「ぼ、僕っ……女の子になりたいんですっ!」
その言葉に保健室には静寂が広がった。
ついに、言ってしまった。誰にも言ったことのない自分の将来の、悩みを、進路希望を。
親には到底相談できない悩み。僕の親は厳格で、とにかく自分の思う通りにならないと簡単に不機嫌になってしまうような人。
だから今まで僕の言うことなんて耳を傾けたことなんてない。そうであれば、こんな僕の悩みなんて最初から否定するのは目に見えていた。
この気持ちを誰に相談するか、どうすればいいか悩み悩んで、そしたら保健室の先生が生徒たちの悩みや進路の相談をしていると話を聞いて、それでこうして足を運んだ。
それでも実際に悩みを口にするにはどうにも時間がかかって、それでやっと口を開いて、そのことを先生に話した。
そうして、沈黙。
「……うん、よく言ったね。その悩み相談するにも大変だったでしょ? えらいえらい」
保健室の先生は僕の話を否定しなかった。口にしたことをむしろ褒めてくれた。
それで僕は、安心した。
保健室の先生は美人で生徒たち、クラスメイト達の間でも話題の人だ。
別に怪我したわけでもないのに一目見たいって理由で何かと理由つけて足を運ぶ生徒もいるぐらいだという。
今はさすがに放課後の遅い時間だからそんな生徒はいなくて、この保健室には僕と先生の二人きりだけど。
なにせ内容が内容だから誰にも邪魔されたくなかった。だから遅い時間に来たんだけど、そんな時間でも先生は優しく対応してくれて、嬉しかった。
「それで、どうしてキミは女の子になりたいのかな?」
「え? えっと……」
そして質問、僕が女の子になりたい理由?
その思いは前からあったけど、いざこうして理由を説明するとなると、その……
「ん、ちょっと言葉に出して説明するのは難しいかな?」
「う……す、すいません」
進路にしても何にしてもきちんと自分で説明できるようにしないといけないのはわかっている。
けど、僕は元来そういうの苦手だったりする。特にこの、気持ちについて説明するってのは……
「謝らなくていいのよ。自分の気持ちを文章にして説明するってのは難しいものだからね。むしろアタシの方がごめんね、ちょっと難しい質問しちゃって」
「い、いえ……」
逆に先生に謝られてしまった。ちょっと、申し訳ない気分。
「そうね……自分が女の子になりたいなんて思う気持ちはおかしいって思ってる?」
「は、はい……」
世の中ではいろんなことが言われているけど、そうした中で男の僕が女の子になりたいだなんて、普通じゃないことぐらいわかっている。
「安心して。男ってのはね、一生に一度は女になりたいって思うことがあるものよ」
「そ、そうなのですか?」
「……って嘉門○夫も言ってたわ」
先生? その人ってお笑いの歌の人ですよね?
そんな人の言葉信用できるものなのですか? 参考にしても大丈夫な情報なのですか?
「間違いないわよ? それこそ不純な動機で女の子になりたいなんて考える男は珍しくないし。例えば女湯に入ってみたい女子トイレに入ってみたい女の子の体でエッチなことしたい、とか」
「……確かに不純ですね」
「それ以外にも男特有の悩みや苦労から解放されたいとか? 例えば女の方がちやほやされるからとか、男の方が責任が多くて解放されたいとか、レディースデーでお得とか?」
「……そういうものでしょうか?」
そりゃ確かに男としての悩みなんてのもあるかもしれないけど、そんな理由で女になりたいって思うものなのかな?
「勿論そのあたりは『なれたらいいなー』ぐらいの程度かもしれないわね。本気で女の子になりたいと思っている君とはまたちょっと違うでしょうけど」
「まあそりゃあ……僕は本気なんですけど?」
僕の気持ちは一時的なモノじゃないし、本気で女の子になりたいと思っている。
「そうやって本気ってのも色々レベルに差があるわ。例えば女装したことがきっかけで『こっちの方がしっくりくる』と思う人もいれば、男の服や振る舞いや言葉遣いに違和感があって、という人もいるの。他にもさっきのエロな気持ちが強くて女になりたいっていうパターンもあるわ。これは同一視って言われているパターンだけど……キミに当てはまるものはあったかな?」
「うーん……どうでしょうか?」
男として生きるのがなんだかしんどい気もするし、ちょっと遊び心で穿いたことのあるスカートに魅力を感じたことがあったかもしれないし。
きっかけはよくわからないし覚えてないけど。
「ただこれはよーく考えないといけない事なのよ? その『女の子になりたい』って気持ちは、実は勘違いだったってパターンもあるからね」
「そうですか?」
「そういう事例もあるわ。例えば男の子が興味本位でスカート穿いたとか、女の子がちょっとやんちゃだったとか、そんな様子を見て悪い大人が子供に『君には別の性別があるんだ!』みたいなことを吹き込んでそう思い込んじゃうってことがね。でも実際は子供の心なんていろんなことに興味持ってるし揺れ動くものだから、異性っぽい振る舞いや気持ちが必ずしも別の性別になりたいってものではないものよ」
「僕も、勘違いだと?」
「キミがそうだとは言ってない。でもそういうパターンもあるからしっかり考えなきゃダメってこと」
それは確かに。学校では進路はしっかり考えてって言われているけど……
「具体的に何をどう考えればいいのか……」
考えろと言われても何をどう考えていいのか悩む。
別に今は揺れ動いているわけじゃないけど、「考えろ」といわれても何をどう考えればいいのか。
「ん、こういう時に考えるってのはリスクの事ね」
「リスク?」
「そう、リスク。物事ってのはいいことと悪いことが大体あるものよ? それをはかりにかけて悪いことに直面しないか、悪いことがあっても受け入れる覚悟があるか、ってのも考えるってこと」
なるほど、リスクですか。
「じゃあ女の子になるリスクって何ですか?」
「いい質問ね。人によってはそもそも問題があるはずのに『自分にはそんなこと起こらない』って都合よく考えちゃう『楽観性バイアス』ってのがあるけど、それはすごく危険な事なの。けどキミはちゃんと考えようとしているね。えらいえらい」
褒められた。この先生、僕のこと褒めるの上手いな。素直に嬉しいけど。
「ちゃんとリスクを考えることは大事よ? 場合によっては取り返しのつかないこともあるからね?」
「女の子になることがですか?」
「色々女の子にも男と比べたらマイナス要素があるってこと」
確かに男女の差は大きいのは知っているが。
「やっぱり、化粧がめんどいとかですか?」
「んー、よく女の方がお化粧とか髪とか服とか身だしなみが大変なんて言うけど、そんなの男女では変わらないわよ」
「そうですか?」
「そりゃそうよ。男でも身だしなみをきちんとするのは大切なこと。逆に言えば女でも身だしなみに無頓着だったら大変とか差なんてないわ」
それは言えている。いわゆる「イケメン」って呼ばれている人だって元々の容姿がいいのはあるけど、それなりに身だしなみを整えているのは確かだろうし。
「それじゃあ、具体的にはマイナスって何ですか?」
「例えば……おしっこを我慢しづらいとか?」
「ぶっっ!?」
いきなりシモな話になった。
「これ結構大事な事よ? 男の場合にはホースがあるからその分尿道が長いけど、女はホースがない分短いせいでそこを抑える筋肉がどうしても限られちゃうの。そのせいで我慢しづらいのよ」
「な、なるほど……」
「慣れてくれば我慢の限界とかがわかるようになるけど、女になってしばらくは特に危険よ? 今までの感覚で我慢の時間を思っていたとか、ホースがなくなった変化のせいでうまく我慢できなくって、それで限界を見誤ってお漏らししちゃうなんてことも決して少なくないし」
「本当ですかぁ?」
意外にも大事な話だった。トイレの我慢って確かに日常生活で重要なことかもしれないし、漏らしたら大惨事だし。
考えてみれば男って緊急的に抑えることができるよね。その違いは確かに大きいかも。
「おしっこ関係だと立ちションできなくなってどうしても時間がかかるってのはあるけど……人によってはあんまり関係ないかしら?」
「た、多分……」
実は僕、座ってやっているなんてことは言わない。
正直立ちションってのがいまいち苦手でして、こう、触らなくちゃいけないのがちょっと……
「一応女の子でも立ちションできる方法はあるけど」
「ぶっっ!?」
「まあいわゆる男子用小便器じゃないと無理なところあるから、あんまり意味ないけどね」
「は、はあ……」
あるんだ女の子でも立ちションする方法。知らなかった。
とりあえずそこのところは知識として必要ないだろうな。
「ああ、それと関係してるけど女の子になったばかりの頃って尿道がちょっと不安定だったりするからおしっこが飛び散りやすいってのもあるわ。しっかり下腹部に力入れたりしないと和式トイレだと大変よ?」
「は、はぁ……」
「女になった直後の関係でさらに言うと、自転車に乗る時は要注意ね。慣れないうちは自転車乗っているときの振動であそこがサドルからダイレクトに刺激されちゃって、そのせいで乗ってる最中にイッちゃうなんて話もあるわよ」
「い、イクって……」
さらなるシモな話が出てきた。意外と男から女の子になった直後って大変らしい。
ていうか思いのほか大事だったんだな、この男の体の突起物って。
「あとそうね他のリスクは……限定的だけどおっぱいの重さで肩がこるとか?」
「あー……」
その話はよく聞く。巨乳は肩がこるって話。
「キミは女の子になるんだったら大きい方がいいかしら?」
「まあ、その、それなりのサイズには……」
どうせ女の子になるんだったらそれなりにサイズがある方がいいに決まってると思う。
ちっぱいとかまな板とか大平原とか絶壁とか、それじゃあ男の時と変わんない気がするし。
「ふふっ、男の子は大きい方が好きだからねぇ」
「っ……!?」
なんか、からかわれた気がする。
それはつまり僕もハートは女の子だと思っていたけど、やっぱり男だってことですか?
「ふふっ、ジョーダンよ、そんな怖い顔しないで。普通の女の子だって大きい方がいいっていう人も少なくないし」
「はぁ……」
先生におちょくられてしまった。ちょっと悔しい。
「で、話を戻すけど……大きいと当然重いのよ? 見た目に反して意外と」
「そ、そうですか」
「ちなみにアタシはIカップで、このぐらいで大体4キロ弱ってところかしら」
「よ、4キロですか」
「そう。2リットルのペットボトル2本をずっと胸にくっつけてるって感じね」
なるほど、それは重いですね。
確かに先生のってすごく大きいですよね。軽そうに見えるけど、実際にはすごく重いんだ。
「試しに持ってみる?」
「い、いえっいいですっ!!」
いきなり先生が自分のIカップを突き出してきたのでぶんぶんぶんと全力で拒否。
先生はそんな僕の様子を見てくすくす笑っているのであり……もしかして、またおちょくられましたか?
「あと大きいと男がじろじろ見てくるのが気になるわね。女ってそういう視線わかるものなのよ?」
「わかるんですね」
「キミがさっきからチラチラ見てたのもね」
「っ……!?」
ええその、否定しません。先ほどからちょっと気にはなってました。
だって先生、胸元開けて谷間が見えてるのですから。クラスの男子たちも色々注目して話題にはなってましたが。
ていうか先生の場合見られるってのはそうやって谷間オープンにしているせいじゃないでしょうか?
「それと大きいとブラのお値段が高くついちゃうのがねぇ。Iカップを越えるとなかなか売ってなくてデザインも可愛いのが少なくなって特注しないといけなくて出費が、ね」
「そ、そうですか……」
やはり大きいと大変なんだな色々と。さすがに先生クラスになると大変らしい。
僕はそこまで大きくなくていいかも? どのくらいがいいんだろう? DかEくらいかな?
「まあ日常の体の変化はそんな感じかしらねぇ。あとは……そもそも女の子になるのが大変ってところで」
「ん、やっぱり難しいんですよね?」
「『手術』の2文字で終わることがあるけど、アレはそんな簡単じゃないわよ。なにせ『手術』なんだから」
「その、自分でも色々調べました」
性転換手術、男から女になる場合には当然アレを切るわけで。
イラストでの説明だけど、なかなかにすごいことするんだなって感じが。
「どこまで調べたかわからないけど、当然切るんだから痛みはすさまじいって話よ」
「そ、そうですよね……」
体の一部を切り落とすのだから確かにそりゃそうだ。
「それとダイレーションってのが必要なのは知ってる?」
「えっと、手術の後でしばらく入れてないといけないんですよね?」
そのサイトの説明では、手術後放っておくと穴が塞がってしまうらしい。
なので突起を挿入して少しずつ広げていかないといけないとか。それもそれで痛いという。
「胸も簡単にはいかないわ。大きくするにはホルモン投与か豊胸手術かの2択だけど、ホルモン投与で大きくなるには限界もあるし、かといってシリコンとかで豊胸すると10年ぐらいで入れたシリコンそのものが寿命になるからまた手術して交換とかしないといけないし」
「そ、そうなんですね」
なるほど、考えてみたら胸に入れた人工物だから駄目になっちゃうよねそりゃ。
「あと、あんまり言われてないけど……手術すると人によっては一生更年期障害に悩まされるという」
「こ、更年期障害?」
「頭痛とか体の疲労感とかイライラ感がずーっと続くの。生殖器を切ったことでホルモンバランスの乱れちゃうからね。普通だったら次第に更年期障害の症状はおさまっていくものだけど切っちゃったからずーっと続くことになるわ。さっき話したホルモン投与も相まって、そのせいで人によってはあっという間に体がボロボロになって早死にするパターンもあるのよ」
「うわぁ……」
そこまでは知らなかった。性転換手術ってそうなんだ。
そう考えると自分ってそこまでして女の子になりたいか、って悩む。そこまでして女になろうとした人ってどういう気持ちだったんだろう?
自分は何とかなる? そんなの例外の話? 大丈夫だろう? それは先生の言っていた正常性バイアスってやつ、か?
「あ、そうそう一つ忘れてたわ。女の子って毎月生理に悩まされるわよ」
「ん?」
「保険の授業で習ったでしょ? 女の子の月1回の体の不調。だるさや頭痛にお腹が締め付けられるような痛みが1週間ぐらい続くの」
「え、あの、先生?」
「人によっては症状の重さに差があるけど、辛いものは辛いわよ。いっぱい出血しちゃうから無理もないけど、その間ナプキンとかつけてなくていけなくて、気持ち悪いわ」
「ですけど、先生?」
「ん、何?」
「その、そうかもしれないですけど、それはないのじゃ? だって、その、本当に女の子になれるわけじゃ……」
そのくらいわかってる。手術して女の子になるといっても所詮は切るだけで、本当に女の子になれるわけじゃないくらい。
あくまで見た目が女の子っぽくなって、なんとなく近づけているだけだってことは。
だから、生理はないし、子供産めるわけでも……
「ふふんっ♪ そう思うわよねぇ」
「はい?」
「もちろんよく言われる手術だったらそーなるけどぉ、本当に女の子になる方法があるんだなぁこれが」
え、なにそれ? ホンモノの女の子になる、方法?
「なんか、うさん臭くないですか?」
「そんなことないわよぉ?」
「よくわかりませんけど、それで僕も本当に女の子になれると?」
「もちろんっ♪ キミ結構見た目いいし、きっとかわいい女の子になれるわね」
「そ、そういわれると照れるのですが、でも……」
「ちゃーんと本物の女の子になれて、生理もあるし、産むこともできるようになるし」
「なんか、怪しくないですか? 本物の女の子になれるなんて」
「そんなことないわよぉ? 実例もあるし」
「実例?」
「なにせ、アタシだって元男だから♪」
「……………え?」
なんかすごいこと言ったぞ? 先生が、男? 元男? こんな美人な保健室の先生が?
どう見ても男には見えなくて、声も高いし、スタイルもよくて、その、胸も大きくて、男の特徴なんて微塵もなくて……
「本当に、男だったんですか?」
「そうよ? アタシにもおちんちんついてたけど取っちゃた♡」
取っちゃった、って……
「その、胸は……」
「こっちはシリコンじゃなくてホンモノよ。頑張って育てました♡」
いや揺らさなくていいです。わかりましたから。
そんな感じで先生は得意げだった。アレだ、僕に一泡吹かせてやったとか、そういう感じの顔。またおちょくられた気がする。
「じゃあもしかして、おしっこ我慢しづらいってのは実体験から?」
「うーん、最初はちょっと苦労したなぁ」
「お漏らししたとか自転車でイッたとかも?」
「……悲劇でした」
そこも実体験なのか。だとしたら説得力あるなぁ。
「とまあそんなわけで本当に女の子になることはできるのよ。アタシみたいに美人になれる保証付きっ♪」
「は、はぁ……」
まだ信じがたいけど、先生が本当だというならば本当なのだろう、か?
けど見せかけではなくて本当に女の子になれるというならば、それは、期待できるわけで……
「てなわけでどうかしら? キミは本当に女の子になりたい?」
「え? えっと……」
戸惑う。僕の気持ちはちょっと揺らいでいた。
女の子になりたいという考えは確かとは思っていた。けど、先生の話すリスクってもので迷いはあった。
一方で、浦東の女の子になれるという気なしもまた、魅力的であり……
「よかったら、アタシが直々にその方法でキミを……女の子にしてア・ゲ・ル♡」
非常に、魅力的な進路相談だった。