証拠隠滅のため毒殺された「マルタ」
42度以上の高熱を出したが、治療が受けられたのは発熱して1週間ほどたってから。一歩間違えれば命を落としかねない深刻な状態だったにもかかわらず、放置されていたのだ。
「蒸しパンの中に何かの菌が混入して、私を実験していたのかな、と考えているんですよ。同じ蒸しパンを食べたほかの人はみんな無事だった。少年隊員たちも人体実験に利用されていたと思っています」
1945年(昭和20年)8月9日、ソ連が日ソ不可侵条約を破棄し、旧満州国に軍事侵攻を開始すると隊内は大パニックになった。
人体実験が露見すれば、上層部は非人道的な行為と責任を問われ、軍事法廷で裁かれる。そのため生存していた「マルタ」たちは証拠隠滅のため、毒ガスで殺害された。