考察『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』9話|亡き父・耕助と並んで歩く草太「パパ、この道でええ?」
“答え合わせ”の多い回
このあと草太は、ひとみの車で送られ、再びグループホームに帰っていく。その後ろ姿を見るうち、ひとみは思わず引き留めようとして、車のドアから転げ落ちそうになる。それに気づいた草太は一旦引き返してくると、彼女に「ママ、大丈夫です」「僕はママの子供です」「僕は大人です」ときっぱり宣言し、また去っていった。母親からすれば寂しくはあるけれど、これ以上に頼もしく、うれしい言葉はないだろう。 七実も再び東京に戻らねばならなかった。その前に環(福地桃子)の勤める熱帯魚店を訪ね、魚を選ぶ。自分で飼おうと思ったのか、それとも……と思ったら、後日、ひとみのもとに4匹の金魚が環同伴で送られてくる。おそらく、ひとみ以外の家族(耕助を含む)の代わりということなのではないか。 環は七実の家が“解散”すると知り、自身は実家に戻ることを決める。ただし、その代わりに、いつも持っていたペットボトルの水(環の母がマルチ商法で売りつけていたもの)を捨て去った。考えてみると、家族をはじめ親密な関係を示す言葉には「水入らず」「水くさい」など、水を邪魔者扱いしたものが多い。環が水を捨てたのには、そういった意味合いもあったのかも? と、つい深読みしてしまう。 七実の家族はみんな離ればなれに暮らすことになったとはいえ、それでも帰ってくる場所がひとみの住む神戸の家であることに変わりはない。今回のラストでは、年末なのか、七実と草太、そして芳子もそろって帰省する。このとき、七実が「明日朝早いやろ」と言っていたのがちょっと気になった。仕事はないはずなのに何か用事でもあるのだろうか……と考えて、ひょっとすると、初回の冒頭のあのシーンにつながってくるのではないかと思いいたる。 このドラマではこれまで、意味ありげなシーンが断片的に現れては、回を追うごとにその意味が答え合わせのように解き明かされてきた。それだけに、最終回と初回が円環を描くようにつながるという筆者の予想もあながち間違いではないと思うのだが。 それにしても、今回はいつになく“答え合わせ”の多い回だった。例のドキュメンタリーは後日、『家族の流儀』というどこかで聞いたようなタイトルで放送される。その番組中、草太が、岸本家では大事なものはひとみが車椅子に乗ったままでも取りやすいよう棚の下に置くと紹介していた。当のひとみはそれを七実と見ながら泣きじゃくる。そして涙をティッシュで拭っていると、ふと、ティッシュケースの横に置かれた植木鉢にあるものを見つけた。それは、第3話でなくなっていることに彼女が気づいた(そして家族で沖縄旅行に行くきっかけとなる)、タンスの一番下の引き出しの取っ手であった。 そのほか、冒頭のサイン会には七実の高校時代の彼氏・旭(島村龍乃介)も現れ、いまは建築の勉強をしていると教えてくれたし、環の熱帯魚店のオーナーが、七実たちの高校の担任である田口先生(松田大輔)だったという衝撃の事実も明かされる。 一方で今回は、七実のエージェント役である小野寺(林遣都)がいつにも増して落ち着きがなく、観ていて思わずイライラさせられた。岸本家の取材時には、必要ないにもかかわらず同行し、例のコンビニで七実と昔なじみの店員(名村辰/10年以上勤めているからひょっとすると店長になってるのかも)に作家・岸本七実を育てたのは俺だと言い張ったあげく、店員が好意で持ってきてくれたビールで酒盛りを始めてしまうし、傍から見ると迷惑この上ない。会社の部下の斉藤(椛島光)がいつも冷たくあしらっている理由もよくわかった。 小野寺はまた、七実に小説を書くよう強く勧めておきながら、続けて「いまのままのあなたじゃ無理でしょう」と矛盾したことを言い、彼女を困惑させる。そのことも筆者をイラッとさせたのだが、あとから考えてみると、小野寺にも、七実の家族の変化を見るうち彼なりに思ったところがありそうである。果たしてその思惑どおり、七実は小説を書き始めるのだろうか。それも含め、すべての正解は今夜放送の最終回で!
文/近藤正高 (こんどう・ まさたか)
ライター。1976年生まれ。ドラマを見ながら物語の背景などを深読みするのが大好き。著書に『タモリと戦後ニッポン』『ビートたけしと北野武』(いずれも講談社現代新書)などがある。