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10月1日で復元65年、コンクリート造の名古屋城、文化財的価値はあるか 識者は「画期的な構造」と評価、ただ保存には”ネック”が…【企画・NAGOYA発】

2024年9月29日 11時50分

1959年に鉄骨鉄筋コンクリート造で再建された名古屋城天守=名古屋市中区で(鶴田真也撮影)

1959年に鉄骨鉄筋コンクリート造で再建された名古屋城天守=名古屋市中区で(鶴田真也撮影)

  • 1959年に鉄骨鉄筋コンクリート造で再建された名古屋城天守=名古屋市中区で(鶴田真也撮影)
  • 名古屋城天守の復元などについて話す広島大の三浦正幸名誉教授=名古屋市中区で(伊藤遼撮影)
  • 復元工事中の名古屋城=1958年7月
  • 再建天守は石垣に接しない構造
  • 鉄骨鉄筋コンクリート造の再建天守の断面図(間組百年史から)
◇第32回「尾張名古屋は城でもつ」その2
 新たに木造での天守再々建が計画されている名古屋城は城郭としての「旧国宝」第1号として知られる。現国宝で世界遺産にもなった姫路城(兵庫県)に先んじて昭和初期に指定された。ところが明治以降も現存していた天守は1945(昭和20)年に戦災で焼失。戦後の復興のシンボルとして59年に鉄骨鉄筋コンクリート造で復元され、今年10月1日で65年の歳月が経過する。現在の天守が近代和風建築として文化財の価値があるのかも識者に聞いた。(構成・鶴田真也)
  ◇  ◇  ◇
 名古屋城天守は木造での復元計画が動きだしているが、戦後の復興のシンボルとして市民を支えてきたのが鉄骨鉄筋コンクリート造の再建天守だ。高度成長期における近代和風建築として文化財的価値を指摘する声もあるが、実際にはどうか。
 名古屋市出身で城郭建築研究の第一人者でもある広島大の三浦正幸名誉教授は「戦災で焼失した天守を再建するのは市民の願いで、復興天守があることによって戦後の名古屋の発展に大きく寄与した。一般的に見ても50年以上経過した建築物は文化財的価値がある。今の天守は特に近代建築として構造が画期的だった」と語った。
 ところがネックになったのが鉄骨鉄筋コンクリートで造ったことだ。二度と燃えない建物に、との思いも込められて1959(昭和34)年に完成。今年10月で丸65年となるが、現在の耐震基準に満たず、鉄筋コンクリートは劣化することから建物の“寿命”の問題にも直面しており、2018年から天守内部への立ち入りを禁止している。
 建物を残すには50億円近い予算を投じての耐震補強工事が必要とされるものの、「耐震補強をしたところで耐用年限もある。鉄筋コンクリート構造物の場合は通常50年。長くて80年といわれる。耐震補強しても耐用年限は延びない。補強後も数十年後には取り壊しになってしまう」とも指摘。それならば、木造で再建した方がコストも将来的に安く済むという。
 現在の天守の施工は大手ゼネコンの間組(現在の安藤ハザマ)が請け負った。大天守の外観は5層ながら内部は7階建て。天守台内側の地中にケーソンと呼ばれる箱状の構造物を打ち込み、その上に土台となる基礎を組んで建てられている。石垣には荷重がかかっておらず、木造天守に立て替えた場合も石垣を傷めないように土台を組んで建設する計画だ。
 ケーソンは防波堤や橋脚など港湾・海洋工事で用いられることが多いが、くいを打ち込む工法が発達するまでは陸上の工事でも多用されてきた。安藤ハザマによると、天守台の地下床から27・75メートル下には総重量1万トンを超えるケーソン基礎4基が打ち込まれ、約8000トンの建物を支えているという。
 当時の最新の工法も組み込まれ、石垣に負荷がかからぬよう天守には斜めのつり柱22本で1~3階の荷重をつり上げる工夫も凝らされている。1961年には国内の優秀な建築作品を表彰する第2回BCS賞を受賞。前年の第1回には東京タワーが選ばれており、今年の第65回は野球場のエスコンフィールド北海道などが輝いている。
 昭和に復興した鉄骨鉄筋コンクリート造の天守で国の登録有形文化財になった例がある。大阪城だ。1931(昭和6)年に豊臣時代の天守を参考に建設され、太平洋戦争の空襲でも焼失を免れた。
 国内で最初の近代的工法による復興天守としての価値が認められ、大規模改修後の97年に有形文化財に登録された。現在も博物館として稼働中で、三浦名誉教授は「使われているコンクリートは現場での手ごねでセメントに混ぜる水も少なく、骨材に川の玉砂利を使うなど強度に優れている」とし、戦後のコンクリートミキサーなどを使った工法とは異なると捉えている。
 名古屋城の現天守を取り壊すことは惜しまれることではある。それでも「耐震補強すれば、画期的な構造だった当時の姿と変わってしまい、文化財的価値を保たれないということにもなる。ただ、戦後を支えてきた功績はある。それを検証して図面や写真、映像などで後世に伝えるべきだと考える」と背に腹は代えられないもよう。
 かつてはコンクリート造で再建されたことで大阪城、熊本城とともに「3大がっかり天守」とやゆされたこともあるが、戦後復興の象徴として名古屋を勇気づけてきたことは忘れてはならない。
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 ○…名古屋城天守の木造復元を巡って焦点になっているのがバリアフリー化だ。昇降機の設置については検討中で、現時点で石垣レベルから1階部分まで4人乗りの小型機を導入する方針。一方、障害者団体などは最上階の5階に通じるエレベーターの導入を求めている。名古屋市は2013年に木造天守の復元事業に着手すると発表したが、当初目指していた22年中の落成を断念。具体的な完成時期は最短で32年度ごろになるとの見通しが示されている。事業の総工費は約500億円を見込んでいる。

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