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第55話「堕天使の祝福と、不可視なる者」

 テネブラエで王族会議が開かれる3日前。

 夕陽に照らされた城砦都市グランデンを囲う強固な外壁と都市の内部へと繋がる門を前にして、純白の翼を持つ堕天使は気だるげに言った。


「はーあ……何でわたしがこんなことしなきゃいけないのよー……」


 その言葉に答えるのは青髪の少年。


「君にしか出来ないことなんだ、ルミエル。頼むよ」


 そう言われた瞬間、堕天使は怖気が走ったように自らの身体を抱く。


「だ~りんの顔して気持ち悪いこと言わないで!」

「? 僕は君の夫だと思うけど、違うのかな?」

「見た目はそうだけど、中身違うもん! 性悪メイド吸血鬼のくせして、爽やかぶるのやめなさいよ」


 青髪の少年は肩を竦める。


「何を言っているのかわからないな。僕は確かに人間じゃないけど、メイド? 吸血鬼? はて、なんのことやら」


 すっとぼける少年を見て、ルミエルは眉根をしかめた。

 そんな彼女を尻目に、少年――テオドールに化けたカーラは歩を進める。


「さあ、ルミエル。これからは手筈通りに頼んだよ」

「……く~!! 今は我慢我慢……すぐに片付けてだ~りんのところに戻らなくちゃ!」


 テオドールがルミエルを引き連れて、開け放たれている門の前までやってきた時、金髪の将がそれを出迎えた。


「……テオドール。本当に、貴君らが提案した方法で『彼ら』は助かるのか?」

「うん、任せておいてよ。それより、多少の人払いは済ませてくれたのかな?」

「動ける者を総動員させて無事な領民たちを遠ざけてはおいたが、それもすべてというわけではない。場合によってはそこの――天使さまのお姿を見てしまう者もいるだろう」


「まあ、大きな騒動にしたくはないだけだからそれで十分だよ。さ、ルミエル。行こうか」

「……は~い」


 ルミエルはあまり気乗りしないというような態度で、彼の後に続く。

 案内役のクロードと一瞬だけ瞳が合うが、さして興味もないかのように視線を逸らした。


 そして辿り着いた先は、襲撃事件の標的となった神殿だった。

 そこには、今もなお幻影に囚われて幸せそうな笑みを浮かべながら喋ったり、歓喜のあまりに泣いている軍人たちがいる。

 トトのメアヴァイパーの力が使われてから既に半日経つが、回復した者は誰1人いなかった。


 このような状況を領民に見せるわけにはいかない。

 そして、謎の襲撃を受けてすっかり混乱してしまっている者に天使の姿を大々的に見せるわけにもいかなかった。

 故に人払いが行われたのだが――彼女らは例外だった。


「おー、テオではないかー! 今までどこに……」 


 喜色満面といった表情で言った狐の獣人ロカの表情が一瞬にして凍りついた。

 彼女の後に声をかけようとしてきたキース、ジュリアン、リズ、シャウラたちも、テオドールの背後にいる純白の翼を持つ存在を見て途端に緊張感を走らせた。

 特にリズは「ひっ」と小さな悲鳴を上げて、ロカの背後に隠れて服の袖をぎゅっと握った。


「やあ、みんな。ちょっと帰るのが遅くなっちゃったよ。――そんなに緊張しなくていいよ、リズ」

「っ……!」


 彼女は白翼恐怖症だ。

 ミルディアナでの事件以降もそれが変わることはない。


(ご主人さまの同窓の生徒。人間に獣人にエルフに竜。記憶も感情も受け継いでしまったせいで、私自身は初対面だというのに彼らが無事だということに安堵してしまいます。……まったく、ご主人さまは大層この方たちを気に入っていらっしゃるご様子。しかし、白翼恐怖症のリズさまにこの光景を見せるのは酷というもの)


 テオドールに化けたカーラはさてどうしたものかと思っていたが、不意に背後からふわりと抱きつかれた。思わずそちらを見やると、ルミエルがくすりと笑う。


「そんなに恐がらなくて大丈夫よ、そこのエルフのお姫さま」

「……っ……!!」

「それに他の子たちも。別に全員取って捕まえようってわけじゃないもの。今日はね、わたしの大事なテオに頼まれたからここに来ただけ。ねー、テオ?」


 ルミエルは満面の笑みだが、若干顔が引きつっている。

 ここまでは事前の打ち合わせ通りだ。演技などまったく出来そうになかったルミエルにしては、これでもなかなか上出来な方だろう。

 しかしテオドールはそんなことはおくびにも出さずに言った。


「うん。この子はルミエルといってね。ミルディアナの事件で僕を連れ去ったあの天使なんだけど……リズは見るのは初めてだよね」


 エルフの少女はこくこくと頷きながら、純白の翼を視界に入れまいと必死に顔を逸らしている。


「グランデン西方で、偶然彼女と再会してね。神殿を警護していた人たちが困ってるって言ったら力を貸してくれることになったんだ」

「他ならないテオの頼みだもん。ね~?」

「ありがとう、ルミエル」


 お互いに笑顔で見つめ合う。

 天使の内心がどんなことになっているのかはもはや想像もつかない。

 無理な演技に耐えきれず、ついボロが出てしまう前にさっさと片付けるに限るだろう。


「さて、神殿を襲撃した犯人に神剣の力を使われたのはここにいる人たちだけかい?」

「それは間違いない。特待生諸君の中にもあの少女と戦った者もいるが、幻惑の力を使われた様子はないらしい」


 クロードの言葉に続いたのはキースだった。


「その神剣を使った刺客と戦ったのは俺と、ロカとシャウラだけだ。剣や腕前だけでも恐るべきものがあったが、幸いにもそのような幻術の類にはかかっていない」

「余もシャウラと2人がかりで挑んだが、あれほどの難敵とは思いもよらなんだ。ところでシャウラ、まだ傷は痛むか?」

「……少しね。でもこの程度なら平気」


 特待生たちの様子を見る限り、問題はなさそうだ。

 そう思った時、フードを目深に被った小柄な少年が言った。


「で、そのてめえが連れてきた天使は本当に無害なんだろうな」


 露骨に警戒を向けられて、ルミエルはくすりと笑う。


「あなたたちが不快なことをしなければ何もしないけど。テオのお友達なんでしょ? ねえ?」

「うん。あの小さいのはジュリアンって言うんだけど、口は悪いけど根は優しいから悪く思わないでくれるかい」

「……小さいは余計だっつの」


 苛立たしそうに呟くジュリアンをよそに、ルミエルは言った。


「それじゃあ、そこらへんで幸せな夢を見てる人全員の目を覚ましてあげる。わたしの神気の力でね」


 ルミエルがそう言うと、彼女の翼がばさりとはためき、それと同時に凄まじい量の神気が白光を放ちながら波のようにうねり、幸福な幻影を見ながら徐々に死へと向かっている者たち全員を覆い尽くした。


 瞬間、100名近くいた軍人たちが、長い夢から覚めて「うぅ」と唸りを上げた。

 ある者はまだ夢と現の狭間にいるかのように瞼をぱちぱちとさせ、ある者は突然姿を消した愛する者の幻影を探すかのように周囲を見渡し始める。


 今まで誰が何をしても救うことの出来なかった者たちが、たったそれだけのことで意識を取り戻した光景を見て、さしもの大英雄も驚きを隠せないようだった。


「……この身を苛んでいた激しい頭痛と吐き気も消えた。凄まじいな。何をなされた?」

「その神剣の力に取り込まれた人の頭の中に『歪な神気』がこびりついていたから、わたしの強い神気をぶつけて取り除いてあげただけよ」


「お、俺は一体何を……」

「母ちゃん……母ちゃん、どこだ? おい、返事をしてくれ」


「みなの者、鎮まれ」


 クロードがそう言った瞬間、その場にいた軍人全員がぴたりと騒ぐのをやめてグランデン領の軍部総司令官へと視線を向けた。


「貴君らは、あのトトという少女の神剣の力によって夢幻の世界に取り込まれていたのだ。死んだ者が生き返ることはない。少なくとも、それが人間であるならば。――私たちのように生き永らえた者は、命を失った者たちの分も強く生きねばならない。幸福なる幻影から解放されて戸惑っている者も多いだろうが、どうかそのことを肝に銘じてほしい」


 軍人たちは互いに顔を見合わせながら、先程まで見ていた光景に想いを馳せているようだった。

 現実をすぐに受け入れられた者もいれば、涙を流して歯を食い縛りながら必死に現実と向き合おうとしている者たちもいる。

 その様子を見ていたロカが感嘆の声を漏らした。


「正にこれは神の御業と等しきもの……」


 彼女の後ろに隠れているリズも、ぽそぽそと呟く。


「回復術式を受けても何の効果もなかった人たちばっかりなのに……」

「当然よ。神気は魔力じゃどうしようもないもの。魔法以上の力に匹敵する魔力ならまた別だけれどね」


 ルミエルがふふんと鼻を鳴らして言うと、軍人たちがやにわにざわつき始める。


「あ、あれは天使さまか……?」

「天使さま? ということは、これはオルフェリアさまのお導きか……!」


 その様子を見ていたテオドールが「ルミエル」と呟くと、彼女は頷いた。


「さーて。テオからのお願いも済んだし、わたしはもう帰るわ」

「ありがとう。助かったよ」


 ルミエルは笑みを浮かべながら、テオドールの頬をつついた。


「この借りは大きいんだからね? 後でしっかり返してもらわないと」

「それは怖いな。手加減はしてよ?」

「いーや。テオが涙目になるまで、いじめちゃうかも……ねえ?」


 一体何をされるのやら。

 本物のテオドールならともかく。そう内心で思ったが、口には出さなかった。

 ルミエルがその場で翼を開いて飛び上がると、クロードが言った。


「此度の件には感謝する」

「そんなの興味ないわ。お礼はテオにしてあげて? じゃあね、大英雄さま。次に会ったらわたしと戦ってみる?」


 ルミエルが不敵に笑いながら、首に装着しているチョーカー――グラン・ギニョルに触れると、クロードは苦笑した。


「ご遠慮願いたい。私はオルフェリアさまのご加護を授かりし者。大女神の御使みつかいたる天使さまと剣を交えるつもりはない」

「そう? つまんないの。じゃあね、ばいばい」


 ルミエルはその場からあっという間に飛び去った。

 それからクロードが軍人たちに事の経緯を説明した後。

 頃合いを見計らって、テオドールはクロードに訊ねた。


「クラリスは無事かい?」

「命には別条ないが、今は心に深い傷を負っている。しばらくはそっとしておかねばならないだろう」

「そっか。部隊が全滅となれば無理もないね。デュラス将軍はこうなることを最も恐れていたように思うけど、違うかい?」


「いや、その通りだ。彼女はとても気高く、実力も相応にあった。だが、経験不足な上に相手も状況も悪過ぎた。戦闘能力は高くても、まだ子供なのだ。シャルとほとんど変わらない、まだまだ幼く誰かが傍で見守ってやらねばならないほどの……」

「実力主義に傾倒するのも考えものだね。人間は、魔族とは違うから」


 何はともあれ、これでレヴィアタンが持ちかけた『夢幻に囚われた神殿の者たちを助ける』という贖罪は無事に果たしたことになる。


「さて。これで貸し借りはなしってことでよろしくね、デュラス将軍」


 テオドールはそれだけ言い残してから、特待生たちのもとへと向かった。




 ◆




 夜半。

 デュラス公爵家のシャルロットの自室にて。

 長い間うなされていた少女が、ようやく瞼をぱちりと開けた。


「……ん……ここ、は」

「シャル。起きたか」

「父さま? わたし」


 クロードは愛娘を思いきり抱きしめた。


「すまない。私がいながら、お前を失うところだった……! 本当に、すまない」

「父さま……だいじょうぶ、平気だよ」


 シャルロットは父の胸元に頬ずりをしながら言った。


「わたしは母さまの仇を討つまで死んだりしないから。もっともっと、強くなるもん」

「……そうか……そうだったな。だが、それはダメだ」

「? どーゆーこと?」


 小首を傾げるシャルロットの頭を撫でながら、クロードは言う。


「仇を討っても死んではならない。お前の人生はそこから始まるのだから」

「んー……? 父さまの言ってること、よくわかんないよ」


「今はわからなくてもいい。ただ、これだけは守ってくれ。自分の命を無下にするような真似だけはしないと」

「? うん……」


 シャルロットが不思議そうに答えた時、部屋の扉が開かれた。

 そこにいたのはエルザだった。


「あ! エルザー! 大丈夫!? 足はどうなったの!?」

「シャルロットお嬢さま……私はもう平気です。とても腕の立つ回復術式の使い手の方がいたので、自力で歩けるくらいには回復しました」

「そうなの? 良かった……わたし、エルザまでいなくなったらって思ったら……」


 ぐすと鼻をすするシャルロット。

 クロードは少女の頭を撫でてからそっと離れ、エルザに後を任せるために目配せをした。

 彼女は頷いた後に言う。


「旦那さま。ブレンダンのことですが……」

「わかっている。あいつがいなければ、私は神殿から動くことも出来なかった。町の混乱が落ち着き次第――弔ってやらねば」


 大英雄と共に数々の戦場を駆け抜けた白馬は、クラリスを街中に運び込んだ後に倒れ込んだのだという。

 クロードが帰還した時にはもう、召された後だった。

 彼はシャルロットとエルザというかけがえのない存在の無事と引き換えとばかりに、無二の親友にも等しい悍馬を失った。


 もはや余命幾許もないことは承知していた。

 ふっと息を吹きかけただけで消えかねない命の灯火を燃え上がらせ、最後の最後まで主の命に従ったブレンダンは何を思ったのだろう。


 もし平穏に過ごしていたとしても、遠からぬうちにこうなるであろうことは覚悟していた。

 だが。


 シャルロットの部屋から出て、扉を静かに閉めた後。

 クロードは俯いて握り拳を作り、しばらくの間、涙を流すことを耐えながら友の冥福を祈るのだった。




 ◆




 窓辺から朝焼けの光が射し込むデュラス公爵家の執務室にて。

 椅子に座って黙考していたクロードは呟いた。


「――そうか。レナさまには、そのような過去が……。帝国を恨むなとは口が裂けても言えないな。あまりにも、過酷過ぎる」


 憧れた古代の美しき勇者の話を聞き、クロードはゆっくりと瞼を開いた。

 目の前には、自分にしか見えない者がいる。


『それはもう。彼女は美しく、才気に溢れておりましたが……周りの者たちとはあまりにも違い過ぎたのです。その美しさも強さも、すべては醜い嫉妬心によって穢されてしまったも同然でございました』


 そこにいたのは、執事服を着用した1人の老人だった。

 白髪と白い髭を生やしながらも、背筋はしっかりと伸ばしている。


「ラモンド。何故、今までその話をしなかった」


 ラモンド。そう呼ばれた老執事は、ほっほと笑いながら言う。


『坊っちゃんは、レナさまに憧憬の念を抱いておりましたからな。辛い真実をお伝えするのは野暮だとばかり』

「……真実から目を背けるわけにはいかない。彼女のことについて、まだ知っていることはあるか」

『あくまでも噂であることをご承知おきください。レナさまの仕えていた屋敷の老夫婦と彼女のご両親を惨殺した後に、屋敷に火を放ったのは帝国出身の有力貴族――勇者候補の1人であったとか』


「……何と、愚かな」

『しかしレナさまは気丈に振る舞われておりました。その胸の中に燻る殺意を、魔族討伐のための力へと変えて成長していったのでしょうなぁ。頭が下がる思いです』


「レナさまの殺意は今もなお消えてはいなかった。500年経っても、憎しみが薄まることはなかったのだろうか……」

『まさしく。そして、憎しみが消えていないお方は坊ちゃんのすぐお傍にも』

「……いずれ、来る日に悲願を達成した時、シャルはどんな顔をするのか」


 クロードは、テーブルに置かれていたティーカップを手にした。

 すっかり冷めきったその茶を口に含み、一息吐いてから言った。


「いや、今はそれを考えていても仕方がない。ラモンド、帰還して早々お前にはだいぶ苦労をかけてしまったが、例の件は調べられたか」

『ほっほ。流石の私めもだいぶ苦労しました。調査を終えるだけで3年以上はかかりましたからなぁ……』


 ラモンドは不可視の存在だ。

 神でも精霊でも幽体でもない――デュラス公爵家の当主のみがその存在を感知出来る、正体不明のモノ。


 遥か昔から存在していたらしいが、詳しいことはクロードもよく知らない。

 ラモンドの姿は、クロード以外の誰にも感知されることはない。中には唯一といっていい例外もいたらしいが、その者はもはやこの世にはいない。

 彼の存在は極秘裏にされているため、シャルロットはもちろんエルザにも事情は伏せている。最愛の妻であったナスターシャにすら、告げることはしなかった。


 クロードはその特殊な資質を持つラモンドを見込んで、とある調査を依頼していた。

 彼がその調査結果を持ってやってきたのがつい先日。折しも、神殿襲撃事件が続いた直後のことだった。

 クロードはすぐに彼を派遣し、神殿を襲撃した者の存在を把握した。


 人外の力を持つ刺客が2人。

 ラモンドは犯人を特定したが、それ以上のことはしなかった。彼には戦闘能力がないに等しいからだ。

 神殿の襲撃事件の犯人について把握はしていたが、クロードが動けば犯人は即座にそれを察してしまう。故に放っておき、グランデンに誘い込むよりほかになかった。クロードが共闘していたトトの隙をついて即座に斬り付けたのはそれが原因だった。


 事件は大きな被害をもたらしながらも、何とか収束したといっていい。

 これから城砦都市の復興のために尽力しなければならないが、その前にラモンドに調査させていたことを知らねばならなかった。

 その調査内容のすべてを聞き終えたクロードは嘆息する。


「やはり、そうだったか」

『流石の私めも驚きましたが、間違いございません。しかしながら坊ちゃん』


 ラモンドは伝えるのを迷うような素振りを見せながらも言った。


『このことを坊ちゃんが知ったと悟られた時、坊ちゃんの命はもとよりデュラス公爵家の破滅へと繋がりかねません。今夜聞いたことはすべて忘れ、これからもグランデンの守護者としてあるべきかと』

「それは出来ん。私はこの問題を解決せねばならない。それこそが、本来選ばれるべきでなかった私に、オルフェリアさまがご加護をお与えくださった理由なれば」


『……貴方が死ねば、この国自体が傾きかねませぬぞ』

「問題が解決した後であればその心配は無用。私はそれまで死にはせん」


 戦場を共に駆けた親友の死に悲嘆する間もない。

 まだ己にはなさねばならないことが山ほどある。


「時にラモンド。北方領と東方領の情勢はどうなっていた?」

『軍部による食糧や物資の買い占めがありましたからな。混乱は相当なものでした。特に北方はゼナンとの戦の影響で最も荒れ果てた地。ようやく復興の第一歩を、というところでこの有り様です。領民の反発は根強いでしょうが、セヴラン大元帥閣下の命ともあらば従わない者もおらんでしょう。あのお方は領民から絶大な信頼を得ていますからなぁ』

「……短期決戦に持ち込む気なのは明らか。さしもの魔術大国も、セヴラン大元帥閣下とバーネット元帥閣下の手にかかれば為す術もないだろう」


 両元帥の強さをよく知っているクロードがそう言うと、ラモンドはやりきれないといったような面持ちで首を振る。


『でしょうな。……ディルーナさまとルーガルさまの築かれた愛が、本当の意味で潰えることになる。何ともはや悲しきことです』

「お前は両国の始祖と交流があったと、前に言っていたな」

『この身は不可視の存在でありますが、今までに私めの姿を看破したのはディルーナさまとルーガルさまだけでございます。ルーガルさまは神獣王とも呼ばれし神。あるいはそのようなこともあるのかもしれませんが、ディルーナさまは只人。何故、私めの姿を見ることがかなったのか今になってもわかりません』


 テオドール――ルシファーがラモンドの存在を言い当てた時、クロードは心臓が跳ね上がる思いをした。

 その姿を見ることまでは出来なかったようだが、もし西方の地で見せた魔神本来の姿であったのならば、また話は変わってきたのかもしれない。

 その時のことを思い出して苦い気持ちを抱きながらも、クロードは先を促した。


「それがきっかけで交流が始まったのか?」

『そうですとも。魔神をも超える魔力を持つディルーナさまは、当時まだ15歳。その身に宿す力とはあまりにもかけ離れていた性格のお方でした。無邪気で奔放で、誰に対しても優しく接するようなお方で。私めのような素性の知れない者に対してもそれは変わらず、一時は無理やり話し相手にさせられたものです……いやはや、なかなかどうして立派な理想をお持ちのお方でしたなぁ……お懐かしい」


 当時のことを思い出して、苦笑するラモンド。

 彼は更に続ける。


『ルーガルさまはそんなディルーナさまの傍におられた。寡黙で堂々としている様は正に神の獣そのもの。流石の私めもどうしても及び腰になったものですが、ディルーナさまはそのような存在に対してもまったく物怖じしなかったのです。彼女たちはいつも一緒におりました……』


 遠い目をしながらラモンドは在りし日のことを思い出して、複雑な心境を抱いている。そんな風に見えた。


『私めがキアロ王国を離れて間もなく、ディルーナさまとルーガルさまが結ばれ、彼の国は現キアロ・ディルーナ王国として栄えたのでございます』

「獣人という存在が現れたのはその直後だったのだろう」

『獣人。それこそがあのお二方の愛の結晶の証であることに間違いありません。現在の魔術大国が提唱する『獣人とは、邪なる神が創り出した穢れた生き物』などでは断じてないのです』


 唇を引き結び、身体を震わせるラモンドからは静かな怒気が感じられた。

 クロードにとっては、偉大なる大魔法使いと神獣王も遥か昔にいた者という認識に過ぎないが、両者と直に接した老執事には色々と思うところがあるのだろう。


「歴史は勝者にとって都合の良いものへと変わっていく。お前の言う真実の歴史が残るか、それとも――。此度の戦が終結した時に、勝ち残った者は何を想うのだろうな」


 遥か東方の地で巻き起こっている戦に想いを馳せながら、クロードは席を立つ。

 街の復興のためにも、休んでいる暇などない。

 自分がどう思おうとも、民衆も軍人も大英雄の導きを望んでいるのだから――。

次回は幕間。

そのお話も含めて、残り3話です。


作者都合により、次回の更新までなろうをチェック出来ない可能性もあります。

念のため、次話更新は7月3日(水曜日)の午前7時に予約しておきました。

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