↑のつづき。
さて、天椅立神社を後にして東へ。
舞台は再び美馬へと。
美馬市脇(わき)町。
元々は『倭城(わき)』だったとも云われる。
車で1時間走らせ、大滝山を登る。
やっとの思いでたどり着いた。
看板には『シャクナゲの社 西照神社』。
この時点で、素晴らしき神社だと感じる。
鳥居の扁額『西照神社』。
美しき雪の参道。
こんな大寒波の時期に参拝に来るのは
ワタシのような変わり者だけかもしれない。
恒例の「狛犬の見る景色」。
社殿が見えてきた。
寒さよりワクワクが勝利するのが
このワタシ。
『狛犬伝説』
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ある夏の夜、ここを通りかかった母子が
狼に追われて神社の祠に逃げ込んだ。
狼がこの母子に襲いかかろうとしたところを
この狛犬が狼を撃退したという
伝説が残っている。
この狛犬は
天保十四年六月心ある阿讃の信者によって
神域の鬼魅(変化)を避ける事を託して
奉献されたもので、
阿讃の霊峰大滝山の西照神社の狛犬は、
飛躍への架け橋となる
不二の神とも言われている。
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狛犬さん、さすがです。
拝殿前の鳥居。
拝殿。
延喜式内社 阿波国美馬郡 田寸神社 論社
日本一社 厄除総本宮
『西照(にしてる)神社』
鎮座地 徳島県美馬市脇町西大谷(大滝山山頂)
創建 不詳
別称 月神の宮
通称 大滝西照神社
旧称 西照大権現
祭神 月夜見大神
配神 宗像三女神
(市杵島姫命・田寸津比売命・田心比売命)
由緒書き↓
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大滝山阿讃国境に位し
標高946米七尾七谷の源をなす嶺峰にして
古代「大嶽山」と稱せられる。
由緒、
古伝の存す所を案ずるに上代神世の昔、
伊邪那岐尊、高御産巣日神の詔を以ちて、
筑紫の日向の橘の小戸の阿波狭原に降り
禊祓まして心身清淨なる身を以って
山川草木各々の主管者を任命し終りに
天照大神を高天原へ。
祖国並に大八州国を統治し
次に月読尊は夜の食国
(筑紫の国即ち九州全域尚湯の出る国
即ち四国の嶋)を統括し
東大和紀伊の動向を看視せよと委任し給ふ。
そこで月読尊は航海の神、
田寸津姫命即ち宗像の三神の部族を率いて
伊豫から阿波の国に移り大嶽山の頂、
展望のきく所に櫓を設け
瀬戸内海難波及び大和の動向を監視せしめ、
天津神の詔を体し九州四国を統括し、
蒼生人の九厄十悪を祓ひ退け、
夜毎に白露をふらし、
五穀草木を潤し海上安全を守護されしと降って
平安朝の初期桓武天皇の御代
僧空海24才の項三教指針(神道濡教佛教)の
一佛教を選び厳修体得せんと大嶽山に登り、
北面の崖の中腹に山篭すること3年。
教理に初光を見出し、続いて土佐の国
室戸に至って3年余を経て都に赴く。
偶に遣唐使の渡航舟団に加はるに及んで、
大嶽山の航海の神に安全を祈願して出航す。
途中台風に遭ひ遣唐使の三隻は
行衛不明になるも空海は遥か南方
唐の赤岸鎮に漂着。
陸路長安に至り、青竜寺恵果和尚に教を乞ふ。
和尚之れを優遇し密教の奥義を伝授。
さる帰国に及んで
大嶽山の三神に厚く感謝せし。
後門弟をして別当寺を建て奉仕せしむ。
続いて本地垂迹の説を唱え
布教に之れ努め社号に権現号を贈り、
西照大権現と改稱し、
神祇官に代り祭祇を司り明治6年に至る。
中世稲田氏国守となるに及び
崇敬社として山麗の九石八斗の村落を寄進し、
諸役を定住させ奉仕せしむ。
明治6年、神佛習合分離の太政官布告に基き、
社格郷社「西照神社」と旧に服し、
神官をして祭祇することとなり今日に至る。
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かの弘法大師空海が若かりし頃
修行し、その後も重要視したのが
この大滝山。
月読が統治した夜の食国を
「九州全域と湯の出る国」としている。
「湯の出る国」とは
日本最古の温泉とも云われる
道後温泉の湧く伊予国(愛媛県)。
四国が伊予二名島と呼ばれた通り、
阿波(徳島)は『伊(イ)ノ国』、
伊予(愛媛)は『予(ヨ)ノ国』。
伊予は、夜(ヨ)ノ食(オス)国だった。
月読は、阿波より西を照らした。
この日の数日前に参拝した
『伊豫神社』の祭神は
月夜見尊(つくよみのみこと)と
愛比売命(えひめのみこと)。
ちゃんと理由があった。
境内には八大龍王神社が鎮座していた。
ホツマツタヱでも、
ツキヨミはツクシの国が軌道に乗った後、
ソアサ(四国)を任され、
国をイヨとアワの二つに別け、
イヨをイヨツヒコに治めさせ、
アワをアワツヒコに治めさせた。
その後、伊予二名島と呼ばれたのだろう。
古事記では出番が少ない月読。
この伝承は、ホツマツタヱが
ベースになっていると推測される。
西照神社の少し下にあるのは、
空海に先駆けて四国に寺を建立していた
行基によって開かれた『大瀧寺』。
四国別格二十霊場20番札所であり、
奈良時代からの由緒ある寺院である。
大滝寺の本尊は西照大権現。
天忍日命(二十二代前のご先祖様)の
使いの者です。
大瀧寺以外にお祀り出来ない神様です。
西照大権現、西照権現、
西照宮(西照大権現を安置する宮)、
又は大瀧さん大瀧大権現の名で
古くから親しまれてまいりました。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
また、
古語拾遺では、天忍日命(アメノオシヒ)は
『天万栲幡千千姫』の子とされており、
瓊瓊杵尊らと同母兄弟とされている。
瓊瓊杵尊の天孫降臨に随伴した神でもある。
天忍日命の子である天忍人命は、
↓の神社に祀られていた。
やはり、伊予国(愛媛県)の神社。
天忍日命(天押日命)(アメノオシヒ)の
「押(オス)」は夜(予)の食(オス)国に
通じる。
アメノオシヒは大伴氏の祖神。
大伴氏とは、
かつて物部氏とともに
朝廷の軍事を任されていた氏族であり、
佐伯氏とも同族。
佐伯氏と言えば空海なのである。
素晴らしい彫り物。
当然のように龍。
西照神社奉納『月の木馬』。
斜め後ろから本殿。
右隣には境内社『稲荷神社』。
『灯明杉』。
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天を突くように生えている杉の大木は
幹周4.5米、樹高約50米の老木で通称、
西照神社の千年杉と言われており、
其の名のように樹令は500年、
山頂の厳しい風雪によく耐えて
根を張り枝を広げかくも雄々しく
育ってきた神木である。
古来数々の伝説を秘めてきた神木でもある。
日清戦争が布告された明治27年8月1日の夜、
千年杉の穂先に突然点った灯りが
毎晩のように煌々と輝いて
四囲の村々を照らし続けたが
翌年4月17日の晩は其の灯りが不意に消えて
翌朝は講和戦勝の報が入った。
次に日露戦争の時にも
同じ現象が起ったのである。
村人は
「国家の一大事のニュースよりも
西照さんが先にしらせてくれる」
と言って
其の霊験の灼かさに驚眼を開き
朝夕の信仰は以前より深まった。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
奇跡のスギノキである。
小さな境内社たちも雪帽子。
さてさて、
西照神社とは『西のアマテラス』。
日出ル東の国の天照大御神と
日沈ム西の国の月読尊。
月読は、伊予の国から
田寸津姫命(タキツヒメ)を連れてきた。
「津(ツ)」は助詞であり、
神名の意味は『滝の姫』。
大滝山に鎮座するにふさわしい。
そして、何故連れてきたのか…
それは、
若かりし田寸津姫命が超優秀な神子(巫女)
だったからなのだ。
社伝の通り、中心国である阿波国。
その玄関口である瀬戸内海から
淡路島周辺の監視をする場所だった大滝山。
そして、その後の
田寸津姫命のストーリーは、
『天岩戸に籠った天照大御神の後継者』。
敬愛する
awa-otokoさんのブログより↓
詳しくは↑の記事を見るのが一番なのだが
恐れ多くも一部引用させて頂きます。
ブログ内で引用される阿波古代史の重鎮
乃良根公さんのblog 「空と風」より
↓
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
天石門別八倉姫神社の御祭神は、二代目天照大神こと、壹與(イヨ)である。
初代天照大神(卑弥呼)亡き後を継いだ
女王・二代目天照大御神とは
伊予国から阿波国へ連れて来られた
13歳のスーパーシャーマン(壹與)である。
壹與(イヨ)はその後、
臺與(トヨ)と呼ばれたが、
これが豊受大神、阿波国神大宜都比売である。
壹與を伊予から連れてきたのは
西照神社由緒にある通り月読尊である。
「西照」とはもちろん
「西の天照」という意味である。
社伝で月読尊が連れてきた
田寸津姫というのが瀬織津姫とも呼ばれる
壹與であった。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
この衝撃的な内容は、
実際に伊予や阿波の神社を訪れてみないと
理解してもらえないのかもしれないが、
ワタシ的には一番しっくりくる。
何故なら、
卑弥呼の後継者トヨの伝承が、
徳島市の宅宮神社に今も神踊りとして
継承されているからである↓
~~~~~~~~~~~~~~~~
伊豆毛の国の伯母御の宗女
御年十三ならせます
こくちは壱字とおたしなむ
~~~~~~~~~~~~~~~~
そして、
魏志倭人伝には、こう記されている↓
~~~~~~~~~~~~~~~~
卑弥呼亡き後に国は乱れたが、
十三歳の壱与が王となり、
国は治まった
~~~~~~~~~~~~~~~~
また、阿波国の延喜式内社に祀られる
天石門別八倉姫は空海の出自である
佐伯氏と同族の大伴氏の始祖
天忍日命の名を遺す
『古屋家家譜』に登場している。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
高皇産霊神(タカミムスビ)
↓
安牟須比命
↓
香都知命
↓
天雷命
↓
天石門別安国玉主命(大刀辛雄命)
后神 天石門別八倉姫
↓
天押(忍)日命(アメノオシヒ)
↓
天押(忍)人命(兄弟に天忍男命)
↓
天日咋命
↓
刺田比古命
↓
道臣命
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ちなみに忌部氏の系図では、
天太玉命(忌部の祖神)
↓
天石門別神
↓
天日鷲命(阿波忌部の祖神)
となっている。
空海は、自らの先祖の足取りを
たどっていたのではなかろうか。
また、
海部氏の系図では、
正哉吾勝勝也速日天押穂耳尊(神名にオシ)
↓
始祖 天火明命
↓
天香山命
↓
天村雲命
↓
天忍人命・天忍男命(神名にオシ)
●佐那河内中学校の校歌↓
♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
忌部海部の手と手をつなぎ
南北文化の力をあつめた
血脈伝統この地に受けて 真理を探り
平和を築き 名誉あがる
佐那河内村中学校
♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
忌部族と出逢った海部族は、
やがて同族となっていった。
空海はその末裔であり、
時を超えて同じく同族の
籠神社海部宮司の娘
真名井御前と出逢った。
そして、
「潮満珠」「潮干珠」が
空海の手に渡ったのである。
ちなみに、
月神は海の干満を司る神とも云われる。
『願いの石』。
ウサギは、雪ウサギのようになっていた。
『日本書紀』では、
天照大御神から命を受け、
月夜見尊は保食神(ウケモチ)と会う。
そこで保食神は饗応として
口から飯を出した為、
月夜見尊は「けがらわしい」と怒り、
保食神を剣で殺してしまう。
保食神の死体からは
牛馬・蚕・稲などが生まれて、
これが穀物の起源となった。
『古事記』では、この穀物起源の話が
保食神ではなく、阿波の女神である
大気都比売神(オオゲツヒメ)として伝わる。
記紀神話を重ねると、
月夜見尊は大気都比売神つまり
トヨに会っており、
そこから穀物が広まっていった。
『ホツマツタヱ』では、
ツキヨミの斎名は『モチキネ』。
大気都比売神の別名は
『ウケモチ』。
食物と月の神格を持つ二柱を祀る
この西照神社。
月でモチをつくウサギ。
どおりで、『ウサギ』がいるわけだ。
ちなみに、沖縄方言では、
「召し上がれ」を
「ウサガミソーレ」と言うのですよ
皆さん❗
『祖霊社』。
境内社『熊野神社』。
縁結びの社なのだそうな。
『八大龍王神社』。
あとで宮司さんにお聞きしたところ
参拝方法は、「二拍手」ではなく
『八拍手』❗
神紋は龍神。
カッこよすぎる。
『三本杉』
それぞれが二又に分かれている
不思議な三本杉は
配神である宗像三女神の御柱と
言われている。
さてさて、
月読と言えば、
全国の月讀社の「元宮」と云われる
壱岐の『月讀神社』。
祭神は月夜見命・月弓命・月読命の3柱。
月讀神社ホームページより↓
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
顕宗天皇3年(487年)
阿閉臣事代(アヘノオミコトシロ)
という官吏が天皇の命を受けて
朝鮮半島の任那に使いにでる。
その際、人に月の神が神がかりし、
「土地を月の神に奉納せよ、
そうすればよい事があろう」
という託宣があった。
それを朝廷に奏したところ、
これを受けた朝廷は
壱岐の県主の押見宿禰に命じて
壱岐の月讀神社から分霊させ京都に祀らせた。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
阿閉臣事代(アヘノオミコトシロ)。
大気都比売神を祀る
上一宮大粟神社の阿部宮司様の祖神は
始祖阿閇御祖神(アヘノミオヤノカミ)。
そして、
大気都比売神の配偶神は
八重事代主神である。
壱岐から始まったとされる月神の系譜は、
本当は阿波から始まったのかもしれない。
今回の阿波徳島編では、
山頂で何故か晴れるという現象が
よく起きる。
「呼ばれている」と言えばおこがましいが
とにかく感謝しかありません☀
今しか味わえないこの境内を
ゆっくりと回った。
二つ並んだ立派な御神木。
社務所。
雪かきで忙しい中、
心優しくお話して頂いた宮司さん。
「うちは家族経営だから大変ですよぉ~」
と笑顔でおっしゃっていた。
本当に貴重なお話ばかりだった。
例えば、
・西照神社のご神体は月
・祭神の月読は伊予から来た。
だから伊予神社の祭神も月読
・月読は伊予から田寸津姫命を連れてきた
・八大龍王社の参拝方法は八拍手
・龍神祝詞が書いた用紙をコピーしてくれて
「八大龍王社の前で唱えると良い」と
教えてくれた。
等々、大変貴重なお話の数々。
素晴らしかったのは、
宮司さんがかぶっていた帽子には
『三日月』の刺繍が入っていたこと。
この西照神社のことも、
そのご神体である月のことも
とても愛しているのだなぁ…
と感じ、心が温かくなった。
宮司さんは大変な勉強家で、
他府県含め、様々な土地の神社を
参拝しているのだそうな。
宮司さんに
「沖縄から来ました」と告げると、
なんとこの二日後に沖縄旅行に
行く予定だったのだとか。
入れ違いにならなくて良かった。
縁とは不思議なものである。
この場を借りて、
改めて感謝申し上げます。
冗談抜きで素晴らしい神社。
そして、心優しく博学な宮司様。
今回の旅でも、
素晴らしい神社と沢山出逢ったが、
一番心に残ったのがこの西照神社である。
秋の『月夜見祭』では、
この大滝山山頂に大勢の方々が
集まるのだそうな。
皆で社殿の上の満月を拝むのだろうか。
ご神体は『月』。
西照神社は最高ですよ皆さん❗
阿波徳島編4日目は終了。
次回は、まとめに入って
一旦この長旅を締めくくろうと思います。
つづく。
ではまた❗
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