綺麗事を突き破る綺麗さ。
愛することは許すこと。一度や二度ではなく、何度も何度も許すこと。許すことと諦めることは違う。許すことは、諦めないこと。自分や他人を見限らないこと。人間を見捨てないこと。誰一人置いて行かないこと。全員連れて行くこと。綺麗事を突き破り、綺麗なものを見せること。諦める方が簡単で、孤立する方が簡単で、暗く生きる方が簡単。どのような状況に置かれても、尚、何度も何度も許すこと。諦めないこと。それが、共に生きると言うことだと思う。
R様との北海道旅行も、今日が最終日になる。道中、何度かR様に「え?」と聞き返される場面があった。大概、そんな時な二人の間がギクシャクしていた時だ。R様は、まるで虐待を受けて育ったこどものように、ビクビクしながら「え?」と言った。聞こえているのに「え?」と聞き返した。私が「ちょっと一服してくる」と言った時も、R様は「ごめん」と言った。なぜ、謝るのだと思った。謝られているのに、自分が悪人になったみたいだと思った。虐待を受けて育ったこどもは、コミュニケーションの期待を親に持てない。コミュニケーションを放棄して、無事に済むようにコントロールを図る。言いたいことを言わないで、相手に言わせようとする。弱さを武器に、コントロールを図る。
自分が被害者になることで、相手を加害者にしないでくれと思った。二人の調子がいい時は、感情の話をしても「色々なものが見えて来た」と楽しむことができた。自分と感情を切り離して、人間にはこんなところがあるよねと、客観的に考察を楽しむことができた。だが、少しでも変な空気になると、自分と感情が同一化されて、感情の話をしているのに「自分が否定されている」と感じてしまう。自分と感情が切り離されていないから、話せば話すほどに、深刻になり、どよーんとした空気感になる。今とはまったく関係のない過去の記憶が蘇り、目の前の相手ではなく、イメージで作り上げた相手と会話をするようになり、目の前の現実を見失う。
コミュニケーションを諦めると、人との対話がコントロールになる。言いたいことを言わないで、相手に言わせようとする。そこはかとなく卑怯になり、自分や他人に対する信用を失う。R様は「助けてって言えない」と言った。コミュニケーションから逃げて来たと言った。助けを求める練習をしたいと言った。甘えと信頼。全部、信頼の問題だと思った。甘えないように生きるのではなく、甘えを磨くことが大事だと思った。信用があるから、甘えられる。信用がないから、ビクビクする。ビクビクするから、よそよそしくなる。うまくやらなくちゃと正解を求めて、出口のない迷路でヘトヘトになる。
旭岳を歩き、三浦綾子文学記念館に行った。旭岳にも、三浦綾子にも、綺麗事を突き破り、綺麗なものを見せてくる力を感じた。R様は「すごい」と言って涙を流した。文学記念館の中に「愛するとは、ゆるすことでもあるんだよ。一度や二度ゆるすことではないよ。ゆるしつづけることだ」と書かれた作品が展示されていた。その前でR様は立ち止まり、涙を流した。R様は「これまで一度でも、誰かを許したことがあっただろうか。自分がして来たことは、許すことではなく、諦めて来ただけではないのだろうか」と言った。愛することは許すこと。許すことは、諦めないこと。自分や他人を見限らないこと。人間を見捨てないこと。誰一人置いて行かないこと。全員連れて行くこと。諦めないこと。それが、共に生きると言うことだと思う。
おおまかな予定
9月29日(日)北海道札幌市界隈
以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)
連絡先・坂爪圭吾
LINE ID ibaya
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE https://tinyurl.com/2y6ch66z
バッチ来い人類!うおおおおお〜!
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