第53話「王族会議~後編~」
殺意を乗せた視線が私を射抜く。
魔力をほとんど持たないベルフェはともかく、マモンとベルゼブブの視線に貫かれただけで魔力耐性のない者の心臓は破裂するだろう。
そして真っ先に跳びかかってきたのは、やはりベルフェだった。
その大剣による一撃を片手で受け止める。
もはや何かを断ち切るような攻撃ではなく、叩き潰すが如き力強さには目を瞠るものがある。
凄まじい重量によって、私の立っている地面が陥没し周囲に亀裂が走る。
「いい一撃だ、ベルフェ」
「旦那、神器を出せ。マジで俺とやり合うつもりならな」
「必要ないな。お前如きに使うまでもない」
私はベルフェの全体重を乗せた攻撃をいなし、体勢を崩したベルフェの後頭部に肘鉄を食らわせる。
まるで天から降り注ぐ隕石が直撃したかのような衝撃波と轟音が鳴り響き、魔王の身体が地面に叩きつけられた。
私はすかさず魔力を込めた右足を振り上げ、ベルフェの身体を砕かんばかりに振り下ろした。
先の攻撃をものともしていないベルフェがすぐに回避した瞬間、奴のいた場所に踵が直撃し地面から激しい火柱が幾本も噴き上がった。
土煙と火焔で視界が遮られる中、心臓まで凍るかのような猛吹雪が私に襲いかかる。
両足が凍りついたのを確認しながら、私はその吹雪の源たる魔力をこの身に吸収し、攻撃を仕掛けてきた相手へと向けて即座に魔力反射による倍返しを放った。
猛烈な大吹雪が七色に輝く馬王に襲いかかるが、その身体が深紅に光輝いた瞬間、すべてを凍らせるような勢いだった吹雪があっという間に蒸発し、この地全体を覆うような爆炎が巻き起こる。
既に古城があった痕跡など跡形も残っていない台地そのものすら焼き尽くしてしまうような灼熱地獄が、一帯を覆い尽くす。
『ルシファー、神器を解放したまえ』
「残念だが、使うまでもないな」
『そこまでして死にたいのかね?』
「くだらぬ戯言は私を一度でも殺してから言ってみろ。まだまだ生温いぞ、マモン」
『よかろう……!』
マモンの身体から白光が放たれた。
奴の神器は魔力の塊そのもの。名を『ルーメグニス』という。
光が天を貫いた時、数百もの巨大な岩が炎を纏って降り注いできた。
アレがたった1つでも地面に衝突した瞬間、この台地は吹き飛ぶ。
私の身体はともかく、他の被害が甚大になる。強固な結界を張らねばならん――。
「ふぇっふぇ……むぉっ!?」
私は先程からこちらの様子を窺っていたベルゼブブに跳びかかってその頭を蹴り飛ばした。
頭蓋が砕け、脳漿を撒き散らしながら、老人のような身体が荒野と化した中庭に転がる。
それを確認してから結界を張った時、面白そうに笑う耳障りな声がした。
「ふぇっふぇっふぇ……儂はまだ何もしとらんぞい」
「今にも邪魔されそうだったからな。先手必勝というやつだ」
私がベルゼブブを放置してあのまま結界を張った瞬間、奴は即座に術式破壊をしてこの地一帯に隕石が降り注いだだろう。
油断ならん奴はすぐに始末するに限る。
もっとも、こうして頭を吹っ飛ばされてもすぐに再生していつもと変わらぬ様子で喋るこの爺にはあまり意味がないかもしれんがな。
神器ルーメグニスから放たれた業火を纏った隕石が結界に弾かれて砕け散る。
強大な結界を維持し続けていると、大剣を構えたベルフェが一瞬で迫ってきた。
胴体を薙ぐような大剣による一撃を、私は肘と膝で挟んで受け止めた。
僅かに目を見開くベルフェの顔面に掌底を食らわせた。
頭が弾け飛び、その筋肉質な身体が地面に倒れ伏す。
私はベルフェの持っていた大剣を片手で持ち、地面に転がる死体を踏みつけながら言った。
「さて、今回まだ一度も死んでいないのはお前だけだ、マモン」
『それは貴様も同じこと』
「神器の力を使っておきながら、私に手傷1つつけられない奴が何を言うか」
ルーメグニスの効果により発生した流星群はそのすべてが私の結界によって砕け散った。
だが、奴の赤い瞳にはまだ殺意が籠もっている。
先程の攻撃は加減していたものだということがわかった。
『今度こそ消し飛ばしてくれる。貴様の愛する下等生物と共に!!』
「我が妻を貶めるか。いい度胸だ。お前の本気を見せてみろ」
マモンの身体が再び光り輝いた。
先程とは比べ物にならないほど圧倒的な光。
ルーメグニスの全力の一撃は魔法の上位階梯をも超える、魔導の完成形に匹敵する威力を持っている。
遥か彼方の大地から火柱が上がるのが見えた。
それが同時に数十、数百とこの台地を囲むように噴き上がる。
私はベルフェの身体を蹴飛ばし、大地に剣を突き立てた。
『魔力吸収に意味などない! 骨も残さず焼き尽くしてくれる!!』
「マモン、確かにお前の神器の力は強い。正面から正々堂々とやり合うのはいささか面倒なくらいにはな」
『小細工など通じぬ。愚者に相応しき末路を迎えるがいい!』
「しかし、やりようはいくらでもある。だからこそ、お前は王族の中でも半端だと言われるのだ」
ルーメグニスの力により、中庭に巨大な火球が出現した。
先程から噴き上がる火柱が威力と数を増し、一気にこの地へと迫ってきた。
火球と火柱の威力が合わさることにより、超高熱の魔力を私に直撃させるつもりなのだろう。その結果、この台地ごと焼き尽くされることなど構いもせず。
私は地面に剣を突き立てながら動かない。
マモンは不審に思っただろうが、もはや神器の力は抑えられまい。
数え切れぬほどの火柱の群れが大地に迫った時、私は台地を囲うように『黒い空間』を出現させた。
火柱の群れは台地に直撃する寸前で空間の中に吸い込まれて消えていく。
巨大な火球もあっという間に吸い込まれていった。
そして、マモンが私の意図に気が付いた時には、その巨躯が凄まじい炎によって炙られていた。
『グウウウォォォ……!?』
「どうだ、殺意を込めた己が魔力を、空間魔法により自分に向けられた気分は?」
『き、貴様……!!』
空間魔法は7大属性のすべてを習得してやっと扱うことの出来る術式だ。
その中には当然神聖術式も含まれる。
魔神の身故、この術式を扱うのはあまり得意ではないのだが――我が第一夫人は正に神聖なる存在そのもの。長年連れ添ったおかげで、私も神聖術式の1つや2つを使うことなど造作もなくなった。
マモンが何かを叫んでいたが、燃え盛る業火の勢いが強過ぎて何を言っているのかはわからん。
しかし、強力な魔力を自らの身に一身に浴びた代償は大きいだろう。
奴から十分に距離を取っていてなお、この身が仮にテオドールのままであれば瞬時に焼け死んでしまうほどの熱風が私の身体を襲った。
その時、後方から何かが飛んでくるのを察知した私がそれを受け止める。
レヴィの神器、サトゥルナリアだった。
「ルシファー! ままごとはそろそろしまいにせい!」
「わかっている。少しばかり借りるぞ」
サトゥルナリアは本来の持ち主でない私をも拒絶することはない。
恐らくはレヴィの意思によるものだろう。
さて、トドメの一撃だ。
炎が一際強く燃え上がり、大爆発を起こしたのを結界で防いだ後、私はその場を跳躍しマモンへと迫った。
驚愕に見開かれたその瞳を見てふと笑いながら、サトゥルナリアの一撃によってマモンの首を刎ねる。
どさりと地面に落ちた馬首は、じゅっと音を立てて消えた。
首から上を失ってたたらを踏んでいたマモンが瞬時に再生してのける。
奴は恨めしそうにこちらを見ながらも、私が持っている鎌を目にしてその怒りを収めたようだった。
『……くっ』
「少しは気分が晴れたか」
『おのれ……この屈辱、忘れはせぬよ……』
「そのセリフは聞き飽きたな」
私はサトゥルナリアをぞんざいに放る。
近くに寄っていたレヴィがそれを掴み取るや、声を張り上げた。
「このたわけ共! 今は仲間内で争っている場合ではないというのがわからぬか!?」
マモンは大人しく言うことを聞くかと思いきや、呟くように言った。
『レヴィアタン。君に1つ問いたい。我にとってはどうでも良いことだが、あのサタンですら君にとっては同胞も同じ。その同胞を捕らえ、下位の魔神程度の力しか持たぬように弱体化させた何者かがいるのは明白。仲間とやらがそのような辱めを受けたのを、黙って見過ごすとでも言うのかね?』
「……そうは言ってはおらぬ。わらわとて、サタンを弱らせた者と相対すれば殺意も湧こうというもの」
レヴィは悔しそうに歯噛みしながら、続けた。
「しかし、だからと言って戦を始めるなど論外じゃ。今の諸国の情勢を考えてもみよ。帝国はゼナンと休戦協定を締結したにもかかわらず未だに彼の国と睨み合い、あまつさえルーガルに加担して魔術大国を攻め陥とさんとしている。ツェフテ・アリアは先の天魔召喚により、少なからぬ危機感を覚えているはず。もはや周辺諸国とは鎖国同然の聖王国を除き、主要な大国すべてが戦火に晒されていると言っても過言ではないのじゃ――そのような状況で我ら魔族が出向いてみよ。大陸は間違いなく混乱の坩堝と化すぞ」
『他種族を気にして、同胞が受けた恥辱には目を向けぬとでも?』
「違う! そうではない!」
マモンにしては珍しくレヴィを圧倒しているな。
戦ばかり考えている奴かと思ったが、少しは成長したか。
だが、これはレヴィのような穏健派にとっては答え無き問いに他ならない。どう言おうとも、争いの火種を生むことになるからだ。
「マモン。その言い方は卑怯ですわ」
ひとまずの争いが終わったと同時に、アスモが近寄ってきた。
「わたくしたちは慎重な判断をしなければなりませんの。サタンが受けた屈辱に関してはわたくしにだって思うところはあります。ですけれど、むやみやたらと戦を始めることだけを考えてはなりません。その行動は、またかつての愚行――先代のルシファーが行った虐殺へと繋がりますもの」
『愚昧極まる淫魔が道理を語るかね』
「挑発するならいくらでも。先も言いましたが、今はそのような時ではありませんの」
アスモの語った言葉を聞いて、私はある日のことを思い出していた。
――そう、確かあれはデュラス将軍の屋敷に招かれた時だ。
黒幕の思惑は、この大陸全体に大混乱を生じさせることだと考えた。
あの時は、帝国が弱体化すればゼナン竜王国が台頭し、必ずやテネブラエに攻め込んで全面戦争へ繋がると考えた。
だが、あの後に起こったことを鑑みるとそれは少し違う。
私が帝国にまったく関与していなかった場合、サタンが現れたことに気が付くのはもっと後の話になっただろう。
次元の裂け目が出来た程度で私が動くことはない。故に確認のために魔族から斥候を送ることになっただろうが、その時点で既にサタンは神器を手にしている可能性がある。
そこで初めて異常事態に気が付いた私が帝国へと赴いた時にはもう、カデシュ・セゲルは振るわれた後に違いない。神殿の水晶が壊された時点で、ゼナンから大竜将がやってきたのは確実なのだから。
その場に大英雄がいるかどうかまではわからないが、事情をまったく把握していない我ら魔族と、同じく予想外の結果に動揺している大英雄との間で激しい戦いが繰り広げられるのは確実。
私は奴に負ける気はしない。が、問題はそれだけでは収まらない。
カデシュ・セゲルがグランデンを破壊するほどの一撃を放てば、大英雄の勝敗はどうあれ、帝国は間違いなくテネブラエを脅威と断じて即座に戦闘態勢を整えるはず。
そして、有り得ない話ではあるが私が大英雄に敗れた場合。
同じことがテネブラエから始まり、帝国が戦火に晒されることは想像に難くない。
つまり、私と大英雄のどちらが勝っても被害は甚大になり、やがては両国で戦が勃発する。
黒幕たる女神の目的は、当初の予想通り、大陸全土を巻き込んだ大戦争に違いない。
サタンはその撒き餌として使われたのだ。
500年間、自ら動くことのなかったテネブラエが参戦せざるを得ない状況を作るための餌として。
どの国も、もはや誰が相手なのかすらわからない戦争へと参戦し、何をすれば戦が終わるのかもわからないまま戦い続けることになる。
戦力を考えれば最終的にテネブラエが残るのは明白。
だが、その後はどうなる。すべての国を相手取って戦い、血肉に塗れた魔族たちがどうなるか。
それは、かつて私が危惧した最悪の結末。
破壊衝動に侵された魔族たちは、もはや戦う相手のいない大陸の中でも衝動を抑えることは出来なくなる。
結末は、魔族同士による無益というほかない殺し合い。
昂り過ぎた破壊衝動は、やがては必ず同胞へと向けられる。
先代のルシファーが目指した大陸の覇権が実現された時に起こるそれを憂慮した私は、奴を滅殺した――。
滅びの道へと突き進んでいた魔族たちは、その行為によって違う道を進むことになった。
だが、女神とやらは我らを再び殺戮へと興じさせたいのだろう。
それが女神にとって何をもたらすのかはわからない。だが、何の目的もなく、このような大掛かりな仕掛けをするわけがないのだ。
極めて慎重な判断が必要だ。
私は改めて宣言した。
「――言い争いは終わったか。これより、王族会議を再開する」
そう告げた瞬間、台地が揺れた。
激しい地鳴りと共に、地面が明滅し――次の瞬間には、王族の攻撃によって跡形もなく吹き飛んでいた古城がまるで何事もなかったかのようにその姿を顕現させた。
この巨大な古城の正体は魔力の塊。高度な術式で造られたこの建造物は、いくら破壊されても時間が経てば再生するようになっているのだ。
王族会議が紛糾したのは何も今回が初めてではない。
過去には、もっと荒れた時もあった。その度にこの城も吹き飛んだり、消し飛んだりしたものだが、都度再生を繰り返して現在に至る。
「……やれやれ、相変わらずアホみてえな強さだな、旦那」
こちらも再生したのだろう。
首をゴキリと鳴らしながら、ベルフェが呆れたように言った。
こいつが使っていた剣は神器ではない。ただの大剣だ。
もしベルゼブブとベルフェもが神器を使っていた場合、私も多少は対処するのが難しくなっていただろう。
私自身は平気だが、周囲を気にしてまで3柱もの王族を相手取るのは厳しいからな。
まるで何事もなかったかのように再生した古城と、その中庭の中央にあるテーブルを囲み、会議は再び続けられた。
私が語ったのは、先に考えた女神とやらの目的。
そのすべてを話し終えた後、真っ先に口を開いたのはアスモだった。
「女神の目的は、大陸全土を巻き込んだ戦争のみならず、やがては生き残る我ら魔族の終焉というわけですわね。確かに起こった出来事と、それを行う理由を考えれば辻褄は合うかもしれませんわ」
「……旦那、1ついいか」
「何だ、ベルフェ」
こいつがこういう切り出し方をするのは珍しいな。
ベルフェは灰色の髪を掻きながら続けた。
「……大陸全土が戦をして、残るのは俺たちなのは間違いねえ。だけどよ、この大陸には一筋縄じゃいかねえ奴らがいるだろう――大女神オルフェリアを筆頭にな」
確かに、オルフェリアの力は強大だ。
デュラス将軍に与えられた加護が常軌を逸していることから見ても、それは間違いない。
だが、その大女神の介入が現実的かどうかは怪しい。何故なら。
「確かにオルフェリアが現れれば、我らの被害も甚大になる可能性はあるが――その大女神の姿を見た者はいるか?」
私が問いかけても、王族の誰もが沈黙するか、首を振るのみだった。
そう、創世の大女神と謳われしオルフェリアの姿を実際に見た者はいないのだ。現にオルフェリアの使徒でもあるルミエルも、彼の大女神の姿を見たことはないと言っている。
その時、レヴィもまた口を開いた。
「オルフェリアもそうじゃが、聖炎も気にかかる。誰ぞ、その姿を見た者はおるのか?」
私は見たことがない。
聖炎の加護を受けし者は何度か戦場で見かけたことはあるが、肝心の聖炎なる者の姿かたちどころか、居場所さえ知らん。
……その加護もキースの父親を最後に消え失せ、今となっては力を引き継いだ者は誰もいないはず。
ベルフェはふんと鼻を鳴らしてから呟いた。
「……あいつらは周辺諸国で二大神として扱われてんだろ。もしも、この大陸を俺たちが蹂躙すればひょっこりと現れるかもしれねえ」
「ふぇっふぇ、それはどうかのう」
ベルゼブブが長い顎鬚を擦りながら不気味に笑う。
「強大な神が顕現するのであれば、先代のルシファーが暴れた頃に出てこないというのはあまりに不可解。現に先代の力によって、大陸の西方はすべてが我らが領地となった」
こいつが言うことも、もっともな話だ。
魔族の暴走は大陸の危機と言い換えることも出来る。
だが、先代がいくら暴れてもオルフェリアも聖炎もその姿を現すことはなかった。
この二大神が架空の存在でないことは明らかだ。
両者の加護を受けた人間がいるのは間違いないのだから。
何故、二大神は姿を現さなかったのか……。
……いや、これ以上の憶測はあまり意味がない。
仮にその二大神が顕現した時にはもう、この大陸は魔族によって蹂躙された後ということになるだろう。
私は何としてでもそれを食い止める。先代と同じ過ちを繰り返さないためにも。
『所詮は日和見のくだらぬ結果となりそうだ。まだこれ以上無駄な話し合いを続けるつもりかね?』
「お待ちなさいな。ねえ、我が君。先日発生した、あの『赤星の煌めき』をご覧になりまして?」
「ああ。この目でしかとな。それがどうかしたか?」
私が問うと、アスモは何か苦いものを口にした時のように眉根をしかめた。
「あの美しい輝きには心惹かれるものがありますわ。――でも、アレは間違いなく凶兆。サタンが姿を消す直前にも、先代のルシファーが暴走してわたくしたちも正気を保っていられなくなった直前にも、赤星は煌々と輝いておりました」
「ああ、私もアレを見た瞬間にそれを思い出したものだ。しかし、アレに凶兆以上の何かがあるとでも?」
「ふぇっふぇ、儂が思うにあの現象がもたらすものは我らの想像を遥かに超えるものであろうな」
「確かに偶然で片付けるのも気分が悪い話だ。現に、先の現象の直後にもサタンが現れた。放っておけばどれほど被害が出たか想像もつかん。しかし、それは女神と呼ばれし者たちの配下が行った人為的なものによること。直接の因果関係があるとは思えないが」
「……ツェフテ・アリアが気になるのう」
ベルゼブブからの予期していない言葉に少し驚いたが黙って先を促すと、禍々しい瘴気を放つ老人の姿をした魔王は言った。
「エルフは長命故、ただ生きるだけの日々に飽いて己の興味ある物事の探究に血道を上げる者が多い。中でも天体に関する研究をする者が後を絶たんという。それが何故かわかるか?」
「……ツェフテ・アリアとルーガルの東方には、先史文明期の痕跡がある。それが要因か?」
「然り。彼の文明では高度な技術が発展し、天空よりも遥か彼方にある星すらも見通すことが出来たのだという。そして現存している先史文明期の資料の中に頻出するのよ、あの赤き星々に関する記述がな」
先史文明期の資料に書かれている文字は、今でいう古代文字よりも昔のものだ。
論文のようなものもいくつか見つかっているが、解読出来た部分はほとんどない。
ベルゼブブが遥か昔、東方の地に出向いた際にいくつかの資料を手にしたということは聞いていたが、何か進展でもあったのか。
「それによるとじゃ。先史文明期の人間共は、あの赤き星々の煌めきに何かがあるということは既に認識していたと見受けられる。しかも今現在のように吉兆だの凶兆だのという曖昧な話ではなく、具体的な『脅威』と捉えておったと」
「脅威か。あの現象の後に起こる不吉な出来事の数々に対して、そう捉えていたのか?」
「儂にも深いところまではわからん。しかし、読み解ける数少ない部分から察するに、あの現象が起きる度に『大陸が消える』のだという」
「なんだと……? それはどういう意味だ」
「文字通りよ。太古のこの世界には、数多くの大陸や島々があったそうじゃのう。しかし今はそうではない……レヴィアタン。おぬしにもわかるであろう?」
「うむ。わらわがかつて訪れた大陸も、いつの間にか忽然と姿を消したものじゃ。わらわが親しんだ祭事も、かつて出会った不思議な感覚を纏う女子たちも、もはやその痕跡すらない。海の藻屑となったのかと思うて寂しくなったものじゃが」
この大陸の外側の世界にいくつかの大陸があることは知っていた。
レヴィが言うように、そこにもまた人間たちが住んでいたことも。
しかし、それも1000年以上も前の話になる。
特に先代を滅殺した後、私はこの大陸を離れられなかった。
良くも悪くも安定している今の魔族たちも、数百年前までは頻繁に暴走を繰り返していたからな。
私がこの国にいなければ、それを止めることもかなわかった。故に私はこの大陸の外の事情には疎い。
「もはや、この世界に残された大陸はごくわずかであろうよ」
「ベルゼブブ、それはお前の千里眼で見た結果か?」
「儂のこの力もすべてを見通せるようなものではない。おぬしが言う女神とやらの居場所も正体もわからぬ。しかし、この大陸から外は……見渡す限り海しか映らん」
ベルゼブブには、天魔が召喚された時にルミエルをそそのかした経緯がある。
好戦派の中でも一番何を考えているかわからん類の奴だ。
その言葉を鵜呑みにするのも危険かもしれんが、今回ばかりはこいつの意見に耳を傾けてもいいだろう。
「ルシファーよ。もし、犠牲なき解決を図るというのであればツェフテ・アリアに赴き、赤星の煌めきを研究する者を探し出すがいい。そこから女神に関する何かしらの情報が手に入るやもしれぬ」
「赤星の煌めきが女神と関係している可能性か……。もし、この世界に残された大陸がわずかだった場合、次にあの天文現象が起きた時、この大陸そのものが消え去る運命にあるのかもしれんな。大陸全土を混乱へと導く女神と通ずる部分がないわけではない。調べるだけの価値はあるか――」
ツェフテ・アリアの北方にはルーガル王国、そしてキアロ・ディルーナ王国がある。
赤星の煌めきを調べた後、一度赴いてみるのも悪くはないだろう。
……かつて親交を深めた者たちの子孫が争っているという状況は、あまり気分のいいものではない。それがどの程度の規模のものなのかも確認しなければならんだろう。
今現在は帝国に潜入しているカーラに調査を任せるという選択肢もあるが、ツェフテ・アリアの北方にはルーガルを挟んで彼の魔術大国がある。
カーラにも上位の魔神程度の力があるとはいえ、あいつにだけ任せておくのは危険だ。
何せ、相手はあのサタンをもほぼ無力化させた可能性のある化け物なのだから。
それにあいつは吸血衝動が少ないとはいえ、完全に抑えられるわけではない。いつまでも野に放っておくわけにもいかないだろう。
誰もが沈黙して私を見つめる中、静かに告げる。
「準備が整い次第、私はツェフテ・アリア王国へと赴く。その間、玉座を護るのはお前だ、アスモ。頼めるな? 万が一サタンが封印を破ることがあっても、お前なら止められるだろう」
「承知致しましたわ。我が君のご命令とあらばどんなことでも」
アスモは穏健派で戦いを好まない。
だが1000年前、ルミエルら天使の軍勢が攻め込んできた時、最も多くの天使を葬り去ったのは他ならぬこの女だ。
戦闘力という観点から見ても、最も信用出来る。
「レヴィは連れ帰ってきた大量の死者たちを癒やすことに専念しろ。暴走させぬようにな」
「無論。それがわらわの本分なれば」
後は好戦派への説得か。
「ベルゼブブ。お前は先史文明について、どこまで知った?」
「先も言うたがな、ほんのわずかよ。儂の宮殿にある書物の束には、まだまだ意味のわからんものがたくさん書かれておる」
「ならば引き続き、その調査を行え」
私は次にベルフェとマモンを見つめた。
「お前たちには業腹な結果となっただろうが、しばらくは今まで通りにしていろ」
「……わかってるぜ、旦那。もとより期待はしてねえ。また聖王国の監視でもしてらぁ」
「ああ。私と大英雄の一時の戯れは、既に彼の国に知れ渡っているだろう。何かしらの行動を起こす可能性もある。お前の領土は聖王国と最も近しい場にある故、これからは油断しないことだ」
「……戦えるなら大歓迎だぜ、こっちは。あいつらが攻め込んできた時はどうする」
「迎撃した後にアスモの判断を仰げ。独断で動くことだけはやめろ」
そう念押しすると、ベルフェは溜息交じりに頷いた。
さて……。
「そこの馬」
『喧嘩を売っているつもりなら買うぞ?』
「配下の統制をしておけ。日々、魔獣同士で切磋琢磨しているだろうが本格的な戦は経験していないのだからな」
『ほう? 何が理由だね』
奴の身体から炎が噴き上がった。
わずかに興奮している証だ。
アスモは「また始まりましたわ」と肩を竦めながら、手で顔を扇いでいる。
「今後何があるかわからん。だが、女神の正体が露見した場合――私だけでは手に余る可能性もある。お前たちが動くのはその時だ。女神とそれを護る者を相手にした時のみ、全力を以て戦いに臨むがいい」
『ふむ、承知した。貴様が苦戦するとも思えんが、あのサタンを降した可能性がある者と殺し合えるのであれば悪くはない』
マモンが了承したことにより、この場にいる王族全員が私の言葉に賛同したことになる。
私は宣言した。
「王族すべての意見が纏まった。これにて、王族会議は終結とする」
これで長い王族会議は終わった。
私が振り返ると、そこには神妙な面持ちをしたままのルミエルとレナ。
そして、いつも穏やかに微笑んでいるジゼルの姿があった。
◆
「ね~! だ~りん! わたしはまたお留守番なわけ~!?」
「お前は帝国で仕事を済ませてきたばかりだろう」
「あの性悪メイドを運んで、ばーっとやってわーっと片付けてそれでおしまいじゃない! つまんなーい!!」
ルシファーに抱きついたルミエルが駄々をこねながら甘えているのを見ながら歩を進めても、レナはいつものような嫉妬心を覚えることはなかった。
表情を暗くさせて歩いていると、ふと隣にいた少女が手を繋いできた。
「レナ。どうしたの?」
「あ、い、いえ……私は……」
「あなたにとっては、初めての緊迫した王族会議だったものね。少し驚いちゃったかしら」
ルシファーの力が規格外なのは当然わかっていた。
だが、他の王族の力があれほど凄まじいものだとは考えてもいなかったのだ。
レナはかつてこの地に侵攻してきた時、自分が引き連れてきた者たちに戦闘を任せて、すぐにルシファーの宮殿に乗り込んだ。
道中には力ある魔神もいたが、彼女の敵ではなかった。
そして遊び半分で出てきたルミエルも、腕を飛ばしたらすぐに泣き始めたものだからそれを放って、王の間に辿り着いてルシファーと邂逅を果たしたのだ。
そう、自分は他の王族の力をほとんど知らなかった。
何度も交流を重ねたアスモデウスやレヴィアタンは穏健派であり、レナを前にしても敵意や殺意などを見せることはなかった。
滅多に姿を見せないベルゼブブ、ベルフェゴールからは極めて危険な気配を感じたが、それだけだった。
唯一、殺意を見せてくるマモンにだけは注意を怠らなかったが、此度の王族会議で垣間見た凄まじい魔力の応酬を見て、レナは自身の心を支える何かが折れたような気がした。
王族に勝てないことなどわかってはいた。
だが、思えばグランデンに辿り着いてすぐにシャルロットに姿を看破され、大英雄の背後にいる何者かの存在にすら気付かず、当の大英雄との戦闘ではルシファーが止めに入らなければ深手を負っていた――実質の敗北に他ならない。
最強の魔王の第三夫人という地位を得て、思い上がっていただけで、結局は自分も常人よりは少し優れた程度のものに過ぎなかったのではないか。元勇者などとおこがましい。
そう思うだけで、いつしかレナは下唇を強く噛み締めていた。
既に視界が涙の膜で滲んでいることにも気付かないまま。
その時、ジゼルがそっとレナを抱き寄せた。
「帝国に赴いた陛下に付き従って、よく頑張ったわね」
「……私は、私は……」
言葉が続かない。
ジゼルはそんなレナを抱きしめて頭を撫でながら、声を上げた。
「陛下。先に宮殿に戻っていてくださる? 私も後で向かうから」
「そうか? わかった……ええい、ルミエル、ひっつくな!」
「今日はぜぇ~ったい離さないんだからぁ! だ~りんが涙目になるまで犯してやるの!!」
賑やかな声が遠ざかっていく中、レナはジゼルの柔らかい感触と甘い匂いに包まれて子供のように泣きじゃくっていた。
声が漏れないように必死に押し殺していたが、ジゼルが優しく囁いた。
「大丈夫。好きなだけ泣いていいの。ここには私とあなたしかいないから」
「ふっ……うっ……!!」
レナは幼い頃のことを思い出していた。
ふとしたことで屋敷の主の大事にしていた高価な壺を割ってしまった時、どうしていいかわからず泣いてしまった。
それを知った両親が何とか許しを乞うと、年老いた老夫婦は穏やかに笑って許してくれたものだった。
こんなに涙を流してわんわんと泣いたのは、あの時以来かもしれない。
――長い間大声を出して泣いていた後、ひくっひくっとしゃくり上げるレナに対してジゼルは言った。
「レナはミルディアナでも、グランデンでも、よく頑張ったわね。だから、そんなに自分を責めないであげて?」
「でも、私は……あんな、子供に正体を見抜かれて……得体の知れない何かがいることにも気付かないで……!!」
「ええ」
「ルシファーさまが……サタンさまと戦って……足止めを、任せて頂いたのに、デュラス将軍を相手に……く、くだらない挑発をして、しまって……」
「ええ」
「そして戦った結果があのザマです……。なんと、お詫びしたら良いのか、わからないまま、今日を迎えて……うぅ」
ジゼルは子供をあやすようにしながら、口を開いた。
「あなたは昔、帝国でとても辛い目に遭ったもの。神剣に選ばれ、戦で凄まじい戦果を上げて、今もなお大英雄と謳われ、誰からも憧憬の眼差しを向けられるデュラス将軍を見て、気持ちが抑えきれなくなってしまったのね」
「……はい……申し訳、ございません……」
「大丈夫。少しだけ自制が利かなくなることくらい、誰にだってあるわ」
「ルシファーさまの第三夫人ともあろう者が、このような……わ、私にはそのような資格はもう……」
「ねえ、レナ。陛下がそのことで一度でもあなたを怒ったことがあったかしら?」
レナはそれまでの失態がルシファーに知られた時のことを思い出す。
怒られるようなことは一度もなかった。むしろ、いつも労ってくれていたものだ。
「陛下は思ったことをはっきりと口にするお方よ。もし、あなたに失望したならそう言うわ。役に立たないのならテネブラエに帰って大人しくしていろ、という感じかしら」
「……」
「自分を卑下しないで。あなたは陛下の第三夫人としてきちんと役目を果たしているわ」
本当にそうなのだろうか。
自分は愛すべき夫の役に立てているのだろうか。
そう考えると不安になってしまい、思わずジゼルに縋るように抱きついてしまった。
「レナは真面目でいい子ね。でも、たまには肩の力を抜いて、ただ陛下に甘えてみて。きっと優しく支えてくださるから」
「……そのようなことは……」
「恥ずかしくて出来ない?」
「……」
返答の代わりにジゼルを抱きしめる力を強くする。
子供の頃に戻ったような気分になって恥ずかしくなったが、この優しい第二夫人の包容には逆らえない。
「じゃあ、今は私に甘えてちょうだい。2人だけの秘密。ね?」
ジゼルはレナの背中を優しく撫でてから、自分よりも少しだけ背の高いレナと瞳を合わせる。
「レナが気にしていることなんて些細なものよ。陛下に聞いたら『そんなこともあったかもしれない』程度の。それよりも、あなたが流す一雫の涙の方がよほどあのお方を戸惑わせてしまうわ」
「……すみません」
「気分が落ち着くまで、ここにいましょうか。何か悩んでいることがあったら、なんでも教えてね」
「はい……」
レナとジゼルは、もはや誰もいなくなった古城でしばらくの間、共に過ごした――。
2章は、幕間を含めて残り5話となります。
終幕までもうしばらくお付き合い下されば幸いです。