト以外の誰もいるようには思えなかったが、間違いなく何かがいる。 

 トトとハインが走り出したのは同時だった。


 草木を掻き分け、落ち葉や枝を踏みしめる音が響く中、心地良かった森の雰囲気が一変した。

 自分たちが駆け抜ける音以外、何も聴こえない。しかし、何かに後を尾けられているような言いようのない不快感を覚えた。

 しかもその何かは、自分の真後ろにいて吐息が吹きかけられてもおかしくないと思えるほどの圧迫感を与えてきた。


 本来は帝都の領土として『アグレア領』と呼ばれていたこの地域が、ギリガン領と名を改められて覚えられるようになったのはここ十数年ほど前からだ。

 ギリガン領の中心地に近い部分――たとえば、この森林一帯では時折人が消えることがある。


 行商の者や冒険者たちが語るところによれば、深夜から暁の時間帯には街道から決して離れてはならないのだという。

 その不文律を破ったが最後、瞬く間に人が消え去る。それがまことしやかに囁かれるギリガン領の怪談の1つ。


 いつの頃からか、皇族の傍に現れたというギリガンの系譜の者。

 帝都を護る軍部の全指揮権は皇帝にあるが、あくまでもそれは名目上の話であり、実際にはギリガン元帥の命によって動くと信じる者たちは多い。

 突如として現れた正体不明の存在に護られる地。当然それを快く思わない者も多かった。


 そのような場所で人間が姿を消してしまうと考えれば、必然的にギリガン公爵家の子供たちが行方不明になった話と関連付けて話す者も多い。

 故に、ギリガン領とは本来は蔑称。

 ゼナン竜王国との戦で、大勢の軍人たちが戦場に立つ黒鎧の騎士の活躍を見届け、その功績を認めるに至るまでは。


「……レド・メスキュオレ。我らを取り囲みし者共を喰らい尽くせ!!」


 邪剣がその言葉に呼応し、刀身が瞬く間に触手のように変じた。

 ハインの思考を理解した邪剣が周囲の木々や地面を次々と串刺しにしていき、一瞬だけ明らかに他とは違う感触がした。

 仕留めたか。だが、血肉が吸い取られるようなことはない。


「ハイン! 無駄なことしてんじゃねえ!」

「……」


 何者かを仕留めた感触は確かにあった。

 だが、それだけだった。

 黒き暴風と化した邪剣の勢いに気圧されることもなく、何者かがすぐ近くでこちらを見つめている気配は消えない。

 ハインは踵を返し、森を駆け抜けるトトと並んだ。


「ハイン、急ぎますよ! ギリガン領を抜ければ、あいつらが追ってくることもねえはずです!」

「……承知」


 全力で獣道を駆け抜けるトトとハインの速さは、獣人のそれをも上回っていた。

 だが、自分たちに纏わりついてくる視線が離れる気配は一向にない。

 やがて、徐々に太陽が昇り始めた頃。森林を抜けられそうな場所まで駆けてきた時。2人は同時に息を呑んだ。


 朝陽をその背に浴びながら、黒き鎧が立ちはだかっていた。

 兜を被っているために、容姿はわからない。だが、成人した男を遥かに超える巨躯の鎧からは凄まじい威圧感を覚えた。

 その鎧を纏った者が、腰の鞘から剣を引き抜こうとしたのを見た瞬間。


「あっ……!?」


 トトの身体を思い切り引き寄せ、ハインは即座に己が心臓に邪剣を突き立てた。

 残り少ない命の灯火を削ってでも、この者と戦ってはならないと判断したのだ。たとえ、次にどこに飛ばされようとも戦うよりはマシだ。

 ハインの身体に刻まれた強制転移術式が発動し、2人の姿は一瞬にして掻き消える。


 2人の姿が消え去るまでの間、黒き鎧を纏った存在はただ傍観していた。

 それは刹那の時間に過ぎなかったが、ハインは確信を覚えた。

 自分たちは、わざと逃がされたのだろうと――。

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