彼女は援軍の巻物を読んだ   作:きりり

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三十五話 出産に向けて

 次の日。

 朝食は、いつものメンバーに加えてケラルトとレメディオス、カスポンドも加えて取ることになった。

 一番早くに殺され、ドッペルゲンガーに入れ替わられていたカスポンドは、蘇生の際にケラルトやカルカと少しだけ顔を合わせた程度で、ヤルダバオトと戦う前の三人しかほぼ知らなかったので、起きて身支度を整え、食堂へやってきた三人を見て、心配そうな表情を浮かべた。

 三人ともカスポンドから見ると明らかに分かるほど、やつれて顔つきに変化が出ているからだ。

 

「もう寝台から出て大丈夫なのか?」

「はい。肉体的にはもう全快していますし、精神的にも、これでもかなり持ち直しているのです。少なくとも、こうしてお兄様と話したり、戦闘を行ったりする分には問題ありません。……まあ、レメディオスは身重の身なので、あまり運動はさせてあげられないのですけれど」

 

 カスポンドへ答え、カルカは笑って優しくレメディオスの膨らんだ腹を撫でた。

 アルシェの世界でレメディオスと再会したときも心強く感じたものだが、やはり自分の世界のレメディオスと一緒にいる時が、一番カルカは安心する気がした。

 辛い今の状況のレメディオスにこんなことを思うのは、申し訳なくなってしまうのだけれど、傷つき弱った今のレメディオスと一緒にいると、少しだけ嬉しくなる。

 エローナがカルカを救ってくれたときのように、レメディオスをカルカ自身が救えたのだと、実感することができるから。

 今なら、カルカはレメディオスのために何でもしてあげたかった。

 それが可能なだけの力は鍛えてもらって得た自覚はあるし、レメディオスには今まで尽くしてきてくれた恩がある。

 もらった以上の恩を、今こそ返すべきだと感じている。

 

「無理しないで。私が抱っこしてあげるから」

「城内を歩くくらい大丈夫なのですが……」

 

 カルカからの申し出なので断ることも難しく、レメディオスがらしくもなく顔を赤くしてしおらしい表情になって運ばれていく。

 世話をできるのが嬉しいのか、普段着姿のカルカの尻尾はぶんぶん元気よく振られている。

 カスポンドとしては、カルカの身体の状態も戸惑いの原因となっている。

 

(あの身体では、聖王に復位するのは難しいだろうな。私が認めても、民衆が認めまい)

 

 生き永らえていてくれたのは兄として喜ばしいものの、そこは現実を見て冷静に分析している。

 おそらく偽物の正体を暴けば、そのまま入れ替わりで即位することになるだろう。

 そもそもカルカは復位を望むつもりはなかった。

 女というだけでも南部では聖王として認められていないのに、さらに身体が人ではなくなった以上、聖王国が乱れるだけなのは分かり切っているからだ。

 好意的だった北部も、現状はカスポンドの偽物と教団に乗っ取られている。

 本来のカルカの支持者たちはあの戦争で多くが死亡し、あるいは行方不明になってしまったため、実質的にカルカの支持基盤は壊滅してしまった。

 やはり受け入れられないだろう。

 レメディオスの子ども共々、カルカは存在するだけで聖王国にとってのリスクとなる。

 今は仕方がないが、必要な時以外は、聖王国にいてはいけない。

 必要な時だけ、聖王国に足を踏み入れることをカスポンドに許可される、そんな関係であるべきだ。

 笑顔でレメディオスに接するカルカの眉が、ゆっくりと下がっていく。

 

(お兄様。申し訳ありませんが、私がいなくなった後のことは、お願いします)

 

 自分の微妙な立場を、カルカは熟知している。

 どんなに聖王国を大切に思っていても、その未来にカルカの居場所はない。

 たとえカルカが望んでも、南部諸侯が絶対に許さない。

 南部諸侯を味方につけるために、聖王国を取り戻したうえで、カルカの退位が必要になるだろう。

 今のカルカは十年間の統治の結果、戦乱を招いた責任を取るためだけに存在する。

 それが本当はカルカの責任ではないにしても、実際にヤルダバオトに負けて、聖王国を守れなかったことは事実だ。

 弱肉強食の世界である以上は仕方のないこと。

 己の現状に納得して、カルカはそれを受け入れている。

 悲しいけれど、聖棍棒としてあのまま死んでいたよりは、遥かに幸せな結末には違いないから。

 アルシェはカルカに過剰に世話を焼かれ、椅子に丁寧に座らされて顔を真っ赤にしているレメディオスを、興味深げに眺めていた。

 

(こうして見ると、やっぱり私の世界のレメディオスと結構違う……)

 

 妊娠の影響か、それとも人間牧場生活でほとんど運動できていなかったせいか、やつれていながらも三人の中でレメディオスは一番顔つきや体つきがふっくらしている。

 そのせいか同一存在でありながら、今のレメディオスは妊娠中ということを鑑みても、アルシェの世界のレメディオスとは明確な違いがあった。

 なんというか、女性的なのだ。

 筋肉は間違いなく衰えているはずだし、妊娠の影響で体格も大きく変わっている。具体的には、腹を除けば胸とか尻とか。

 何より、お腹に赤ん坊がいるためか、それとも精神的な傷跡が影響しているのか、アルシェの時間軸のレメディオスが普段から頻発させていた、はた迷惑な行動力がまるで見られなくなっている。

 憂いを帯びた表情は、どこか儚げですらあった。

 

(こんな感想をカルカ様と姉様に抱くのは、申し訳ないのですが)

 

 ケラルトにも、今のカルカとレメディオスは違和感が強い。

 けれども、逆にカルカやレメディオスも、ケラルトの言動に違和感を感じているだろう。

 いくら強がってみせたところで全ては隠せない。

 あの戦いを経て、誰もが心に傷を負ったのだ。

 心も身体も一番軽症だったのがケラルトで、カルカとレメディオスの方が、どちらも重傷だった。

 カルカは時間が経ったから少しマシになっていて、助けられたばかりのレメディオスは相対的に酷く見える。

 冷静に、ケラルトはそう分析していた。

 

(……私らしくないわね。一番被害が少なかったことは、喜ばしいことであるはずなのに)

 

 ふたりよりも心が軽傷であることに、ちょっとだけ罪悪感を感じる。

 十年もの間、聖王国を支え続けてきた自負がケラルトにはあった。

 理想主義者なカルカと単純馬鹿なレメディオスに挟まれて、ケラルトはふたりの分まで現実を直視しなければならなかったから、他人よりも人の心の暗部を見てきた自負がある。

 だから性格が悪いことは自覚しているし、他人の気持ちを思いやるとかそういう青い思想を見てしまうと、正直なことをいえばケツの青いガキが何を言っているんだという気になってバカにする気持ちが湧き上がる。

 それでもその思想を肯定するエローナとアルシェに出会ったからこそ、カルカが救われたのだろうとも思っているので、口にするのは止めていた。

 

(青い理想は、力がなければ潰されるだけ。やはり力。力が全てを解決するのです。今までの私たちには、それが足りなかった。強者のつもりでいましたが、上には上がいた、ただそれだけの話)

 

 ある意味、弱肉強食の世界にケラルトは相応しい人格をしていた。

 誰よりも強い者が、正しい。

 それは、ケラルトが常に行動で肯定し続けてきたルールだ。

 その者が邪悪ならば世界は地獄になるだろうし、その者が善良ならば世界はまあまあ平和になるだろう。

 殺されて競争から脱落してしまったが、幸いにも生き返れた。

 なら、下剋上を試みるまで。

 そう思った瞬間、心臓が一際跳ねた。

 心が変調をきたす。

 自覚している。

 あれほどの経験をして、敗北を心に刻み込まれたのだ。

 いくらケラルトといえども、無傷な心ではいられない。

 それでも恐怖を覚える心を抱えて、ケラルトは奮起した。

 

(死んでも蘇生されて、こうして戦いに戻ってきたのだからノーカウントですよ。先の敗北は無効試合になりました。うっふっふ、誰が聖王国の現状の筋書きを描いたか知りませんが、残念でしたね)

 

 澄ました表情の内側で意地悪く笑いながら、それをおくびにも出さず。

 ケラルトは、居住まいを正して礼儀正しくカスポンドへ感謝の言葉を述べる。

 

「ご無沙汰しております、カスポンド様。本当に、お会いできて何よりです。あなたがいなくては、影武者の存在に気付くことはできませんでした」

「……何もしていないのだがな。私も今の聖王国の状況を憂いている。全面的に協力を惜しまないつもりだ」

 

 自分が死んでから聖王国の状況がどう変わっていったのか、カスポンドもエローナやアルシェから聞かされていたので、魔導国の聖王国に対する謀略を理解していた。

 南北の対立を未だに解消しないどころか、煽っている今の聖王は、南部の暴発を狙って明らかに将来魔導国を呼び込めるように動いていると感じ、看過できないと判断した。

 

(十年だ。カルカに聖王位の継承を譲ってからもうそれだけの月日が経った。継がなかった私にも、今の状況を招いた責任がある。カルカが聖王を私に継がせるというのなら、受け取らなければなるまい。……お前が行ってきた政を否定していくことになるだろうが、許せ、妹よ)

 

 聖王国を統一するために血を流すのならば仕方ないしそれは当然だとカスポンドは考えるものの、それが聖王国を魔導国に明け渡すためとなれば話は別だ。

 魔導国は聖王国のことを一番に考えてくれるだろうか?

 ナザリックと同じように、平等に扱ってくれるだろうか?

 とてもそうは思えなかった。

 滅びた王国の現状を知って、余計にその思いは強まっている。

 廊下から足音が三人分近付いてくる。

 扉が開いて、アルシェがクーデリカとウレイリカを連れて食堂に入ってきた。

 

「わー! 新しい人がいるー!」

「人がいっぱいだねー!」

「あ、こら、走らない。始めて会う人だっているんだから、自己紹介する」

 

 アルシェに促され、クーデリカとウレイリカが元気よく名前を名乗った。

 小城で楽しく暮らすふたりは、フルト家の館で暮らしている時よりも、ずっと明るく活き活きとしている。

 最近になってジャイムスを始めとする館の使用人たちも来たので、いっそうはしゃいでいた。

 

「お姉さま。お父さまとお母さまは来ないのですか?」

「そろそろ呼んで欲しいです」

「……う」

 

 幼い妹たちにねだられ、アルシェは困り切った表情になった。

 完全に両親とは縁を切ったつもりのアルシェだったが、妹たちはまだまだ親が恋しい年頃で、アルシェのように愛想が尽きたわけでもない。

 会いたがるのは当然だった。

 

(どうしよう。下手に連れてきて、エローナに迷惑かけたくない……)

 

 エローナを理由にして断ろうとしていることに申し訳なく思いながら口を開こうとすると、先に許可を出された。

 

「構わないわよ。小城のものを勝手に換金されるのは困るけど、私が提供した金貨を元手に資金を作って美術品を買い漁る分には。金貨は無限に増やせるし、財宝も終末狩りでドラゴンや巨人を倒せば無数に手に入る。実際に毎日凄い勢いで増えてるから、いくら浪費してもいいわ。デザインが違っても、金貨である以上金の含有比率は既存の金貨とそれほど大きく違わないでしょうし」

「……具体的に、どれくらい所持しているのだ?」

 

 さすがに金貨の話を眉唾ものに感じて、カスポンドが尋ねた。

 しかし今後のことを考えればいくらでも資金が必要なのは確かなので、伝手を作れるなら持っておきたい。

 アルシェとカルカはエローナの言葉が真実だと知っているものの、ケラルトとレメディオスはそうではない。

 

(エローナは、少なくとも金持ちのようではありますね。家具は全て見慣れない調度品ですが、どれも価値のあるものだということは分かります)

(さすがに信じ難いが。まあ、私が考えることではないな。それに、正直そんな余裕もない……)

 

 比較的冷静に思考を始めるケラルトとは対象的に、レメディオスは思考に余力を割けず疲弊している。

 ふたりの違いは、元々の得意とするものの差もあるだろうが、精神的な傷の大きさもあるだろう。

 特にレメディオスは牧場で念入りに心を壊されて家畜化させられていたので、一件普通に見えても、その実エローナに助けられたばかりの頃のカルカよりも重傷かもしれない。

 考え込む姿勢を取ったエローナは、カスポンドに向けて品良く居住まいを正すと、何でもないことのように爆弾発言を行う。

 

「……そうですね。ずっと昔にノースティリスで上限突破し、こちらに来てからもずっと暇さえあれば収穫ループしていますから、少なくともintで百億以上は確実にあるでしょう。故郷にいた時点でそれを超えていましたし、今も私が把握できる金額を突破して増え続けていますので、現状はそれ以上になっていますよ。もう数えきれる量ではないので正確な数は数えていませんが、兆や京に到達しているのではないでしょうか? 全く減らなくて困っているのですよ。場所を取って邪魔なので、むしろ使ってくださるとこちらとしても有難いのです」

「すまない。私に理解できる話ではないようだ」

 

 カスポンドはノースティリスがエローナの故郷であるということと、収穫ループというのが金策方法だと予測したものの、意味不明感が増しただけだった。

 収穫ループを実際に見たことのあるアルシェですら、そこまでいっているとは思わず吃驚し、聞き返した。

 

「……本当に? 本当にいい? 私がいうのもなんだけど、お父さまもお母さまも、お金に関しては一切遠慮するような人じゃない」

「嘘は言っていないわ。実際もう使い道がないのよ。ティリスで手に入るものは全部手に入れているし、別にこっちの世界で蒐集……したくないとは言わないけど、倫理的にちょっとね。あ、そうだ。どうせなら美術品とかの蒐集依頼の名目であなたの両親を呼んでもいいわよ。美術品を買い漁っているなら、それなりに審美眼はあるのでしょう。実際、そろそろ家具の入れ替えくらいはしてもいいかなとは思っていたの。せっかく帝国にいるのだしね。そうそう、これも言っておかなきゃ。魔導学院に復学するつもりがあるなら、学費を出すわよ。成長したらクーデリカやウレイリカの分も必要でしょ? そちらの分も立替えてあげるわ。返済は私のペットとしての働きで返してくれればいいから」

 

 たて続けにとんでもないことを言われ過ぎて、とてもではないが理解し切れない。

 目をぐるぐるさせて、何とか両親を呼んでもエローナ的には問題ない、魔導学院は復学しようと思えばいつでも戻れる、クーデリカとウレイリカの未来は安泰だということだけ理解する。

 それ以上アルシェは考えることを止めた。

 

「……じゃあ、呼んでみる。他のは考えさせて」

 

 両親を呼び寄せることに一抹の不安を覚えつつも、まあエローナならあんな両親でも上手く付き合えてしまうのかもしれないともアルシェは思う。

 実際に、資金に実質的な際限がないというのは、両親と付き合っていくうえでの大きな利点となるだろう。

 アルシェの不幸は貴族ではなくなった時から始まったから、それは裏を返せば、それまでは多少問題はあっても家族関係はそれほど悪くなかったということでもあって。

 あくまでジルクニフに潰される程度のものでしなかったが、貴族として生きていけた程度には、アルシェにまともな生活を送らせてくれた両親だったのも、確かだ。

 

「やった!」

「お父さまとお母さまに会えます!」

 

 喜ぶクーデリカとウレイリカを見ていると、アルシェは両親を少し許せる気分になってくるのだから、我ながら現金なものだと感じる。

 姉妹三人の姿をわずかにほほえんで見ていたエローナが、アルシェに声をかける。

 

「そう。なら自分やクーデリカ、ウレイリカの将来について相談する気になったらいつでも言いなさい。待っているから」

 

 このやり取りを聞きながら何事か考え込んでいたカスポンドが、エローナに尋ねた。

 カスポンドは、エローナについて知れば知るほど、絶対に協力を取りつけるべき相手だという思いが強くなっている。

 

「厚顔無恥を承知で頼みたい。聖王国の後援者になってはいただけないだろうか」

「いいですよ。ただ、時間軸移動できる間に限ります。行き来がなくなれば、資金があってもそれを送る方法がなくなってしまいますから」

「それで構わない。いや、実に有難い。現状を変えるために、取れる手段がかなり増えた」

「良かったですね、お兄様」

 

 カルカがにこにこしながらカスポンドに話しかけた。

 黙って話を聞いていたレメディオスが、エローナへ居住まいを正す。

 

「……ひとつ、尋ねたい」

「何かしら?」

「この腹の子を、早く出産する方法は持ってはいないか」

「姉様……一晩考えても、やはり生まれた子どもを殺したいと思っているのですか?」

 

 尋ねてくるケラルトに対し、レメディオスは首を横に振った。

 

「いや。もう反対はしない。一晩過ごして決心がついた。だがやはり、私は戦う以外の生き方を知らん。今さら自分が母となり、子を育てるなど、考えられんのだ。それに、やはり半分とはいえ亜人の血を引く息子を愛せる自信がない。ならばさっさと産み捨て、カルカ様の剣として生きることに心血を注ぐべきだと考えている」

「方法に心当たりはあるけれど、あなたにとってはトラウマを刺激するものになるわよ。副作用として、私への好意の増大がある。しかも、永続よ。とてもではないけれどお勧めできないわ。あなたを苦しめる手段を、私は好まない。考え直しなさい」

 

 断ろうとするエローナに、レメディオスは安堵の笑みを見せた。

 

「その言葉を聞けただけで嬉しく思う。ここで誠実さと優しさを示せるあなただからこそ、願いたいのだ」

「……はぁ。頑固ね」

 

 苛立ち交じりに髪をかきあげたエローナは、最後に確認するように、レメディオスへ問う。

 

「本当に、いいのね? おそらくあなたにとって、辛い時間になるわ」

「ああ。騎士に二言はない」

 

 出産は、準備に時間をかけるため日を改めて行うこととなった。

 

 

 

 

 

 

 ジャイムスたちフルト家の使用人を館に向かわせ、アルシェが両親に小城に来ないか誘いをかけると、両親たちは二つ返事で了承して、あれほど拘っていた館を引き払ってやってきた。

 今の帝国では、貴族としてあそこに館を構えるよりも、小城で暮らす者の一員として名を連ねる方が、よほど貴族社会でステータスとなるらしい。

 アルシェにはよく分からない感覚だ。

 一緒に出迎えたクーデリカとウレイリカが、さっそくふたりに飛びついていった。

 

「お父さま!」

「お母さま!」

 

 親子の美しく感動的な対面だったが、別の未来ではこの父親と母親がクーデリカとウレイリカを人買いに売り飛ばしているのだから、本当に未来はどう変わるのか分からない。

 そして、エローナとの顔合わせをするまでの打ち合わせの時間で、アルシェはとんでもないことを知る。

 

「実は、借金取りが騒々しくてな。 高々金貨五十万枚借りただけなのに、あっという間に十倍に増えよった。まったく度し難い」

「……は? また借金していた? 馬鹿なの? ちゃんとお金は送っていたはず」

 

 父親の話を聞いて、アルシェの口からストレートに罵声が飛び出す。

 母親が苦笑して、フォローに回った。

 

「一応、この人も考えて、あなたが館を出ていってからは貴族に戻るまでずっと抑えていたのよ。自分が貴族に戻れたことよりも、あなたが皇帝陛下に取り立てられたことの方が、ずっと嬉しかったらしくて。実は、借金したのはこれを買うためだったのよ。ジャイムス、持ってきてくださる?」

「はい、奥様」

 

 穏やかな微笑を浮かべたジャイムスが、他の使用人と共に、あるものを持ってくる。

 それは、あちこちに宝石があしらわれた、豪奢なドレスだった。

 明らかに高価な素材と確かな腕を持つ職人の技術がふんだんに用いられた品だと分かる。

 皇族の子女が着てもおかしくない格を有するドレスだった。

 帝国で同じものを探そうとしても、そう簡単には見つからないだろう。

 服飾品としてもそうだが、文化的な意味でも価値が大きい。

 

「……誰のドレス?」

「もちろん、あなたのよ、アルシェ。もうすぐ二十歳になるのだもの。どこかに嫁入りするにしても、婿を取るにしても、それなりの服装で着飾る必要は、今後出てくるでしょう?」

 

 否定できなかった。

 貴族に戻った以上は、アルシェもまた家を存続させることは義務となる。

 そのためにいつかは結婚し、子どもを産む必要があるだろう。

 しかし少なくともそれは今考えることではなく、アルシェにしてみればこのタイミングで言われるのは全く予想外のことだった。

 というかそんなことに金を使わないで欲しい。

 相談してくれれば、先回りして断れたのに。

 

「それに、この城の主の方は、物凄い額の財を蓄えている方なのでしょう? 貴族社会に出ることがあれば、あなたにも相応の服装と振る舞いが求められることになるわ。その時に恥を掻かせてしまわないようにしないと。今から準備しても遅くないわ。いえ、するべきよ。あなたは貴族なのだから」

 

 言われてみれば母親が口にしていることは貴族として真っ当な助言で、アルシェはぐうの音も出ない。

 借金してまで買うのはどうかと思うが。

 

「まあ、有難く受け取っておく。ジャイムス、悪いけれど私の部屋に運んでおいて。お母さまとお父さまは、私についてきて。エローナと引き合わせる。……念のため言っておくけれど、間違えても失礼な言動はしないように」

「分かっているとも。大事な支援者だからな」

「この人のことは、私が見ておくから」

 

 さっそく鼻高々になっている父親と、父親に比べれば比較的に良識的ではあるものの、父親を止めてくれるわけではない母親にかなり不安を感じつつも、アルシェはジャイムスに後のことを頼み、クーデリカとウレイリカと一緒に、エローナが待つ応接室にふたりを連れていく。

 

「おお……!」

 

 応接室の扉を見て、父親がさっそく驚嘆の声を漏らす。

 扉に、精緻な装飾が施されていたのだ。

 父親やアルシェが知ることはないが、それはイルヴァの神話や歴史がモチーフになったもの。

 異世界の文化が、そこには刻まれていた。

 

「エローナ。連れてきた」

「入っていいわよ」

 

 許可を得て、アルシェは父親と母親を中に案内した。

 

「す、素晴らしい……! なんという美術品の山だ! しかも、私の知らんものばかりではないか……!」

「まあ、お綺麗な方……」

 

 父親は応接室の調度品の数々にまず度肝を抜かれたらしく、普段の横柄な態度が完全になくなっていた。

 遅れて入ってきた母親も、一目見てエローナの美貌に驚き、目を見張って口元に手を当てている。

 まず始まったのは、礼儀としての挨拶だ。

 父親が、招いたことへの礼の言葉を仰々しくエローナに述べ、母親と一緒に深く頭を下げる。

 その言葉を受けとり、エローナも歓迎の言葉を述べ、挨拶を受け取り返礼してやり取りを終わらせた。

 座るようにエローナに促され、父親と母親は並んでエローナの対面のソファーに腰かける。

 クーデリカとウレイリカが席を取り合って、最後には左右から両親たちを挟むようにぎゅうぎゅう詰めになって腰かけた。

 妹たちのやり取りにほほえましくなりながら、アルシェもエローナの隣に座った。

 すらすらとエローナはこの館で暮らしていくに当たっての注意事項を説明していく。

 

「規則は必ず守ってください。この小城には危険も多いので、あなた方の命を守るための規則でもあります。もし破ってしまったら命の保障はできません。特に、小城の地下には絶対に入らないでください」

「分かりました。それで、援助というのは、いかほどしていただけるのですかな……!?」

 

 説明を聞き終えた父親が、食い気味にエローナの言葉を遮って、身を乗り出して尋ねる。

 さっそくやらかしそうな雰囲気を醸し出してきた父親に、母親が不安そうな表情になった。

 

「申し訳ございません。ほら、あなた。性急すぎますよ」

「ああ、つい逸ってしまいました。ご無礼をお許しください」

 

 母親に嗜められた父親が、取り繕うようにエローナに笑いかける。

 ふんわりとエローナがほほえんだ。

 

「構いません。では、さっそく本題に入りましょう。こちらにあなた方に託す金額を用意してあります」

 

 立ち上がったエローナが、父親と母親にもついてくるよう促そうとした。

 

「誰かに持ってこさせれば良いのでは? おい、アルシェ、持ってきなさい」

「バカ! 本当にバカ! 何を考えている!?」

「いいのよ」

 

 遮ってとんでもないことを言い始めた父親に罵声を浴びせるアルシェを、エローナが笑って制した。

 

「持っていくより、私たちが向かった方が早いのですよ。ほら、こちらです」

 

 物凄く不安になったアルシェが最後尾をついていく中、父親と母親を案内したエローナは、長い一本道の廊下で立ち止まった。

 両側に、等間隔で扉が延々と並んでいる。

 一番近い部屋を、エローナが開ける。

 部屋中を、金貨や宝石などの財宝が埋め尽くしていた。

 

「ほおおおおおおおおおおおおおおおお!」

「まあ……!」

 

 父親が歓喜の絶叫を上げた。

 母親も驚き、目を見開いている。

 何となく嫌な予感がして、震えながら表情を引きつらせてアルシェは確認を取る。

 

「……ねえ、エローナ。もしかして、全部の部屋がこれと同じ?」

「そうよ。収穫ループとか昔の金策方法とかの確認をひととおりしたら、こんなことになっちゃって。ちなみに用意した全部を含めてもまだまだ氷山の一角よ。場所が塞がってしょうがないの。正直アルシェが両親を連れてきてくれて助かったわ」

 

 歓喜のあまり父親が奇声を上げながら踊り出した。

 もう父親の奇行にツッコミを入れる気も起きない。

 

「念のため、確認してもいい? お母さまも手伝って」

「どうぞ」

「あらあら。では、失礼いたしますわね」

 

 エローナから許可を得ると、アルシェは踊ったままの父親を放置して母親を連れ、全ての部屋の確認に向かう。

 本当に、全部あんな感じだった。

 全ての部屋が、金貨と財宝で埋め尽くされていた。

 意味不明だった。

 

「換金が必要になりますから、相場を大幅に崩さないよう注意してくださいね?」

「心得ております! 知り合いの貴族と商人たちに、片っ端から声をかけましょう! ヒョホホホホホホホ!」

 

 謎の笑い声を上げて、父親は走り去ってしまった。

 どうやらさっそくジャイムスに伝え、手筈を整えにいったらしい。

 

「まあ。じゃあ、アルシェの化粧品をもっと買ってしまおうかしら」

 

 残された母親はのほほんとそんなことを言っている。

 それ以来、アルシェの父親はエローナに対して常に満面の笑顔でもみ手しながら接するようになった。

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