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第50話「死者を統べる者」

 圧倒的という表現すら生ぬるいほどの力を有した魔神ルシファーと、その妻である古代の勇者が去った戦場。

 ダリア草原は、もはや荒野と成り果てていた。

 そこに1人佇み、この戦場で散った者たちへ黙祷を捧げていた時、彼女は現れた。


 黒い穴のような空間から姿を現わしたのは、不思議な格好をした少女だった。

 白い衣服と、緋色で丈の長い下衣。

 クロードは、そのような衣装を見るのは初めてだった。


 外見年齢は11、2歳といったところだろうか。

 長い黒髪と、生気の感じられない赤い瞳が印象的だった。


 シャルロットと同じ年代のようにも見えるが、この少女からは常人には発し得ないどこか神秘的な雰囲気が感じられた。

 だが、彼女が現れたのはルシファーが消え去った空間と同じものだ。その正体はやはり魔族なのだろう。


 物憂げな表情を浮かべる少女の左手には鎌が持たれていた。

 だが、殺気などの類は一切感じられず、静謐な空気を身に纏う少女は穏やかに告げる。


「大英雄よ、お初にお目にかかる。わらわはレヴィアタン。テネブラエ魔族国の王族がうちの1柱であり、死霊の宮と呼ばれる死者が集う領域の主じゃ」


 その華奢で可憐な外見とは裏腹に、この少女もまた高位の魔族であるらしい。

 あらゆる戦場を駆け抜けてきたクロードにすら、少女の戦闘能力がどれほどあるのかを見抜くことは出来なかった。

 警戒を怠らないようにしながらも、自分もまた名乗る。


「私はエルベリア帝国西方グランデン領の軍部総司令官、クロード・デュラス大将だ。もっとも、その様子では名乗りを上げる意味もないかもしれないが」

「うむ。ぬしのことはつい先日より監視下に置いていたからのう。悪く思わんでくれ」


 言葉遣いもまるで年老いた者のそれに近い。

 しかしレヴィアタンと名乗る少女は、どこからどう見ても人間にしか思えない。故に外見との相違が強く感じられ、強い違和感を抱いてしまった。


「魔王レヴィアタンよ、私に何用か。ルシファーが仕留め損ねた相手のトドメを刺しにでもきたか」

「仕留め損ねた……? んん……? ああ、すまぬ。そうか、そうじゃな、普通の人間の感覚であればそうとしか思えぬな。まったく、わらわもあやつを窘められるほどの器ではないということか。嘆かわしい」

「何を言っている?」


 深い憂いを表情に滲ませる少女は、少しだけ溜息を吐いた。


「すまぬ。ルシファーにとって、先の戦はただの余興に過ぎぬ。いや、戦とすら思ってはおらなんだ。ほんにただの出来心でつい戯れに興じた。アレはそういう男じゃ」

「ずいぶんと下に見られたものだな」

「深手を負ったぬしには悪いが、なんぞ暴れ馬に蹴られたとでも思って忘れてくれぬか。テネブラエに戻り次第、あやつには固く言い含める故」


 クロードは自らの身体の状態を改めて意識した。

 骨が折れ、内腑ないふが破裂したような激痛に苛まれている。こうして立っていられることが奇跡的なのは言うまでもない。

 大女神の加護により、既に傷は治り始めてはいるが、完全に回復するまでしばらく時間がかかるだろう。


「では、貴公は何故ここに現れた」

「大英雄クロード・デュラス。ぬしへの謝罪と、故意ではないとはいえサタンがこの国に与えた被害への贖罪――そして、何よりも」


 レヴィアタンが語る中、地底からゆらりと現れたのはわずかな光を発する幽体だった。

 グランデンを襲撃した下級の幽体とまったく同じものに思える。

 それらが数十を超え、遂には百をも超える光となってレヴィアタンに纏わりつくかのように蠢いた。


 少女は鎌を片手にしながら、幽体たちに優しく触れて慈しみの表情を浮かべている。

 まるでこの世界そのものを憂えていたかのような先程までとは違い、穏やかで優しげな笑みを浮かべて口を開いた。


「うむ……うむ。痛かったであろう。苦しかったであろう。ぬしの名は……そうか、イリアというのであったな」

「……!!」


 聞き覚えのある名前が出て愕然としていると、レヴィアタンはイリアと呼んだ幽体を撫でながら言う。


「まだ年若いというに、斯様な最期を迎えた無念は察するに余りある。じゃが、ぬしは自らを率いて戦場に立った娘を守れたであろう。身を挺して未熟なる指揮官を守り抜いて果つるその様、まことに見事であった」


 他の幽体たちも次々とレヴィアタンの身体へと纏わりつく。

 まるで救いを求めるかのように。


「うむ、うむ。共にわらわの死霊の宮へと参ろうぞ。あの地にて、ゆるりとぬしらの話を聞かせておくれ」


 慈悲深い声色で死者たちに語りかける少女は、凄まじい力を持つ魔神であるとは思えない。

 だが、クロードにはどうしても看過出来ない言葉があった。


「待たれよ。貴公が呼びしは、我らが帝国軍人の者の名。死したその幽体を連れ帰り、何をするつもりか」

「わらわは死者の話を聞き、語らうだけじゃ。そうして長い年月を経れば、この怒りとも悲しみともつかぬ感情に支配されている者たちの心も安らぎ、冥界へと続く道を歩み始めることにも繋がる」


「それを見過ごすわけにはいかない。帝国の者を、魔族の国へ呼び寄せるだと? 戯言も甚だしい」

「……死者に、国も出自も関係ない。その死に嘆く者たちが安らぎを求めるのは当然。なればこそ、わらわはこの者たちを癒やさねばならぬ」


「死者を救うというのであれば、神聖術式を以て浄化することこそが最良の道。悪しき魔族の領域に導く必要などない」

「わらわはそのやり方は好かぬ」


 レヴィアタンは、生気のない瞳でクロードを見据えた。


「神聖術式は確かに強い力を持つ。その術式を一身に浴びれば、この迷える死者たちは一瞬にして消え果てるであろう。しかし、それでは報われぬ。死者が嘆き悲しむ感情をも考えず、ただ浄化すれば良いという考え方をわらわは否定する。彼の聖王国、レスタフローラのやり口がまさにそれじゃ。死した者の想いなど考えもせずただ消滅させるだけとは何たる傲慢さか。大英雄よ、ぬしもまた同じ考えを持つとでものたまうか」


 華奢な少女から発せられる言葉はあまりにも重く、クロードは一瞬だけ迷いを見せた。

 その間にも幽体たちはレヴィアタンを囲み、その全身に纏わりつく。


 不意にレヴィアタンが片手に持っていた鎌をゆっくりと振るおうとした。

 瞬間、クロードはその場から跳躍し、躊躇なく神剣リバイストラを振り下ろした。


「今までの口上はただの戯れか、死者を統べる魔王よ!」

「違う。早まるでない」


 レヴィアタンは片手の指先1本で、クロードの神剣を受け止めた。

 その衝撃だけで彼女が立っている地面に亀裂が走る。


 手加減はしなかった。それどころか、全力に近い一撃を出していたにもかかわらず、眼前の少女は神剣の一撃をいともたやすく止めたのだ。

 レヴィアタンは怯える死者たちを気遣わしげに見つめてから、穏やかな口調で言った。


「この鎌はわらわの神器――名を、『サトゥルナリア』という。もう何年前になるかすら思い出せぬが、かつて訪れた他の大陸で農耕を祝う儀礼の名として使われていたものを由来としたのじゃ」


 まったく敵意を見せもしない少女を前に、クロードは神剣を向けるのをやめてその話に耳を傾けた。


「楽しき習慣を好ましく思って名付けたが――わらわもまた魔神。破壊衝動に支配されてしまえば、すべての思いが殺意に彩られてしまう。気が付けば、わらわはこの神器で数え切れぬほどの者たちを殺めてきた。いや、神器だけではなく、わらわが“この姿”でなかった時から、延々と――」


 深い悔恨を垣間見せた少女は懐古の情を語る。


「わらわはあまりにも多くの者を殺め過ぎた。故に犠牲となった者たちに恨まれ、数多くの死者たちがわらわに纏わりついた。そして何百年も亡霊たちの怨嗟の声を聴き続け……ある時、不思議な地を訪れた際に1人の女子おなごに言われたのじゃ。この身に纏う死者たちの声に耳を傾け、彼らの怨念を癒やしてはどうかとな」


 レヴィアタンは自らの装束に片手を当てて「この服も、もとはと言えばその女子が着用していたものと似せているのじゃ」と付け加えた。


「――わらわが力を振るえば、弱き死者たちは簡単に消滅してしまう。しかし、それではいかん。圧倒的な力によって為す術もなく死した者たちを癒やし、その無念を晴らすのがわらわの役目であると諭されもした。多くの者を殺めた罪の贖罪として、わらわという存在がある限りそれを続けよと」

「……貴公はその言葉に従ったというのか」

「うむ。わらわはな、破壊衝動に囚われぬ限りは無益な殺生を好むような性質ではなかった。故に正気に戻った際、人間たちの血肉や臓物に塗れた己が身体を見る度に言いようのない感覚に襲われた。女子が言うには、それは罪悪感に他ならぬと」


 レヴィアタンが神器を振るう。

 それはゆるやかなもので、何かを傷つけるような動作ではなかった。

 その瞬間、苦痛に塗れたような声で呻いていた死者たちの声がしなくなった。


「それから、わらわは死者たちと語り合うことにした。最初はおぼろげに過ぎなかった者たちの声も次第に明瞭になり、わらわはずっとその者たちと語り続けた。この永遠に朽ちぬ身体もすべてはそのためにあるのだと思い、数え切れぬ者たちと語り合い――長い年月をそうやって過ごしているうちに、次第に憎しみや恨みの感情が消えて冥界へと旅立つ者が出てきたのじゃ」


 サトゥルナリアと呼ばれた神器から、淡い光が溢れ出して周囲を包み込んだ。

 クロードはあの神殿を襲撃した少女の神剣のことを思い出したが、頭を振って今は目の前の魔王の言葉に集中することにした。


「この神器には、死者たちを安らかにさせる力が宿っているらしい。それが何故なのかはっきりとしたことはわからぬが、恐らくはあの賑やかで楽しき光景がこの刃の奥底に眠っているのであろう。それが怨念に支配された者たちの心に届くのではないかと、わらわは考えておる」

「……この地で散った者たちも、そうやって救うというのか。1人残らず」

「無論。わらわの対話と、サトゥルナリアの力によってな。時間はかかるやもしれぬが、他の誰にも邪魔されぬ場所で穏やかに過ごせばきっとこの者たちも救われると信じておるのじゃ。故に大英雄よ、この数多なる死者をわらわの住まう死霊の宮へ連れ帰ることを許してはくれぬか」


 生気のない瞳を向けてくる少女はしかし、嘘を言っているようには見えなかった。

 苦しげな声を上げていた亡霊たちが大人しくなったのも、無理やり抑えつけているわけではないのだろう。

 この地で戦死した者たちが、それで報われるのなら。そう思いながらも、クロードは1つだけ確認したいことがあった。


「魔王レヴィアタンよ。貴公はもしも他国との戦になった際には、戦いに馳せ参じるのか」

「……避けられぬ事態であればな」

「その時に、彼らを戦の駒として使うか」


 その問いに、レヴィアタンは首を横に振る。


「この者たちに苛烈な戦場で戦い抜くだけの力はない。わらわの配下には戦を得手とする者がいる故、戦闘となればその者たちの出番となる」

「強力な死者アンデッドを配下に持っていると?」

「……『奈落の死霊アビス・ダエモン』。それがわらわの率いる死者の軍勢の名。かつて、一度だけぬしが守護するグランデンに攻め入ったことがある」


 クロードは眉根をしかめた。

 魔族がグランデンを襲撃したという話には聞き覚えがあったが、その詳細な情報はもはやどのような資料にも記されてはいない。


「帝国から侵攻をしかけたことへの報復として、わらわが向かうことになった。今にして思えば愚かしいことをしでかしたものじゃと思うが、当時はまだ破壊衝動を完全に抑えきることが出来ず、記憶もおぼろげじゃ。はっきりと思い出せるのは、もはや生者など誰もいない荒廃した城砦都市の姿だけ。今のぬしには関係ないことかもしれぬが、改めて謝罪する。すまなかった」

「……あまりにも昔の話だ。今の貴公に害意がないのであれば、それを責め立てるつもりはない。この地で死した者たちを連れ帰ることも承知した。しかし、まだ聞いていないことがある。サタンが現れたことへの贖罪とは何か」


 それを問うと、レヴィアタンは頷いて仔細を語り出した。

 その言葉にクロードは目を見開いて聞き入り、彼女が話し終えてから詰め寄るように言った。


「その言葉はまことか?」

「無論。ルシファーにはまだ伝えておらんが、用意は整っておる。あやつも止めはすまい。そも、興味自体なかろうて」


 死霊を統べる魔王から告げられた思わぬ提案に、クロードはその言葉を反故にされた場合にどうするかを聞くことはしなかった。

 彼女の機嫌を損ねてはいけない。この機会を逃せば、もはや“彼ら”を助ける手段などなくなってしまうのだから。


「――了解した。貴公を信じよう。先程の無礼はどうかお許し願いたい」

「気にしてはおらぬよ。ぬしが殺気立つのも仕方がない。さて、そうと決まればわらわは急ぎテネブラエへと帰還せねばならぬ。これにて失礼するぞ」


 レヴィアタンはそう言うと、漂う亡霊たちを導きながら黒い穴へと向かい、ふと立ち止まって振り向いた。


「そういえば、ぬしに付き従うメイドは『生ける屍リビング・デッド』であったな」

「……ああ、そうだ」

「アレは死者としてはおよそ有り得ぬほど強い自我と理性を保っておるように見える。とても自然に発生するようなものではない。誰が『作った?』」


 その問いに、クロードは答えることが出来なかった。


「私は幼少期から、エルザのことを何度も見かけてきた。その頃、彼女はとある貴族家で今と変わらずメイドとして働いていたのだが、なかなかに戦闘能力が高くてな。一時期は稽古に付き合ってもらったこともある。……後に戦場で再会した彼女はまったく年をとっていなかった。それを疑問に思いながらも共に戦場を駆け抜けた際、私の目の前で彼女は一度死んだ。竜族の強大なブレスを一身に受けて」


 当時の記憶を思い出して、クロードは苦しげな表情を浮かべる。


「だが、骨すらも残らなかったはずのエルザは再生してのけた。その後に聞けば、自分は死者であるという。結局、それ以上のことは頑なに語ろうとはしなかった。私が彼女について知っていることはそれくらいだ。しかし、たとえエルザがもはや人の身ではなかろうとも、今は彼女もまた私の大切な家族であることには変わりない」

「……そうか。ぬしは優しいな、大英雄。つかの間とはいえ、こうしてぬしと話すことが出来て良かった」


 そう言い残して、レヴィアタンはテネブラエ魔族国へと通じる穴の中へと消えていった。

 先程まで殺気を露わにしていたのに、彼女と話しているうちにそれがすっかりなくなってしまった。


 伽噺で聞く魔族といえば、残虐非道な性格をしている者たちばかりだった。

 現にあのレヴィアタンですら、過去にはグランデンを襲撃したというのだから無理もない。

 だが、本当に魔族というものはただ残虐なだけなのか。レヴィアタンが見せる慈悲深い表情からは、他の一面も垣間見られた気がする。


 ふと、クロードは目眩を覚えた。

 これまでの戦闘の疲労が一気に襲いかかってきたのだろう。

 クロードはしばらくテネブラエ魔族国の方角を見据えてから、踵を返して自らが守護する城砦都市グランデンへと帰還した。

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