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満知子せんせい(92)浅田真央、安藤美姫、鈴木明子…花盛り、にぎやかな時代

2024年10月1日 05時10分 (10月1日 05時10分更新)
 生まれ育った名古屋でフィギュアスケートのコーチとなった山田満知子は、先進地だった東京や大阪に対する気後れを何とか払拭したいと、子どもたちと歩んできた。
バンクーバー五輪を終え、笑顔で感想を語る(左から)浅田真央さん、安藤美姫さん、鈴木明子さん=2010年2月、カナダ・バンクーバーで(隈崎稔樹撮影)

バンクーバー五輪を終え、笑顔で感想を語る(左から)浅田真央さん、安藤美姫さん、鈴木明子さん=2010年2月、カナダ・バンクーバーで(隈崎稔樹撮影)

 そんな時代も、今は昔。伊藤みどりを日本フィギュア界初のメダリストに育てると、その背中を追うように21世紀を迎え、地元の逸材たちが躍動し始める。恩田美栄(よしえ)がソルトレークシティー、安藤美姫がトリノと五輪の舞台に立った。
 そして2010年バンクーバー五輪では、満知子の下から巣立った浅田真央が、銀メダルに輝いた。この大会、特筆すべきは安藤(5位)と鈴木明子(8位)を加えた女子代表の3人、男子代表の小塚崇彦(8位)が愛知出身で、その全員が入賞を果たした。
 愛知の、名古屋の時代の到来と言ってもいいだろう。そのけん引役として、子どもたちを導いてきた満知子は「良い選手が集まると、自然に華やいでいくんです」と語る。
 「すぐ隣は敵でしょ、リンクの中で。苦しいのは苦しいでしょうが、やっぱり伸びてきますよね。他に良い選手のいないところは、本人がある程度までいくと妥協してしまうので。次から次へと上がいると、やっぱり、自然に伸びてきますよね」
 数カ所しかないスケートリンクで、所属クラブは違えど、小さいころから顔を合わせ、お互いを意識しながら練習を重ねる。フィギュア界というそれほど広くない世界で、ずっと競い合う。まさに切磋琢磨(せっさたくま)のたまものだ。
 「その当時、名古屋は強かったですよね。そして、みんな仲良くしていました。選手同士が。競争相手でしたけれど、良い感じでしたよ」
 先に世界へと羽ばたいたお姉さんたちより、ちょっと年下。ワイワイ、ガヤガヤとした輪の中で、ひときわ明るく、朗らかな才能が満知子の手の中で育まれていた。 (本文敬称略)
 (高橋隆太郎)

 フィギュアスケートの名コーチ、山田満知子さん(81)の人生をひもとく連載「満知子せんせい」の最終となる第5部では、浅田真央さんが巣立った後も、輝く逸材たちを次々と世に送り出す姿を描きます。その歩みは今も続きます。

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