人間を変えるのは愛だけ。
自分を大事にとか自分を愛するとか聞く機会が増えたが、自分を責めたり自分を否定する人は一向に減っていない気がする。ガンと同じで、医療は発達しているはずなのに、ガンの死亡者は増えているばかりか、若年化しているのに似ている。薬は人類を救うのか。それとも、人類を薬漬けにして生命感を奪うのか。綺麗な言葉や耳障りの良い言葉は、麻薬のように私たちを酔わせる。ポジティブな言葉やポジティブな思考は、私たちを薬漬けにして、生命感を奪う。
自分を愛する。大事だ。だが、多くの人にとっては「どうやって?」が問題になる。愛された記憶のない人が、愛を体現することは難しい。愛は外側から与えられるものだと思っている人が、自分で自分を愛することができると言われても、よくわからない。ちんぷんかんぷんだ。責任と責任感は違う。多くの日本人には、強い責任感がある。責任感はあるのだけれど、責任がない。責任感や罪悪感に押し潰されて、ダメになる。不真面目だから死ぬのではなく、真面目だから死ぬ。深刻になって、希望を見失う。
責任感や罪悪感は、親から子に受け継がれる。ちゃんとしなければという責任感と、自分を優先してはいけないという罪悪感。これらの思い込みは根深く、自分が幸せに生きることは他者を見殺しにすることになり、役に立たなければ生きている価値のない人間ということになる。薬物中毒で服役していた人が言った。懲罰は人間を変えない。牢屋にぶちこまれても、もっとうまくやればよかったと後悔はしても、反省はしない。刑務所で知り合いが増えて、次はもっとうまくやるぞと思うだけだ。そんな自分が変われたのは、同じ症状で苦しむ人から「わかるよ」と言ってもらえたこと、身近な人間から許してもらえたこと、許されたことだと言った。
正論や命令は人間を変えない。人間を変えるのは愛だけだ。愛には許しがある。知らないことは罪だとか、知らないことは恥ずかしいことだとか、愛がない。許しがない。正論を言われても「そんなことはわかっている。わかっているけどできないんだ」となる。責任感や罪悪感、正義感や緊張感に押し潰される。感じているから許してよと、外側に愛や許しを乞うようになる。愛に触れると「生きていける」と思う。正論に触れると「生きていけない」と思う。追い詰められた人間に、正論はとどめを刺す。常識は正しい。母性は正しい。正しいからこそ兇器になる。常識や、母性には、殺傷能力がある。
自分のあらゆる部分を肯定すると、美が輝く。醜いなら醜いまま、弱いなら弱いまま、ダサいならダサいまま、ダサさを突き抜けて表現された命には、美が宿る。生の輝きが宿る。ダメな部分を解決したり克服したからステージに立てるのではなく、ダメな部分を抱えたまま「これが自分です」と真っ直ぐに表現された命には、自分だけではなく、他者もまるごとひっくるめた肯定の雰囲気、許しの雰囲気が宿る。美しさの型があって、その型を忠実に再現したから発生する美しさとは異なる、型破りの美、一人一人の内にあるオリジナルの美が輝く。その美しさに、私は、何度も何度も救われてきた。ダサくても堂々としていればカッコいい。超がつくほどカッコいい。涙が出るほどカッコいい。愛には許しがある。懲罰は人間を変えない。人間を変えるのは愛だけだ。これから福岡に行く。
バッチ来い人類!うおおおおお〜!
コメント