(フロントランナー)前野ウルド浩太郎さん 「研究を続けたくて、『人寄せパンダ作戦』」

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 (1面から続く)

 ――最新刊「バッタを倒すぜ アフリカで」は600ページを超す大作。同じく新書で2017年出版「バッタを倒しにアフリカへ」は26万部突破です。

 今回は、前作で触れられなかったサバクトビバッタの「繁殖行動」がテーマ。モーリタニアでは大発生時、昼間に防除部隊が砂漠へ出動して農薬を散布しますが、空を飛ぶ成虫相手だと薬の量や費用はかさみ、環境汚染のリスクも高まる。夜まで待って繁殖の要のメスの一斉産卵を狙えば一網打尽、効率が良く環境への負荷も減るはず。13年かけた研究成果とそれにまつわる裏話を盛り込んだ結果、前作の倍近い厚さとなり、「鈍器本」と呼ばれています(笑)。

 読書はリラックスするための非日常の時間。すぐに結果や結論が求められる時代だからこそ、たっぷり楽しんでほしくていっぱい書きました。私自身がかつて読書が苦手で挫折を重ね、1冊読破できた時はとてもうれしかった。なので前作同様、楽に読める文章を心がけ、読み切ってもらう工夫をしました。

 ■大発生して変身

 食用タコの産地として知られるモーリタニアは、バッタの発生源の国の一つ。通常の幼虫は緑色でおとなしいのですが、大発生すると黒と黄色が交じった目立つ色になり、成虫になると大群をなして1日100キロ以上移動することも。約500種類の植物を食べ、深刻な食糧危機をもたらす。この変身は「相変異」というバッタ特有の現象で、イナゴにはありません。

 一方、日本では蝗害は起きず、イナゴと混同しがちで、誰も興味を抱いてくれない。それでも私は研究を続けたくて、思いついたのが「人寄せパンダ作戦」。自分が注目を浴びて、バッタ研究が大切という空気を作って職を得ようと。ブログでの情報発信や大勢が集うイベント登壇などPRに力を注ぎ、唯一無二の存在を目指しました。著書でも前作は無収入で困った時の話、今作は虫の繁殖に関する研究に没頭して自分の婚活をおろそかにした話を面白おかしく書いています。

 ――野外調査はティジャニさんが運転し、料理に通訳、メカニックの役目も担います。

 はい。私より数歳上のモーリタニア人男性で、現地に渡った11年春に会いました。十徳ナイフのような“何でも屋さん”で豪快かつ人間味にあふれ、ほぼ身内のような存在です。今作の表紙写真は砂漠で虫網を構えるバッタに扮した全身緑色の男2人が並んでいて、左が彼で、右は私です。

 世界のバッタ研究者300~400人中、サバクトビバッタを専門とするのは1割程度。バッタ研究は20世紀前半から国際的に進められてきたのですが、アフリカの植民地が1960年を境に次々と独立する中でその重要性が薄れ、70年代に入ると野外調査を担う機関が解体されてしまいました。

 モーリタニアでも長くフィールドワークをする人がいなかった背景には、気象などの環境条件が過酷な上、効率よくバッタを調べるのが難しかったことがあります。実際、世界のバッタ研究の多くは室内で行われています。

 私も23歳から31歳まで、日本で研究に明け暮れていました。連日、気温31度に保った実験室へ通い詰め、大量の餌を確保してたくさんのバッタを飼育するのは重労働。さらに一匹ずつ解剖して体長や卵の大きさを測定するといったローテクで地道な作業を繰り返したんです。同世代より圧倒的にモノを知らないという負い目もありました。

 だけど、その地味な日々がフィールドワークでは役立つことに。サハラ砂漠では最新の機器や薬品に頼れず、自分の体を使ってデータを集めるしかありません。アナログ過ぎて恥ずかしかった私のやり方が大活躍する。ある意味、「けがの功名」でした。

 ■撲滅は目指さない

 ――一般向け講演会の受講者は7割が女性で「昆虫学者になりたい」と訴える高校生もいます。

 好きなことを仕事にする道は険しく、誰もが不安を抱えています。私だって初めから研究が好きでたまらないわけじゃなく「そこまでの情熱はない」と思ったこともある。若い人が自ら進路を切り開くために、私の過去の苦労や悩みを上手に伝えることで勇気づけられたら。

 バッタを長く研究した結果、じんましんや鼻水が出るといったアレルギー症状に悩まされますが、私は基本的にバッタは大好き。撲滅を目指すのではなく、大発生して増え過ぎた分を減らしたいんです。実験で命を奪うことは多々あっても、その死を無駄にしないために論文で発表して命を残すことを心がけています。

 バッタの発生メカニズムを含め、実はまだわからないことだらけ。例えばメスはどうやってオスを見つけるのか。匂いが関係していそうなんですが、他の虫と違ってなかなか現場に出くわせず、データ収集が進まない。ギャンブル性が高い研究ですが、これからも頑張ります。

 ■プロフィル

 ★1980年、秋田県生まれ。小学生の時に「ファーブル昆虫記」を読んで、昆虫学者に憧れる=写真。県立秋田中央高校卒業後に弘前大へ進学。その後、神戸大大学院で博士号(農学)を取得。

 ★2011年、モーリタニアへ渡ってサハラ砂漠での野外調査を開始。現地の研究機関の重鎮から、ミドルネームの「ウルド」(「○○の子孫」の意)を授かる。12年、初の著書「孤独なバッタが群れるとき」出版。13年春から、ほぼ無収入に。14年、京都大学白眉(はくび)センターの特定助教に選ばれる。16年、国際農林水産業研究センターに就職。

 ★17年、「バッタを倒しにアフリカへ」出版、翌18年の新書大賞に輝く。

 ★21年10月、大発生時のサバクトビバッタの夜間の集団産卵を突き止め、論文を米科学アカデミー紀要(PNAS)に発表。22年度の日本学術振興会賞を受賞。

 ★24年、「バッタを倒すぜ アフリカで」出版。

 ◆次回はヘラルボニー代表の双子、松田崇弥さん、文登さん。知的障害がある作家の絵画などを様々な形で世に広めます。パリを拠点に海外でも活動を始めました。

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