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第48話「余興」

 サタンの背後に黒い穴のようなものが浮かんだ瞬間、その中から赤い魔力の塊が飛び出してきて私の身体を穿つ。

 この身体では視認した時にはもう直撃している。だが、痛みは一切感じなかった。


 これほどの凄まじい魔力と、何よりサタンの背後に現れた黒い穴――空間魔法の使い手といえば。

 脳裏を、優しげな微笑みを絶やさない少女の姿が過ぎった時、私の身体に異変が起こった。

 体内の奥深くに刻まれた封印術式が一瞬にして砕け散ったのだ。それはレナが私の人間形態を維持させるために行使した禁術によるもの。


 瞬く間に破壊された封印の奥深くにあった、私を人間の姿たらしめている小さな魔力の塊すら砕け散ったその時、私の身体から光が溢れ出した。

 気が付けば、私は。


「――嗚呼。この感覚は久方ぶりだ。人間になってから、まだ数ヶ月も経っていないというのにひどく懐かしく感じる」


 背丈が変わり、声も本来の高さに戻る。衣服はかつて着用していた黒を基調としたものに、赤いマント。

 もはや姿見などなくてもわかる。今の私は、魔神の形態を取り戻していた。

 身体がとても軽く感じられる。まるで人間だった時は泥沼に沈んでいたのではないかと思ってしまうほどだ。 


「……サタンよ。この姿になってもなお、私を思い出せはしないか」

『姿カタチガ変ジタトコロデ何トナル。我ガ力ノ前ニ消エ果テルガ良イ』


 サタンは巨大な戦斧、カデシュ・セゲルを構えた。

 このまま振るえば、そのたくましい巨躯ですら持ち堪えられずサタンの身体が崩壊してしまう。仕方があるまい。


 サタンがわずかな身じろぎを見せた瞬間には、私はもう奴の両手首を手刀で切り落として、その斧を奪っていた。


『グゥッ!?』

「すまないな、サタン。こうでもしないと、お前を止めることは難しい。手首など後でいくらでも再生するのだから許してくれ」


 私は自分の身長の2倍以上ある斧を握り締めて、サタンの背後に降り立った。

 サタンが強烈な回し蹴りを放つが、それを飛んでかわし、改めて元の場所に戻る。

 ばちばちと火花が散るような感覚が私の腕を襲った。カデシュ・セゲルが主でないものを拒絶している反応だ。


 人間の身体であれば、この拒絶だけで腕が焼け焦げてもおかしくはないが、今の私の身体にそんなことは起こらない。

 私はカデシュ・セゲルの石突きで地面を突いた。強烈な地響きが起こる中、その柄を握り締めて多量の魔力を送り込んだ。

 強大な戦斧が、ガラスのように弾け飛んだのはその直後だった。


『……! 貴様ァ!!』

「遅いぞ、サタン」


 飛びかかってきたサタンの身体をかわし、奴の後頭部を拳で軽く叩くとその全身が地面に強打されて地面に亀裂が走る。

 その頭に足を乗せて踏みつけた。

 破壊衝動を抑えるのにはこれが一番手っ取り早い。


 サタンは何とかもがこうとしているようだが、びくともしない。

 これまでこいつの破壊衝動とは何度も向き合ってきたが、これほど無様な姿を見るのは初めてだ。

 本来のお前からすれば、こんなものは戒めにすらならないというだろうに……。


『――陛下。聴こえるかしら?』


 脳内に、甘くとろけるような声が響いてきた。

 この声を聴くだけで、私の心は深い安らぎを覚えてしまう。


「ジゼルか。ああ、聴こえるとも。今回はいつになくよく眠っていたようだが、目が覚めたか」

『ええ。ごめんなさい、陛下の旅立ちを見送ってあげられなくて』


「構わん。むしろお前が起きるのを待つべきだったのかもしれないが……色々と事情があってな。そうしていたら、なかなかまずい事態になっていたかもしれんのだ」

『私は平気。事情もルミエルやアスモたちから聞いたわ。少し前から、空間魔法で陛下たちのことを覗き見していたの。怒らないでくださる?』


 くすりとした笑い声を漏らしながら、まるでいたずらっ子のように言う我が愛しき第二夫人の言葉が頭の中に浸透していく。

 いつまでも聴いていたいほど、ジゼルの甘やかな声はクセになる。


「いつから見られていたのかさっぱりわからん。レナも気付いていなかったようだしな――して、ジゼルよ」


 私が声の調子を変えると、ジゼルもまたそれに合わせた。


『ええ。こちらで、サタンを受け入れる準備をしているわ。ただ、もう少しだけ時間がかかるの』

「どのくらいだ」


『5分というところかしら。アスモが最後の仕上げをしているところよ』

「わかった。サタンは無力化させておこう。残った時間で、私は少しだけ遊んでくる」

『ふふ。やり過ぎて力を暴発させてしまわないようにね?』


 私はサタンの頭から足をどけた。

 サタンが力なく起き上がろうとした時、片手でその頭を押さえつけて呟いた。


「しばし眠れ。我が友よ」


 魔力を迸らせた瞬間、サタンは完全に意識を失って地に付した。

 これほど多量の魔力を浴びせれば人間どころか魔族の上位種ですら耐えられんものだが、サタン相手にはこれでもわずかな時間だけ眠らせることしか出来ない。

 ――さて。


 私はレナとデュラス将軍の戦いを見つめた。

 金髪の将が一瞬のうちに繰り出す数十にもわたる斬撃を、レナは寸前で回避しながら双剣を振るう。

 だが、それも所詮は禁術程度の魔力で作り上げられた代物。大女神オルフェリアの手によって創られた神剣リバイストラの前にはなす術がない。


 神剣の斬撃を回避しきれないと判断したと同時に転移術式で間合いを取るレナもなかなかだが、その行動を読み切って凄まじき速さで転移先へと向かって、レナが態勢を整える間もなく攻撃を仕掛けるデュラス将軍の力もまた計り知れないものがある。

 2人の集中力は凄まじい。

 少しでも視線を逸らせば、即座に自分の首が刎ねられる。そのような極限の状態が、周囲の状況を読む力を鈍らせてまで目の前の敵を倒すことにのみ注がれている。こちらで起こった異変に気が付いていないようだ。


 が、先に刹那の間だけ、私へと視線を向けたのはデュラス将軍だった。

 武器の相性が最悪なレナに余裕がないことを鑑みても、異常な戦闘能力だとしか言えない。

 そしてこの男の恐ろしいところは、これで本気を出せてはいないということだ。レナがそこまで気付いているかはわからんが――。


 均衡していた状況が崩れた。

 レナが双剣を破壊された後、次なる武器を作り上げるほんのわずかな隙間を突いたデュラス将軍の神剣が彼女へと迫る。

 致命傷にはならんが、頃合いか。


 私はその場を跳躍し、一瞬の隙を突かれて目を見開いたレナを庇うように立った。

 神剣の一撃が私の背中に直撃する。


「っ!? る、ルシファーさま!?」

「そこまでだ、レナ」

「あっ、あのっ……ど、どうして、元のお姿、に」


 私はレナの顎を指で引き寄せ、その顔をまじまじと見つめた。


「頬から血が出ているな。もう傷は塞がっているが、大事ないか」

「わ、私は、大丈夫です……が」


 私は親指でレナの血を拭い、その大きく見開かれた濃紫色の瞳を見据えながら言った。


「足止めをしろと言ったはずが、いつの間にやら殺し合いになっているな」

「っ!! 申し訳ございません!!」


 レナがその場に膝をついて頭を垂れるのを見越して、そっと手でそれを防いだ。


「いや、いい。よくぞ神剣を手にした大英雄を相手に、ここまで持ち堪えてみせたな。流石は我が第三夫人だ」

「も、もったいなきお言葉です……が、わ、私は……」


 声を震わせるメイドの唇をそっと奪って、先を続けさせなかった。

 レナはきょとんとした瞳をしていたが、頬を紅潮させて慌てふためいた。


「る、るるルシファーさまっ、せせせ接吻はこの上ない喜びなれど、い、今はそのような場合では!?」


 目をぐるぐるさせて混乱している愛妻の頭を撫でて、その額にも口付けをしてから囁いた。


「わかっている。後4分で片を付ける。それまで待っていてくれるな?」

「か、かしこまりましてございます……!?」


 まだ混乱を見せている銀髪のメイド少女をよそに、私はゆっくりと金髪の将へと振り向いた。

 先の一撃で私の身体に傷1つついていないのを悟って、距離を取ったようだ。

 大英雄は警戒した様子ながらも問いかけてきた。


「テオドール……いや、ルシファーと呼ばれていたな。それが貴公の本当の姿か」

「いかにも。それにしても見事だった、デュラス将軍。お前の力は本物だな。弱っていたサタンはもとより、レナをここまで追い詰める者が人間の中にいるとは思わなかったぞ。おかげで私も少しだけ興奮してしまってな」


 私の言葉と同時に、体内から爆発的な魔力が噴き上がった。

 とはいっても、魔神形態の私がいつも発している魔力に過ぎないのだが、人間でいた時間が長かったせいで少しだけ噴き出すのに時間がかかったようだ。


 デュラス将軍はぞくりと身体を震わせ、神剣を構えた。

 神剣によって魔力への抵抗力が格段に上がっていてなお、その顔からは冷や汗が流れているのが見て取れた。


「確か、シャルロットを助けた礼として、自分に出来ることであれば何でも言ってくれと聞いた記憶がある。早速だが頼み事だ。少しだけ私と遊んでくれ、大英雄」

「っ!」


 数十メートルの距離を一瞬にして縮め、その胴体を手のひらで軽く突いた。

 大英雄は突風に巻き込まれたかのように数百メートルほど吹き飛び、着地して受け身を取ろうとした時には、私も奴の隣にいた。

 その身に纏っている鎧は既に粉々に砕け散っている。


「っ!?」


 構わずその腹を蹴り上げると、金髪の将の身体が上空へと飛んだ。

 私は両手に魔力を展開し、第1階梯の魔法を放つための陣を構築して天空へと向けて発射。

 凄まじい大爆発が秒間100発以上巻き起こり、煙が充満した。


 確か、デュラス将軍はゼナンの空中移動要塞ベルーダを破壊したとキースが言っていたな。

 あの先史文明期の遺産が放出する魔導砲を意識して真似てみたが、さてどうか。

 ……ん? 魔導砲は秒間100発ではなく、分間300発だったか? まあいい、どちらでもあまり変わらんだろう。


 身を焦がすような熱風の中から神気の力を感じ取った私は、落下の勢いを利用した大英雄の神剣による一撃を片手で受け止める。


「……これが、魔王の力か……!!」

「この程度で本気に見えるか、お前には」


 私は神剣をわざと引き寄せ、渾身の力でこの身を両断してこようとする大英雄の剣をどんっと軽く押した。

 力負けしたデュラス将軍が吹き飛んだと同時、私は再び片手に魔力を満たして、少しだけ面白いことを思いついたのですぐに実行した。

 五指に宿った魔力を糸のように伸ばし、大英雄の身体に纏わせてから強く引いた。


 これまで一度も受けたことがないであろう攻撃を前にしてわずかに反応が遅れた大英雄の身体が引き寄せられてきた時、その胸に回し蹴りを食らわせた。


「ぐあっ!!」


 予想外の一撃を受けてなお、神剣を手放しはしない。

 それを手から落とした瞬間、勝敗が決するとわかっているからだろう。


 デュラス将軍は、神剣を地面に突き刺して強引にその場に着地。

 血反吐を吐きながらも、その眼光の鋭さが衰えることはない。

 しかし、その強がりは見ていても空しいだけだった。


「まあまあ楽しかったが……お互い、全力を出せないというのは難儀なものだな。デュラス将軍」

「……何を?」

「隠さずともいい。お前が本気になれば、その実力は更に凄まじいものとなるだろう。私も多少は本気を出しても悪くないくらいには。だが、それではこの辺り一帯が――グランデンをも巻き込んで、焦土と化すだろう」


 私はグランデンの方角へ向けて、右腕を突き出した。


「私も同じだ。全力を出せば、一瞬後にはあの都市にいる人間を1人残らず消滅させることが出来る」

「やらせは、せん」

「やらん。安心しろ……あそこには我が学友たちもいるからな」


 愛しい妻たちやかつて出会った偉大なる大魔法使い以外の人間に情など湧かないものだとばかり思っていたが、心というのはよくわからないものだ。

 たかが数ヶ月に過ぎない付き合いだというのに、私はあの特待生たちに少なからず好印象を抱いてしまっている。

 彼らを殺すのは惜しい。最初は私を討伐する者を育成するためだけに接していたつもりだったが、それ以外の理由でもその命を無下に散らしたくはないと思ってしまっている。


「その上で言おう。サタンを見逃してやってくれ」

「……アレはもはや言葉の通じる状態に非ず。捨て置くことなど出来ぬ」


 クロード・デュラスは荒い息を吐きながらも先を続けた。


「アレが現れたことにより、ゼナン竜王国は我が帝国の領土へと侵攻してきた。そして最終的には我が帝国軍の若き軍人たちが犠牲となったのだ。私は彼らに報いねばならない」

「我ら魔族にとっても此度の状況は想定外だった。サタンが現れることなど、魔族ですら予想出来ていた者はいない。だが、今はこうして私が傍にいる。もはや帝国の者に手を出させるような真似は一切させん」

「あんなものが現れなければ、このようなことにはならなかった!!」


 デュラス将軍が叫んだ。

 それは何を前にしても沈着冷静な仮面を被っていた金髪の将が、初めて心のうちを露わにした瞬間であるように思えた。


「アレがサタンという魔族であるならば、その一切の責はテネブラエ魔族国にあるものと心得よ! 知らぬ存ぜぬで通されてしまえば、この地で散華した者たちが浮かばれぬ!」

「それは――」


 その時、脳内に声が響き渡った。


『陛下、準備は万端よ。いつでもいいわ』

「……わかった」


 ジゼルの声に誘われるがまま、私は踵を返した。


「どこに行くつもりか!?」

「サタンを連れて帰る。あれでも私の盟友なのでな――お前との話し合いはいずれまた時間を作るとしよう」


「逃がしはせん」

「部下を失った感情と、行き場のない激情に駆られて己を見失うな、大英雄。邪魔立てするのであれば、お前諸共この場を消滅させてやっても構わんのだぞ。あの街ごとな。今の私が最も優先すべきは盟友の命に他ならない。それ以外はすべて二の次だ。必要なら他のものはすべて消し飛ばすまで」

「……クッ!!」


 デュラス将軍が、大地に拳を叩きつけて呻いたのを尻目に私はレナのもとへと向かう。

 彼女はその場にぺたんと座り込んで、呆けた様子で私を見ていた。

 そっと手を貸して言う。


「ふっ、元勇者にしては可愛らしいなお前は」

「ふぇっ……は、はっ!? も、申し訳ございません! つい、呆気に取られてしまって。流石はルシファーさまです」


 私の手を取り、起き上がったレナとそのまま手を繋いでサタンのもとへと向かった。

 歩いている間、レナが私を穴が空くほど凝視しているのがわかった。久しぶりだからな、この姿も。

 そして、異形の魔神が意識を失っているのを見て、私がわずかに眉根を曇らせた時、再び声が響いた。


『さあ、サタンを空間魔法の中へ。その後は陛下もレナと一緒に、ね?』

「うむ。さて、見目麗しい我が妻の手を取っている時に、このデカブツを運ぶのもいささか風情がない」

「ルシファーさま?」


 レナが小首を傾げて見つめてくる。

 愛らしいその仕草を見てふっと笑んでから、私は足元に転がっているサタンの身体を思いきり蹴飛ばした。


「ふわっ!?」


 レナがおかしな声を上げた時には、サタンの身体は既に空間魔法の内部へと吸い込まれた後だった。


「何があったかは知らんが、テネブラエの王族ともあろう者が前後不覚になるとは情けない。奴が正気に戻ったら1度か2度は殺してから話を聞いてやらねばな。さて、戻るぞレナ」

「あ、あの、ど、どこから突っ込めばいいのかわかりかねて……あわわ!?」

「いいから一緒に来い。一旦帰るぞ、我らがテネブラエ魔族国に」


 おどおどとしているレナの手を引き摺るようにして、私もまた空間魔法の先へと歩を進めた。

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