「ダサい生き方をするな」と語りかけてくる街・那覇|文・よざひかる

書いた人:與座ひかる(よざひかる)

1990年沖縄生まれ。デイリーポータルZなどで執筆中のライター。平日昼に更新する「今日の休憩」を更新している。
X(旧Twitter):@HikaruYoza


沖縄県那覇市。その中心である国際通りで生まれ育った。隣接する平和通りというアーケード街に実家があり、部屋の窓からはその屋根が見えた。

東京に住むいとこのお姉ちゃんに憧れていた私は、テレビに映るシュッとした東京を崇拝していた。「那覇には何もない」と悪態をつき、上京だけが楽しみだった。

しかしいざ沖縄を離れてみると「沖縄出身なの!? 羨ましい〜!」と毎日のように言われることになる。「ダサくてすみません」くらいの気持ちでいたので混乱したが、これを機に地元を偏見なしで見てみると……すごく個性的でいい街だということに気がついた。他人に言われるまで、沖縄のことをまっすぐ見ていなかったのだ。恥ずかしい。

大人になったいま、ここまで沖縄の文化にどっぷり浸かりながら、アメリカ文化や自然にも触れられる那覇に生まれてよかったな〜、と思う。

特に、私のお気に入りは夏に国際通りで行われる「一万人のエイサー踊り隊」というお祭りだ。

「胸を打たれる」の原体験、エイサー


エイサーとは、本土でいう盆踊りの役割を担う沖縄の伝統芸能である。しかし、盆踊りでよくあるような手踊りではない。参加者のほとんどが太鼓を持ち、激シブ沖縄ソングに合わせてかけ声をそろえ、足を高くあげ踊る。低音ド迫力の伝統芸能がエイサーなのである。

このエイサーを「一万人で踊ろう」という大胆な祭りが、国際通りで夏に行われる「一万人のエイサー踊り隊」だ。

「沖縄はダサい」と斜にかまえ続けていた当時の私にも、エイサーは大変かっこよくうつった。「自分も祭りに参加したい」とエイサーの練習に10歳から参加し、週2回、学校終わりに「とまりん」と呼ばれる港で行われる合同練習に足を運んだ。小学生から社会人、高齢の方まで300人ほどが集まって太鼓をたたく、大規模なものだった。

講師陣はみなかっこいい若者で「自分もあんな風に踊りたい」と集中して練習した。動きを止めるところはピシッと止め、足は誰よりも高くあげ、指の先まで神経をはりめぐらせる。褒められたいので「イーヤーサーサー!!!」などのかけ声も、照れずに全力で叫んだ。

しばらくすると日が暮れてきて、夕日が港に落ちていくのが見えた。練習は終わりに差し掛かり、曲を通しで踊る時間がやってくる。

私はこの時間が大好きだった。300人もいる参加者。合わさった太鼓の音はドーン、ドーン、ドーンと心臓まで揺れる凄まじい音量になり、海に響いて消えていく。子どもながらに、毎回胸がじんじんするほど感動したことをよく覚えている。

先にエイサーにハマった母親が「エイサーって、見てるだけで本当にドキドキが止まらなくなるさぁー!!!」と、エイサーの話になると熱弁しだし、控えめな性格そっちのけで一生懸命踊りを練習する意味も理解できた。母は「海風に吹かれながら練習するエイサーが大好きだった」と現在でもよく話す。わたしも、上京後に疲れたときは、YouTubeでエイサーの動画を見て元気を出すようになった。

こんなに胸を打たれる踊りが小さい島で生まれ、500年も続き、いまなお新曲や新振り付けが開発され続けている事実にいつも背筋が伸びる。

くすぶった時はアメリカを感じにA&Wへ


那覇ではアメリカ文化にも触れることができる。中学の頃は米ドルの値札が付いたままのアメリカ雑貨屋で小物を漁るのが流行り、高校生になるとゴリゴリのアメリカHIPHOPを爆音で流すアメリカ古着屋をうろうろするのが流行った。日常でも、琉球大学にいった先輩がアメリカ人と付き合い始めた話が耳に入ってくるなど、日々うっすらアメリカの存在がそばにあり、私たちは無邪気に憧れた。

より手軽にアメリカっぽさを感じたい時は、ファーストフードチェーンの「A&W」に行くのがお決まりだった。アメリカ発祥のハンバーガーチェーンで、日本では沖縄にのみ出店している。「ルートビア」というドクターペッパーのような味わいの飲み物が有名な店だ。

しかし、私たちにとってA&Wはオレンジジュースを飲みにいく場所である。ここのオレンジジュースは砂糖過多で大変甘く、ひとくち飲むと目がかっぴらき、脳が強制的に飛び起きる。

そして、多くの沖縄県民はただのオレンジジュースでは飽き足らず、そのオレンジジュースをシャーベット状にした「オレンジスラッシュ」という進化系飲み物を好んで飲む。激甘ジュースの刺激に、さらにかき氷を食べた時のような「キーン」を追加した一品で、飲むとたちまち虜になる飲み物である。しかも、A&Wではこのオレンジスラッシュという魔の飲み物を、ソフトドリンクにも関わらず、ジョッキに入れて提供するのだ。

「こんな組み合わせ、自分じゃ絶対思いつかない……」飲むたびに遠くにいるであろう無茶苦茶な発想をした人物に思いをはせる。このオレンジスラッシュと、人気商品であるスーパーフライ(フライドポテト)を一緒に頼むのが鉄板だった。ポテトをオレンジに浸して食べると、塩味と甘味がまざり、無敵の気分になった。

仕事で煮詰まっている時などに実家に帰ると、必ずこのセットを食べる。すると「なんか最近真面目すぎたな! わはは!」と急にいろんな悩みがどうでもよくなり、明るい気持ちになるのだ。

服のまま泳ぎ、着替えずに帰った「波の上ビーチ」


沖縄県民に「那覇でおすすめのビーチ」を聞くと「那覇!? 海汚いよ!! 他の場所に行って!!」とすぐに否定されてしまうだろう。とはいえ、他の県とくらべれば那覇の海も十分きれいなのだが、海の美しさについてはプライドがあるので那覇以外を必ずすすめる。

しかし、那覇で学生をしている場合は別だ。車がないのでどうしても那覇のビーチで遊ぶことになるのである。そうして中学から高校、あらゆる場面で那覇市民がお世話になるのが「波の上ビーチ」。通称「なんみー」と呼ばれる場所だ。

中学生の頃、部活が終わると誰かが「なんみー行こう」という。思い付きなのでもちろん誰も水着なんて持っていない。が、私たち県民は、日焼けの怖さを知っているので腕やお腹を隠せるよう「着衣水泳」が基本である。ビーチに到着したら、砂浜にバスケットシューズとカバンだけ置いて、部活着のまま、ざぶざぶと海に入るのがお決まりだった。

波の上は変わった人も多いビーチで、ある日、海に向かって両手をあげ「パワー! 無限のちから!」と笑顔で叫び続けているおじさんがいた。海を感じているというよりは、地球を体で浴びているような神々しい顔をしている。

街にいたら抜群に変な人だが、そこにいた全員が「まあ、この海と太陽見たらそれぐらいは言いたくなるよな」と妙な納得感ですぐにおじさんの気持ちに寄り添った。最後は友人たちとおじさんとで「パワー! 無限のちから!」と叫び、みんなで笑いながら海からあがった。

「なんか気持ちが洗われた気ぃーするね?」などと適当なことを言いながら、着替えも持っていないので、濡れたまま歩いて国際通りに向かう。服はもちろんびしょびしょだが、気温が高いので道中で乾いてしまうのだ。服が乾いたら、マックで一番安いバーガーを食べてだらだら喋って家に帰るのがお決まりだった。

いま、帰省してもさすがに海には入らないが、波の上ビーチ周辺は「うみそら公園」として観光の方にもおすすめできるほど綺麗になっている。父は毎日この海を散歩しているので、帰省のたびに一緒に海をみながら散歩をする。

ビーチを見るたび、心の中で「パワー! 無限のちから!」のかけ声を思い出し、たしかにパワーは湧くけどあれなんだったんだろう、と冷静になる。あんなに濡れながら一緒に国際通りを歩いていた友人らも、子ができたり、自分の店を出したりしているそうだ。

私も昨年子どもを産み、今年はじめて波の上に連れて行った。子は海が怖かったようで大泣きしており、喜びだけを想像していた私はパニックになって慌てて早口で謝った。その様子を見て父と妹が手を叩いて笑っていた。

自分の思い出の場所に息子と来ただけで、また新しい思い出が増えた。不思議な心地だった。これからも波の上には節目節目で来て、思い出が増えていくだろう。

エイサー、A&W、波の上だけでなく、那覇には面白い人や文化や食べ物がまだまだある。最近ではラップ文化が盛んで中学生が国際通りでラップの練習をしている様子が見られたり、沖縄そばや沖縄ぜんざい、昔からあるかまぼこの中にご飯を入れた不思議おにぎり、ステーキの名店など魅力が尽きない。

海も文化も人も、個性的でかっこよく、しかもそれぞれがありのまま、のびのびそこに存在しているのが那覇だ。地元に帰るたび、この街に「お前はこの土地出身ですがダサいことはしてないですよね」と問いただされている気分になる。そうして東京での忙しい日々を反省し、いらない力を抜いて日常に戻るのだ。

著: よざひかる

編集:小沢あや(ピース株式会社