第11話 夏祭り

 八月十日の昼下がり、燈真たちはあえて昼食を抜いて祭りに行く準備をしていた。

 村にある神社で、夏祭りがあるのだ。境内の通路に屋台がいくつも並び、広々とした境内には大道芸を披露する者が大勢集まる。また、芸人を呼んでいるらしく、ライブも行われるとのことで柊はウキウキしていた。彼女は戦わずして魍魎を抑制するお笑い文化を敬愛しているのだ。

 燈真たちは和服に着替えていた。彼の和服は、椿姫たちの父・靖夫のものである。メールで確認したら「サイズが合うといいんだけど」と息をするように許可したらしい。やはりひとかどの妖怪は懐深い。

 ちなみにサイズは少し大きい気もしたが、若い頃の着物を引っ張り出すとちょうど良かった。靖夫は優男の典型のような外見なのは写真で知っているが、背も高く筋肉質で、結構大柄だった。黒い着物は、襟が妖狐の毛というつくりでありそこが一般的なものと異なっている。妖狐一族の着物は、だいたいこうなっているらしい。己や近親者の毛を使っている。

 伊予に帯を着付けてもらい、燈真たちはそれぞれの着物や浴衣に着替えた。


「貝音って人に化けられるんだ……」

「まあ妖怪だし」


 いつもは人魚の姿で池にいる貝音も、今日は人の足を生やして着物に着替えていた。

 水中の方が断然過ごしやすいようだが、祭りは気になるという。普段下半身が魚なのを見ているので、彼女が陸上を歩いているのはなんというか、見慣れない——普段眼鏡をかけている人の裸眼姿を見た時のそれをスケールアップしたような感覚を味わっていた。


「実は陸を歩くと足が痛かったりするのか?」

「人魚姫じゃないんだから。別に普通よ」


 屋敷を出る時、柊が印を結んだ。何をしているかはすぐにわかった。結界だ。侵入を防ぐ結界である。

 結界術というのは少々厄介だ。

 基本、妖術は足し引きで辻褄合わせをした「発動条件」がある。決して、無敵の術を無限に使えるわけではない。そこには絶対的な原理原則がある。


「今、妾の結界術の発動条件はなんだったか。燈真、答えてみろ」

「侵入は不可能だが、逆に内側から外側への脱出には一切の制限がないことで辻褄を合わせた条件だ」

「及第点。光希」

「音源、熱源、電磁感知をオフにして、妖気探知に全振りした感知結界を併用してる。薄い膜の二重構造で、物理結界の内側に警報結界があるんだ。二重にしているから、不活性が起きてる。外側の結界は、多分一等相当なら力技で突破できるな」

「正解」


 年季の違いが出た。妖怪として生きてきた年数も、退魔師の経歴も光希の方がずっと先輩だ。悔しいが、尊敬した。一目でそれがわかるとは。


「よくわかったな」

「わかったってより、経験則と推理だな。術師との戦いって、力量も大事だが知恵比べとか意外と人物像の観察って感じだぜ」

「心に留めておく。なるほどな、それで椿姫は勉強も頑張ってんのか」

「それはちょっと違う。私が勉強してんのは竜胆たちに教えるため」

「また外した……でもお姉ちゃんの鏡だな。学年主席から家庭教師してもらえれば、最高だろうな」

「そうかなあ。姉さんスパルタだからなあ……」


 竜胆はそう言いながらも、夕飯の後とかで椿姫に色々質問している場面がある。なんだかんだ椿姫は教えるのが上手く、聞かれたものを丸投げのように解説するのではなく、アドバイスしてあくまで自助努力を促す教え方に徹していた。

 意外と椿姫は厳しいだけではないのだ。菘が本を読んでいてわからない漢字があれば読み方を、覚えやすい解説を加えて教える。

 だが、完全無欠に見えるが、決して違う。結構、仕事の愚痴も吐く。ときどきグデーっとして風呂に入るのも億劫にしていることもある。だらしなく腹を丸出しにして寝たり、部屋着だとノーブラなんてのも当たり前。普通に屁が出そうとか言ってするし、ヒトなんてそういうものだ。完璧超人なんて、燈真の持論だが到底信頼できるものではない。どこか遠い宇宙の怪物が擬態しているのではと疑ってしまう。

 坂道を下って歩いて、〈庭場〉が混ざり始めた人里に降りた。ここからは、イメージして移動するシークエンスだ。燈真は未だにこれを上手く理解できない。


「〈庭場〉は、本来完成された異空間の構築という運用だ。地の利が働くフィールドを形成し、戦局を傾ける。あるいは相手に不利な環境を作るとかな。極論、貝音が海中の〈庭場〉を作れば椿姫でさえ打開は難しい」

「地上で戦ったら私は椿姫は愚か竜胆君にも勝てないんだけどね」

「地形一つでそんなに戦力差がひっくり返るのか?」

 貝音が言う。「極端な話、天狗が空を形成してきたら、燈真君はどうする? 飛べる?」

「無理だろうな。落下中になぶられておしまいだ」


 確かに、そういう運用もできるわけだ。地上を生きる燈真に、空や海のような〈庭場〉を形成されたら手も足も出ない。落ちる、沈む、それで終わりだ。


「そのうち浄式神じょうしきがみ渾式神こんしきがみも教えてやる。渾式神は少し手間だが、一匹契約すればだいぶ変わる。たとえば妾の旦那は龍神を使役していた。人間でありながら、当時裡辺最強の術師と言われておったよ。あれはいい男だったな。千年経つがあれ以上の男はおらなんだ」


 惚気た柊がそう言って路地を進むと、やがて雰囲気が変わった。

 笹の葉と竹林。石畳の通路が伸びる。

 鳥居の前で一礼し、階段を登ると祭囃子が聞こえてきた。


「椿姫のご先祖って、人間?」

「柊の旦那だった善三様は人間。だから私、純血の妖狐じゃないんだよね。ご先祖様の中には鬼もいるし、天狗もいたって聞くわ」

「ってことは柊の血相当強いんだな。椿姫ぱっと見シンプルな狐だぜ」

「柊を普通の妖狐っていうのは、ちょっと疑問じゃない?」


 確かに。

 階段を上り切ると、境内の通路に屋台がずらり並んでいた。

 村の住民が集い、わいわい賑やかに騒ぎながら祭りを楽しんでいる。屋台は定番の焼きそば、たこ焼き、唐揚げに、カステラ焼き、稲荷焼きという油揚げを焼いたものなんていうのもある。

 水風船をドリブルして遊ぶ化け狸の子供のそばを、天火が漂っていた。すぐに天火を追い回し始め、漂う火の玉は逃げ惑った。本来は脅かす側が思わぬ逆襲に遭って「よせ小童!」と言いながら逃げ回る。


「裡辺の天火ってみんなあんな感じなのか」

「子供好きだからね。あいつらは子供に危害を加えない、子供を守護するっていう誓いを立てることで現世に理性を持って漂うことを許されてるみたいよ。霊体系妖怪は知性のためには危害を加えないっていう誓約を立てることが多いわね」


 そこも、妖術の足し引きだろう。

 どんな妖術にも、抜け道がある——これは、燈真にとって非常にありがたい話だった。

 それは拡大解釈かもしれないが、努力次第では椿姫を越えられる、柊を倒せる日も来るということだ。

 自分は意外と貪欲に強さを求めるタイプなのか——こんなまっすぐな精神で、強さを求められるのは自分でも意外だが。


「おねえちゃん、あまざけのみたい」

「いいわよ。お金渡すから、買ってきなさい」

「おっしまかせて」


 菘は五百円玉を受け取り、列に並んだ。銀色の寸胴鍋をかき混ぜる鬼のおばさまに大きな声で注文し、笑顔で温かい甘酒を手渡される。五百円玉を渡し、ゆっくりと戻ってきた。


「おねえちゃんにもわけてあげる」

「ほんっといいこねあんた。じゃあ一口ちょうだい」

「うん」


 椿姫はカップから控えめに一口啜った。燈真たちから一口もらうときは大口を開けて喰らいつくくせに、妹にはしない。そこも姉の甲斐性だろう。

 柊は「伊予、妾はライブに行ってくる。子供を頼むぞ」と言って歩き出した。

 笑顔で「私が見てなくても平気でしょうに」と伊予は笑う。

 だが、その内の会話は違っていた。


 念話でのやり取りは、こうである。


『変な気配がする。神主と話してくる。退魔局に一報を頼む』

『ええ。魍魎の気配かしら。避難誘導の人員を出してもらっておくわ』


 肉声で話せば混乱を生む。まして、名のしれた柊と伊予の会話だ。余計な不安を煽るのは避けたい。

 伊予はにこやかな笑みの内側で、いざという時は砂撒き狸として久々に戦うことを考慮していた。


 巧みに気配を隠しているが、なかなかに——濃い気配が一つ、ある。

 椿姫や万里恵でも勝てないような等級の魍魎が、息を潜めているのだ。


(幸い土も砂も多い。いざとなれば〈庭場〉に引き摺り込めばいいけど)


 伊予もまた、その朗らかな外見、そして普段は一尾として振る舞うが——実際は柊にも並ぶ大妖怪なのだった。


×


 竜胆が限界まで腕を伸ばしていた。右手にはコルク銃を握り、狙いは商店街の金券五千円分の立札である。倒せば、晴れて五千円金券ゲットだ。


「お兄さん、それ以上身を乗り出したら反則だよ」


 ねじり鉢巻のおじさんが笑いながら言った。


「反則はよくねえなあ。男らしくねーぜ竜胆。氷雨さんもがっかりだぜ」

「あー、これは一千年の恋も冷めるわ。雪女だけに」

「光希燈真うるさい! あと燈真全然上手くないよ!」


 パンっ、と、怒ったはずみで引き金を引いてしまった。見事に狙いはそれ、隣のラムネ一本が倒れる。


「はい、三発目終わり。景品のラムネはあそこの氷水からとってね」

「くっそー……」

「次俺か」

「頼むぞ燈真、五千円当てたら男子会だぞ! 稲原苑で焼肉だぞ!」

「それ商品券対象外だろ」


 言いながらコルクを詰めた。

 チャンバーをコッキングし、空気を圧縮する。

 射的はやったことないが、見た感じ簡単そうだ。隣では竜胆がラムネを開けようと悪戦苦闘している。

 慎重に狙いを定める。腕を伸ばし、あれこれ考えて撃——


「うわっやばっ」


 後ろで、ぶしゃあっとラムネの弾ける音と竜胆の間抜けな声がして、驚いて引き金を引いてしまった。

 だがそれが功を奏した。

 なんと、金券の立て札に当たって倒れたのである。

 

「大当たり! すごいねお兄さん!」


 屋台のおじさんは素直に祝福し、奥から金券の入った紙を持ってきて、渡してきた。


「大事に使いな」

「ありがとう」

「僕のおかげじゃん。拝んでくれていいよ」

「んなわけないだろモフるぞ」


 竜胆はラムネが溢れた指を舐め、ウェットティッシュで拭った。それからビー玉を窪みにはめて飲み始める。

 ちなみに光希は先鋒で大口を叩いて挑み、なぜか神社のワゴンセールになっているような、「飲んだくれ」と書かれているナンセンスなダサTシャツを当てていた。


「あれ……伊予さんは?」


 燈真が、伊予の不在に気付いた。


「椿姫たちといるんじゃねえの? なんだよ、金券を渡すのか?」

「俺が持っててもしょうがねえだろ」

「えぇー、焼肉行こうよお」


 彼らは知らなかった。

 今まさに、伊予が戦っていることを。

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