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深圳男児殺害事件をめぐるヨーロッパ人たちとの対話

8月下旬から9月末まで、ずっとヨーロッパと日本を行ったり来たりしていたのですが、最後に参加したのは9月24-26日にプラハで開催された「第10回欧州価値サミット2024」という会議でした。

日本からは私と井形彬先生が登壇しました。
とりわけ25日に開催されたメインイベントである「サミット」では、中国から突きつけられる挑戦にいかに欧州と世界が立ち向かうか・・・というテーマが終日扱われたこともあり、集まったスピーカーの多くはヨーロッパやアメリカの中国専門家でした。

この「サミット」参加での経験は、
8月下旬に同じくプラハで出席した「GLOBSEC2024」、
そして9月中旬にブリュッセルで出席したジャーマン・マーシャル・ファンド主催「日米欧三者会議」の、
どれとも異なる強い印象を私に残すことになりました。

「サミット」参加者はのべ200人、この手の会議としては比較的こじんまりした会合で、そして日本人登壇者はごく僅か。
そして私の登壇順位が早かったこともあり、私はすぐに会場の皆さんに顔を覚えていただき、様々な研究者や実務関係者に声をかけていただいて、とても親しく会話をすることが出来ました。

私はだいたいヨーロッパのどこに行っても、日本のウクライナ支援や対ロシア制裁、中国とロシアの連携などの話を聞かれるのですが、今回だけは少々異なっていました。

私とひとしきり話をすると、皆さん少し声を潜め、
「ところで話は変わりますが…痛ましいことが起こってしまいましたね。
残念な、恐ろしいことです。
しかし今、日本の反応はどうなっているのですか?」と、私に尋ねるのです。

もちろんこの質問は、今月9月に中国の深圳で日本人学校に通う小学生の男の子が命を奪われた事件のことを指しています。

念のため、この件の背景を整理しておきますと

・    深圳という場所が大変に先進的な経済地域であり、さらに一般的には比較的安全な場所だと思われていたこと
・    男の子が最終的に亡くなってしまったこと
・    日本人への憎悪に基づく犯行だと思われていること
・    亡くなった男の子が日中ハーフだったと報じられていること
・    この事件を受けて、日本政府が中国にある日本人学校の警備費を大幅に引き上げたこと
・    一部日本企業が、中国の駐在員の家族の帰国支援に乗り出していること
・    外務省は今回の件を受けて、中国滞在情報の危険度を引き上げて「いない」こと
・    一方で在日中国大使館は、日本への渡航を予定する自国民や日本在住者に注意喚起を行っていること

・・・などが挙げられるのですが、
私が「サミット」でご一緒した米欧諸国出身の中国専門家や東アジア専門家の皆さんは、上記のような背景知識はしっかり踏まえた上で、
日本社会は今回の件をどのように受け止めているのか、率直なところを知りたい・・・と希望しておられるようでした。

具体的には

「このような事件があり、心を痛めない人はいない。
なんの罪もない子どもが亡くなって、心をかき乱されない人はいない。
中国社会の危うさ、深刻さを我々に突きつけた事件ではあったけれど、
それ以上に、日本社会がこの辛すぎる事件にどう対応しようとしているのか、
これが大きな対中感情のうねりになってしまわないのか、これをあなたに聞きたいのだ」

このような尋ねられ方をしました。

念のため書いておきたいのですが、この件は「サミット」のパネルやレセプション等、多くの人が集まる場では一切聞かれませんでした。
そうではなく、参加者と私が一対一の私的な会話をしているときにのみ、声を潜めて聞かれたのです。
参加者の皆さんが、この問題のデリケートさを十分に理解しているが故でしょう。

「この話を会議の話題として大きく取り上げ、日中対立を殊更に煽るようなことはしたくない。そもそも会議の目的はそんなものではない。
でもこんなことが起きてしまったからには、一般の日本人の対中認識は後戻りの出来ないレベルで悪化してしまうだろう。
日本社会はこれにどう対処するのか。
取り返しがつかないぐらい先鋭化してしまうのか。
それは日中関係をどう変えるのか。
それは、(米欧の)我々の東アジアとの付き合い方に、どう影響しようとしているのか」

・・・多くの方々は、この点を心から心配していたようでした。
そして、この痛ましい事件に関し、とにかく日本の実際の反応が海外には見えてこないから、なにか日本での受け止め方に関する手がかりを知りたい、という趣旨の質問を、複数回にわたって受けました。

この件について、何度繰り返し尋ねられても、私は完全な答えを返したとはとてもいえません。
ただ、概して以下のようにお答えしました。長くなりますが記しておきます。

「この事件は、私自身にも強い衝撃を与えました。
殺された幼いお子さんは、私の下の子どもと年齢がさほど離れていませんし、
私自身が(国は異なりますが)子ども時代に日本人学校で5年間を過ごした人間です。
海外の日本人学校が、どれだけ現地の人々の善意に支えられているか、
同時にどれだけ、日本人学校だと言うだけで理不尽にも危険な目にも遭ってしまうかを、私は実体験として知っています。
だからこの事件は、とても人ごととは思えなくて、数日間何も手につきませんでした。

この事件に対する日本社会の怒りは、当然存在します。
『日本人はもう絶対に中国には行ってはならない』、
『今中国にいる人は直ちに帰ってこなくては危険だ』
という声も少なくありません。
中国において、日本人を標的にしたこういった事件が頻発していたにもかかわらず、日本政府がほとんど対応をとってこなかったことに対する怒りの声も聞きました。

しかし同時に、今回の件が報道されると、『無関係の在日中国人に理不尽なヘイトが向かうことは許されない』として、冷静な対応を呼びかける声も多く見聞きしました。
それは、日本に住む中国人が全員犯罪者であろうはずもないという常識的な判断と、
仮に日本で過度な反中意識や中国人への嫌がらせが台頭すると、『日本にだって中国ヘイト犯罪は存在するではないか』と、たちまち中国に逆手を取られる可能性があるという指摘の、二重の意味合いがあったと思っています。

今回、日本語のSNS空間などで、中国人へのヘイトを強く戒める声が可視化されたことは、私は高く評価しています。
こここそに、日本のレジリエンス(強靱性)を垣間見た気もしています。

邦人保護や救出のありかたについて、日本政府がよりきめ細かな対応を検討する必要があるのは事実ですが、私は今回の件で、日本がそこまで中国に関して先鋭化したとは思っていません。

私はこのことを、あなたがた(米欧の研究者や実務家達)を安心させるために申し上げているのではなく、私がひとりの人間として、日本で感じた正直な気持ちをお話したつもりです。」

ちょうど「サミット」の重要なテーマのひとつが、「中国から突きつけられる挑戦を前に、国際社会はどのようにしてレジリエンスを高めるべきか」というものであったこともあり、
私にこの件で質問してきた皆さんは一様に安心したような表情を浮かべられていました。

もう一点付け加えておくなら、私にこの質問をしてきたアメリカやヨーロッパ人は、十中八九いわゆる「中国専門家(Sinologist)」の方々でした。
かつて中国を愛し、中国について学び、中国での生活経験もあり、中国語も堪能。

しかし急激に先鋭化した中国社会に危険を感じ、近年では中国に入国することを諦め(一部の会議参加者は、中国政府から制裁を受けています)、中国の外部から中国を見つめるしかない方々です。
つまり中国に関しては、強く思うところがある方々――中国共産党を強く批判はするけれど、かといって中国への思いを断ち切れるかというと全くそんなことはない方々――ばかりでした。

その方々が、かつて自分にも深い関わりのあった中国で日本人を標的にしたと思わざるを得ない事件が数ヶ月おきに発生しているのを見て、とても人ごととは思えなかったのでしょう。

この件に関する日本の受け止めは、この後の展開如何によって、また同種の犯罪が繰り返されるか否によって、大きく異なってくるでしょう。

しかし、私がプラハでヨーロッパやアメリカの人々と対話して感じたことは、
日本ではこの深圳の事件を「日中関係」の視点から捉えてしまいがちではあるけれど、
この事件のインパクトはもはや日中関係の枠を超えて広がっている。
その際に私たちが、罪のあるはずのない子どもが無残に命を奪われた事実をどのように受け止めるか、
しかしだからこそ、命を奪われた子どものためにも、冷静な対応をどのように積み上げていけるか、感情論に走らず中国(や日本に住む中国の方々)とどのように付き合いを続けていけるのかが問われているのであり、
日本の対応を世界は(私たちが意識する以上に)注視している・・・ということでした。

このことを痛感できただけでも、また親しくなった会議参加者と率直な対話が出来ただけでも、私はこの会議に参加してよかったと思っています。

今回私は、このエピソードを私のnoteに書いていいものか、とても迷いました。
亡くなったお子さんやご家族のことを考えると、書く気にはとてもなれなかったのが実情です。実際、書かなければ良かったかもしれません。

ただ、日本から遠く離れたプラハの地で、この事件で日本を本当に心配しているヨーロッパやアメリカの人々に沢山お会いしたこと、
だからこそ私たちは、極論に走らず冷静な対応を積み重ねていかねばならないと痛感したこと、
会議に参加してたくさんのアメリカ人やヨーロッパ人とこの件で対話をした人間として、このことだけでも皆さんにお伝えしなければならないと思いました。

思いのほか長文になりました。
夜中に思い立って書き始めて、気づいたら朝を迎えていました。
どなたかのお目に留まれば幸いです。

***********

なおご参考までに、米欧メディアでの本件関連記事の主なものを以下に列挙しておきます。
これらの記事はいずれも、事実関係を比較的フラットに報じていると思われます。

https://www.reuters.com/world/asia-pacific/japanese-embassy-china-calls-more-security-after-school-boy-stabbed-2024-09-20/


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コメント

Hip Bomp 匹夫凡夫 (たつのこ太郎)
東野先生、いつも貴重な情報発信ありがとうございます。私は中国には出張で毎月行っていた程度の人間で中国語も挨拶くらいしかできない人間です。それでも顕著に気がついたことがあります。私の周りの知中派(長く中国に住んだり、中国人と結婚したり、中国に関わる仕事をしてきた人)が、ほぼ全員後戻りできないような危機感を表明したことです。同時に中国と関わる事について恐れを抱き始めているように見えるのが印象的でした。悲しみと怒りを感じながらも中国に隙を見せるようなヘイトを慎むべしというのはそのような方々の共通の見解です。
私も中国人の友人は何人もおり、今回の事件は大変なショックを受けました。それでもいつかまた中国に行って、中国語しか話さないけど親切にしてくれたフードコートのおばちゃんに会えたらと思います。
dragman
中国共産党がまずすべきなのは、小中高で毎日のように行われている嘘だらけの反日教育をやめさせることです。このような偏った教育は反日テロリストを養成するだけです。
RoySuzuki
このノートを読んでいる途中、どういう結論になるのか最後まで不安に苛まれながら読ませていただきました。私自身二人の娘を二カ国の日本人学校に通わせてきており、中国ではなかったものの他人事ではありません。それにこれはとても言語化するのが難しい質問です。自分自身、事件に対して怒りを感じながらもそれが中国国民全体への思いになってはいけないと思っていました。東野先生は私が感じていた事、多くの日本国国民が思っていることをを的確に言語化してくださいました。また多くの国の知識人が犠牲者に思いを寄せてくださっていることに、とても救われた気がします。勇気を持ってここに投稿くださりありがとうございます。
私個人としては中国共産党の、世界どこでも起こっている事件であるという見解には強い憤りを感じており、中国共産党と関係を保っていくことの限界を感じました。
エリック/みみかき
この問題をどう理解し、乗り越えていくのかは重要な問題です。
素晴らしい指摘だと思います。

ロシアがいまかなり国内ボロボロになってきているのに政府が維持されているのを見て、国が変わることに中々期待は出来ないのだな、と思っています。
中国に銃口を向けるようなことはすべきではないでしょうが、
付き合い方を真面目に考え直した方が良いと思っています。
私は可能な限り中国製品は不買しています。
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ヨーロッパ国際政治を研究している東野篤子(ひがしのあつこ)と申します。 仕事のこと、ロシアによるウクライナ侵略のこと、それを取り巻くヨーロッパ諸国のこと、仕事の合間に少しずつ書いていきます。お目に留まれば幸いです。
深圳男児殺害事件をめぐるヨーロッパ人たちとの対話|東野篤子
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