日本共産党創立100周年(1922~2022)に寄せて

2022年7月15日


 戦前、戦後、自由と平和、民主主義を貫いてきた日本共産党は15日、党創立100周年を迎えます。各界から寄せられた談話を順次紹介します。

 


 

「これから」に一層期待

作曲家
池辺晋一郎さん

写真:作曲家 池辺晋一郎 日本共産党が設立されて、100年......。祝意と同時に、深い感慨を覚えます。大正デモクラシーと呼ばれる自由主義的な風潮にもかかわらず市民生活が抑圧され、軍靴の響きが強くなりつつあった1922年7月。結党には想像できないほどの苦労があったはず。そして暗い苦難の時代――作家や思想家が激しく弾圧され、労農党代議士・山本宣治は右翼に刺殺されてしまい......。それらを乗り越えてきた党の歴史に、深い敬意を抱きます。

 そして戦後45年10月合法化からの、日本共産党の大発展にも、瞠目します。衆院10人、参院11人、都道府県議会140人、市区町村議会2435人が現状と聞いています(党ホームページから)。党員数は約27万人だそうですが、所属していない心情的な支持者はかなりの数になるはず。「清潔な党」「良心の党」というイメージがあるからです。僕はコンサートや劇場で党の方によくお会いしますが、文化への理解という視座でも、抜きん出ています。

 政治につきまとう密室的で陰湿な影を払拭することができる党です。これまでの100年を財産とした日本共産党の「これから」に、いっそう大きな期待を抱きます。100年!――おめでとうございます。

 (寄稿)

(2022年7月13日)


 

未来社会を心に描き

弁護士
角田由紀子さん

写真:弁護士 角田由紀子 1960年代前半。私は民青同盟や日本共産党のメンバーであった学生たちに大学で出会った。同級生であったりサークルの先輩たちであったりした。

 彼らは九州の田舎出の女子学生に「社会」や「世界」や「なぜ、女性差別があるのか」などを話してくれた。見たことも聞いたこともない世界だったが、興味深かった。

 あの出会いがなければ、私はどんな人生を送ってきたのだろうかと、振り返ることがある。大学の授業では与えられることのなかった諸々を受け取った。それらが私の人生の方向を決めることになった。出会いの恩恵をいましみじみ思う。

 私がそのようにして受け取ったものの背後にあったのが今年100周年という日本共産党の歴史だ。

 100年と一口にいうが、とてつもなく長い時間だ。もちろん、昔のことは文献で知るしかないが、今ではダサいとか流行らないとか嘲笑の対象でしかないような生き方を実際にした人たちがいたのだ。この人たちには、やはり背筋を正して向き合わねばと思う。

 子どものときから、不満だらけであった女性差別のさまざま。ジェンダー平等という言葉に出会って、また幾重にも視界が開けた。未来社会を見ることはないが、それを心に描き、これからの100年を考える。

(寄稿)

(2022年7月13日)


 

世界史的に例外な「偉業」

神戸女学院大学名誉教授
内田樹さん

写真:神戸女学院大学名誉教授 内田樹 日本共産党創建100年は一つの「偉業」である。同一の政党が100年歴史の風雪に耐えて生き抜いたということは世界史的に見ても例外的なことだからだ。それが可能であったのはなぜか。共産党への個人的な賛否好悪の立場を脇に置いて、その問いに向き合うことが私たちには必要だと思う。

 日本共産党という党名を変更すべきだという議論がある。私は党名変更には反対である。別に「老舗の暖簾」に価値があると思っているからではない。共産党を名乗る政党は20世紀に世界中に存在した。その興亡と遷移を観察する「比較共産党史」が近代政治史の重要分野だと思うからである。

 ロシア革命後、アジアにはインドネシア共産党、中国共産党、日本共産党、高麗共産党、ベトナム共産党が次々と建党された。その中で今も存続し、「マルクス主義政党」を名乗れる政党がいくつあるか。

 日本共産党はその中にあって例外的に弾圧を生き残り、マルクス主義政党であり続けた。なぜそれが可能だったのか。これは容易には答えることができない問いである。しかし、この問いと本格的に対決しない限り、近代日本の政治史を語ったことにはならないと私は思う。

(寄稿)

(2022年7月13日)


 

常に労働者・国民とともに

全国労働組合総連合議長
小畑雅子さん

写真:全国労働組合総連合議長 小畑雅子  日本共産党創立100周年、おめでとうございます。

 戦前戦後を通じて、一貫して反戦平和、自由と民主主義を求めてきた、貴党の100年の歩みに、深い敬意を表します。

 全労連は、行動綱領で、日本の労働運動の100年を「労働者の人間としての尊厳を守り、平和と民主主義、社会進歩を求めるきびしいたたかいの歴史」であったと規定し、積極的なたたかいの伝統を受けついで労働者・国民各層の要求実現のために全力をあげてきました。日本共産党の100年は、常に、その労働者のたたかいとともにあったと思っております。

 四半世紀にわたって続く低賃金、コロナ禍、ウクライナ危機、急激な物価高など、幾重にも労働者・国民に苦難が押し寄せるもとで、今こそ、憲法の理念にもとづいた平和のうちに生きる権利が保障される社会の実現が求められています。

 日本を「海外で戦争する国」とするための9条改憲を阻止し、憲法をいかして、労働者・国民の暮らし、平和が守られる政治の実現のために、いっそう共同を広げていく決意も申し上げ、お祝いのメッセージとさせていただきます。

(2022年7月13日)


 

よりフェアな生活、一筋に

ピアニスト
小川典子さん

写真:ピアニスト 小川典子 日本共産党創立100周年おめでとうございます。

 日本人の生活をよりフェアなものに、という、はっきりとしたひとすじの理念で100年。共産党の皆さまのおかげで生活が向上したことを感じるこの数年です。いろいろな分野で個々の人間に対する深い理解が広がり、新しい人生の一歩を踏み出した方々がいらっしゃるのではないでしょうか。

 しかし、いかんともしがたい問題が波のように押し寄せ、行き場のない思いを抱えていらっしゃる方々は、それにもまして多数いらっしゃると思います。

 この10年で私たちの住む世界は一変してしまいました。目に見えないウイルスに翻弄され続けるなか、冷酷な戦いも終わりが見えません。ヨーロッパと日本を往復することの多い私は、世界が厳しい方向に向かっていることを肌で感じます。

 共産党の政策をみると、実に87項目にわたる詳細な説明を読むことができます。ひとつひとつ、私たちの生活に密着した問題点をひもといてくれます。私も、落ち着いて、87項目を読み進めていきたいと思います。

 2010年、新春対談でお目にかかったときと、全く同じ熱量を保ち続けておられる志位委員長。

 どんなときもぶれることのない政策で、まっすぐ前を見て突き進む日本共産党。ますますのご健闘とご発展をお祈り申し上げます。

(寄稿)

(2022年7月13日)


 

「先憂後楽」言葉そのもの

元気象研究所研究室長
増田善信さん

元気象研究所研究室長 増田善信 よくぞ100年がんばった。もうすぐ99歳になる私も党に入って73年。本当に良かったと実感しています。

 貧しい農家に生まれて小作制度の不合理を体験しました。戦争中は気象担当の海軍少尉として特攻隊員を送り出しました。「神風」などおかしいと思っていても言えなかった。

 父に「アカにだけはなるな」と言われていた私は、右翼的な思想に影響され、戦後も共産党が嫌いでした。

 気象研究所に入所した直後、人員削減で52歳の守衛さんが泣いて訴える姿にショックを受け、首切り反対闘争に参加。先輩から、共産党が侵略戦争だけでなく小作制度にも命がけで反対したと聞き、身震いするほど感動し即座に入党しました。

 ビキニ水爆実験の直後、いち早く「核の冬」に先駆けた研究に取り組みました。

 核兵器廃絶を緊急課題に位置づけた共産党の運動は、核兵器禁止条約への流れをつくる力になりました。

 広島の原爆の「黒い雨」の調査で、故村上経行さんら共産党員の地を這う活動に感動しました。憂うることは人に先立って憂え、楽しむことは人に遅れて楽しむ「先憂後楽」の言葉そのものでした。

 これからも平和と民主主義を守りたい。再び天気予報を軍事機密にしてはなりません。

(2022年7月13日)


 

舌鋒鋭い論戦、今後も

同志社大学教授
浜矩子さん

同志社大学教授 浜矩子 反戦平和を貫き労働者の権利を守る―。日本共産党の二つの活動の柱はいまこそ重要な欠くべからざるテーマです。平和が崩れれば、最初に脅かされるのは弱者の生活と生命です。経済政策の本来の仕事も弱者救済です。

 政策の本質である弱者救済というテーマにしっかりと焦点を当てて、100年にわたって活動してきた実績のある政治集団が日本に存在しているのは心強いことです。一段と声高にそのテーマを掲げていただきたい。

 反戦平和を崩す要因が世界で強く働いています。この不幸な状況に便乗して「だから大軍拡だ」と話を持っていく人びとのえげつなさと品位のなさに、あ然とし、怒りを感じます。

 平和憲法を持つ日本は安直な軍拡論議に乗らず、平和を取り戻すためにできることを考えるべきです。

 それがいえるのは共産党です。排他的な「防衛のための同盟」でなく、包摂的な「平和のための共同体」の発想を前面に出していただくことが重要です。

 自民党の経済政策は支離滅裂です。

 日銀の財政ファイナンスをやめられず、世界の潮目が変わっているのに、日本だけが金融大緩和状態を続けています。それが円安をもたらし、一段のインフレ圧力が国民の生活を追い詰めています。

 共産党がいまのスタンスを変える必要はありません。引き続き、精緻な分析に基づいて明快に論理的に政府与党と対峙し、舌鋒鋭く論戦を繰り広げていただきたいと思います。

(2022年7月14日)


 

民意・希望実現へ期待

東京大学名誉教授
広渡清吾さん

写真:東京大学名誉教授 広渡清吾 日本共産党は、100年、同じ名前です。共産党がこの名前とともに一貫してきたのは、どんな困難があっても人民の要求と希望の実現を自らの使命とすることだと思います。

 「日本共産党は、わが国の進歩と変革の伝統を受けつぎ」創立されました。大日本帝国憲法下の日本で、神権天皇制に代えて人民主権の日本をつくろうとする共産党は、「法の化け物」(奥平康弘『治安維持法小史』)によって合法的に抹殺される危険にさらされました。それであっても、人民主権は、帝国憲法制定をめぐって、自由民権を知る日本人民のまぎれもない要求だったのです。

 第2次世界大戦後、日本国憲法は、日本社会の発展と共産党の活動に画期的な新しい条件を生みだしました。いま、共産党は、どの政党よりも誠実に、憲法の理念と価値を擁護し、それを現実のものとする活動を担っています。

 21世紀の人類社会は、人類の存続にとって不可避の変革の課題に直面しています。共産党が、これまでにもまして、平和、民主主義、そして社会進歩をめざす世界のすべての人民と連帯しつつ、新たな課題に立ち向かい、日本人民の要求と希望の実現のためにたたかい続けることを心から期待します。

(寄稿)

(2022年7月14日)


 

毅然と立つ足元には綱領

外務省元国際情報局長
孫崎享さん

写真:外務省元国際情報局長 孫崎享 参議院選挙後の今、日本政治の軸である憲法の改定の動きが強まっている。日本国憲法は①戦争をしない②民主主義③人権擁護を柱にしているが、歴史を見れば、戦争を行う体制は民主主義と自由主義の崩壊を伴う。戦争しうるよう憲法を改定することは、今日本の政治を極めて危険な状況にしている。

 憲法改定の動きを見れば、それは日本の自主的動きではない。米国戦略に日本の自衛隊を軍事的に参加させるため、障害となる憲法を変えようとする米国発の動きである。このとき私は、共産党の動きに注目する。

 ハーバード大学行政大学院初代院長であるグレアム・アリソンは2020年に発表した論評「新しい勢力圏と大国間競争」で、勢力圏とは「米国のルールで行動することが強要され、そうしなければ公然たる体制変革までの対価を支払わされる」と記述した。日本の現状はまさに米国の勢力圏というべきものである。

 米国の圧力で野党共闘の中に脱落や動揺が起きる中、共産党が毅然と立っているのは、数々の弾圧をくぐり抜けてきた100年の歴史と、日米同盟の改革を日本の当面の課題とし、行動の指針とする明確な綱領を持っていることによると思う。いま米国追従の動きに対抗する野党の中軸の位置にある共産党の役割は大きい。

(寄稿)

(2022年7月14日)


 

純粋、人間性に富んでいる

元公明党副委員長・元運輸相
二見伸明さん

写真:元公明党副委員長・元運輸相 二見伸明 ボクは1935年生まれだから、共産党が迫害・弾圧されていく時代を知っているわけ。国民学校(小学校)に行く前から「アカは怖い」と言われてたからね。本当に赤いのかと思ったよ。

 1年生になったばかりのころ、修身の授業で「天皇陛下は...」って質問した子が先生にぶん殴られた。うっかり口にしたらエライことになると子ども心に思ったよ。安心して笑える時代じゃなかった。だから、自由を知っていて渇望したのは共産党だと言える。戦争は体をはってでも止めなきゃいけない。それが本当の政党の役割だ。

 次の100年を展望した時、先の参院選の結果を冷静に分析して、次の勝利への芽をつかむことが大切だ。選挙中、ツイッター仲間から「〝自由と平和。まっすぐ、つらぬく。〟と書かれた共産党のポスターが破り捨てられた」と聞いた。〝自由と平和〟は共産党にとって本源的なものだ。そのことを知られてしまうのは、改憲勢力にとって非常にまずいんだよ。このポスター、ボクは相当、色あせるまで貼っておこうと思ってる。

 ボクにとって、共産党というのは非常におもしろいんだよね。時の権力やマスコミ、野党も含めてこれだけ踏んだり蹴ったりされても、一途に頑張ってる。純粋で人間性に富んでいる。旧ソ連や中国とはまったく違う。だからずっと見てるんだよ。

(2022年7月14日)


 

ジェンダー平等へともに

新日本婦人の会会長
米山淳子さん

写真:新日本婦人の会会長 米山淳子 党創立100年にあたり、心よりお祝い申し上げます。日本共産党は、日本における女性の権利とジェンダー平等の先駆者として、また女性運動の力づよい伴走者として、かけがえのない役割を発揮されてきました。

 新婦人も創立60年です。これまで保育所増設、子ども医療費無料、少人数学級などの切実な要求、男女差別をなくすとりくみなど、たくさんの「あたりまえ」をつくるうえで協力・共同し、一つひとつ力を合わせてとりくんできました。今年、新婦人が政府や通常国会に届けた、憲法、核兵器、気候危機、ジェンダー平等など、146万を超える署名すべての紹介議員になってくださいました。これほど草の根の運動と結び、国会と地方議会をつないでいる政党はほかにありません。

 男女平等度世界116位の日本。いま女性たちは、「女性の権利を国際水準に」と行動を起こしています。「勇気をもって声をあげることから社会が変わる」―改憲を許さず、平和とジェンダー平等の実現のために、ともに頑張りましょう。

(2022年7月14日)


 

平和社会創造の原動力に

山口大学名誉教授
纐纈厚さん

写真:山口大学名誉教授 纐纈厚 第1次世界大戦後、世界中で沸きあがった反戦平和を求める思想と運動。戦争の脅威から脱し、貧困・抑圧・差別なき社会。そのために自由と平等を基調とする社会主義への道が展望されました。それは人間が権力への従属から解放される方途でもありました。

 そうした世界の動きに応じて、日本共産党は結党以来、人間解放のために志を同じくする人々の結集体として奮闘されました。とりわけ戦前の軍国主義に真正面からたたかい尽くしたのは、日本共産党だけでした。多くの優れた仲間を失いましたが、その犠牲は戦後の平和社会の創造の大きな原動力となっているはずです。

 戦後も護憲運動を先導し、平和国家建設の一翼を担い続けています。しかし、今日新たな戦前の時代を彷彿させるような状況となりつつあります。反戦平和を訴え続け、実績を積み上げてきた日本共産党には、軍国主義の再来を阻むために、大きな力を発揮することが期待されています。

 新たな戦前を迎えないためにも、日本共産党の役割はますます重大となってきたと思います。日本共産党の発展は、平和と民主主義の発展です。大いに期待しています。100周年のこの時、私も全面支援をしていきたい、と決意を新たにしています。

(寄稿)

(2022年7月14日)


 

「団結」の大切さの手本に

全国商工団体連合会会長
太田義郎さん

写真:全国商工団体連合会会長 太田義郎  日本共産党創立100周年、大変おめでとうございます。

 戦後の大混乱の中、私たちの先達は、全国各地域で「生活擁護同盟」や「納税民主化同盟」に集まり、中小業者の営業と生活を守るため、日本共産党とともに大きなたたかいのうねりを起こしました。

 1950年、政府はGHQの示唆のもとにレッドパージを行い、全国の職場から多くの活動家を追放しました。この人々の多くが、手に職のある人は業者となり、また専従事務局員として中小業者運動へ参加し、民商・全商連の豊かな源流となりました。

 共産党の皆さんから学んだ「団結」すること、「集まってみんなで相談すること」「人権を守り、主張すること」「他の階層の人々と連帯すること」の大切さは、私たちの手本となり、暮らしと営業が脅かされるいま、消費税5%に戻せの運動、「平和でこそ商売繁盛」と憲法9条を守る運動につながっています。

 100年間、一貫して戦争反対を叫ぶ日本共産党は世界の良心です。大いなる発展を心より願っています。

(2022年7月14日)


 

真摯な活動に信頼寄せた

全日本民主医療機関連合会会長
増田剛さん

写真:全日本民主医療機関連合会会長 増田剛 人権と平和をとことん大切にしてきたのが、日本共産党だと思います。ぶれずに理想を掲げ続ける共産党は、絶えず権力側から攻撃や妨害を受けてきました。そんな中での100周年は、本当に立派なことです。

 綱領を羅針盤に、地域で真摯に活動する党員と、その姿に信頼を寄せる多くの国民の存在が、この偉業を支えたのでしょう。

 私たちが共産党に共感を抱くのは、共に人権と平和を守ることを追い求めてきた歴史があるからです。

 民医連のルーツは、戦前の「無産者診療所運動」にあります。当時、労働者や農民など弱い立場の人たちは高額な費用が払えず、まともな医療は受けられませんでした。また、治安維持法により多くの共産党員やその支持者が検挙・拷問されていた時代です。

 1929年に、治安維持法改悪案に国会で唯一反対を貫いた労農党代議士山本宣治が右翼に暗殺されました。通夜に集まった人々が、労働者農民の病院を作ろうと呼び掛け、この運動は全国に広がったのです。その中で多くの共産党員が活躍したことは想像に難くありません。

 日本共産党にはこれからも、人権と平和が大切にされる社会の実現に向けて、道を示し続けてほしいと願っています。

(2022年7月14日)


 

庶民の味方、頼りです

エッセイスト
海老名香葉子さん

写真:エッセイスト 海老名香葉子 どんなことでも続けるというのは大変なことです。100年の歩みというのは、すごい歴史です。

 あの戦前からですよね。自由に発言できない時代に、戦争反対と訴えていたことは、並大抵のことではないはずです。「アカ」と言われ、私も子どもの頃は恐ろしい人たちと教えられてきました。そんな困難を乗り越えて、いまの時代は多くの人たちに支持される存在になりました。

 でも主張はぶれていませんね。これからも「庶民の味方」として頼りにしています。

 戦火が続くウクライナのニュースは、本当に心が痛みます。戦争は絶対に起こしてはいけません。

 国と国との話し合いで、物事を解決するのが政治家の仕事ではないですか。地球全体が平和になるように、もっともっと頑張ってほしいと願っています。

 戦争を直接知る私のような世代がだんだん少なくなってきました。戦争の恐ろしさを分かりやすく伝えることが、戦争を繰り返さないことにつながると思っています。

 大事なことをかみ砕いて、やさしい言葉で伝える工夫をしていってほしい。そうすればもっと多くの方に共産党への理解が広がるのではないでしょうか。

(2022年7月15日)


 

変化続ける姿に関心

市民連合運営委員・上智大学教授
中野晃一さん

写真:市民連合運営委員・上智大学教授 中野晃一 100年続いた政党というのは、世界的にもすごいことです。しかも、日本共産党は博物館に飾られているような存在ではありません。100年前は問題にもされなかったジェンダー平等や気候危機など、日本がいまだ立ち遅れている新たな問題に正面から取り組み、自分たちも変わろうと努力している点で突出しています。

 反戦平和で〝ぶれない〟だけでなく、新たな分野に取り組む姿勢こそ、100年も続いてきた要因なのでしょう。若い世代や、あまり共産党のことを知らなかった人たちが、いまも変化し続ける共産党に関心を寄せ始めたことは、参院選の東京選挙区で当選した山添拓候補への支持の広がりにも表れました。

 社会を変え、政治を変えて前に進むためには共闘しかないという現実を共産党が一番正面から受け止めているのは間違いありません。いま何が対立軸なのか、何を変えなければいけないのか、何を守るべきなのかをしっかり踏まえて野党共闘を構築し、1人区での候補者一本化を本気で実現し、それを土台に野党各党がさらに支持を積み上げることは今後も最重要課題です。

 今回の参院選でも、一本化や共通政策で幅広い共闘を追求した共産党の努力は党創立100年に恥じないものです。今後も引き続きともに協力していきたいと思います。

(2022年7月15日)


 

真実報じたアカハタ

写真家
石川文洋さん

写真:写真家 石川文洋 日本共産党の創立は、私が生まれる16年前になります。日本は台湾、朝鮮を併合、日清戦争、日露戦争と軍事国家の道を進んでいる時期でした。

 アジアの国々に大きな戦禍を加え、東京大空襲、沖縄戦、広島・長崎原爆投下など日本にも甚大な被害をもたらした戦争に反対していた政党は日本共産党だけと知りました。

 私が多くの人々を不幸にする戦争の撮影を始めたのは1964年8月5日、米軍機が初めて北ベトナムを爆撃した日の3日後にサイゴン(現ホーチミン市)へ行ってからです。

 日本を含めた西側のメディアは8月2日、4日とトンキン湾にいた米駆逐艦が北ベトナム魚雷艇の攻撃を受けたので、その報復だと米政府の発表を報道していました。しかし、8月6日付のアカハタには「米、北ベトナムへ侵略戦争拡大」という見出しと、4日に魚雷艇は出動していないというハノイからの記事を載せています。後にアメリカも4日の攻撃はなかったことを認めています。5月には94カ所の爆撃目標が決まっていて爆撃の機会を狙っていたのです。

 最近、沖縄の地方紙に台湾有事の際、石垣島と宮古島からの避難民に必要な飛行機が合計で延べ800機以上になるとの記事が載っていました。そんなことになったら大変です。共産党がいつも言っているように武力による対抗ではなく平和外交が大切です。

(寄稿)

(2022年7月16日)


 

共闘の時代、強まる信頼

総がかり行動実行委員会共同代表
高田健さん

総がかり行動実行委員会共同代表 高田健 働く人、貧しい人たちの立場を代表して活動を続け、反戦・平和を訴え続けた日本共産党が100周年を迎えました。感動的なことだと思います。

 共産党について最も印象に残っている出来事は、2015年を中心とする安保法制(戦争法)反対のたたかいです。「野党は共闘」という空前の市民運動が起きるなか、共産党はいち早く「野党連合政権」を打ちだしました。

 この呼びかけは、それまでの国政選挙に対する共産党の立場を考えても画期的な提案でした。私は、良くも悪くも共産党は頑固な政党で、方針は簡単に変わらないと思っていましたが、柔軟な考えができる政党だと見方が変わりました。

 市民と野党の共闘を実現するために1人区のほとんどで候補者を取り下げ、全国の共産党の人たちは政治を変えるために行動していました。その姿に、多くの人たちからの信頼が強まったと思います。

 支配勢力からの共産党や野党共闘への攻撃が強まっています。なぜか。共産党が加わる政権が、スローガンではなく現実の課題になったからです。この歴史的な時代をつくりだしたのは、100年にわたるみなさんのたたかいです。政治を変えるために、これからも力をあわせましょう。

(2022年7月16日)


 

青年の本当の希望を示す

日本民主青年同盟委員長
西川龍平さん

写真:日本民主青年同盟委員長 西川龍平 創立以来、青年の希望となり、青年を励ましてきたのが日本共産党でした。戦前・戦中・戦後、共産党の先見性と不屈性に触れた多くの青年が、自らの生き方を真剣に考え、社会変革の道へと踏み出しました。民青同盟の活動は、共青創立以来、日本共産党の存在なしにはありえません。

 コロナ危機のもと、民青同盟は、学生への食料支援活動をはじめとした苦難軽減の取り組みをおこないました。食料支援活動は全都道府県でのべ10万人以上利用がありましたが、準備や広報、現場での生活相談など、各地の日本共産党のみなさんのサポートは心強いものでした。「共産党はやっぱり信頼できる」「行動が伴っていてすごい」といった声が同盟内にはあふれていました。

 長く自民党政治が続くなか、希望が見えづらい時代といわれることもあります。だからこそ、共産党がもっと強く大きくなって、一人でも多くの青年と接点を持ち、本当の希望をしめしていくことが求められていると思います。創立100周年、おめでとうございます。

(寄稿)

(2022年7月16日)


 

平和訴えた先人に敬意

武蔵大学教授
永田浩三さん

写真:武蔵大学教授 永田浩三 企業でも100年続くことは至難の業。ましてや離合集散を繰り返す政党の中で、一世紀の歴史を刻むことは驚くべきことです。猛威を振るった稀代の悪法・治安維持法。私は言論弾圧として知られる横浜事件を調べてきましたが、国家の暴力に負けず、平和を訴え続けた先人に改めて尊敬の念を抱きます。

 今年は沖縄の本土復帰50年。一足先に復帰を果たした奄美群島で声を上げたのは、中村安太郎たち、奄美人民党(のちの共産党)の人たちであり、その志はカメジロー・瀬長亀次郎にも引き継がれました。中村が若者たちに呼びかけた言葉は、「世の中は変えられる」「理性的たれ!」でした。「中村学校」のこの言葉は今こそ評価されてよいと思います。

 私が暮らす東京杉並区では、公共の再生を訴える岸本聡子新区長を、住民たちの手で誕生させました。参院選の山添拓さんの票は、杉並ではトップに0・1%に迫るほど勢いがありました。

 こうした成果の陰にベテランの党員の努力があり、その方たちの支えのもとで、われわれ住民はのびのびとネットワークの輪を広げることができたのです。可能性の大きさに希望を感じます。100年の節目を機に、より多様で開かれた政党になっていくことを願っています。

(寄稿)

(2022年7月16日)


 

スポーツ環境整備で協働

新日本スポーツ連盟理事長
長井健治さん

写真:新日本スポーツ連盟理事長 長井健治 私たち新日本スポーツ連盟は、「スポーツは万人の権利」と宣言して1965年に新日本体育連盟として発足しました。スポーツは健康と人格形成にとって不可欠であり、人権、自由、平和、民主主義、社会進歩に貢献することのできる文化です。

 2011年、スポーツ基本法ができ、初めてスポーツが国民の権利と位置付けられました。しかし、コロナ禍で強行開催された東京五輪のように政治的、商業主義的利用を優先して市民スポーツがないがしろにされている現状があります。

 私たちは国や地方自治体のスポーツ行財政のあり方を改善させていく努力を、日本共産党の国会・地方議員の方々の支援も受けて続けています。綱領で「文化、芸術、スポーツなどの多面的な発展をはかる」を掲げる党だからできることだと思います。

 スポーツ界に根強く存在する暴力や差別の問題の解決、平和な社会の実現に向けた取り組み、ジェンダー平等や環境・気候危機などの課題への対応も重要です。そこでも解決方向を示し、ともに取り組んでいけます。

 「身近でスポーツできる環境づくりを」という一致点で、日本共産党のみなさんと今後ますます協働していけることを心より期待しております。

(2022年7月16日)


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