渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

Kawasaki W230 ~とても「日本」らしいモーターサイクル~

2024年09月30日 | open

Kawasaki W230


世代を超えて受け継がれる二
輪車というこのコンセプトの

路線はヤマハのXSR700が狙っ
たものだが、カワサキは既に
1989年時点で「原点回帰」と
いう当時の「新機軸」を世に
問う事を開始していた。
そしてダブルファミリーの軸
線はヤマハXSR700は乗り手と
いう人を主体に、カワサキの
路線はモーターサイクルその
ものが世代を超える主体とし
てコンセプト化されている。
同じヒストリカル、同じヘリ
テイジ、同じネオレトロでも
ヤマハとカワサキでは軸線の
主体性に相違を見せている。
前述のように1989年にその
原点回帰路線をカワサキは川
崎重工の二輪製造部門の廃止
か否かの瀬戸際で、背水の陣
として打ち出して、世間の予
想に反して爆発的なユーザー
の支持を得た。
そうして1989年に登場した
ゼファー(398cc)によってカワ
サキは消滅せずに済んだのだ
った。

そして、その後、カワサキが
生み出したネイキッドモデル
(原点回帰)がカウル付モデ
ルを凌駕して世の主軸となっ
た。

世の中、カウル付モデルは廃
れてライトウエイト&ミドル
クラス(400)ではカウル付モデ
ルが全く新車では存在しない
時期が続いた。
するとカワサキはカワサキ自
身が生み出し創生させたネイ
キッド主体の二輪界に新たな
新風を巻き起こすべく、国内
唯一一社カワサキのみがカ
ル付モデルを発表した。
それがニンジャ250だった。
また世の中をカワサキが変え
た。

その流れがつい最近まで続い
てい
た。「走りそうなマシン」
の復権復活だ。

国産各社はカワサキの模倣を
した。

だが、三度カワサキは新機軸
を打ち出す。
それが2018年発売のZ900RS
だった。
最新技術を投入しながら古い
時代の名車をモデルとしての
全体印象と雰囲気を出すデザ
インという離れ業をやっての
けた。
結果、爆発的に売れ、新車販
売は抽選による形式となった。
そしてその売れ行きゆえ、つ
いに国内最下位だったカワサ
キは天下のホンダを抜いて、
その後も躍進し続け、「カワ
サキ一人勝ち」という状況を
作り上げた。

この動画のライトウエイトク
ラスの
ヒストリカルモーター
サイク
ルであるW230は、発生
の軸線
はZ900RSに始まる「い
にしえ
と現代の融合」という
コンセ
プトの二輪作りの軸線
上にあ
る。
さらに細分化した具体例とし
ては、カワサキはネーミング
もZ900RSと同じ路線で昔の
称号を用いたWシリーズを復
活させた。大型のW800と中型
のW400として。デザインは
1960年代の目黒製作所の人気
機種メグロを彷彿とさせるデ
ザインを踏襲復活させた。
目黒製作所は川崎重工グルー
プの川崎航空機と業務提携し、
大人気のメグロの販売網をま
だ二輪業界に参入して黎明期
だった川崎航空機が使わせて
もらう形だった。
だが、大人気だった目黒製作
所は1960年目前に倒産しかけ
てしまう。

理由は諸説あるが、目黒製作
所があくまで大型(当時最大の
500)にこだわる中、モーター
リゼーションの発達と共に時
代は入手しやすいライトウエ
イトに人気が集中し始めたた
め、というのが時代背景とし
て存在したようだ。
結果、川崎航空機が目黒製作
所を買収する形で吸収し、目
黒製作所はカワサキの一部
=カワサキ自体となった。
その後川崎航空機は川崎重工
に組み込まれて統一された。
つい近年、川崎重工は二輪部
門を分離、別法人化させた。
カワサキは川崎航空機が重工
に吸収されてからずっと「川
崎重工が作る二輪」だったが、
独立して初めて二輪専門企業
として再出発した。

その川崎航空機が目黒製作所
を吸収した頃のメグロのオー
トバイの構造がカワサキのW
シリーズとして1960年代に継
続登場し、それが1970年代に
消滅した後、21世紀の2010年
代末期にWの名を冠して3度目
の登場を見せた。
路線はカワサキが1989年に旧
来のカウル無しのジャパニー
ズスタイルで一世を風靡した
ゼファーによる原点回帰路線
が軸線の基軸だ。
カワサキが今世紀にそれをや
る前にヤマハXSR700が新たな
視点としてそうしたヘリテイジ
と親子の2世代まで受け継がれ
る二輪作りという新構想を出し
たが、大きな背景の原初はカワ
サキが1989年に打ち出した西風
の路線に沿っているものだ。
ヤマハのXSR700の開発コンセプ
トのヒントは私が当時手掛けて
いて発信していた斬鉄剣小林
康宏の引退からの復活プロジェ
クトと私の日本刀に関する所見
が大いに参考にされた。と、
ヤマハの開発総責任者本人が
私に語っていた。
伝家の日本刀のように代々受け
継がれるような存在。ヤマハ
XSR700はそれを目指した。
今、カワサキがW230開発発表
において、それと同じ路線を
展開しようとし始めている。
これは明らかにヤマハXSR700
が初めて打ち出した基軸と同一
線上にあるが、そのベースは
カワサキ自身が作った1989年
の西風=ゼファーの開発コン
セプトにこそある。
開発者の思想性はカワサキ-
ヤマハ-カワサキと受け継がれ
ている。
まさに、時代を超える「遺し
伝える大切なもの」としての
太い背骨が存在しており、そ
の脈々とした連面性は体現
される二輪の開発製造実態と
合致しており、日本のモーター
サイクル史の中で特筆的に面
白く興味深い傾向性として
存在している。
カワサキとヤマハが別々に開
発したヒストリカルモデルは、
奇しくもその開発思想の根底
において密接に繋がっていた
のだ。
その精神的な軸は「日本的」
という塊のコア部分として私
たち日本人のアイデンティティ
をも代弁するものとなっている。
「受け継がれていく大切なも
の」。それは日本であり、日本
人たち自身が主体的に行う良き
伝統や文化や風習であり、日本
刀のように日本を代表する存在
だ。
カワサキとヤマハはその世界観
を、別会社別場所ながら、時期
互いにずれていても、交差し
がら獲得するに至ったのであ
る。

カワサキとヤマハの車は、私た
ち日本人の車だ。
開発してこの世に誕生させる車
作りの根幹部分において、日本
人の魂の軸線を丁寧になぞる車
作りをしているからだ。

エンジンのホンダ。

走りのヤマハ。
個性のスズキ。
魂のカワサキ。
こうした旧来の概念は日本の各
社自身によって崩されつつある。
そして多様化を見せながら軸線
の再確認路線をヤマハとカワサ
キは打ち出してきている。
着実に一歩一歩を歩むように。
混迷する現代。日本の二輪界の
そうした我々日本人の魂を揺さ
ぶる日本文化の再生活動の展開
に、今後も大いに期待したい。


 

 

 

 

 





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