「ウケるまでやり続ける!」
75歳、“本場”の笑いを世界へ
お笑いが揺らいでいる。時代の流れ、メディア環境の変化、コンプライアンス...吉本新喜劇もその一つだろう。言わずと知れた、大阪の笑いを代表する老舗喜劇集団。ベタなボケと小気味よい突っ込みの応酬、舞台を縦横無尽に駆け回りながらおなじみのギャグを繰り出せば、たちまち爆笑の渦に包まれる。本拠地の劇場はいつも満員だ。けれど―。
間寛平は危機感を抱いていた。このままではマンネリなのではないか。この時代のなかで、どのような笑いが許されるのか。
芸人として舞台に立ち続けるかたわら、2年前からは新たに創設されたGM(ゼネラルマネージャー)というポジションを務める。新喜劇の良さを活かしながら、どう未来につなげていくか。テレビでのとぼけた様子や舞台上での破天荒な姿とは裏腹に日々悩みを巡らせては、GM就任直後から矢継ぎ早に手を打ってきた。出番の少ない若手のための劇場の開設、座員の人気投票...
共通するのは、どう育てるかだ。一公演あたりの出演者は20人程度。だが、座員は109人もいる。起用にはどうしても偏りが生じ、経験の浅い者にはなかなか出番が訪れない。そこで間は自らが座長を務める公演で、若手や出番の少ない座員を積極的に起用しはじめた。特別に個人レッスンを行い、セリフの間隔や舞台上での立ち回りなど、より大きな笑いが起こるように自らの経験を伝えていく。公演当日の楽屋では、「腹を空かせているかもしれないから」とさりげなく大量のカツカレーを差し入れたりもする。
自身は若くして座長を任されるなど、そのセンスは早くから評価されてきた。東京でテレビタレントとして活躍もした。もう75歳、また戻って来るとは思ってもみなかった。
新喜劇が重ねた歴史は今年で65年。記念して行われる全国ツアーに、間は座員として、GMとして駆け回る日々が続いた。その中には、テレビ放映がなく認知度が低い地域や、言葉も文化も異なる海外での公演も含まれていた。
「ウケるまでやり続ける。ウケなかったら次に進む」
半世紀以上を喜劇に捧げてきた男の、果てなきお笑い道―。
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